59.侯爵令嬢は『風の剣聖』に剣術指南を受ける
グランドール侯爵領は本格的に降り始めた雪に覆われ、外での試練は春まで中止されることになった。春まではそれぞれ屋内での試練をこなすことになる。
トージューローさんとお兄様の打ち合い稽古を見て、剣術に興味を持った私はトージューローさんに弟子入りをお願いしてみた。
キクノ様の口添えもあり、トージューローさんは私の弟子入りをあっさりと認めてくれた。
クリスも剣術に興味があるようで、同じくトージューローさんから剣術を学ぶことになったのだ。
朝早くからクリスと私は大広間でトージューローさんの特訓を受けている。
「ライルに山登りをさせられていたクリスはともかく、ユリエもわりと体力があるな」
森に作ったツリーハウスの近くに、試練の合間に筋力がつきそうな遊具を創造していた。試しに使用してみたが、なかなか難易度が高く、体力がいるのだ。
「よし! 次は腕立てふせを三十回だ」
「トージューローの鬼!」
腹筋、背筋を三十回ずつ終わった後、クリスが毒づく。
トージューローさんはにやりとすると、クリスを見下ろす。
「お師匠様と呼べ。罰としてクリスはあと十回追加な」
「トージューローじゃなかった……お師匠様は鬼だわ」
腕立て伏せをしながら、クリスがブツブツと文句を言っている。確かに鬼のような特訓内容だが、剣をふるうには腕力、脚力、反射神経などしっかりと身に着ける必要があるらしい。
「腕立て伏せの後は休憩をはさんで、素振り百回、その後は打ち合い稽古だ」
冬なので屋内といえども冷え込むのだが、朝からずっと体を動かしているので汗だくだ。
キクノ様が稽古用にと仕立ててくれた、道着と袴は機能的で動きやすい。道着と袴はヒノシマ国で剣の道を志す者が稽古の際に着る服らしい。
「冷たい飲み物をお持ちいたしました」
腕立て伏せが終わったタイミングでマリーが飲み物を持ってきてくれた。マリーはタイミングを計っていたようだ。レモン水とはちみつ漬けにした果物はテーブルに置かれた。
「疲れた」
私より十回多く腕立て伏せを終えたクリスがテーブルに向かってきたので、タオルを差し出す。
「お疲れ様、クリス」
「ありがとう、リオ」
グラスに注いでもらったレモン水を一気に飲み干す。
「ぷっはー! 生き返る」
「運動の後のレモン水はいけるわね」
もう一杯とグラスをマリーに渡すと、レモン水を注いでくれる。
「おっさんか? おまえらは……」
「失礼ね。まだ十歳よ!」
私たちがおっさんっぽい仕草を時々してしまうのは、間違いなくトージューローさんの影響だと思う。トージューローさんはまだ二十一歳だけれど。
はちみつ漬けの果物をつまみながら、レモン水を飲む。疲れた時は甘いものが美味しく感じられる。
「もふもふも補充!」
テーブルの近くにいたレオンを抱きあげ、もふもふする。クリスはブルーグレーの猫姿のライル様を捕まえて、もふもふしていた。猫パンチを繰り出すライル様の攻撃を巧みに避け、もふっている。
レオンは大人しくもふられてくれている。ああ、癒される。
「そういえば昨日、不思議な夢を見たの」
「どんな夢?」
悉く攻撃をかわされ、ぐったりしたライル様を抱えたままクリスが首を傾げる。
「成人したクリスが女王になって、今日から国名をフィンダリア王国からもふっとダリア王国に変更するっていうのよ」
「それは面白いわね。わたくしが女王として即位したら、国名を変えようかしら? 国民は必ず一家に一もふもふを保護することを提案するわ」
もふもふにあふれた王国は素晴らしいけれど、諸外国に白い目で見られないかしら?
「それでね。隣にいたレオンが国名変更するって宣言した途端に『にゃふん!』って言ったのよ。なぜかその『にゃふん!』だけ妙にリアルだったのよね」
びくっとレオンの体が揺れる。「それでもふっとダリアで、にゃふんか」とぼそっと呟いていた。
「何? その可愛い夢! ライル様、ちょっと『にゃふん!』って言ってみなさい」
「いやじゃんよ」
ぷいとそっぽを向くライル様の頬を引っ張って、クリスはうりうりとはちみつ漬けの果物を口元に押し付けている。
「クリス……ライル様は一応神様なのだから、それは不敬にならないかしら?」
「ライルは人間が好きだからな。その程度ならば不敬にはならん」
チラッとレオンがライル様に目を向けると、ライル様がシャーと牙をむく。
「レオン……てめえ覚えてろじゃんよ」
「さて、休憩は終わりだ。素振り百回はじめ!」
素振りからはお兄様も加わり、三人でひたすら素振りをする。お兄様の長い木刀に比べて、クリスと私の木刀は短い。
女性には小太刀か小柄の方が使いやすいだろうということで、特訓用に短い木刀を与えらえた。
小太刀は名のとおり大刀より刀身が短い刀で、小柄とはこちらでいう短剣みたいなものだ。
百回も素振りをすると手にまめができた。まめを潰すのは良くないので、後で『治癒魔法』で治すことにしよう。
初心者はどうしても力が入りすぎてしまうので、まめができる。上手く木刀を扱えるようになったら、まめはできにくくなるそうだ。
「ユーリはともかく、クリスとユリエは十五歳になったら社交界デビューするのだろう? 剣を使う者は手の皮が厚くなるからな。男性とダンスをする時はどうするんだ?」
女性騎士や将来爵位を継ぐ女性がそのような手をしているのは問題ないのだが、私たちはなるべく武術を修めていることを悟られたくない。
「対策は考えてあります。我が国は女性が夜会や舞踏会に出席する場合、手袋をつけるというマナーがあります」
だが、手袋越しでも硬くなった手のひらをごまかすことはできない。
「ローラと共同開発中の手袋があるのです。私たちが社交界デビューする前には完成するでしょう」
それは女性の肌の柔らかさを付加した手袋だ。体はコルセットを付けるので筋肉がついていても、ダンスをするのには差し支えない。
「いろいろと頭が回るな」
ほおと感心したように頷くトージューローさんだ。
「細やかなところまで気がつくのは女性特有のものです。大雑把な彦獅朗とは違います」
「お前はいつも一言余分だぞ。菊乃」
素振りを終えた後は、打ち合い稽古だ。トージューローさん直々に指導をしてくれる。
お兄様、クリス、私という順でトージューローさんに打ちかかって行く。お兄様は魔法属性判定後からトージューローさんに稽古をつけてもらっているだけあって、身のこなしが堂に入っている。
クリスと私はというと、見様見真似で打ちかかっているので、簡単にかわされてしまう。
「上段から打ってばかりでは、隙だらけになるぞ。状況に応じて横に薙いだり、突いたり、手を狙うんだ」
私たちは本気で打っているが、トージューローさんは初心者の子供相手なので、打ってはこない。木刀の先で軽く触れながら、こうきたらこうなると詳しく教えてくれる。
「これまで! 明日からも同じ特訓をするからな。しっかり復習しておけ」
「「「ありがとうございました」」」
師匠に対する礼義としてお辞儀をする。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)