47.侯爵令嬢は王太子の訪問を歓迎していない(前編)
前後編となります。
瞬く間に一週間が過ぎ、その日、午後になってから王太子殿下が我が家を訪問してきた。
ここ一週間で寒さが増し、雪が舞うようになった。今日も外は朝から雪が降っていて寒い。
「お久しぶりです。グランドール侯爵ならびに侯爵夫人」
少し成長したのだろうか? 魔法属性判定の時より背が伸びた気がする。王太子殿下はお兄様と同じくらいの身長だ。お兄様は毎日鍛えているので、身長も体つきも十歳の少年にしては標準以上なのに……。
「寒い中、ようこそお越しくださいました。王太子殿下」
両親は並んで王太子殿下に最上級の礼をとる。
お父様は私の前世の話を聞いた時に「次に王太子殿下の顔を見たら、殺ってしまうかもしれないなあ」と黒い笑みを浮かべていた。
だが、今は優雅な所作で礼をとっている。伊達に高位貴族の当主をやっているわけではない。上辺の取り繕いが見事だ。
「ジークとリオも久しぶりだね」
お兄様は紳士の礼をとると、にこやかに王太子殿下と握手をしている。お兄様は元々穏やかな性格だ。上辺だけではなく普通に笑って……いない。ちょっと黒い何かが笑顔に混じっている。
私も淑女の笑みを貼り付けてカーテシーをする。王太子殿下は満面の笑みを浮かべて私の隣にやってくると、腕を差し出してきた。
「リオをエスコートしても構わないかな?」
ちらりとお父様の顔を見ると「エスコートしていただきなさい」というように頷くので、再びカーテシーをして答える。
「光栄ですわ。よろしくお願いいたします」
本心はものすごく嫌だけれど、差し出された腕に手をかける。なぜエスコートを申し出てきたのかは分からないが、王太子殿下は元々女性には優しい貴公子なのだ。深い意味はないと思いたい。
応接室までの道のりを王太子殿下の話に頷きながら歩いていると、後ろから殺気を感じた。目線だけ後ろに向けると、両親が今にも王太子殿下を射殺しそうな視線で睨んでいるのが、目の端に映る。幸い王太子殿下は気づいていないようで幸いだ。
お兄様は私の少し後ろを歩いており、にこにこしている。
だが、私は知っている。お兄様が懐に短剣を仕込んでいることを……。
応接室に王太子殿下をご案内してしばらくすると、執事長とマリーがお茶とお菓子を運んでくる。
応接室の中は暖かい。今日は一段と冷え込むので、朝から暖炉に火を焚いているのだ。火を熾す時に執事長が薪用の木を見つめて「有事の際は武器になりそうだ」と呟いていた。マリーはどんな試練を受けているのか分からないが、侍女服に暗器を仕込んでいる。
お願いだから、王太子殿下の暗殺はしないでねと念を押しておいたが、不安だ。
「今日こちらに伺ったのは、妹のクリスが世話になっているお礼をと思いまして……」
クリスは魔法院直轄領に勉強をしにいきたいと国王陛下と王妃殿下を説得したと聞いていたが、やはり王太子殿下はクリスが我が領にいることを把握していたようだ。
「お礼などとんでもございません。同じ歳の王女殿下がこちらにいらっしゃってから、娘は毎日楽しそうで、私どもがお礼を申し上げたいほどです」
「妹がリオと仲良くしているようで安心しました。クリスは少し破天荒なので、リオが振り回されていないかと心配していました」
澄んだ青い瞳で王太子殿下は優しく微笑みかけてくる。だが、私はこの青い瞳よりきれいなオッドアイの瞳を知ってしまった。この青い瞳に惹かれることは二度とないと断言できる。
「クリスティーナ王女殿下は明るくて、一緒にいると毎日楽しいですわ」
これは本心からの言葉だ。クリスは周りを惹きつける不思議な魅力を持っている。王者が持つカリスマ性というものなのかもしれないが、私はクリスが大好きだ。一番の親友だと思っている。
「そう、良かった。ところでクリスの姿が見えませんが?」
「王女殿下はただいま支度しております。まもなくこちらにいらっしゃいますわ、王太子殿下」
クリスが来るまでは、両親とお兄様が王太子殿下のお相手をしてくれた。私はというと、淑女の笑みを貼り付けたまま、時折、相槌を打ったりして適当にやり過ごす。
しばらくすると、クリスに続きトージューローさん、キクノ様、そしてレオンが応接間に入室してきた。レオンは人間姿だ。少年の姿で髪は銀髪のまま、瞳の色は両眼とも青い。オッドアイは目立つので両眼とも同じ色にしたのだろう。隠す必要もないのになぜかメガネをかけている。
「お久しぶりね、お兄様。こんな時期にご訪問なんて無謀ね。お帰りの際は気をつけないと雪で馬車が滑るわよ」
クリスは腕を組みながらふんと鼻を鳴らすと、王太子殿下を見下ろす。
「お前は相変わらずだな。もう帰りの心配か? その口ぶりだとまだ帰る気はなさそうだな」
想像どおり王太子殿下はクリスを迎えに来たのだろう。連れて帰るつもりらしいが、クリスはまだ帰る気はない。
「まだ、やることがあるのよ。お父様の許可はもらっているわ」
「父上はお前に甘いからな」
ふうとため息を吐くと、トージューローさんに顔を向ける。
「そちらは『風の剣聖』殿か? なぜこちらに?」
「ジークは俺の弟子なのですよ。リチャード王太子殿下」
トージューローさんはいつものようにお兄様をユーリとは呼ばず、ファーストネームで呼ぶ。
「貴方がジークの師匠だったのか。ところで後ろのお二方はどなたですか?」
王太子殿下は肩を竦めると、トージューローさんの後方に立っているキクノ様とレオンに顔を向ける。
「お初にお目にかかります、リチャード王太子殿下。あたくしは九条霞菊乃と申します」
キクノ様はこの国に習って、王族に対する最上級の礼をとる。洗練された所作だ。
「我はレオンだ」
ふんと鼻を鳴らし、腕を組んでふんぞりかえるレオンの頭をトージューローさんがぽかっと叩く。
叩かれた頭をさすりながら、レオンはじろりとトージューローさんを睨む。そして、ため息を吐くと、あらためて紳士の礼を王太子殿下にとった。
王太子殿下は二人に「よろしく」と挨拶した後、トージューローさんに向きなおる。
「失礼ですが『風の剣聖』殿は遠い東の国の方でしたね? どういった身分なのか存じあげないのですが?」
「それはあたくしが説明いたします。この方はヒノシマ国の国主桐十院家のご子息です。あたくしはこの国でいうところの宰相の娘であり、外交の役目も担っております」
なんと! キクノ様はヒノシマ国の宰相のご令嬢だった。この国でいうところの貴族にあたる家柄なのだろう。どうりで身のこなしは優雅だし、気品がある。元神様だからかと思ったが、そればかりではないと思ったのは間違いではなかった。
「ヒノシマ国? イーシェン皇国のさらに東にあるという黄金の国ですか?」
黄金の国? ヒノシマ国が? それは初耳だ。
「ヒノシマ国は黄金の国ではありません。イーシェン皇国と少し似た風習の国です」
イーシェン皇国を知らないので、想像できず首を傾げる。
「つまり『風の剣聖』殿はヒノシマ国の王族ということですか?」
どうやら王太子殿下は、トージューローさんのことを異国から来た庶民だと認識していたらしい。その証拠に意外だという表情を浮かべているからだ。普段のトージューローさんを見ると、王族とは思えないので、ちょっと分かる気がする。
「そうです。彦獅朗様は国主の嫡出子であらせられます。我が国は一夫一妻制ではありますが、国主には八人の御子様がいらっしゃいます。御子様方は皆様、同父母の兄弟姉妹です。当然、彦獅朗様にも国主の継承権がございます」
普段はトージューローさんのことを様付けで呼ばないキクノ様が、今日は敬称をつけている。しっかり公私を使い分けているのだ。
兄弟の話題が出たときも思ったが、八人も兄弟姉妹がいると、賑やかで楽しそうだ。
「それは失礼をした。今までの無礼を許していただきたい」
王太子殿下は立ち上がると、トージューローさんに頭を下げる。
「頭を上げてください、リチャード王太子殿下。このとおり放浪の身です。それに俺は国主の子と言っても四男なのです。兄たちは優秀なので俺に国主の座が回ってくることはないですよ」
普段はぶっきらぼうな物言いのトージューローさんだけれど、他国の王族相手には礼を欠くことはないのだなと感心する。
「そちらのご子息は?」
王太子殿下は頭を上げると、今度はレオンに不躾な視線を向ける。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)