75.侯爵令嬢は『転移魔法』の研究をする
空間を出ると、元の肖像画がある場所に戻ることができた。最初に目に入った光景はというと、レオンは壁をカリカリとしている。リュウ様はつるはしでこつこつと壁を掘っていた。何をしているのかしら?
「何をしているの?」
「リオ! 無事だったか!」
私が戻ってきたことに気づいたレオンとリュウ様が駆け寄ってくる。
私も駆け寄り、レオンのもふもふな首に抱き着く。
「レオン! あのね。私にはマリオンさんの記憶はないけれど、きっとこう言いたかったと思うの。貴方を置いて行ってしまってごめんなさい……。長い間待たせてしまってごめんなさいって……」
「お前は……マリオンなのか? リオなのか?」
顔は見えないが、レオンが困惑しているのが声から伺うことができる。
「リオよ。でもね……マリオンさんの記憶を持っていたら、きっと言っていた」
「……そうか」
この暖かさがとても懐かしく感じる。
するとコホンと咳払いするリュウ様の声が聞こえた。
「あ~邪魔して悪いとは思うんだが、その様子だとマリオンの空間を見つけられたようだな。ピンポロリン」
そういえばリュウ様もいたのだった。私はレオンの首から手を離すとリュウ様に向き直る。
「ええ。心配かけてごめんなさい。リュウ様」
「マリオンの空間はすごかっただろう? ピンポロリン」
リュウ様は空中で器用にホバリングしながら、小さな親指をぐっと立てている。私も真似してぐっと親指を立てると、リュウ様に顔を近づけいたずらっぽく微笑んだ。
「本当はあの空間の中を知っていたのではないの? リュウタロー」
「げっ! なぜその名前を知って……。そうか。マリオンの日記か何か読んだな。ピンポロリン」
ポリポリと爪で頭を掻くリュウ様だ。
マリオンさんの空間では、興味深い文献がたくさんあったが、一番夢中になって読んだのが、マリオンさんがつけていた日記だ。そこには領民への愛、神様たちとの交流が鮮明に記載されていた。レオンをどれほど愛していたのかも。
「……もしかして我の名も……か……」
「もちろん! でもレオンはレオン。リュウ様もね。貴方たちの名前は今の私がつけた名前で呼ぶの」
ふっとレオンが目を細める。
「そうだな。お前はカトリオナ・ユリエ・グランドールだ。我の大切なリオだ」
ちなみに壁を掘ろうとしていたのは、魔法陣を探すためだと二人ともごまかしていた。だが、本当は違うと思う。心配性の神様たちのことだ。空間に吸い込まれたと理解していても、つい物理的な行動をしてしまったのだろう。
時の神リュウ様の試練は無事終わった。
リュウ様はマリオンさんの身に何かあった場合は、自らの空間へ自分の生まれ変わりを導くようにと伝言されていたのだ。
「必ず私は生まれ変わるからと自信たっぷりに言っていた。ピンポロリン」
塔から屋敷に戻る道すがら試練のことを聞いてみた。
「リュウ様はマリオンさんの空間の中を知らないの?」
首を縦にぶんぶんと振るリュウ様。怪しい。
「それなら、どうして日記のことを知っていたの?」
リュウ様はぎくりとしたようだ。体が一瞬だけびくんと跳ねた。
「そ、それは……マリオンが『投影魔法』で記録していたのを偶然見たからだ。ピンポロリン」
「怪しい」
「本当だ! ピンポロリン」
あの空間は例え神様でも自分以外は入れないようにからくりが仕掛けてあると、マリオンさんの日記に書かれていた。
「それとな、リオ。俺にも敬称はいらないぜ。リュウでいい。ピンポロリン」
「分かったわ、リュウ」
それから、リュウに空間に入る時のあの気持ち悪い感覚は何とかならないものか聞いてみた。だが、あればかりは慣れるしかないらしい。平衡感覚がおかしくなりそうで嫌だけれど、頑張ってみることにする。
マリオンさんが残してくれた書物の中にコツがないかしら? 明日はそれについての書物を漁ろうかな? 『魂の記憶』はあるけれど、マリオンさんの記憶はない。魔法の知識は一から学んでいくしかなさそうだ。
「ねえ、レオン。私、前世じゃなかった! 前々世の記憶らしい夢を一つだけ見たことがあるの。答えはもちろん『はい』だからね」
前をのしのしと歩いていたレオンに声をかける。
前々世の夢――。
それは『神の花嫁』の夢。
「そうか」
「思い当たることがあるのでしょう? ねえ、レオン?」
レオンは振り向かず「知らん!」と言っている。しかし、尻尾がリズミカルに揺れていた。あれは嬉しい時の仕草だ。あの夢は実際にあった出来事なのだろう。
前々世の私、マリオンさんがレオンを何と呼んでいたか? それは秘密!
◇◇◇
マリオンさんの空間は今や私の学びの場となった。
とにかく膨大な量の書物があるからだ。この書物を持って自分の部屋でも読みたいのだが、なぜか持ち出すことができないのだ。
だが、それを可能にする方法が一つだけある。
『転移魔法』だ。
二百年前、魔法陣なしですべての領民を転移させたマリオンさんのようにはできないが、少量であれば魔法陣を作って転移させることは可能なのではないかと日々研究に打ち込んだ。
「では、実験を始めるわね」
最初の実験にはレオンとリュウに手伝いをしてもらうことにした。
マリオンさんの肖像画がある尖塔の外に転移魔法陣を描いた紙を置く。
次はマリオンさんの空間に描いた転移魔法陣に本を置き、魔力をこめると本は消えた。
「成功したかしら?」
レオンとリュウが待つ尖塔の外に出ると、転移させた本が魔法陣の上に乗っていた。
「やった! 成功だ!」
「すごいな。こんな短期間で『転移魔法』を会得するなんてリオは天才か? ピンポロリン」
「マリオンさんの研究資料があったからよ」
レオンは転移させた本をじっと見ている。
「何か気になる本があったの? レオン」
「大半の本は見たことがないが、この本はマリオンの愛読書だった」
レオンが指した本は物語本だ。魔法の資料本が多い中で少ないが、女性が好みそうな恋物語や紀行本があった。
「ああ、それね。太陽と月の双子の姫が大地の騎士に恋をしたという物語でしょう。フレア様やクリスが好きそうだから、持ってきたの」
「そうか」
大魔法使いだったマリオンさんだが、やはり女性なのでこういう物語も好きだったのだろう。
前々世の自分だけれど、どうも実感がない。
魂が同じだけで別の人間だから、当たり前なのだが。
今度は自室とマリオンさんの空間に転移魔法陣を置いて実験してみたが、こちらも成功した。
リュウのように人間を転移させることもそのうち実現できるかもしれない。
そうなると、王都と行き来ができて便利だ。
魔法学院に行くまでまだ猶予はある。最悪のシナリオに備える手段をいくつか考えることが可能だ。
『禁断魔法』に対抗する術についても、自分なりに研究してみるつもりだ。
叶えたい望みはいくらでもある。
創世の神であるメイの孤独な旅を終わらせてあげたい。
家族を今度こそは守る。
何より今世では幸せは自分で掴む。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)