112.侯爵令嬢は兄の婚約式で奮闘する(前編)
長いので前後編に分けます。
王宮舞踏会の騒動で延期されていたお兄様とトリアの婚約式の日がやってきた。
段取りは午後に両家の家族のみで式を執り行い、夜にお披露目のための夜会が開かれる。
場所はグランドール侯爵家のタウンハウスだ。
私は朝早くからお母様に駆り出され、段取りの確認をしている。
「お花は届いたかしら? 夜会に出すお料理の仕込みは終わっているわね?」
女主人であるお母様は隅から隅まで確認して回っている。粗相があっては我が家の沽券にかかわるのだ。
「奥様、控室のチェックをお願いできますか?」
ヴィリアーベルク公爵家の控室を用意していたマリーがお母様に最終チェックを求める。
「今は手が離せないの。リオ、代わりに行ってきてくれないかしら?」
「分かったわ、お母様。行きましょう、マリー」
マリーを伴って控室に向かう途中で何とも長閑な風景を目にしてしまった。
「こういう時男性陣は役に立たないね、ジーク」
「そうですね、お父様」
サロンでのんびりとお茶を飲んでいるお父様とお兄様の姿が映る。レオンは日が当たる場所でゴロゴロしていた。
「お二人とも暇そうですね」
にっこりと笑みを浮かべると、お父様とお兄様はびくりと肩を震わせる。
「お父様はお母様の手伝い! お兄様とレオンは私の手伝い! 猫の手も借りたいほど忙しいんですから!」
私はお兄様の手を引っ張り、レオンを小脇に抱える。
「リオ、お母様に似てきたね」
お兄様が苦笑する。
「お母様の娘ですから!」
辣腕な女主人をずっと見てきたのだ。
「お兄様」
「ん?」
「おめでとう」
祝いの言葉をお兄様に向けると、お兄様は破顔する。
「ありがとう、リオ」
婚約式が終わった後、夜会の準備をするため私は一旦自室に戻る。
「今日はこちらのドレスのお披露目ですね」
マリーが青いグラデーションのドレスを用意してくれる。ローラとマリーが共同デザインしてくれたこのドレスを纏う日を楽しみにしていた。
「『サンドリヨン』のドレスは本当に素敵ね」
「このドレスはお嬢様のためにデザインしたものですから。お嬢様のウェディングドレスを作成する際もぜひ手掛けたいと思っています」
「マ、マリー!」
ウェディングドレスだなんて!? まだ気が早いわ。
ちらりとレオンを見ると、真面目な顔をして私を見ている。
「どうしたの? レオン」
「リオ、お前は子供の頃から『神の花嫁』になりたいと言っておった。その気持ちはまだ変わらぬか?」
えっ!?
「いきなりどうしたの? 変わらないわよ。この先もずっと決心は変わらないわ」
「……そうか」
それきりレオンは沈黙してしまった。
一体どうしたというのだろう?
夜会には両家の付き合いが深い方々とお兄様とトリアの友人を招待している。
立食形式にして自由に交流ができるようにした。
しかし、お兄様の友人の中には当然王太子殿下もいる。
両親からは王太子殿下とは挨拶程度にして、家族か友人と常に行動をともにするよう言われていた。
お披露目の後、今日のゲストに両家で挨拶に回ることになった。
「トリア、おめでとう! 今日の貴女はとても素敵よ」
「アンジェリカ。失礼ですよ」
興奮した様子のアンジェを姉のマルグリット様が咎める。今日のトリアは本当に素敵だものね。アンジェの気持ちは分かるわ。
「妹が大変失礼をいたしました。本日は父アッシュベリー侯爵の代理で参りました。ヴィリアーベルク公爵、グランドール侯爵、両家のご婚約誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
マルグリット様とアンジェは両家の当主に挨拶をする。堂々とした態度は早くも当主の風格を備えていた。
「ありがとう、マルグリット嬢、アンジェリカ嬢。お父上は元気かな?」
トリアのお父様であるヴィリアーベルク公爵がマルグリット様に挨拶を返す。
その時、王太子殿下とクリスの到着を執事が告げる。遅れてくるとの連絡は受けていた。
「リチャード王太子殿下ならびにクリスティーナ王女殿下がご到着されました」
それまで談笑していた人々は静まり返り、一斉に臣下の礼をとる。
「皆、面を上げよ。めでたい席だ。礼はいらぬ」
王太子殿下はそう言うと、私たちの方へ歩み寄ってくる。
「ヴィリアーベルク公爵、グランドール侯爵、本日は両家の婚約おめでとう」
ヴィリアーベルク公爵とお父様は王太子殿下の祝辞に紳士の礼をとる。お父様の顔は少し不機嫌そうだったが、微妙な表情の変化を読み取れるのは家族だけだろう。
「王太子殿下、ありがとうございます。本日は娘のためにご足労いただき感謝いたします。王女殿下、いつも娘を懇意にしていただきありがとうございます」
「ヴィリアーベルク公爵、わたくしこそいつもヴィクトリア嬢には仲良くしていただいて感謝しています。ヴィクトリア嬢、ジークフリート様との婚約おめでとう」
「クリスティーナ王女殿下、ありがとうございます」
クリスのお祝いに対して、お兄様にエスコートされたトリアは頬を染めて答えた。
視線を感じて目を向けると、王太子殿下が私をじっと見ている。
「王太子殿下、本日は私たちのお披露目にお越しいただきありがとうございます。ヴィクトリア共々感謝いたします」
王太子殿下が私に目を向けているのに気づいたお兄様が私を背に庇うように、前に進み出てくれる。
「あ、ああ、ジークフリートおめでとう。友人が幸せになれるように祈っている」
お兄様ありがとうと伝えるように、背に回されたお兄様の手に触れる。お兄様は手をピースの形にした。
「どういたしまして」ということだろう。
しばらくヴィリアーベルク公爵とお父様と談笑していた王太子殿下とクリスは用意されていた席へと案内されていった。
ひととおり挨拶を終えた私たちは、それぞれの社交に精を出すことにする。
「リオ、挨拶回りは終えたか?」
今日の私のエスコート役の登場だ。もちろん相手はレオンだった。
「レオン。ええ、終わったわ」
「少し休むと良い。あちらに席を用意させてある」
レオンが示したのは窓際の席だ。
席にエスコートされると、マリーが飲み物をテーブルの上に置いてくれた。
「お嬢様、お疲れ様でした。何か召し上がられますか?」
「そうね。会場の熱気に当てられたの。アイスクリームをもらえる?」
「畏まりました。お嬢様の好きなイチゴシャーベットをお持ちいたします。レオン様はいかがされますか?」
これでもかというほど料理を山盛りにした皿を目の前に置いてあるレオンはうむと頷く。
「我にも同じものを持ってきてくれ。山盛りで頼む」
「ふふ。承知いたしました」
マリーは一礼すると、アイスクリームを取りに向かった。
「レオン、せっかくの貴公子が台無しよ」
大口を開けて料理を食べているレオンに呆れる。
「誰も見てはおらん。皆社交に夢中だろう」
そんなことはない。レオンは自分の美貌を自覚していないのだ。何人かのご令嬢はレオンをちらりと見ては頬を染めている。
「レオンはポールフォード公爵家の養子で次代のランチェスター伯爵なのよ」
「爵位など我は望んでおらぬ。宰相が勝手に決めたのだ」
伯父様は何を思ってレオンを養子にしたのだろう? もしかして亡くなった末の息子の代わりだろうか?
伯父様には三人息子がいたのだが、一番末の三男は三歳で亡くなってしまったのだ。突然の訃報に驚いたのだが、生まれつき心臓に欠陥があったらしく、長くは生きられないと言われていた。伯父夫妻は覚悟していたとはいえ、気落ちしていたのだろう。
私は一度しか会ったことがないが、まだ幼かったあどけない従弟の姿を思い出す。
「むっ! 料理が無くなってしまった。おかわりを取りに行ってくる。すぐに戻るゆえここを動くなよ、リオ」
しんみりとした気持ちでいたのに、レオンがいきなり突拍子もないことを言い出すので、拍子抜けしてしまった。
「言われなくても動かないわよ」
レオンは色気より食い気だな。
会場の様子を眺めながら、グラスを傾ける。
きらきらと輝くシャンデリアの下で談笑をする人々。どんな会話が飛び交っているのだろうか?
「あ、飲み物がなくなってしまったわ」
グラスの中が空になってしまったので、近くに給仕がいないか見渡す。
ふいに、すっと目の前に飲み物が差し出される。
「ありがとう、マリー……」
てっきりマリーが飲み物を持ってきてくれたのだと思った。だが、飲み物を持ってきてくれた人物を見て、私はひゅっと喉を鳴らす。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^▽^*)




