149.侯爵令嬢は社交デビューのリハーサルにのぞむ
貴族令嬢が社交界へデビューする時の礼装は白と決まっている。
白いドレスに長いトレーン。
トレーンは肩または腰から垂らすのだが、何せ長く幅が広い。
意匠を凝らしたトレーンはドレスよりも豪華なのだが、実は曲者だ。
重いし歩きにくいので、令嬢たちは笑顔の仮面の下で悪戦苦闘している。
もちろん、トレーンの捌き方はデビュー前に習うのだが、それでも毎年失敗する令嬢は少なからずいる。時戻り前のシャルロッテがそうだ。
シャルロッテは男爵令嬢なので、国王陛下に謁見する順番がかなり後だった。
謁見までは上手くこなせたのだが、謁見の間から下がろうとした瞬間、トレーンが絡まって派手に転んでしまったのだ。
私は実際見たわけではないが、後で王妃様が教えてくれた。
もっとも時戻り前のことなので、今回は失敗しないかもしれないが……。
謁見用のドレスとトレーン、その後に開かれる舞踏会用のドレスが届いたので、今日は実際身につけて、お母様の手ほどきを受けるのだ。
時戻り前に経験したことではあるが、あれから十年の月日が流れている。
いろいろ忘れていることがあるかもしれない。
一生に一度のことなので失敗はしたくないのだ。
こういうことは経験者に教えてもらうのが一番なので、お母様にお願いしたところ、快く引き受けてくれた。
本番と同じようにということで、早朝から起きて支度をしてもらっている。
マリー一人では大変なので、特別にローラが手伝いを申し出てくれた。
「髪型はどうする? アップに結って羽飾りをつける? それとも生花? リオは清楚な雰囲気だから、白いバラが似合うかもしれないわね」
バラの時期ではないが、タウンハウスの温室では年中バラを育てており、今もきれいに咲き誇っている。
「それでは庭師に頼んでまいります」
「ええ。お願いね、マリー」
朝からマリーとローラは打ち合わせをしながら、テキパキと動いてくれている。
「社交デビューは三日後だったかしら? リオももう成人する年なのね。年月が過ぎるのは早いわ」
私の髪を梳きながら、感慨深そうにローラが呟く。
神様のローラがそんなことを言うので、私はおかしくなってくすりと笑ってしまう。
「どうしたの? リオ」
「いいえ。ローラは神様なのに……って」
「あら? 神が年月を語るのはおかしいかしら? 私は人間の中で生活しているから、年の流れには敏感なのよ」
「そういえば……そうよね。笑ったりしてごめんなさい」
他の神様たちは人間が好きでも、人間の中に混ざって生活してはいない。
だが、ローラとキクノ様は違う。
人間が年月を重ねていく様を近くで見ている。
それは他の神様にも言えることなのだが、人間として生活しているかいないかの違いだ。
「いいのよ。さあ、マリーがバラを持ってきてくれるまでに髪を仕上げてしまいましょう」
特に気にしてはいないようだが、何だかローラに悪いことをしてしまったように思う。
ローラとマリーが時間をかけて仕上げてくれたので、私はお母様が待つ大広間へトレーンと格闘しながら向かっていた。
お母様が丁寧に刺繍をしてくれた素敵なトレーンだが、サテン地のそれはとにかく重たいのだ。
「お嬢様。大丈夫ですか? やはり裾をお持ちいたしましょうか?」
私の後ろについてきてくれているマリーが心配そうに声をかけてくれる。
「いいえ。大丈夫ではないけれど、本番では裾は持ってもらえないのよ。これもトレーンを捌くいい修行だわ」
とはいえ、階段を下りるのは至難の業だ。
やはり、自室ではなく階下の部屋で着付けをしてもらうべきだったと後悔をする。
だが、階段の前で手を差し伸べて待ってくれている人がいた。
「リオ、大広間までエスコートしよう」
「レオン」
朝から着付けをしていたので、レオンの姿を見ていなかったのだが、どうやらエスコートをしてくれるつもりだったらしい。
「ええと……デビュー用のドレス、どうかしら?」
「うむ。似合っておる。とても美しいぞ、リオ」
レオンは笑みを浮かべる。オッドアイの瞳が優しく私を映していた。
自分から尋ねておいて何だけど、笑顔で褒められると照れてしまう。
照れ隠しに私はレオンの手をとると、ゆっくりと階段を下りていく。
レオンは私が歩きやすいように一歩ずつ慎重にエスコートをしてくれる。
「レオン。王宮舞踏会では私とダンスをしてくれる?」
「それは我のセリフだな。だが、無論だ。リオの社交デビューでエスコートをするのは我の役目だ。リオのファーストダンスの相手は我に決まっておる」
「ふふ。嬉しい」
レオンのリードは上手くて踊りやすい。
「しかし、トレーンが重そうだな。そんな物を付けて踊れるのか?」
「舞踏会でこんな重装備をするわけがないでしょう。国王陛下に謁見する時だけよ。舞踏会用のドレスは別に作ったわ」
「我は今初めて聞いたぞ」
舞踏会用のドレスはレオンに内緒で作ったのだ。
以前、レオンのカラーでドレスを作ってみたいと言ったことをマリーが覚えていたのだ。
社交デビューする舞踏会でレオンにサプライズするのはどうかとマリーに提案されたので、ローラとマリーと三人で極秘に話を進めたのだ。
「舞踏会で披露するから楽しみにしていてね」
「……分かった」
納得していないようだったが、渋々とレオンは頷いた。
大広間ではお母様がメイと一緒に待機していた。
「まあ! リオ、とてもきれいだわ」
「おねえさま。素敵!」
レオンにエスコートされた私を見て、お母様とメイが褒めてくれた。
「ありがとうございます、お母様。メイ」
お母様がパンパンと手を叩く。
「では早速始めましょう。リオ、まずは大広間の端から端まで歩いてごらんなさい」
「はい。お母様、よろしくお願いします」
私は言われたとおり、大広間の端から歩いていく。
しかし、ドレスだけならまだしも、トレーンが障害となって思うように歩けない。
私のトレーンは肩につけるタイプなので、どうしても後ろに引っ張られてしまうのだ。
「足取りがたどたどしいわね。トレーンに引っ張られてはダメよ」
ああでもないこうでもないとお母様に絞られること一時間。
「少し休憩をしましょう。マリー、お茶の用意をお願いできるかしら?」
「畏まりました。奥様」
やっと休憩ができる!
「お疲れ様、リオ。そちらの椅子に座りなさい」
お母様に促されて窓際に置いてある広めのサロンチェアに座る。
私のために用意してくれたのだろう。
「疲れた! 社交界へデビューするのは大変ね、お母様」
「そうね。でも、大人の仲間入りをするのですもの」
社交デビューをすれば、大人の女性として扱われることになる。子供時代の甘えが通用しない。
だが、この礼装は苦行だ。
「あら? 見て。メイが貴女のマネをしているわ」
見ればメイがカーテンをベールのように被って、大広間を歩いている。
レオンがメイからカーテンを取り上げようとするが、舌を出されて反抗されていた。
「本当だわ。可愛い」
「ふふ。やはり姉妹ね。リオも小さな頃、私のマネでカーテンをドレス代わりにして遊んでいたのよ。あんなに小さかったリオがもう社交デビューをするのね」
お母様が私をじっと見つめて微笑む。
「カーテンで……覚えていないわ。それにしても、社交界か。これから夜会やお茶会やいろいろな席に出席しないといけないのね」
「大変だとは思うけれど、できるだけ私もサポートするわ」
「社交界の華であるお母様のサポートがあれば、ありがたいわ」
しばらくはお母様の後をついていくことにしよう。
「大人の仲間入りをして最初のイベントは……レオンちゃんとの婚約式かしら? いつがいいかしらね」
「おっ! お母様!」
「貴女が成人したら、レオンちゃんとの婚約を発表するのでしょう? 三日後に成人するじゃない」
「そうだけれど……」
ちらりと横目でレオンを見ると、レオンは凝りもせず、メイからカーテンを取り上げようと奮闘している。
「まずは日取りを決めて招待客をリストアップして……招待状は貴女が書くのよ。リオ」
お母様の頭の中ではレオンと私の婚約式のことがすでに組みあがっているようだ。
このままだと、トントン拍子で進んでいくかもしれない。
でも、それは私にとっては嬉しいことだ。
レオンとの婚約を発表してしまえば、堂々としていられる。
休憩後、またお母様にたっぷり絞られて、何とかトレーン捌きが板についた……ように思う。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)




