160.侯爵令嬢はかつての婚約者と決別する(前編)
長いので前後編に分けます。
気を失ったシャルロッテを連れて、私たちは王宮の庭園へと戻ってきた。
「会場にいた人たちは大丈夫かしら?」
「心配はいらないわ。宰相が何とかしてくれているはずよ」
私とレオンがシャルロッテを追って庭園に飛び出した頃、伯父様はすでに事態の収拾に動いていたという。
「王女殿下。ご無事で何よりです。シャルロッテ・キャンベルの身柄をお預かりいたします」
いつの間にかウィル卿が庭園に控えていた。
「ウィル卿。舞踏会場はどうなったかしら?」
「宰相閣下が指揮をとってすでに収拾しております」
「そう。さすがね」
ウィル卿は地面に横たわっているシャルロッテを抱えると、立ち上がる。
伯父様は舞踏会の参加者を会場から別の場所へと移した。
手当が必要な者には王宮内の部屋を貸し、帰宅を望む者には順次帰れるよう手配をしたそうだ。
王宮に仕える者だけでは手が足りなかったので、有志を募ったところ、魔法学院の生徒が多く名乗りを上げた。
「ただいま会場に残られているのは国王陛下並びに王妃殿下、グランドール侯爵夫妻、そして王太子殿下だけでございます。王女殿下が戻られたら、会場へいらっしゃるようにと仰せつかっております」
「お兄様の処遇についてかしら?」
暗い顔をしたウィル卿はコクンと頷く。
「ジークフリート様とカトリオナ嬢もご両親がお待ちです」
「あの……ウィル卿。妹を連れて行っても構わないかしら? まだ幼いので庭園に残しておくのは心配なの」
頼めばロン様とシルフィ様が面倒を見てくれるだろうが、メイにも最後まで成り行きを見てもらいたいのだ。
「一番下の妹君ですか? どうやってこちらへ? いえ。詮索はやめましょう。貴女方ご兄妹のことだ。何があっても不思議ではありません。関係者はお連れするようにとも申しつかっておりますので、どうぞ」
ウィル卿はメイを見て目を丸くしていたが、首を振る。
彼にはまだメイが創世の神ということを話していない。
しかし、彼は深く詮索する性格ではないようだ。
ウィル卿の先導で私たちは舞踏会場に再び戻ってきた。
国王陛下と王妃殿下は玉座に座っている。心なしか疲れているご様子だ。
王太子殿下は玉座に続く階段に座って項垂れている。
シャルロッテのスキルからは解放されたのだろうか?
ウィル卿に抱えられたシャルロッテの姿を一瞥しても何も反応しない。
両親は玉座の下で厳しい顔をしていたが、私たちの姿を認めると笑顔で出迎えてくれた。
「ジーク、リオ、メイ。私の愛しい子供たち。ああ、良かった。無事だったのだな?」
お父様は開口一番、私たち兄妹を両腕に抱きしめた。
「終わったのね?」
お母様も反対側から抱きしめてくれる。
「お父様。お母様。全て終わったわ」
両親の温もりに包まれながら、本当に終わったのだとほっと息を吐く。
「よし! 家に帰ろうか」
お父様がさあさあと私たち家族を会場の出口に誘おうとする。
「待て! グランドール侯爵。リチャードの処遇には立ち会わぬのか?」
国王陛下がお父様を引き止めようとする。
「ご家族の問題に私たちは首を突っ込む気はございません」
お父様は王太子殿下をどうとでもしろと国王陛下に言っているのだ。
この騒動の引き鉄は引いたのはシャルロッテだ。
王太子殿下は彼女のスキルに惑わされていたに過ぎないと国王陛下が発表をすれば、それで通ってしまうだろう。
ただ、名誉を回復するのは並大抵のことではない。
ときに噂をされ、陰では誹謗中傷されるが、それは本人の努力次第だ。
もしくは、王太子殿下に代わり、クリスを立太子させるのも一つの手だろう。
その辺りは国王陛下の采配によるのだ。
いずれにしろ、私たち一介の貴族が口を出すことではない。
「……すまない」
一言だけ言葉を発すと、国王陛下は頭を下げた。
「これでいいかな? リオ」
「ええ。お父様」
最早、王太子殿下には何の感情もない。
彼がこれからどういう道を行くのかは分からないが、好きなように歩めばいいと思う。
私はこれから愛しい人と歩いていくのだから。
出口で手を差し伸べて待ってくれているレオンに向かって、私は早足で歩いていく。
しかし、予期せぬことが起こった。
「死ね! カトリオナ!」
目前に迫ってくるのは鬼気迫るシャルロッテだ。その手には小型のナイフが握られていた。
どうやら隠し持っていたらしい。
ウィル卿に捕縛されていたはずなのに、どうやって?
確認している暇はなさそうだ。
私は防御姿勢をとるため構えようとして、上体がぐらつく。
「しまった!」
ドレスの裾に足をとられてしまったのだ。
国王陛下の御前に出るのに、巻きスカートと靴を再び身に付けたのは失敗だった。
「リオ!」
刃物が肉を裂く音がしたかと思うと、目の前に血が飛び散る。
私の血ではない。
シャルロッテのナイフが私に届く寸前に誰かが割って入ってきたのだ。
「レオン!」
レオンだ。
レオンが私を庇ったのだ。
「レオン! レオン! いやあ!」
シャルロッテのナイフはレオンの肩に突き刺さっている。
「ふっ! くくく……。恋人を庇うなんてバカね。貴方死ぬわよ。そのナイフにはブルースノーローズの毒がたっぷりと塗ってあるのよ」
何ですって!?
「シャルロッテ!」
私はシャルロッテをきっと睨みつけると、彼女は鼻で笑う。
「私の幸せを奪っておいて、あんただけ幸せになるなんて許さない!」
「テレーズさんを犠牲にしておいて何を言っているの!」
シャルロッテはびくりと肩を震わす。
「貴女を救うために自分の魂をも犠牲にしたというのに、何も感じないの!」
テレーズさんの優しさに触れながら、この女はまだ私を憎んでいる。
「黙れ!」
シャルロッテは頭を抱えると、血の涙を流す。
「黙れ黙れ黙れ……」
お兄様が後ろからシャルロッテを羽交い絞めにすると、叫ぶ。
「リオ! 早くレオン様の治療をするんだ!」
はっと我に返った私はレオンの肩に刺さったナイフを引き抜く。
「ぐっ!」
肩の傷をすぐに止血する。
「レオン、待っていて。今すぐ治療をするから」
「……リオ。お前が……無事で……良かった」
脂汗を浮かべながらも、レオンのオッドアイの瞳が優しく揺れる。
自分が怪我をしても、まだ私を気遣ってくれる優しさに涙が溢れた。
レオンはいつでもそうだ。
「『神聖魔法』再生!」
失った血ごと傷口を再生する。
「レオン!」
レオンは上体を起こすと、私を抱きしめた。
「人前で『神聖魔法』を使ったのか? 決して知られたくないと言っておったのに」
「そんなことよりレオンの方が大事よ!」
「我は大地を司る神だぞ。毒性を持つ花であろうとも我の命を奪うことはできぬ」
『神聖魔法』を持つ私にもブルースノーローズの毒は効かなかっただろう。
「違うわよ! 貴方が傷つくのが嫌なの! レオンのバカ!」
レオンの背に手を回して抱き着くと、子供のようにわあわあと泣く。
「バカとは何だ? 近頃のリオは口が悪いぞ」
子供をあやすように私の背をぽんぽんと優しく叩くレオン。
「この娘、どうしようか? このまま首をへし折っていいかな?」
ふふふと笑い声を立てながら、羽交い絞めにしたシャルロッテの首を今にも折ろうとしているお兄様の周りを、両親とマリーが取り囲む。
「いや。すぐに殺ってしまってはダメだぞ。ジーク」
お父様が指先に火を灯している。焼き殺す気だろうか?
「そうよ。じわじわと苦しみを味わってもらいましょう」
氷を氷柱にして構えているお母様は、今にも氷柱をシャルロッテに振り下ろしそうだ。
「お嬢様が受けた苦しみを十倍返しにして差し上げます」
両手に暗器を構えるマリー。先ほどの戦いでかなりの暗器を使ったはずだが、まだ隠し持っていたようだ。
後ろから物騒な会話が聞こえてくるので、涙が止まる。
「わたくしの親友に何をするのよ! このクソ女! 目ん玉引っこ抜くわよ!」
ナイフを構えているクリスは、また一段と口が悪くなったようだ。
「お前も口が悪くなったな。クリス」
そんなクリスを止めもせず、面白そうに眺めているトージューローさんだ。
「あらあら? 師匠の悪い影響を受けたのではないですか?」
上品に二人の隣に佇んでいるキクノ様もまた止める気はないようだった。
慌ててレオンの腕から抜け出すと、今にもシャルロッテを殺ってしまいそうな人たちの前に割って入る。
「リオ?」
私はお兄様に羽交い絞めにされているシャルロッテに歩みよる。
「……シャルロッテ」
「……」
シャルロッテの目が虚ろだ。
その瞳はもう何も映していない。ただ血の涙に濡れているだけだ。
私はそっと息を吐き、そして囁く。
「さようなら、もう会うことはないでしょう」
シャルロッテは駆けつけた近衛騎士団に引き渡されたのだった。
次は18時に更新します。




