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BOSS

 戸川希美は自販機の前にいた。

 希美は両手でエコ袋の取っ手を握り、重い袋をさげている。袋の中には様々な種類の飲み物の缶。希美は目の前に立っている自分の上司、前島憲保課長に言った。

「私、どうすればいいんでしょうか?」

「どうすれば……と言ってもねぇ」

 前島課長はそう言いながらも、希美の持っているエコ袋を手にとり、自分の手に持ち替えながら言った。

「まずは課に戻ろう。それからだ」


 そもそものことのなりゆきはこうだ。

 休憩時間に入ると、とある社員が希美に自販機からお茶を買って来るよう頼んだのだ。

 希美が部屋から出ていくのを見て、

「あ、1階にお茶を買いにいくの?」と聞いた。

「ええ、まぁ……」と希美は答える。

「じゃあついでに、飲み物買ってきてくれないかなぁ」

 最初はそんな他愛のない会話から始まった。だが、それを聞いていた課の連中は、

「あ、じゃあ私も」

「僕も」と言い出して、それが雪だるま式にふくらんでいった。希美も、ここまで頼まれては仕方がないなと思い、最後に前島課長に聞いた。

「あのう、何か買ってきましょうか?」

 すると課長も「ああ、頼む」と言った。

 希美は計10本の缶飲料を買ってくることとなった。

 ところが、だ。

 会社の1階、通用口玄関前にある自販機に来て、お金を入れ、いざものを買おうとした段階になって問題が起きてしまった。

 希美が普通に『お茶』のボタンを押した後、取り出し口を見ると、そこには『カルピスソーダ』が入っていたのだ。

 あれ? と一瞬思ったが、希美は、

「きっと1回きりの間違いだわ。ボタンを押しても違うものが出てくるなんて……こんなことは絶対ありえない」とそう思い、飲み物を買い続けることにした。

 そして次は『ウーロン茶』のボタンを押す。

 希美は取り出し口をのぞく。

 すると今度は『リンゴジュース』が入っていた。

 さらに次こそは……次こそは……そう思いながら、希美は次から次に頼まれた品物のボタンを押し続けた。

 ところが、自販機は結局、どれもこれもボタンに書かれた品物とは違うものばかりを受け取り口に落としていったのだった。

 そして希美は、最後になってやっと我に返った。

 バカだ、私。何やってるんだろう?

 そこへビルの管理人の婆さんが出てきた。希美はすぐさま自販機の不調を訴えた。そしてお金を返却してくれるように頼んだ。が、ビルの管理人は、素っ気なく答えた。

「ダメだね。入れたお金は返せない」

「何故ですか?」

 希美はすぐさま反論した。

「だって、全部が全部、ボタンと違うものが出て来ちゃったんですヨ」

 ビルの管理人は答えた。

「あんた自販機をよく見ていなかったのかい? ここにちゃんと『故障中』と貼り紙が貼ってあるだろう?」

 確かにビルの管理人の言ったことは本当だった。『故障中』と貼り紙に書いてある。

 その後は、いくら叫んでも訴えてもダメだった。管理人は奥へ引っ込み、希美は心の中で「クソばばあ」と叫んだ。

 どうしよう。

 希美は溜息をついた。

 そして溜息をついたところに、前島課長がやって来たのだ。課長はどこかに電話をしている最中で、携帯電話を耳にあてていたが、

「ああ、うん、分かった。じゃあまたな」そう言って、携帯電話を切った。

 そして泣きそうになっている希美に気付いた。前島課長は希美に話しかけてくる。

「いったいどうした? 何故そんな泣きそうな顔をしている?」

「それが……」

 希美はこれまでのいきさつを前島課長に話す。すると前島課長は言った。

「なんでボタンを1個、2個押したところでやめなかったんだ?」

 希美は答えた。

「最初のうちは、頼まれた品物が出てきたんですよ。お茶を押したらカルピスソーダが出てきたんですが、カルピスソーダも買ってこいと言われていたんです。そして間違いは2、3回で終わりだと思ったんです。後は自販機が正常に戻るかもしれないということに賭けたんです」

 すると前島課長は言った。

「あのな、自販機がいくら間違った答えを出しても、自販機は責められないんだぞ。それが分かっていて、ボタンを押したのか?」

 そこではじめて、希美は言った。

「スミマセンでした」

 やがて2人は課に戻ってきた。そして前島課長は「みんな、ちょっと聞いてくれ」と、そう言ってみんなを集めた。前島課長は、希美の身に降りかかった出来事を皆の前で話しはじめた。

「確かに『故障中』と書いてあったのに、無理矢理飲み物を買おうとした戸川くんは不注意だったかもしれない。だが、戸川くんは皆の為に10本もの缶を買ってきてくれたんだ」

 前島課長は机の上に、飲み物を並べ始めた。

「では、自分が頼んだ飲み物がちゃんとある者はここから持っていきなさい」

 机の上にある缶を見て、皆はめいめいに自分の飲み物を取っていった。すると机の上には、6本の缶が残った。

「じゃあここからは課長命令だ。戸川くんが悪くないと思うなら、そう思った者は早いもの勝ちでこの中から好きな飲み物を持っていきなさい。それは課長のおごりにする」

 みんな、一瞬何を言っているのかを考えていたが、次の瞬間には我先にといった感じで、缶の飲み物を選んだ。

 机の上には1本のコーヒーと、1本の紅茶の缶が残った。

 前島課長は言った。

「戸川くん、どちらか好きな方を取っていいぞ」

 希美は前島課長に言われるままに、机の上の2本を選びはじめた。そして悩んだあげく、紅茶の缶を取った。

 前島課長は言った。

「おお、一番いいヤツが残ったな。なぜみんなこの缶をとらない? みんなボスにはなりたくないのか?」

 すると同じ課にいた社員の一人が言った。

「みんな好きな飲み物を取りたかったわけじゃないんですよ、課長。戸川さんが悪くないと思ったんです」

 課長は一言、「ああ、当然だろ」と言った。

 そして缶の蓋をあけ、コーヒーをググッと飲んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは。先日から拙作を読んで頂き、ありがとうございます。短編であれば比較的読む時間が取れるので、本作も読ませて貰いました。 最後の社員のセリフいいですね。ほんわかしますよ。課長の「当然…
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