緑の章(壱)
僕たち三人を乗せた馬車が、でこぼこあぜ道をのんびりと通りゆく。中規模の畑が広がる農園では、馬鈴薯や里芋、白菜に人参などがたくましく育っている。あえて作物にストレスがかかる過酷な環境を強いることで甘くておいしい野菜が収穫できるそうだ。
「それにしてもこの畑は酷い荒れようだな……。よく、これで、うまい飯が食えっ、ふ、ふぅぅ、フエェックショイっ」
あまりにも大きなくしゃみに僕もアイルも腰を抜かしてしまった。
「な、何々っ!大丈夫?顔が真っ青だよ」
アイルがひどく気遣わし気に尋ねるも、まだまだこの屈強な皮肉屋の体調はすぐれないようだ。
「あ、ありがとよ。ふぁっくしょいッ!ううふぅぅっ。何だここはっ。寒すぎるぞ」
「え?そうかな。確かにひやりとはするけど、まさか鎖帷子着たままなのに耐えられないのか?」
「ひ、ひぐっ、そうだって言ってんだろ……。こんなに寒いなら来ていねえよっ」
そのオレガノの様子と言ったら今にも凍え死んでしまいそうだ。親指の爪をかみしめて「死ぬ、死ぬぅぅ」とか何とかうわ言を漏らしている。
「どうしようか。原因がわからない以上はどうしようもないし、とりあえず暖をとるしかないよね」
いや待て。左薬指にはめられた翻訳指輪をじっと見つめる。このオニキスのような指輪をもらってから今まで気にしたこともなかったが、何故この世界の種族名が『エルフ』や『アクエリアス』といった種族名に翻訳されるのか。それを不思議に思わなかったのだろうと思い当たった。
「ジンって、たしか……。イスラム教のイフリートの下位互換の事だよな。ということは」
この事態を裏付けする事実が判明した。
「アイル。一応聞くが、ジン族って寒いところで生きていけないんじゃなかったか?」
思い当たる節があるようで、頬を叩かれて目が覚めたように正直に反応した。本当に素直な子である。
「……たしかに。おじさんは体を鍛えているから低体温症くらいで済むだろうけど……。このままじゃ病気になっちゃうかも」
「でも、村にもジン族の人はいるんだろう?もしかしてここの野菜が関係しているのか?」
「うん。寒さに強くなる栄養素が含まれているらしいの。ここに来る前に案内書で読んだことがある」
「でも、どう見ても手入れされているとは思えないけどなぁ」
「そうはいってもこの農園は障害者が管理しているから、手間のかかる農法が取れないんだよ」
ガイドブックによれば長い歴史の中でようやく編み出されたのが『自然農法』だという。作物をあえて野放しにして、堆肥と水をやる以外は何の手入れもしないことで、よりたくましくおいしい白菜やニンジンなどが取れるとのことだ。
「おおっ、見えてきたぞ」
ほどなくして農道が真っ白な雪で覆われ始めた。どうやら雪道に代わりつつあるらしい。進むにつれて雪の壁が高くなっていく。白菜畑も見事な銀世界だ。
「雪の下で育った白菜はおいしく育つって知っていたか?」
僕が客席にうずくまるアイルに得意げに語る。彼女もそれなりに参っているようで、ぎこちない笑顔で応じた。……また空気が読めていなかったらしい。途端に居たたまれなくなる。
「でも、この辺の地形って雪が降らないんじゃないの?って、……あ、そっか。きっと水魔法の中でも冷たい水を扱うのが得意な人がいて、雪魔法を使ったんだろうね」
「なるほど。魔法を使って工事したのか。道理で土木技術が発達していると思った」
僕のその言葉の意図を図りかねたのか、アイルが怪訝な顔をしかけたので、しれっと黙殺した。
村の門が遠方に見えてきた。樫の木でできた観音開きの門で、鋼の閂がかかっていることもあって相当堅固そうだ。
オレガノは、馬車からよっと飛び降りると急に空元気を出し始めた。いつもはデリカシーのない彼が今日はどことなく神妙に見える。相当無理をしているのだろう。今日ばかりは彼が哀れに思えた。
ため息を吐きつつ、周りをよくよく見渡してみると、支えもないのに木の板が宙に浮いている。
「なるほど……。『鳴子』か」
どうやら細い糸が仕掛けられているようだ。あれに足を引っかければ村中の木の板が鳴り響き、村人の逆襲に遭うだろう。
案の定、門番に止められたが、オレガノが四色連邦の公務員であることを弁護官のバッジで明らかにする。
「ああ、例の事件のことで調査ですか。でも、取り調べは終わったはずでは?」
車いすの門番が困惑気味に尋問する。警備用にカスタマイズされたものなのだろう。ひざ掛けに大砲が仕込まれていた。赤の国に滞在していたころ、オレガノの同期とばったり遭遇したことがあった。そいつは憲兵隊をやっていて、今では無反動機関銃で最上級の麻酔弾をぶっ放せるほど一人前に昇進したのだそうだ。
武器マニアだった彼からたいていのレクチャーを受けた僕にはわかる。この番兵の装備はただものじゃない。並の戦車など及びもつかないだろう。
「い、いや、実は諸事情で真風教の騎士団で幹部やって、まして。建前上はそっちの調査なんで、すふぁっくそいっ!」
珍妙なくしゃみを聞いて、門番のお兄さんが彼の肌と背格好を凝視した。
「成るほど、ジンだとこの気候は辛いですよね……。心中お察しします」
いいってのに、と恥ずかしそうに吐き捨てる彼の様子は、はたからどう見ても照れ隠しにしか見えない。おっさんの照れ隠しって、一体……。別の寒気を覚えそうだ。
「ねえ、おじさん。そんなにぺらぺら話して大丈夫なの?」
「ああ、平気だ。このお兄さんは憲兵隊の一員だからな。俺たち弁護隊と違ってこういう場面では特に守秘義務があるんだよ。なっ?」
オレガノのトレードマークであるいかつい顔に、まったくと言っていいほど似つかわしくないさわやかスマイルに、おろおろとたじろぐ車いす兵のお兄さん。こんなに強そうなのにいっそ哀れに思えてきた。
何はともあれ、村長さんの家まで案内してもらうことにした。この村の背景を把握しないことには事件の全容はつかめないと判断したためだ。
「おいおい、でも、このようすだと村中雪まみれじゃないか」
銀世界は村中にも広がっていた。積雪によりの人々の賑わいに反してとても静かだ。あたりを見回すと赤銅色の木々で建造されたログハウスが立ち並んでいた。ビスケット屋も何軒か軒を連ねている。少し歩くと、村の時計広場が見えてきた。降り積もる雪を逞しく割って、色とりどりの花たちが時計盤の模様を描いて植わっていた。
ふと、その花壇の縁に二人の若者が腰かけているのを見つけた。どうやらお互い僕らの様な恋人同士らしく、エルフの女性が知能に障害を持っているらしき男性と六歳児程度の語彙で幸せそうに睦言を交わしていた。今、ジンの男性がエルフの女性の肩を抱き寄せた。じろじろ見るのも無粋なので、目を少し逸らす。
足のない子供たちが車いすに乗って、楽しそうに雪合戦している。それをおかしな目で見る人は誰もいない。十一歳くらいの女の子が転んだ。だけど、彼女は腕だけで横転した車いすを元に戻し切ってしまった。それを子供たちの保護者が優しい目で見つめて居る。
雪に何かを書きつけている頭のよさそうなレプラコーンの少年がいた。よく耳を澄ますと細かく鋭い奇声の混じった独り言を延々呟いている。元素魔法の計算をするためか、足元には複雑な化学式が書き付けられている。そしてその片隅には意味魔法の道具箱が安置されていた。少年はようやく得心がいったのか、大きくうなずいて、いくつか聞き覚えのある高位な呪文を延々と並べ立て、聞いた事も無い文法で詠唱していく。唱え終わった瞬間、空気が小さく爆発して魔方陣から風の精霊が現れた。どうやら恋仲だったらしい。契約を済ませ、二人は晴れて結ばれた。それを傍から見ていた人々が拍手を以って祝福する。
僕から見て、このサルマ村は天国だった。障害者の楽園。【最後の楽園・サルマ村】。旅が終わったらぜひともここに住んでみたいものだ。そういえば―――――。
「この村って凄く静かだけど、何か工夫しているんですか?」
「ええ、大きな音が苦手な住民が多いものでして。オトナシの木とサルマ石を使っています」
「そのサルマ石ってのはどういう石なの?」
アイルが興味津々といった様子で尋ねる。車いすの番兵は雪道をものともせず突き進む。その様子はどこか上機嫌で誇らしげだ。
「サルマ石はこの村の特産品なのです。脆くて若干壊れやすい反面、加工しやすく消臭防音性能に優れています。ほら、あの家の壁を近くでよく見てください」
言われた通りに近寄って凝視すると、サルマ石にはきめ細かい穴が開いていた。
「この穴が悪臭や、大きな音を吸収してくれるのです。この石材で作られた家は快適ですよ……」
ふふふとうれしそうに笑う車いすのお兄さんは、もうすっかり有頂天になってしまったようだ。お国自慢で鼻が天狗のようである。
並び立つ軒々の中でもひときわ大きな住宅がでんっ、と豪快に鎮座していた。その比較的簡素な木製の扉をを車いすの番兵さんがフクロウの飾りがついたノッカーで叩く。
「さあ着きましたよ。シエラさーんっ。旦那さんはいらっしゃいますかー?」
「ばぁい。今行きまーす」
拍子よく軽快な足音が徐々に近づいてきた。声の主はどうやら三十代ほどの女性らしい。
ドアが愉快な金属音を立てて開いた。クリスマスで飾られそうなベルが戸前でからころと笑う。
「あが、シガざん。この方だちはどうざれだの?」
シエラさんはびっくり箱のように飛び出てくるなり、不可思議そうに僕らを誰何した。少し変わったしゃべり方をするので、どんな人かと顔を見やる。
「……なるほど。この村には納得させられることが多いな」
彼女の華奢な体が僕には氷細工のように儚なげに見えた。対して幼気な低い鼻と少し離れた吊り目が彼女の気品と芯の強さと、温和な性格を如実に表していた。そのギャップが僕にはむしろ新鮮であったが、おそらく彼女は……。
「ダウン症候群か」
この世界にも、染色体異常は厳然と存在するという事実をまざまざと目の当たりにした。元の世界にない物質もある以上はこれから先も相応の覚悟が求められるだろう。
「ええっと、分派教会の騎士さんらしくて。何でもこの前の事件について捜査しに来られたそうなんだ」
「あがー。ぞうなんですね。それなら主人がかえっでぐるまでゆっぐりなさってください」
「ええっ、いいんですか」
「ばい、ぜんぜんかまいまぜんよ。ごういう時のだめにウザギのカルツェッホフを作り置きじてあるんでず。サクサクのトロトロでおいしいでずよぉ」
三人そろってごくりと喉を鳴らす。その様を呆れながら、番兵のシガさんが眺めていた。