64.侯爵令嬢は竜神王の姫と会う(後編)
クリスと私はシルフィーネ様が飛び去った方向を見やる。
「神々しいドラゴンね。人の姿も美しかったけれど、さすがは竜神というだけはあるわね」
「竜神王の姫のブレスがきたら、レオンたちでも無事ではすまないのではない?」
「防御くらいはできるぞ。ただ攻撃はできぬな。何せ魔法が効かぬ最強の種族だからな」
お腹がぐうと鳴る。
「安心したら、お腹が空いたわ。頂は寒いし、ドラゴンの巣でお昼ご飯を食べましょう」
今日のお弁当はキクノ様に教えていただいたヒノシマ国伝統のおにぎりだ。お弁当はいつもどおり出来立てを時の神様に『空間魔法』で運んでもらうように頼んでおいた。
ちょうど時の神様がインゴットを運ぶために出てきてくれたので、お弁当を出してもらった。
「このおにぎりにショウユとミソを塗って焼きます」
おにぎりにショウユかミソを塗って焼く料理を焼きおにぎりというそうだ。
「火はどうやって熾すんだ? 『火魔法』を使えるやつがいないだろう?」
よくぞ聞いてくれましたと私は得意気な顔をする。
「『神聖魔法』の光を使います。見ていてください」
フレア様から教わった光の収束性を利用するのだ。乾いた木に光を一点に集中してあてる。しばらくすると煙が出てきたので、息を吹きかけると火がつく。
「火をおこしました。後は火を絶やさないようにたき火にしていきます」
たき火用の木も時の神様に運んでもらったのだ。
「原始的だけど光にこんな応用の仕方があるのね」
クリスが感心しながら、火がついた木を見つめている。
「だけど難しいのよ。光の調整を間違えると穴が空いてしまうの」
森で何度も練習したのだが、危うく森林火災を起こしかけたことがある。急いで火種は消したが、木を何本も貫いてドライアドの乙女たちに迷惑をかけてしまった。後で謝って『回復魔法』をかけまくったのだ。
「光で串刺しにできるってことか? ユリエは最強で最恐だな」
「串刺しなんてしません! サバイバルな状況になった時に火が熾せるかな? と思って編み出した技なのですから」
トージューローさんが茶化すので、ぷいとそっぽを向く。
「阿呆な彦獅朗は放っておいて、おにぎりを焼いてしまいましょう」
キクノ様が『土魔法』で竃を作ってくれたので、その上に網を乗せる。女性陣だけでおにぎりにショウユやミソを塗って網に乗せて、おにぎりを焼いていく。ショウユとミソが焼ける香ばしい匂いがあたりに立ち込める。
「焼きおにぎりなんて故郷でしか食べられないと思ったぜ」
おにぎりが焼きあがったので、次はミソ汁というスープを空間から出してもらって、皆の前に配膳していく。
「では、いただきましょう」
焼きおにぎりを食べようと手に取った時に、上空に羽音がする。凄まじい勢いで降下してきたかと思うと、竃の前でポンと人の姿になる。
シルフィーネ様だった。サファイヤの瞳が期待に満ちている。そして興奮していらっしゃるのか白い肌が上気していた。
「米! 味噌! 醤油!」
あれ? 正確なヒノシマ国の発音だ。
「しかも焼きおにぎりと味噌汁……だと?」
くるりと私に振り返ったシルフィーネ様のお腹がぐうと鳴る。
「これを私にごちそうしてくれないか! このとおりだ!」
竜神王の姫君が土下座した! それは見事なスライディング土下座だった。
「我の取り分が減る……もごっ!」
慌ててレオンの口を塞ぐ。
「どうか頭を上げてくださいませ、シルフィーネ様。よろしければ一緒にご飯を食べましょう」
弾けるように頭を上げたシルフィーネ様の顔がきらきらと輝いている。先ほどまでの威厳あふれる姿から一転して、普通の少女のような顔は何やら可愛い。
シルフィーネ様にも焼きおにぎりと味噌汁を配膳する。震える手で焼きおにぎりを取り、一口食べると、シルフィーネ様の目から涙が零れていた。
「美味い! この世界で米と味噌と醤油に出会えるとは思わなかった!」
「涙が出るほど美味しいですか?」
うんうんと焼きおにぎりを頬張りながら頷くシルフィーネ様の仕草が可愛い。
「まだたくさんありますから、どんどん食べてくださいね」
男性陣、特にレオンがたくさん食べるだろうと思って、おにぎりを多めに用意してきたのだ。米は温室でキクノ様の指導に従って作ったので、たくさん収穫することができた。
「それにしてもドラゴンのお姫様。シルフィーネ様だったか? よく焼きおにぎりの匂いが分かったな」
「ドラゴンは嗅覚が発達しておるのだ。鱗を渡すのを忘れておったので戻ってきたら、懐かしい匂いがしたのだ」
「そういえば鱗を受け取っておらなかったな」
おにぎりを欲張っていくつも皿に乗せたレオンが顔を顰める。
懐かしい? 竜神王の世界にもコメやショウユ、ミソがあるのだろうか?
シルフィーネ様もレオンに負けまいとおにぎりを頬張っている。
「馳走になった! 約束の鱗を渡そう」
満腹になったシルフィーネ様が、頭頂に一本だけ逆の向きに流れている髪の毛を抜く。髪はしばらくすると白銀の鱗になる。大きさは子供の頭くらいだ。
「これは逆鱗と言って、ドラゴンの鱗に一枚だけ存在する貴重なものだ」
「何!? 逆鱗は触れたら、ドラゴンは理性を失って暴れ出すんじゃないのか?」
トージューローさんが飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになっていた。
「ヒノシマ国のドラゴンはそうなのか?」
「俺が子供の頃、出会った竜神のじいさんはそうだった。喉元に一枚だけ逆の方向をむいた鱗があって『これはなんだ?』と触ったら、いきなり暴れ出した。静めるのが一苦労だったぞ」
「あの時は大変でしたね。もう少しで天災が起こるところでした」
思い出話のようにさらりと簡単に語るが、天災クラスの神の怒りとは想像しただけでも恐ろしい。
「やはり国が違うと神の性質も違うのだな」
「形状も違いますね。ヒノシマ国の竜神は蛇のように胴体が長いのです。手足は短く、竜玉と呼ばれるものを片手に握っております。翼はありませんが空を飛ぶことができます」
しばらくシルフィーネ様とキクノ様とトージューローさんは竜神の話で花を咲かせていた。
「シルフィーネ様のドラゴンのお姿きれいだったわね」
「そうね。人間のお姿も美しいけれど、竜神族は美形が多いのかしら?」
竜神族の出である時の神様は人間姿になったら、どうなるのかとクリスと地面に絵を描きながら遊んでいると、シルフィーネ様から声を掛けられた。
「私と同じ白銀の髪の少女よ。名はなんという?」
「カトリオナ・ユリエ・グランドールと申します」
シルフィーネ様に向かって名乗りながら、カーテシーをする。
「ユリエ? フィンダリアの民にしては変わったセカンドネームだな」
「祖先にヒノシマ国の者がいたのです。我が家に生まれた者は私のような変わったセカンドネームを持っております」
「そうか」と微笑むとシルフィーネ様は私の頭に手を乗せる。
「ではユリエと呼ばせてもらってもよいか? 其方たちには私のことをシルフィと呼ぶことを許す」
「喜んで!」
シルフィ様は我が国の神様たちやクリスやトージューローさんにも同じように名を尋ねていく。
「グランドールというとこの山脈の下にある領地だな。ユリエ……その……また米を食わせてもらいに訪ねてきてもよいか?」
どうやら、シルフィーネ様はおにぎりが気に入ったようだ。
「いつでもいらしてくださいませ、シルフィ様」
「ありがとう。人間にもお前たちのように神に好かれる者がまだいるのだな。本当は其方たち全員に鱗を贈りたいのだが、逆鱗は生え変わるのに時間がかかるのだ。すまぬな」
そう言うと、シルフィ様は地面に円を描きながら、しょんぼりとしている。思わず頭を撫でたくなってしまうほど可愛い。不敬になるから実行はしないけれど。
「そのような貴重な鱗をいただけたのは、私にとっては僥倖なのです」
しょんぼりとしていたシルフィ様は顔を上げると「ユリエはいい子だ」と頭を撫でてくれる。
逆鱗は生え変わったら、また届けにくるとシルフィ様が申し出てくれた。恐れ多いので、やんわりと断ったのだが、それでは気がすまないとシルフィ様に押し切られたのだ。
「それでは、いろいろ世話になった。さらばだ!」
シルフィ様はドラゴンの姿に変わると飛び立っていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)