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白きエルフに花束を【初版】  作者: 宝島 登&玉城つむぎ
赤の章
6/15

赤の章 (参)

どうも、壱番合戦 仁です。

なろうはもちろんウェブ投稿は初めてになります。

何だかややこしいペンネームですが

(イチバンガセ ヒトシ)と読んでもらいたいなと存じておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。


それでは『イドラとユクサー』をお楽しみあれ!


                      《1》

 「う、うぅ」

 突然目が覚めてしまった。

 僕は打ち上げ花火の玉にされ、深い海の底から空中へ発射される夢を見たのだ。

 僕に関わりがあった人々が、夜空に咲いたにえの花を見て幸せそうな顔しているという夢だ。

 その中でアイルだけが、なぜか、切なそうな顔をしてたのは、なぜだろう。

 さすが、夢境である。全くもって意味不明だ。

 「おい坊主、何時までぼさっと寝ぼけてやがる。

 恩着せがましいようでなんだが、礼の一つぐらい言ったらどうだ」

 こめかみを押さえている間に流し目で見ると、40代ぐらいの麻の普段着を着た男が簡素な黒い竹の椅子にぶっきらぼうな態度で座っていた。

 「すみません、あなたのことは存じ上げておりませんが……。あの後、一体僕らに何が起きたのですか?」

 壮年の男はハァ、と疲れを吹き飛ばそうとしているみたいに溜め息を吐いた。

 「やっぱり覚えてなかったか。――――もっともお前には関係のないことだが。あの後な。俺は、この教会の中心人物に引導を渡したんだよ」

 しばらくの間、未理解による沈黙が漂う。

 「え、それって」

 「教会聖衛士団長・カノルと大司教・グレスの事だ」

 「……………。それ、誰ですか?」

 「だから関係ないって言っただろう?まぁ、強いてお前に関係があるとすれば、アイルをあそこまで傲慢にさせてしまった張本人ってやつだな。

 四色連邦弁護官の逮捕権限でそいつらの身柄を確保した。もうそれはそれは大事だったんだぞ?まあ、取り調べの内容からして、俺じゃなくてアイツの視点から話した方が趣があるだろう」

 彼は実に仰々しくそう切り出して、以下のように語った―――――――。

                     《2》

 崩落しかかった教会の回廊に、慌ただしい靴の音が乱反響する。

 「急行せよ!!アイル様の御命が危ないッ‼事態は緊急を要する!!我らが身命を賭してでもお守りするのだッ!!」

「「「「「ハイッ‼」」」」」

私は教会聖衛士団長の威信にかけて、90 mm迫撃槍砲付属大盾、通称『機盾(きじゅん)』を携えた部下たちに檄を飛ばした。この機盾の仕組みは複合的で、ミスリル製のタワーシールドの下部にバズーカ砲が付属しており、腐食性を持った弾丸や中距離専用の散弾など様々な弾種がある。だが最大の特徴は、接近戦での取り扱いにある。例えば、そう。

 「天井が落ちるぞっ!総員、構えっ」

 「「「「勢ッ!!」」」」

 このように頭上の脅威に対しても、殴打すると同時にゼロ距離から射撃することで、とてつもない破壊力が生み出される。

 『グヴォォォッ‼』

 難を逃れたかと思うと、突如として、激震とともに禍々しい叫び声が響いた。

 「大司祭猊下、今のは……!!」

 「疑う余地はあるまい。小間使いのものは買い出しに出かけておるようだ。この地は異界ゆかりの者か、信者でなければ 近づけないよう厳重に警備しておる。そして伝書鷹でレノ司祭から届いたあの一報……。カノルよ、そなたはどう思う?」

 聖衛士団の緊張がらに高まる。 

 「もしや、レノ司祭にウロが……」

 同朋の不幸に心が激しく揺れる。なんてことだ。あの司祭と盃を交わしたことは一度ではないというのに。どうしてもっと早く気づかなかったのだ。

 「着きました‼

 団長、この先は落盤していて進めません」

 「いかがいたしましょう、団長」

 「構わん、ぶっとばせ!!」

 お伺いを立てる部下に対して私は過激な号令を下した。

 「総員、機盾(きじゅん)用意!!」

 副団長の指示に従って全ての部下が崩落して塞がった大聖堂の門へ銃口を向けた。

 「止めんか、バカタレが」

 「「「「「アイダッ!?」」」」」

 突如として現れた四十路の大男が私の全部下にグリーヴを履いた足で華麗に蹴り込みを入れた。

 「オレガノ、お前何でここに!?」

 オレガノは私に背を向けたまま短く刈り上がった黒髪を荒っぽくかきむしると、私にかっ怠そうないかつい面を向けた。

 「そりゃこっちが聞きたいぜ、カノル団長さんよぉ。

 オマエラもオマエラだよ。

 せっかく姫サン助けに行くぞーっつって気勢あげて支部くんだりまで来たっつーのに、中にいる姫サンごと発破かけてぶっ飛ばす御馬鹿様(ごばかさま)に盲従するお前らの背中に、今日から俺が究極のノータリンとして太鼓判にお墨を付けてでぇかでかと押してやる。

 よかったなあ?これでお前らも晴れて真なる脳筋馬鹿だ‼」

 「貴様、姫サンとはアイル・イン様のことか?」

 私の部下の一人が前に進み出て声高らかに叫ぶ。

 「ああ、そうだが?俺には自分の哀れな生い立ちに酔って、お前らみたいなバカなんか従えて悲劇のヒロインぶってる高慢ちきなお姫様にしか見えないが?」

 当代随一の実力を持つと言われる衛士オレガノが、のけ反りながら呵々大笑した。

 「我らを侮辱するだけならまだしもアイル・イン様を貶すなど、俺が許さん!

成ば」

 「黙れカス」

 次の瞬間、その私の部下の装備はドロドロに溶けていた。

 オレガノが二丁の機盾(きじゅん)を以て、腐食性散弾を早撃ちしたからだ。

 「ああ、俺の自慢の装備が……!」

 装備を台無しにされた私の部下は戦意を喪失してしまった。

 「あーあ、だから先輩に会ったら大人しくしとけって言ったのに……。

 それにしても、そろそろ先輩が現れてガントレットはめたままド突いてくる頃じゃないかなぁ、って思っていたらグリーヴを履いた足で一瞬にして全員に蹴り込み入れるなんて…、予想が斜め上の角度を通り越して斜め下に行っちゃっていて、ついていけないですよ…。全く…」

 私の部下の中でもベテランの団員がぼやく。

 一団に同感の空気が漂う。

 この状況はどうも気に入らない。

 「ハハッ、それにしてもよォー。今日も罵倒の感性が今日も冴え渡ってるなあ?

えぇ?『双機盾流そうきじゅんりゅう』サンよォ」

 相当に、今の台詞は聞き捨てならなかったのだろう。

 オレガノはようやくこちらに振り返った。

 「『罵倒の感性』とは随分と我が身に余るご挨拶を賜り誠に恐悦至極に存じますが、そういったお世辞は一切結構ですのでやめていただきたく存じます。カノル団長殿」

「ア゛ァ゛!?団長権限で罰として何処ぞの山奥に(あな)にすっぞゴルァッ⁉」

 凄んでも オレガノは動じる様子も見せない。

 「『あなにする』、つまり生き埋めにするという意味の古語を用いて公衆の面前で言語的自慰行為をしながらサクッと権力を使って嫌がらせですかね…?

 あまつさえ、こうしてる間にも姫サン達が手遅れになってしまうことにも気づかないなんてあまりの鬼畜ぶりに俺ッ…‼情けなすぎて涙が出てきちまいます……‼」

 オレガノは目頭を押さえて本気で泣き始めた。

 たぶん人をおちょくるためのお得意の演技だろう。

 だが時折本気で泣いていたりするので嘘なのか本当のかわからない。

 まさに迫真の演技だ。

 「おいおい、止してくれよ…。冗談だろう?そんなふうにマジで男泣きされたら私まで情けなくなってくるじゃないか!クソッ‼」

 私は苛立って瓦礫(がれき)を蹴って八つ当たりした。

 すると。

 瓦礫を支えていた小岩が倒れて石が転がる。

 「土砂崩れが起きるぞッ‼総員退避せよォ――――‼」

 突然の号令の中、多くの者は逃げ惑う。

 オレガノただ一人を除いて。 

 『あの馬鹿‼』と逃げた者は全員そう思ったことだろう。

 だが私はこの質の悪い冗談みたいな怪傑が何かやらかす予感がした。

 オレガノが背負っていた一対の細長い機盾を腕にはめて、その先端を地に突き立てた。

 ドドウッと怒濤の如く、土砂が押し寄せる。

 「クソッ、総員機盾点火ァ‼」

 『ウォ・ラハ・ブレイバ・べェイ・ガッテ・オウ』

 機盾に標準装備されている90 mm 経口砲が、立て続けに噴火する。

 爆風の反作用によりオレガノが防ぎきれなかった土石流からかろうじて逃げ切る。

 団員たちは受け身を取り、冗談みたいな光景を目の当たりにした。

 「ふゥ、機盾の砲弾を杭にして本当に正解だったぜ……。ありゃ?おーい、そんなところにぽかーんと突っ立ってねェでさっさとこっちこいよー‼」

 あの凄まじい土石流に直撃したのに、平然としているオレガノの姿だった。

 事態が至急を要する危険な状況であることに遅に失して思い出す。

 瓦礫だらけの回廊を越え、薄くなった瓦礫の壁に駆け寄る。

 「押し崩すぞ」

 「「「「いち・にの・さん(ジンガ・ニル・トレイ)」」」」

 力を合わせて、 団員4人がかりで瓦礫に体当たりして破る。

 崩れた拍子に薄汚い土埃が舞った。

 「ゲェホッ、ゲェホッ‼……嘘だろ!?おい、カノルッ‼」

 オレガノが、『冗談の権化』の異名に似つかわしくない様子で、私を呼びつける。

 「どうしっ、これは…ッ!?」

 オレガノのガントレットが震え、指し示す。

 「なんでこんなにぶっ壊されてんのに……」

 むせかえるような血臭と凄惨な破壊のその先に。

 「レノの野郎が人間なんだ…?」

 血だまりの上にレノ司祭とアイル様が沈んでいた。

 「レノッ!!アイル様ァ!!」

 頭の中がほぼ真っ白になって、 私は二人のもとへ駆け寄る。

 「普通核を壊してから祓わなきゃ人間には戻れねェだろ……」

 「そんなこと言ってる場合かッ!!レノ、おい、レノ‼ひどい、なんて傷だ…。猊下げいか‼お願いします…、彼に、治療を!!」

 猊下げいかへ、死の瀬戸際に立つ我が友への救いを必死の思いで求める。

 だが、大司教猊下はただ、酷く悲しそうに首を横に振るばかりだ。

 「…何故、ですか…?」

 私の部下たちが不安げに囁きを交わす。

 「自分で確かめてみなさい」

 血が凍えるような悪寒と、涙さえも燃えるような激情が私の中で混ざり合った。

 私はたまらなくなってレノの手を取る。

 「……死んでいる」

 唯一の親友だった彼の手は冷たくなっていた。

 なぜ。

 「なぜだ。なぜだ、なぜだなぜだなぜなんだァ‼畜生ォ‼」

 私は、どんな顔すればいいのか分からず、 物言わぬ亡骸となった我が友を前に慟哭する。

 「何故、何故お前が先に逝ってしまうんだ……‼……おい、オレガノ……‼」

 私はふざけた冗談の化身みたいなオレガノの肩を、ガツッと掴んだ。

 「すまなかった」

 私はそのままの格好で、深々と頭を下げた。

 「カノル、それは何のつもりだ?」

 オレガノが私に訝しげな顔を向ける。

 「お前、私に言ったよな?『民族を保護するという意味であの子を保護するならまだしも、神格化して崇め奉ってしまうのは筋が違うと思うぞ』と」

 一団に不穏な空気が漂う。人と人との間という代物は、ここまでひりつかせることができうるものなのか。私はことここに至って、こんな思いをしたことが無かった。有象無象の視線が針の檻のように私を刺し殺そうとする。

 「あの時のお前の言葉を否定した私は間違っていた。もう一度謝る、すまない」

 オレガノは沈黙したままだ。じっとりとした嫌な汗が首筋を伝うを自覚する。断頭台の待合室に詰め込まれた罪人のような気持ちで処断を待つも、何故か返事は一向に無い。針のような視線がおかしな熱を帯び始めたころ、私はようやく頭を上げる気になった。

「オレガノ?」

オレガノは私の手を肩から振り解いた。

「がッ」

視界が回転木馬のようにぐちゃぐちゃに回りだす。

次いで、墜落。

すでにその次の瞬間には、私は地べたに這いつくばっているのだと、遅ればせながらにして気が付いた。

 「この、大馬鹿野郎ォッ!!なぜ人死にが出るまで気づかなかった!?」

 ヘラヘラしたただの毒舌家だった筈のオレガノが、今まで溜めていたものを吐き出すように激昂した。信じられない。彼はこのような激情家だったというのか。人の一面を舐め切っていた私はものの見事にツケを払わされることになってしまったらしい。

 「何でお前がここにいるってお前が聞いた時に、俺はお前に聞いたよな?

 『それはこっちが聞きたい』ってなあ?」

 オレガノが私の元へ徐々ににじり寄り、羅刹(らせつ)の形相で問い詰める。私のフルプレートメイルの首元を引き掴んで、ガツガツンっという音が聞こえかねないほど揺さぶりにかかった。

 「そ、それは」

 「そうだ。ここにいる資格が無い奴は俺じゃなくて『お前ら』ってことだ。そして、俺に謝る資格はお前にはねぇよ」

 「……お前こそ、なぜ黙っていた」

 「下手なこと言ったら、お前らに粛清されるだろうが。それと、どうしても謝る相手が見つからないんだったらあの哀れな姫サンに」

 『暗拳・印堂渡し』

 眉間に強い衝撃が加わったと思うと、目の前が暗転し始めた。だんだん目が回って、淀む脳裏に意識が吸い込まれていく。

 「地べたに這いつくばって謝れ」

 急所を突かれた私は目の前が真っ暗になった。

                      《3》

 「は、はあ」

 話を聴けば聞くほど、僕にとってはまるで怪文書にかかれた他人事みたいである。嗚呼、ジャバウォッキー。意味不明だ。

 「あー、そういえば名乗り忘れてたな」

 「そうですね」

 お互い改まって向き直る。

 「俺の名は、オレガノ。ライアットー・オ・オレガノだ。よろしくな」

 オレガノは無骨な顔に似つかわしくない爽やかな笑顔を僕に見せた。

 「へー、かっこいい名前ですね。僕の故郷から遠く離れた国に、ラインハルトって苗字があるんですよ。それにちょっと似ていてかっこいいな」

 「まあ、種族や地方によっては俺をラインハルトって呼ぶやつもいるけどな。でもそれは、相当南の方の呼び方だぞ」

 「え、そうなんですか?

 じゃあ、挨拶する時に『ハロー』と言うのは……」

 「おいそれは、完全に南方方言だぞ!?何処で勉強したんだ?」

 オレガノは興味津々といった様子で 身を乗り出して僕の話に食いついた。

 「えーと、一応お父さんが この言葉ペラペラでその影響で少し喋れるようになりました」

 正直に事実を言うと、彼は感心しきりといた様子だ。

 「ほー、こいつぁすごい!他には何が話せるんだ?」

 「他に日本語と沖縄語が話せます」

 「おいちょっと待てよ。

 南方方言だろ、呪文語だろ、ニホン語、オキナワ語……、ジンガ、ニル、トレイ、フォス……」

 この世界独特の指の折り方だろうか。彼は親指で自分の指の間を数えると大げさに驚いた。

 「四ヵ国語も喋れるのか!?お前すごいぞ!どっかのお国の文官になれるじゃねぇか!」

 褒められて悪い気はしないので、照れてしまった。

 「そうだ、近いうちにお前を本当に文官に推薦してやろうか?」

 「え!初対面なのに本当にいいんですか?」

 「おう、いいとも。陛下は将来有望なものを好まれるからな。うまいこといけば、秘書官になれるかも知れんぞ!」

 そんなうまい話が転がり込むなんて思っても居なかったが、後日ありがたくその好意を受け取ることにした。

 「そうだ、名前を聞いておかなきゃな。何て言うんだ?」

 「僕の名前はレイヤ。カザマツリ・レイヤです。日本語の名前の中でも特に珍しい部類だそうで」

 「頭も良くて名前まで珍しくて、しかも(ウロ)憑きを叩きのめすほどの強さを持っているなんてなぁ。こりゃぁ、女が惚れるわけだぜ」

 「いやぁ、それほどでも……」

 なんだか非常に照れくさい。気さくで明るく豪放磊落な人なのだろう、とあたりを付けた。非常に好感の持てる人物である。

 「まぁ、挨拶はこの位にして、お前に伝える事がある。……あの事件が起きた原因を俺なりに調べてみたんだ。まず、司祭が虚に取り憑かれた原因なんだがな。直接の原因はわからない、だが」

 「発現した原因だけは、わかるということですね?」

 「その通りだ。お前にも心当たりがあるんじゃないか?例えば怪しい薬品とか」

 「もしかして……。あのお香のせいで」

 彼は大きく手を一つ鳴らすと、「それだ!」と叫んだ。

 「あとはもうわかるな?レノ司祭には元々虚が憑いていて……」

 「潜伏状態だったのに、本性を露わにするという副作用があるお香のせいで発現してしまった、と……」

 「そういうことだな」

 彼は、ひどく哀れみを込めて大きなため息をついた。

 「ああそうそう、念のため忠告しとくぞ……。お前みたいに頭がいいやつだから言うんだけどな?アイルに飼い犬みたいに支配されちまわないように、気を付けろ」

 僕は目を瞬かせて、その後思いっきり大笑いした。

 「あはははは!!ご冗談をおっしゃらないでくださいよ!まさか彼女がそんなことするわけがないでしょう」

 「あの子の周りに十年間も友達がいなかったことを引き合いに出したとしてとしてもか?」

 「だって、彼女は差別されてたから長い間、周りには友達がいなかったんですよね?本人の口から『それでも昔、二人の友達がいたの』って直接聴きましたよ。しかも彼女はまだほんの十五歳か十六歳程度でしょう。十年も友達がいなかったなんて話が本当なら、これでは辻褄が合わないではないですか」

 僕がしごく当たり前の指摘をすると、オレガノは世間知らずを憐れむように大きくため息を吐いた。

 「あのなあ、お前それいつの時代の人類の話だよ?そもそも、俺もアイルも『新人類』だぞ」

 「はい?」

 「聞こえなかったのか?新人類である白エルフは老化も成長も、お前らと比較すれば二倍近くの時間がかかる。だからあの子は実年齢三十歳だ」

 今、この男性は何と言ったのだ?訳が分からず、思考も完全に凍結してしまった。

 「おい、いい加減にしろよ!だーかーらー、な?

 お前みたいな『ヒト科ヒト属ヒト・学名ホモマーベル』、通称「旧人類」から進化した九つの新しい人類と、お前ら旧人類が支配する世界が滅びて、今俺たちが経っている浮遊大陸が出来てぇ、そんでもって生き残った六つの新人類と旧人類がこの浮遊大陸でぎすぎす角突き合わせながら暮らしているというのがおおざっぱな歴史なんだが。で、お解り?」

 絶言、絶句、二の言成仏。我が言語は今こそ死せりけり。

 僕は沈黙の妖精が頭の上に舞い降りて羽休めしに来たのではないかと妄想した。

 「え」

 「え、ってどういうことだ?」

 「いやなんでもないです、十分理解できました」

 危うく絶叫して素性を怪しまれるところだった。やれやれ危ないや、全く心臓がいくつあっても足りゃしない。冷や汗をだらだら書きながら取り繕うも、何時まで経ってもオレガノの訝しげな表情は引っ込まない。しばらくするとオレガノは―――――――――――。

 「そうか、それは好かった。いやぁ、それにしても今時そんなことも知らない奴がいるなんて」

 ニヤァッッと獲物を視界に捉えた吸血鬼のように途轍もなく悍ましく、いやらしい笑みを浮かべた。

 「テメェさぁ……、六族主義系の連中にさぁ。……変な脳汁ぶち込まれて犬にされてるのか……?」

 「はい?ろくぞく主義って何ですか?過激な思想かなんかの通称ですか?」

 オレガノはひゅぅ、とクモの糸の様に長い息を吐き、「まあ、いいさ」と濁った声色で呟きながら、僕の心を刺し殺すようにじっと胸を見つめた。

 どうやらこの男は刑法を司る仕事をしているらしい。『六族主義』というキーワードを追求したかったが、解説を求めればさらに怪しまれるだろう。もう、二進も三進も行かないがこのままの状況を放っておくわけにはいかない。

 「話を戻しませんか」

 「……まあこれ以上は不毛だし、そうだな……。話を戻すか。さて、お前がアイルに飼い犬みたいに支配されないように忠告するところからだったな。

 さっき説明した通りの事情で、あの子がまだ二十歳、つまりお前らで言う所の十歳前後の頃もあの子の周りに同じ年頃の同じ種族の子供がいた」

 そこまでは、理解できる。まだ彼女が親元に居た頃の話だろう。でなければ別の時の話か。

 「実を言うと白エルフってのは、元々人類の中でも少し社会性が低い種族でな。

 大人になると親元を離れて野生動物を狩ったり、木の実を見つけて食っていくんだが、大勢の人と関わるよりも気に入った親友同士でムラを作って少数で行動するのが普通なんだ。

 ところがアイルはムラに入ろうとして追い出されちまった。なせだかわかるか?」

 嫌な予感が脳裏をよぎった。

 「もしかして…………、年下なのに、偉そうだったから」

 彼は、僕の答えを噛み締めるように目を閉じて頷く。

 「ご名答。全くもってその通りだ。

 あの子は、周りからお姫様みたいに扱われたくてしょうがなかったのさ。

 本心では自分を丸ごと愛してくれる人を求めているのにな?」

 彼は片目で僕を見つめ、言外に『そうだろう?』と問いかけてくる。

 「だから俺は、あの子に対して哀れみと憐憫を込めて『姫サン』と呼んでいる」

 「じゃあ、どうしてそんなことがそこまでわかるんですか?僕には到底見当もつきませんが」

 「俺はあの子の付き人をやっていたことがあってな。それであの子のことはよく知っている」

 なんということだろうか。まさか彼女にそんな過去があったなんて信じられない。

 彼女からそんな話は一度たりとも聞いたことがない。

 「そいで、この教会と癒着してわがまま放題やってるって訳さ」

 「信じたくないですが――――、それが事実なんですよね」

 僕は少し切なくて目を伏せた。

 「そうだ。……そしてこの話には、続きがある。あの子はムラを追い出された後、 実家に帰って親に泣きつこうとしたらしい。だが……」

 「いやこれ以上はやめましょう」

 僕が制止すると彼は意外そうな顔した。

 「俺の忠告を聞かなくていいのか?」

 僕はオレガノのすっとんきょうな口調に、肩をすくめて「そんなわけありませんよ」と適当にあしらった。

 尚も、オレガノは「本人から直接聞いた話なんだが、お前なら最後まで聞きたがると思ったんだけどな」などと食い下がる。僕は、その物言いにわざとらしく咳をした。

 「自分のいないところで一から十まで根掘り葉掘り自分の噂されて、気分の良い人はいないでしょう?彼女のためを思うなら、やめておくのが無難というものです」

 それに、彼女のことをこれ以上嫌いにはなりたくなかったというのも、本音中の本音だった。

 「そうか、まあ、その方が賢明だな」

 「ところで、件の彼女はどこですか」

 「ああ、それがだな……」

 オレガノは、至極言いにくそうに答えようとする。

 「実のところアイルは廊下の奥の部屋で泣いてるんだよ。お前の名を呼びながら、何度も謝っていた。……流石にこればっかりは完全に姫サンの責任とは言えねぇし、痛ましすぎて俺には見てられないぜ。何せ生理現象だもんなぁ」

 「そうでしたか…………」

 人を食い殺してしまった後なのだから当然だ。彼女のことだから、きっと何か理由があるのだろう。そう思いつつも、原因の心当たりといえば魔人化くらいしかない。やはり、あの時大怪我をしたのがまずかったのだろうか。

 「そこでお前に頼みがあるんだ」

 オレガノの面差しに真剣味がました。

 「あの子に寄り添って慰めてやってほしいんだ。なんだかんだ言ってアイルが一番信頼してるのはお前だからな。あの子の本心を癒してあげられるのはお前しかいないんだよ。初対面でなんだが、頼む」

 オレガノは自分の手を重ねて親指で閉じた。宗教が違うからか、人にものを頼む時のしぐさまで違うようだ。

 真剣に頼み事をしている人を前にして、本気で頼まれているという気がしない僕は不誠実なのかな、とか余計な事を考えた。

 「僕なんかでいいのかな」

 「何故?」

 「へ?」

 突然、問いが僕の顔面に投げつけられた。心が強烈な不意打ちによってノックバックを喰らう。

 「何故、お前が断る?」

 「だって僕は彼女を」

 「守れなかったからこそ、慰めてやるのが、お前の責任なんじゃないのか?」

 ゆっくりと、聴く者の精神を言葉の石臼で挽き潰すように、彼は僕を諭す。

 「…………」

 「人は、旧人類からどんなに進化して十の姿のうちのいずれの種族になったとしても、愛されたいという気持ちは変わらないんだよ」

 「……確かにそれは、普遍的な一般論ですね。それに正論でもある。でもそれがこの話と、一体何の関係があるというのでしょう?」

 「とぼけるなよ、ニンゲン。一番愛されたがってるのは、お前だろうが」

 淀んだ泥沼の底まで見透かすような目の視線を以って僕を射抜く。

 「ぁ、ぅ」

 全く二の句が継げない。

 「だぁったら、断る理由はないじゃねぇか。なぁ?もっと単純に考えろよ。

 扉と扉のすぐ向こう側に、お前だけを愛し、お前だけに愛されたいと願っている少女がいるんだぞ?絶好の機会じゃねぇか!『愛の代償は愛である』って、ことわざでよく言うだろう?ん、どうした?あんまり嬉しそうじゃねぇな」

 オレガノは僕の背中をバンバン叩き、聞いた事も無いことわざを説きながら、絵空事みたいなことをそそのかしてくる。

 「まあ、いきなりじゃ信じられないだろうが、まぁ、その、何だ、おめっとさん。そして行ってこい‼」

 「へ?」

 オレガノは田中角栄じみた台詞をぶっ吐き、次の時に理不尽すぎる所業に出た。

 『ウォ・ラハ・タラポヤット・へーレ』

 突然、僕の体が白い光に包まれ、輪郭がぼやけていく。

 「へえええええ!?ナニコレ!?」

 「治癒効果付きの転移魔法かけておいたから、あんまり動くんじゃねぇぞ?下手すると腕持ってかれるからな」

 「ひぇぇ、あきさみよー!!」

 「ほう、それがオキナワ語か!感心ついでに、『ラハ・ノッセ』」

 僕の視界は瞬く間に白く塗りつぶされてゆき、ついでに触覚さえも消え失せてしまった。

                    《2》

 「……こ、ここは」

 気がつくといつのまにかアイルの部屋の前にいた。

 「……よし」

 意を決して扉を叩く。

 「アイル。レイヤだけど、話がしたいんだ。入っていいかい?」

 部屋からはただすすり泣く声を聞けるのみだ。このままではらちがあかない。

 「入るよ」

 彼女を刺激しないように、そっと扉を開く。

 ふわっとした女性の部屋特有の甘い香りがこの空間中に立ち込めていた。

 なるほど、女性の居室のことを『香室』というのはこういうことだったのか。

 正面に見えるは丸みを帯びた揺り椅子だ。白地の木材に見事なバラの浮き彫りがなされている。

 この辺りに住む白エルフはアイルしかいない。

 その上アイルをフルネームで様付けで呼び、神様扱い。この『真風教』の教義が透けて見える。

 すなわち白エルフ族の保護と、今回の一件の様な暴走による教会にとっての外敵の撃退。

 この二つの過程こそが、いまの共生関係を生み出しているのかもしれない。

 だとすればこの揺り椅子もアイルのために作られた特別のものだろう。

 「……いけない、いけない。また考え事に耽ってしまった」

 大切な友達が人を殺してしまったショックで泣いているのに、こんな調子では慰められないではないか。

 そうだ。本当のアイルは、差別に負けない明るく強い子ではない。自分を守るために望まぬ犠牲を出してしまうとても弱い子だ。

 アイルはあの揺り椅子に寝ているのか。泣き声が揺り椅子から聞こえる。

 まるで重力魔法を掛けられてしまったように体がずっしりと重く、足取りも一歩ごとに鈍くなっていく。

 「近づいちゃダメッ!!」

 アイルの制止が空気を切り裂いた。僕の足音が止む。

 「……何で、そんな悲しい事を言うんだよ?せめて起き上がって、姿を見せてくれ。頼む、お願いだ」

 彼女は僕のささやかな願いを叶えてくれた。

 「っ!」

 僕は思わず息を飲んだ。水晶に見紛うほど透明な涙が、とめどなくアイルの頬を伝っているのだ。

 「この涙が理由よ」

 小さく鼻をすすりながらそう言って掬った涙は、いつのまにか白くなっていた。

 「私は……、人の域を外れた化け物だから、だから、きっと何時かレイヤ君まで……」

 なんて思いやりのある子なんだろう。だが、ならばその先を言わせてはなるまい。

 「君の気持ちが全てわかるとまでは言えない。でも、敢えて言うよ。そんなことはない」

 僕は、きっぱりと彼女の言葉を撃砕した。

 「え?」

 「君は人の姿を与えられて、この世界に生を受けた。そして理性と感情と人格を持ち、こうして僕と話せている。それだけで君は人足り得る条件を十分に満たしてると思うけどな」

 アイルは初めて言葉を聞いたかのように、信じられないと云った面持ちで僕の顔をまじまじと見つめる。僕は彼女の大げさな反応を愛らしく思い、口元を緩めた。

 「……本当に?」

 「ああ、しわさんけー!(心配するな!)(わん)や当てぃならんくとぅ、どぅーでぃん分とーんやしが、ゆんどー(俺が頼りないこと自分でもわかってるけど言うぞ)。

って、今の沖縄語……。 とにかく、君はれっきとした人間だ!」

 肝心要のところで気が緩んでお国言葉が出てしまった。

 それでも僕はニカッと笑った。

 アイルは抑えきれない感情を押しとどめるように膝に拳を押し付け、下をじっと見つめて震えている。

 「……どうしたんだ?大丈夫?」

 安心して欲しくて手に手を重ねようとした。

 「私、もう、我慢できない」

 静けさの後に雨音が大気を渡るように、彼女はそう言うと。

 僕をきゅぅっと抱きしめた。

 途端に胡椒のような、それでいてバニラのような不思議な香りが鼻先をくすぐった。麻薬めいた多幸感に、腰が抜けそうなくらい全身の力が抜けていく。

 愛おしそうに、僕の存在を確かめるように背中を慰撫する。触れ合う肌がひしひしと熱を伝え続ける。もう身体中がじんじんして、彼女の存在に関する情報以外脳が受け付けなくなってしまっている。

 「人を殺しちゃって、本当にごめんなさい。

 本当は、レイヤ君じゃなくてオレガノおじさんや、司祭の家族に謝るべきだし、 謝って済むことじゃないことも分かってる。でも結局、誰よりもレイヤ君に一番心配かけちゃったから一番先に謝りたかったんだ」

 彼女の涙に濡れた瞳を見た瞬間、僕は心を鷲掴みにされた。

 殺人的な色気である。悪用すればとんでもないことになるだろう。彼女が純粋な子で本当に良かったと、心から安堵した。

 「私が魔人になっちゃって司祭を食べ殺す前に、本気で怒ってくれて…、どこにも私を叱ってくれるがいなくて、その…」

 アイルは僕の胸に顔を埋め、照れくさそうに僕の目を見つめた。

 「私、嬉しかったんだ」

 彼女は、世界一美しく、泣きながら笑った。

 ありったけの想いを込めたのだろう。それが表情から見て取れる。

 「なのにとっても怖い思いさせちゃって、ごめんなさい」

  アイルは僕の胸に顔をうずめ、嗄れた声で謝った。

 「もういいよ。君はもう十分に反省して、十分に謝った」

 脳髄まで徐々に犯していくような快感に、抗ってるのか飼い馴らされてるのかわからないまま、そんな言葉を吐く。

 もともと僕は彼女を慰めるためにここに来たのだから、建前の上でも本音の上でも、彼女の哀しみを癒してあげなければならない。それは僕の責任だ。大義名分である。

 このまま触れ続ければ本当に雪みたいに溶けて消えてしまいそうにさえ思えて、躊躇いがちに抱き返した。

 「私ね、レイヤ君の事が大好き。

 私を守ろうとしてくれて、私に優しくしてくれて、一番言って欲しいことを言ってくれた。

 そんなレイヤ君が愛おしい。だから」

 言い募っている内に興奮してきたのか、アイルの頬が一段と白くなっていく。

 まさか、白エルフのヘモグロビンは、酸素に触れ続けると白くなる性質を持っているのだろうか、なんて関係のないことを考えてないと頭がおかしくなりそうだ。

 「レイヤ君の正直な気持ちを、聴かせて」

 ――――――ただ、僕は、生まれてきたその瞬間からずっとその言葉を待っていたのだ、とそう思う。

 「僕も君のことが大好きだ」

 彼女の言う通りに、はっきりと正直な気持ちを伝えた。

 もうこれで僕の運命は決まってしまった。アイルは麻薬のような愛で以て、僕を隷属させた。これでキスなどしてしまえば契約は完了だろう。

 「――――ああ、嬉しい……」

 彼女は恍惚に満ちた表情でそっと天を仰ぐ。

 「何だか、頭の中がふわふわしてきた……。……ねえ、レイヤ君」

 彼女は僕に強く響くよく通る声で僕の名を呼んだ。

 「私のことが本当に好きなら、キスして」

 その声は八百萬の言霊を極限まで凝縮したかのような、強い力が宿っていた。

 僕はただ頷くしかなかった。

                      《3》

  行為が全て終わった後、僕らはシーツにくるまって肌を重ねていた。幸せでいっぱいだったけど、未だに今日気絶していた時に見た悪夢が頭を離れない。ただ、今だけは、苦しかった。辛いから甘えたかったけど、素直に言い出せないまま口を噤む。その苦悩を悟ってか、アイルが僕の手を包み込んで、瞳を覗き込んだ。

 「レイヤ君、苦しそう……。大丈夫?」

 「……うん。大丈夫」

 浮かない顔をする僕ににこりと笑いかけてくれる。その笑顔に救われるような心地を覚え―――ー。

 「いや、本当はつらいんだ」

 こらえきれずに吐露した。それから、胸のつかえが徐々に大きくなっていく。切なくて、惨めで、ただいまはひたすら恋人の胸の中で泣きたかった。

 「何があったの」

 「僕は、普通の人と違って、できることとできない事の差や五感に障害があるんだ」

 障害という言葉を聴いて、アイルは少し考えこんだ。そして、僕のをじっと見つめて口を開いた。

 「それで辛かったんだね。――――私、考えたんだけど、どうしてもわからないことがあるの。レイヤ君は何と戦っているのかな」

 アイルの問いについて僕も少し考えてみた。やはり、思い当たるとしたら。

 「憎しみと」

 「え」

 「憎しみや殺意と戦ってる」

 言った途端、彼女の目から熱が消えていく。僕もアイルも俯いて、じっと黙り込む。

 「私ね、レイヤ君を特別扱いしていた」

 「うん」

 「でも、レイヤ君にも憎いと思ってしまう物があるんだね。――――障害が、憎いんだね」

 アイルは、目元に前髪をかけたまま、天井を向いた。アイルは五分ほど考え事をした後、小さく咳き込んだ。それから僕の方を見つめる。僕を鑑定するような目だった。

 「私、判った。レイヤ君は悪い人じゃない」

 どうやら、彼女の眼鏡に適ったらしい。言って、アイルは僕の上半身を起こした。彼女も起き上がって僕に向き直る。

 「レイヤ君のお家は、どこの神様を信じていたの?言ってみて」

 アイルは毛布のように柔らかい言葉で、僕を包み込んでくれた。その言い方にひどく安心する。

 「キリスト教っていう宗教を信じていたんだ。僕だけは知識だけで中途半端だけど、お母さんも妹も信心深かったよ」

 「やっぱりね。雰囲気でそんな感じはしていたよ。遠い昔の話だけど、私の家はいろんな宗教の橋渡しをする役目を負っていたから、天主教は知っているよ」

 「でも、何でそんなことを訊くの?」

 「レイヤ君のために、レイヤ君の神様にお祈りしようと思って」

 そうか、そこまで気を使ってくれているのか。実際とても嬉しいし、それなら答えないわけにはいかないだろう。

 「平穏のお祈りしようか」

 「ラインホルド・ニーバーか。分かった」

 そっと、目を閉じて、アイルと手をつなぐ。今だけは心を静めて、じっと今までの事を思い出す。

 「「神様。どうか私たちに、変えられるものを変える勇気と、変えられないものを見分ける知恵をお与えください。一日一日を生き、その一瞬一瞬をつねに感謝をもって受け入れ、困難は安らかな日々への道として受け入れさせてください。

 この悪意無き悪と、正義に仇なす悪がはびこるこの世界の片隅に、ささやかな幸せがあるように常に私たちを見守ってください。

 天のお父様のお名前によってお祈りいたします。イェメン」」

 祈り終わったとき、僕はすがすがしい気持ちで瞼を開いた。アイルもその様子を見て少し安心したようだ。そんな彼女の気持ちが嬉しくて、じっとアイルを見つめる。

 互いの瞳に吸い込まれ合った、その時だった。突如何者かの脚によって部屋の扉が派手に埃を立てて吹き飛ぶ。

 「わっ、ゲぇホっ、ゲホッ!!誰だ、人が話してる最中に扉ぶっ壊してズカズカ押入るやつは!!ってオレガノさん!?」

 彼は悪びれる様子もなく、ハーフプレートメイルを装備した誰かの首根っこを掴んだまま、ズカズカと部屋に闖入して来た。

 「素っ裸で何やってんだ、お前ら?」

 「お、オレガノおじさん!?ていうかなにやっているのって、それ私たちのセリフなんだけどっ!?」

 「僕ら二人の、こ、恋を応援してくれるんじゃなかったんですかっ!?」

 「あー、なるほど、事後か。まあ、真昼間からお楽しみのところお気の毒だが、そういうわけにもいかなくなっちまったんでな」

 オレガノが何者かの首根っこを放すと、くたびれたサンドバッグみたいにボコボコにされた彼はあっけなく倒れた。

 「……このカノル団長から全部話を聞いたぜ?姫サンよォ。まずはけじめってもんをつけにゃならんのじゃねぇか?」

 彼はアイルの心をヘラヘラ嗤いながら、ぶった切る。こういうタイプのやつを……、どこかで見たことがある。僕の昔の友人に居たのだ。彼のような系統の人物を、人はこう呼ぶ。

 「殺人の罪で御用だ、贖罪しやがれアイル・イン」

 『嗤う正論』と。

                       《4》

 そのままアイルは、重罪人として檻車に入れられ四色連合王国の連邦裁判所へ連行されることになった。僕には重要参考人として出頭命令が下された。

「オレガノ、あんたは一体何者なんだ?」

 馬車の中で僕はオレガノに問う。

 「さあ?……まあ強いて言えばしがない連邦憲兵隊の回し者ってところだな」

 「アイルから聞いてはいたが……てめえ、『赤の王国』の犬だったのかよ……。道理で他の奴らと毛並みが違うと思ったぜ」

 「俺が弁護官だって言った時点で正体バラしてるようなもんなのに、気づかないなんて間抜けなやつだな。それにいつもの敬語はどうした?」

 奴は、僕をせせら笑う。お門違いとでも言いたいのだろうか?笑われる理由がわからない。

 「今は心の底からお前を軽蔑してるよ。アイルを気遣うふりして本当はあの子を逮捕しようと企んでいたのか。この卑怯者」

 憎しみを込めて睨みつけてやった。

 「『罪は罪、情けは情け』ってよく言うじゃねぇか。潜伏捜査を仕掛けたのも、事を荒立てずに穏便にしょっ引くためだ。それに、どちらか一方の証言だけを信用するわけにはいかねぇんだよ。

 俺だってたとえ親しい奴が罪を犯したとしても、罪人として扱うべきでないときは普通に人として接する。お前もいい加減割り切れ。

 俺も……、あの子にしてやれる事は出来る限りするつもりだ」

 この男の行動原理が分からない。何を基準にして善悪を判断し、人と接しようとしているのか解らない。

 さっきまで、『こればっかりは本人の責任ではない』と言い切っていたではないか。

 なぜ、何故、何故だ、と疑問の塊を矢継ぎ早に投げつけるとやつは悲しげに笑った。

 「公私の分別ができてると言やぁ聞こえはいいが、俺も自分の行動が理解できない時があるよ。

 人並みの感情があれば到底やらないか出来ない事を、さっきみたいに平気でやっちまうんだからな」

 なるほど、そういう男か。コイツは『公私の分別』と『公私の分裂』を履き違えて苦しんでいる。

 これでようやく納得できた。

 「……あんたには聞きたいことが山ほどある」

 白く眼をむきオレガノを睨みつけた。

 「だがそれは法廷で語ってもらうぜ? 少年よ」

 彼はくたびれた微笑みを浮かべたあと、人に恨まれるのはもう懲り懲りとばかりに黙り込んでしまった。四色大陸と白の大陸を繋ぐ『古の大橋』にそびえ立つ大門が見えるまでの間、馬車の中に沈黙が不機嫌そうに居座っていた。

                     《5》

 大門を超えた後は馬を御者ギルドに預け、ひたすら《小砂漠》の道なき砂丘を代わりのトカゲ車で突っ切っていた。

 車両を轢くトカゲと言うのがまた珍妙で、コモドドラゴンそっくりなのだ。

 しかも、帰巣本能と狩猟本能と自分よりも大きな動物を狩って獲物を巣に持ち帰って保存する習性があり、僕らはこれらを利用してもっぱら肉食中心の生活をしている。

 最近食べた野菜と言えば、砂サボテンと雫草のサラダくらいだ。

 でもそれより僕はコイツの口の中に細菌性の毒素が目いっぱい潜んでいる事の方が気になって仕方ない。なにしろこの砂トカゲは、獲物を狩るためだけにわざと口の中を不潔にしてるのだ。

 気色が悪いったらありゃしない。

 ゾッとしない妄想を脳裏の隅に押し退けてうなだれていると、オレガノが僕の肩を叩いて窓の外を顎で指した。

 「そろそろ着くぞ。今の内に頭の中で証言の内容を整理しとけ」

 オレガノの忠告という名の(おお)いなるお世話をさらりと受け流し、窓の外に目を向けてその言葉の真偽を確かめた。

 陽炎揺らめく砂漠の向こう、遙か遠くに望めるその巨大な構造物は階段の形をしており、巨人の群衆が一度に余裕で行き来できるほどの大きさを誇っていた。

 この高さなら天界にまで至るか、などと言う突飛な想像がたやすく現実味を帯びるほどのその眺望は、まさしく圧巻の一言である。

 よくよく見ると小高い台地が真名教の聖地にまで至る大階段のふもとに見えた。どうやらあの台地の際々に満ちる都市こそが赤の王国らしい。

 「以前から噂は聞いていたけど、……なんて雄大なんだ」

 この世界にはどうやら三大宗教が存在すると言う話をアイルから聞いた事がある。

 まず、世界の外側に属する、運命や因果律を司る混沌の神の生まれ変わりであると預言された白エルフの英雄《イフ(われ)》、通称ハロによる伝説を聖典とする《英雄教》。

 次に、世界が生まれたときから存在する森羅万象の根源的な意味自体にこそ精霊は宿るとし、その中でも液体が比較的尊い部類に入り、さらにその中でも水こそが最も尊い根源的意味を持つ最高精霊の依り代である、とする《拝水教》。

 そして魂に刻まれし久遠不変の名前、『真名』を書き換える秘術により、因果律を限定的に捻じ曲げるほどの神の力を得た賢者や英雄達を崇拝する《三神教》。

 あの大階段は三神教の聖地に至らんとする巡礼者へ試練を与えるためだといわれている。

 その試練を超えた先には自らの魂の名前を知る機会が与えられ、その魂の真名を唱えればたちどころに神力を得、本当の自分にいつでもなる事が出来るという。

 だがどうも、あの大階段の頂にある《古の大門》に至るまでには古の結界を破るために数々の哲学的な禅問答に応えなければ先に進むことすら叶わないらしく、道のりも果てしない上に大抵の場合は持ってきた食料に押しつぶされて野垂れ死ぬか食料が足りずに過労餓死するという。それこそが聖地と言われるゆえんなのかもしれない。

 「ほう、この景色に興味があるか。まあ、お前は知らんだろうが、ああいう大階段のふもとにある国が四つくらいあってな。あの国はその内の一つなんだ」

 要らない知識を耳元で囁くオレガノにカチンときて、僕はオレガノの双眸を睨め付けた。

 「余計な口を挟まないでくれないか。今の僕はアイルを差別する奴らが大勢いるような大陸に連れて来られて機嫌が悪いんだ。頼むから黙っていてくれ」

 余りの剣幕に怯んだのかオレガノは少し面喰ったように口をもごもごさせていた。その内容はすまなかった、とか何とかだった。久遠に寝かしたろか、このクズが。

 《小砂漠》のうっとおしい暑気も赤の王国に入るとかなり失せてくれた。

 石畳を敷かれた古い大通りには赤レンガの街並みが傾斜の激しい曲がりくねった道に沿って行儀よく整列している。

 「む、オレガノ、あの群衆は何だ。何か騒いでいるようだが」

 「無視しとけ、アレは目に毒だ。強いて言えば窓も閉ざしてしまえばなおいいのだがな」

 それはどういう意味だ、と聞こうとすると、カツンッと(ほろ)に何かが当たった。

 「そおら、来なすったぞ!テメェが外を見たい物好きってんなら、体術でも何でも使って凌ぐことだな」

 その警告が示唆する通り、街路には信じがたい光景が広がっていた。

 「死ねェェェッッ!!この人殺し!!」

 「地上に堕ちろっ、地底に埋まれっ!!フォイテ・フェルテ(ひとくいおに)!」

 「コロセコロセコロセコロセェェェェ!!【白魔】は大陸から消え失せろォッ!!」

 多くの民衆がまるで白を忌むべき色とみなしているかの如く、全身真っ黒な普段着に身を包み、石ころや煉瓦(れんが)の欠片を幌に投げつけているではないか。

 中には火炎瓶を投げつけようとして憲兵に取り押さえられている輩も見受けられた。

 「な?言っただろう。ああやって人様の種族名を言返して災害扱いしているんだよ。しかもご立派なことに【白魔】なんて差別造語まで作って憎悪喧伝しているわけさ」

 「じゃあ、何さ。……大地(ランガ)を繰り返して読めば、大震災とか呪われた大地みたいな意味になるのかよ」

 「全く以ってその通りさね。現に『地魔法』の最上級呪文の名前にもなっているしな。

 コイツを唱えれば、あたり一面地割れだらけになってほとんどの奴が飲み込まれる。

 生き残ったとしても体中の魔子を足の裏から吸い上げられて、ゼ・インダだな」

 「お陀仏って訳か?」

 「そういうこと。さて、そろそろ面倒なことになってきちまったし……おいモルト、やれ」

 モルトと呼ばれた御者はオレガノの指示で群衆になにがしかの臓物を投げつけた。

 「オイ、テメェ!!人に向かって何てもの投げつけてんだよ!!」

 「良いから外を見てろ」

 僕はその宣いに悪趣味で不自然な響きを感じ取った。とっさに窓の隙間から外を窺うと、そこには砂トカゲが臓物目掛けて吐いた唾で顔が焼けただれてしまった群衆の阿鼻叫喚地獄が広がっていた。

 「公務執行妨害で憲兵に取り押さえられるはずだったのに、その制止さえ振り切って飛び出していくからこういうことになる。お前はとやかく言いたがるかもしれないが、コイツは通称復讐法っていってな。刑法で定められた弁護官権限を執行して下手人を現行犯処罰しただけだ。お前が口を出していい次元の話じゃねぇんだよ」

 ギリリッと歯が軋む音が空気と頭蓋骨を伝って脳内で混じり合い、聞くだに堪えない不協和音が発生した。

 「このド外道が……、この調子でアイルを死刑にしたらただじゃ置かないぞ」

 「じゃあ何だ。俺が公正にあの子を裁いてもらえるように取り計らったらお前は納得するのか?」

 ウギュッと喉の奥からおかしなうめき声が漏れ出した。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 「どちらにせよ、この大陸の法制度はこの程度のものだ。抜け目がない代わりに過激で歪みに満ちている。だからこそどんなに仕事がキツくても、アイルの様な子供を不当に裁かれないようにしなくちゃならないんだよ」

 「オイ、テメェの苦労話を一度でも僕がせがんだ覚えがあると思うか?どういうつもりだよ、エェ?」

 「落ち着けって。これもその一環って訳なんだからさ。やれやれ、お前の恋人を蔑むようなクズを始末したのは俺なんだから、むしろ感謝してほしいくらいだぜ、全く」

 お互い仏頂面のままトカゲ車は裁判所の敷地内に入り、ようやく長い旅路に幕が下りた。

                     《6》

 僕は証人待合室でしばらく待たされた後、差し渡し一キロメートルぐらいの裁判所の証人席に通された。

 ……それにしてもこの裁判所の造りはかなり変わっている。二階の床と一階の天井がぶち抜かれ、壁際に回廊が巡っており、傍聴者専用の椅子が並べられていた。そこにはすでに僕と同じ古人類の貴族達や、偏屈そうなレプラコーンの市民が黄ばんだ瞳を血走らせて、まだか。まだか。と待ち首長じて天もを衝いたとしてもおかしくないほど懸命に指折り数えていた。皆一様に階下を穴が開きそうなほど見つめていた。

 判事と裁判官がようやく入廷した。裁判官はがっしりとした体格を持った黒エルフの男性だった。年のころは人間年齢で言えば、大体四十代半ばだろうか。引き締めた顔からは静謐な印象が窺える。

 裁判官たちの登場に伴い、あたり一面に雪が降り積もったかのように静寂が広がる。

 「静粛に。これより判事不信任決議を言い渡すとともに、第三真風教会殺人事件の仮判決を言い渡す。被告人を拷問死刑、執行猶予五年と、白エルフ保護区追放の実刑判決に処す。以降の裁判は、以上の刑を軽減するか否かについて、論議するものとする」

 その宣言を聴いた法廷内の人々が途端にさんざめいた。裁判官の権限のみで仮判決が出たという事は、判事の権限でその内容以上の求刑をすることはできない、という制限を設けることでもある。やはり事前に聞いていた通り、一方的に判事と相手方の弁護官が白エルフにとって差別的な扱いをすることを、注意深く警戒したのだろう。

 その証拠に判事たちが苦虫をかみつぶした後、青汁を飲まされたかのような顔をしている。もうとっくのとうに根回しが済んでいるのだろう。大方、不倫や賄賂などの弱みを握られたに違いない。無論、窮極的に言えば自衛手段としての恐喝行為は法律で認められているので、コイツ等には告発する勇気も権利も無いのだ。

 判事のだれもが白エルフは動物だから人権などない、と異論を挟んだ。

 「動物を裁判に出す時点で、諸君が彼女を人間と認めた、と思われても仕方ないのではないか?」

 このように切り返された判事たちは、ぐうの音も出ずにすごすごと引き下がっていった。

 こうして、実判決は仮判決通りとなり、アイルは厳しく裁かれた。

                      《7》

 私に下された判決は簡潔だった。

 白エルフ保護区からの追放が実刑判決で言い渡され、加えて執行猶予付きの極刑が言い渡された。

 後で聞いたけど、その極刑というのは―――。

 「私が、拷問付きの、死刑に……?」

 「そうだ。もうこうして話していても大丈夫だろう。判決が言い渡されたから、ちゃんと名前で呼ぶことにする。前から姫サンって呼ばれるの、嫌がってただろう?」

 護送用の馬車の中で抵抗できない様に魔力を吸い取られて、栄養失調気味だ。体が怠くて頷く気にもなれない。……吐き気がする。

 「いいかい?アイル、君は今まで幾人もの人の命を、『死にそうになってお腹がすいたから』という理由で奪っていった。この判決が理不尽だという君の気持ちは、痛いほどよくわかる。

 俺だって飢え死ぬか、誰かを食い殺すことで生き延びるか選ばなくちゃいけないのだとしたら、間違いなく後者を選ぶだろう。ましてや体がそういう作りになってるのだとしたら尚更だ」

 おじさんは私を優しく諭すように言い聞かせてくれた。こんなに。こんなに私に理解を示そうとしてくれるなんて。無理をさせてしまっている。私は申し訳なくて胸を締め上げられるような苦痛を味わった。

 「全ての命の価値は同等だ、とか色々言われてるけど、少なくとも命の価値に差はない。

 量なんて決められないんだ。仕方ないことかもしれないけど、実際に君は人の命の尊厳を踏みにじった」

 もう、私はどんな顔したらいいかわからない。

 大怪我をしておなかがすいても誰も助けてくれないのに、人しか食べるものがなかったから、食べたら死刑だなんて。

 世間は私に『死ね』と言っているのか。あの時のレイヤ君の怯えた顔が目に浮かぶ。もう、涙しか出てこない。

 「だけどな?社会は、君たち白エルフの生態を理解せず、配慮すらしようとしない。これは重大な差別だ。どのみち当分は有給休暇を取るつもりだから、何か困った事があったらいつでも召喚してくれ。そこの床に魔法陣書いておいたから、押せばいつでも駆けつける」

 「ありがとう……、おじさん」

 私はしなびた野菜みたいに保護室の柔らかい壁にもたれ掛かり、座り込んだままそう言った。

 「まあ、当分は観察処分だな。おとなしくしていれば数ヶ月で出られるだろうから頑張れよ」

 そう言っておじさんは私に背を向けて保護室を出て行こうとする。 

 「待って」

 おじさんが立ち止まった。おじさんは静かに地面をじっと見つめて居る。何を想い、何を堪えているのだろう。その肩はいつもよりなだらかだった。

 「今言ったことが本当なら、どうしておじさんは私を檻車に入れたの?」

 私の問いかけにおじさんは答えない。自分の口を、引き締めた自分の唇で堅く閉じて、良心の呵責に耐えようしていた。その後ろ姿がどうしても苦しそうで、私はそこまでしてくれる理由をどうしても知りたくなってしまった。―――――――それが、たとえ彼を苦しめてしまうとしても。私と彼は堪え合っているのだと自覚していた。だから、遠慮しすぎることはかえってお互いにとって辛いだろうな、って思った。そう逡巡した後、おじさんの背中に重ねて問いかける。

 「どうして、私に本当のお仕事のことを、隠していたの?私には、どうしてもわからないわ」

 おじさんは振り向かずに、ただ肩を震わせていた。歯と歯の間から漏れる息も、同じようにこれ以上ないほど震えていた。

 「君みたいに、重い罪を背負った子供達を更生させる事が俺の仕事なんだ。そのためには潜入調査が必要な時もある。

 もし、あの場で控訴していたとしても、もし、あの時君を見逃したとしても、俺の訴えは聞き入れられないばかりか、弁護官としての俺の素質が疑われちまう。

 君以外にも俺の助けを求めてる子供達はたくさんいるんだ。だから――――――、ごめんな」

 それだけを告げておじさんは部屋から飛び出して行った。

 「……やっと、やっと幸せになれると思ったのに」

 悲しくてもう泣く気にもなくなれない。自分がとても惨めに見えて、死んでしまいたくなる。

 「……レイヤ君」

 いつだったか、レイヤ君に教えてもらった歌を思い出す。

 レイヤ君は、異国の地の歌をわざわざ普段話している呪文語に訳して教えてくれた。

 ただ愛する人の面影を思い浮かべて、名前も知らない歌を口ずさむ。

 どうしよう。また、涙が止まらなくなってきてしまう。

 彼の面影に触れるように虚空に手を伸ばす。

 「……かなさんどー(愛しているわ)レイヤがなし(レイヤ君)


                      《8》


 「シッ!!」

 『剛柔流空手・前方胴回し蹴り』

 僕の強烈な前宙返りかかと落としが糸魔法によって動き回るかかしにとどめを刺した。

 そして華麗に着地。疲れが限界以上に達し、床に倒れこんでしまった。

 「ハァ、ハァ……。 さ、すがに、ハァ、ゲホっゲホゲホっ、稽古が、ふぅ、キツ、過ぎたか……ハァ、ハァっ」

 かれこれ2ヶ月近く、アイルを守るために強くなろうとしてオレガノにこの殺風景な四色連邦憲兵隊、赤の国支部大修練場を貸し切ってもらって稽古を積んでいる。

 『どうしても貸し切りたいんだ』と頼み込むと、『だったら俺を憎むのをやめろ』とオレガノに言われ、渋々交換条件を飲んだのだった。

 でも、もうそろそろこの生活を続けるのも限界かもしれない。

 「でも何も考えないようにするためにはこれしか―――」

 「よぉレイヤ、今日も精が出るな」

 僕の顔を覗き込んでくるやつの顔が二重に見えるが、誰だかわかっている。

 「オレガノ」

 麻で織られた普段着姿のオレガノが立っていた。

 「ホレっ、いつもの軟膏」

 顔面に落とされた軟膏を反射的に受け取る。

 「サンキュー」

 早速疲れた箇所に軟膏を塗りたくる。

 「これ、相変わらずサロンパスみたいにスースーするなぁ。効き目もサロンパスそっくりだし」

 「お前の言うそのサロンパスという薬がとても気になって調べてみたが、国立図書院の本棚片っ端から引っ張り出してもそんな薬なかったぞ」

 「ありゃ、もうそこまで調べついちゃってるんだね」」

 僕はおどけた態度でごまかそうとするがオレガノの訝しげな態度は変わる様子を見せない。

 「そのカラテという見慣れない拳法といい、ニホン語やオキナワ語といった変な言葉といい、お前の素性については前から怪しいところがあったが――――――、お前こそ何者だ?」

 成り行きに任せてごまかしてきたが、どうも今日は問屋が卸さないらしい。

 「はぁ、そこまで尻尾掴まれちゃ観念するしかないね。僕はね、『別の世界』の人間なんだよ」

 僕は少しわざとらしく不敵に笑う。

 「なんだお前、『陰界人』だったのか」

 オレガノは少し意外そうな顔をする。

 「へえ、他の世界の人間のことそういう風に言うんだっけ。そういえばすっかり忘れていたな。

まあいいや、それで僕をどうするつもり?言っておくけど、元の世界に叩き出すなんて嫌だからね」

 オレガノは目を瞬かせて「何言ってんだ?」と宣まった。

 「俺は今日付で陰界人保護の報告書と、陰界人年金受給者証の申請書を出さなくちゃならないんだ」 

 「はへ?えっとそれってつまり」

 今くぬやー(こいつ)は何と言ったのか。少々頭が混乱してきた。

 「お前はどこの国に行っても国賓クラスの人間として扱われ、陰界の叡智を求めて大陸中の人間が、お前のもとへ話を聞きに殺到する可能性があるのだ。

だが、申請と報告は原則秘密裏に行われることになっている。面倒くさかったら黙ってればいいし、素性を告白するもしないもお前の自由だ。喰うに困らないだけの生活は保障されるし、それでも金に困ればどんな年齢であったとしても仕事はあるぞ。あと色々な特典もあって、国王に謁見する資格さえもらえるしな」

 「は、はあ」

 よくわからないが、お得かつ面倒なことになりそうだ。

 「まあ、んなこたぁいいじゃねぇか。とにもかくにも今日ぐらいはゆっくり呑んで休もうぜ。今日はめでたい日だからな」

 よくわからないが、何かめでたいことでもあっただろうか?僕は首を傾げた。

 「まあ、お前が知らないのも当然か。おい、入っていいぞ」

 オレガノの背後の入口から、見覚えのある真っ白い女の子が入ってきた。

 「アイ、ル……?」

 「レイヤ君っ!!」

 僕らは駆け寄り抱き締め合った。

 「私、ずっと寂しかったんだ……。もうレイヤ君に、会えないかと思った」

 「僕も、同じことを考えていたよ」

 お互いの顔をじっと見詰めた。そのいいムードに水を差すつもりだったのか、オレガノがわざとらしく咳払いをする。

 「はいそこまで。再会を喜ぶのもいいけど、そういうことをする時は場所を選ぼうな」

 オレガノに注意されると僕らは慌てて離れた。

 「オレガノ、これってもしかして」

 「ああ、今日からアイルは仮釈放だ。だから今日は祝杯をあげよう‼今日は俺のおごりだ‼」

 「よっしゃー!!呑むぞー!!」

                     《9》

 僕らは連れ立ってオレガノの行きつけの店へ向かっていた。

 「あの店は鳥肉が美味いんだよ。特にクルクル鳥の料理が一番美味しい。酒と合わせるとたまんねぇな」

 「へーそうなんだ、それは楽しみだね!ところでクルクル鳥って何?」

 「お前の陰界で言うところのニワ鳥の仲間だな。くるくる鳴くからクルクル鳥って言うんだ」

 思わず「へーっ」と相槌を打つ。

 「クルクル鳥かぁ、聞いただけでお腹がすいてきちゃった。でも……」

 アイルの不安げな言葉に、僕だけでなくオレガノまでもが怪訝な顔している。

 「どうした?不安なことあるんだったら、なんでも言ってくれ」

 「……ありがとう。私ってさ、普通のご飯をそのままじゃ食べれないんだよね……」

 確かに、何時もみたいに飯に魔法をかけている処を見咎められたら、不味いことになりそうだ。

 「それに私、あまりたくさんの人と関わるのは種族的に少し苦手なんだ。だからちょっと、遠慮しとこうかなぁって……」

 彼女は伏し目がちにそう言った。

 「あーそう言や、そこまで考えてなかったなぁ。なあオレガノ、どうする?」

 「二階席がワケありの人向けの席だから、どういう事情があるのか女将に簡単に説明すれば、自分と同じ悩みや事情を抱えた人が居る席に通されるから大丈夫だ。

 しかも二階席はどれだけ飲み食いしても、通常の料金の半額なんだぜ!」

 「じゃあそれなら……!」

 「ムラの人もいるかもって事?」

 オレガノは大きく頷いた。

 「ああ、その通りだ!」

 「ん~~~~~~っ!やったあっ!」

 彼女はよほど嬉しかったのか1メートル近く跳び上がった。凄まじい運動神経である。

 「私ね、私ね!何年もムラに入り損ねてずっと後悔していたの。やっと同族と会えるなんて、嬉しい!」

 彼女は喜びのあまり、舌がもつれそうなほど早口で喋り出した。

 僕はこちらに来て半年以上しか経ってないので、半分以上が聞き取れなかった。

 どうやらアイルから貰った指輪の翻訳効果は、装備者の熟練に応じて性能が上がるらしいが、どうも早口の口語までは聞き取れないようだ。

 「待て待て、落ち着け。別に中に入ったからって他の人と喋れるわけじゃないぞ。しかも興奮しすぎて顔が真っ白だし、口の中もネパネパしてるじゃないか。一発で種族がわかっちまうぞ」

 彼女はようやく我に返り、ますます顔を赤く、否、白く染めた。

 「やだ、私ったら……」

 僕はオレガノを見上げて「なあ」と尋ねる。

 「アイルが興奮した時いつも口の中を見せないのってもしかして、ネバネバした唾を見られるのが恥ずかしいからなのか?」

 「そういうことを本人の前で聞くお前の神経がどうかしてると思うぞ」

 僕がデリカシーの欠けた質問をしたので、オレガノは僕を白い目で見た。

 余計なことを聞いたからか、アイルの顔は紙よりも真っ白になっていた。

 「ほら、お前が余計なこと言ったから彼女、口がネバネバしすぎて喋れなくなっちまったじゃないか」

 「え、嘘ーん!?」

 アイルは、舌が思うように動かなくて目を白黒させている。やっと興奮が治まったのか、後ろを向いて固まった唾を吐き出した。

 「あー、びっくりした……。レイヤ君ったら最低!もう、絶対許さないんだから!」

 アイルは腕を組んでそっぽを向いてしまった。僕の失礼な態度に相当へそを曲げている様だ。

 彼女の機嫌を直すにはどうしたら良いものか、としばし思案した後に、いいことを思いついた。

 「オレガノ、ちょっと耳を貸してくれないか?」

 「何だよ、込み入った話なら聞かないぞ」

 「いいから、耳を貸せよ」

 僕の強引な物言いに屈したのか、しぶしぶ耳を貸すオレガノ。

 しばらく僕の耳打ちを聞くとニヤリとならず者の笑みを浮かべて「分かった、人払いすればいいんだな?」とだけ問うた。

 僕も彼には「抜かるなよ」とだけ告げた。

 未だにお冠のアイルから少し離れると彼女に路地裏へ手招きした。

 「なによ、そんなところには何もないでしょ?」

 「いいからいいから。来てくれればきっと今もアイルが僕を好きだ、ってことがわかるよ」

 アイルは怪訝そうな顔を隠さずに、路地裏へノコノコついて行く。


 ~イチャイチャ&ヌトヌトタイム中~


 「お帰り、どうだった?」

 放心状態のアイルを連れて戻って来た僕に対して、オレガノが下品な笑みを浮かべる。

 「ああ、すっっごい気持ちよかったよ?この変態」

 引き攣った笑顔のまま、僕のこめかみのあたりに静脈がピシッと浮き出た。

 秘め事から帰ってきた人様へ感想を求めるとはこのゲス野郎め。後で【裡門頂肘】を食らわせてやろうか……。

 だがいまはそんなことよりも、危なっかしい足取りでふらふらと歩き続けるアイルが物凄く心配だ。仕方がないので、僕がよく愛用していた例の薬をふところから取り出す。

 「おい、何だよそれ?」

 「何って……、ああ、この精神薬の事?これは、リスパダールっていう薬でね。見ての通りこの封をピッと手で切って中の液状の薬を飲み込むと、自覚できないくらいほんの僅かだけ意識が遠のいて、気持ちが落ち着くっていう薬なんだ。

 依存性などの副作用が少ない上に、三十分くらいで効くっていう利点があるだけど、果たしてアイルに効くかどうか」

 オレガノは開いた口が塞がらないといったようすで呆れ返った。

 「オイオイ、冗談じゃあるまいに!そんなに強力で優れた薬なんて今までどの陰界人からも聞いた事がないぞ?それ、麻薬かなんかじゃねぇの?怪しいな」

 僕からすれば彼の疑いは愚問中の愚問だったので、思わず一笑に付してしまった。

 「その仮定が事実だとしたらさ」

 「だとしたら、なんだよ?」

 「僕はもう薬物中毒患者になっていて、この前みたいに虚憑(うろつ)きを倒すなんてできなかったはずだろう?それにそんなに強力な効果を持っているなら、僕は今頃お陀仏さ」

 神妙な顔で鷹揚にうなずくオレガノ。

 「むぅ、言われてみれば確かにそうだ。だがしかし、お前の故郷でしか手に入らない貴重な薬なんだろ?だったら一包だけサンプルとして渡してくれないか?もしかしたら国の研究機関で同じような薬が作れるようになるかもしれん」

 「そうか、じゃあ僕にもそこから先の話を聴くことについて条件がある。一つ、関係者以外他言無用を守る事。二つ、アイルにこれを飲ませる事を僕に許可すること。それでいいな?」

 かなりきつめの条件を突きつけたが、オレガノは渋々僕の要求を飲んだ。

 「ほらアイル、落ち着く薬だよ」

 「……ありがとう、レイヤ君。……うぇぇ、苦ぁい」

 それもそのはず、リスパダールはグレープフルーツの皮の搾り汁みたいな味がすることで、精神医療業界では大変有名な薬なのだ。

 その悪名高いリスパダールを飲んだせいでせっかくの端正な顔立ちが台無しである。

 さて、アイルの手を引きながらオレガノと薬の引き渡しについて交渉を続ける事三十分。

 やっと目が覚めて気が付いたアイルが、僕らの話し合いを興味深げに見つめていた。

 「おお、アイル!もう大丈夫か?心配したじゃねぇか!もうさっきまでのボケっとした顔が元に戻らないかと思ったぜ」

 「「それかなり失礼なんですけど」」

 「……すんまそーん」

 地雷を踏んでオレガノの気分はあえなく撃沈した。しょぼくれている大人ほど滑稽なことは無い。やぁ、愉快愉快。人の不幸で今日も飯が旨い!

 「そういえばずっと気になってたけど、レノ司祭が私達に会議で伝えたかった事って何だったんだろう?」

 「あーそれはな。どうも、アイルのお兄さんが『破壊神の真名』に取り憑かれたことについて、調べて欲しかったみたいなんだ。まあ詳しいことは店の中で話そう。着いたぜ」

 オレガノが目的地のパブを指し示した。

 大きな木製の看板の両端に木彫りのうぐいすがちょこんちょこんと乗っているのがまた愛らしい。

 看板には『夫婦鶯(めおとうぐいす)亭』と店の名前が彫ってある。

 店のポーチの前に店の名前の由来が書かれた看板があった。

 「興味あるか?」

 「ああ、ちょっと筆記体だから読めないんだが読んでくれると助かる」

 「合点!えーと、何々?

 〘      『カラスと鶯』

 とある森に日陰者のカラスがおりました。

  カラスが頭上を横切ると不幸になる、という迷信が跋扈しており、彼は人様にも、獣様にも、鳥様にも、だあれにも迷惑をかけたことなんて無いのに、気味悪がられて避けられていました。

 春になり恋の季節がやってきました。

 それでもカラスは一人ぼっちです。

 他の小鳥たちにモテモテのうぐいすを羨ましそうに見ています。

 俺もこんな可愛い彼女が欲しいなあ、でも俺なんかにはやっぱり無理だろうな。

 そう思ってその場を飛び去ろうした時。

 「待って、一人で行かないで!」

 うぐいすの声がカラスを追いかけます。

 「昨日を嘆いたりしないで。寂しいなら今からでも遅くないから、思い出してよ。あたしにいいたかったことを」

 カラスはうぐいすの方へ振り返って叫びました。

 「俺は君のことが好きだ!ずっと周りから不気味がられて寂しかった、だから!君の事を一生守りたい!」

 「ありがとう……、私もあなたのことが好きだよ。ずっとあなたのそばにいるわ」

 実の所うぐいすは、あまりにも自分が小さいので、他の悪い鳥たちに食べられてしまうのでないかといつも怯えていました。

 他の小鳥達にチヤホヤされていても気が気でありませんでした。

 そこにずっと気になっていた力強くて優しいカラスが現れてくれたのです。

 ウグイスもカラスも幸せな気持ちでいっぱいでした。

 それを遠くから見ていた創造神の御主様は、二羽に祝福を与えることにしました。

 ある日のことです。創造神の御主様が森へやって来られました。

 結婚式を挙げたばかりで幸せいっぱいのうぐいすとカラスを文字通り祝福しに来たのです。

 創造神の御主様はうぐいすとカラスの元に訪れ、こう言いました。

 「あなたたちの結婚のお祝いに好きな姿に変えてあげましょう。

 私がどんな鳥にしたとしてもあなた達は聖なる鳥になれます。

 だからもう誰かに食べられたり恐れられたりすることはなくなるのです。さあ何になりたいですか?」

 カラスはおずおずと言いました。

 「御主様、俺はうぐいすになりたいです。

 俺の妻のような優しいうぐいすになりたいのです」

 「わかりました。あなた達の望みを叶えましょう」

 こうしてうぐいすになったカラスは妻と末永く幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。

  当店ではこのカラスとうぐいすの昔話をモチーフにして、日向者も日陰者も仲良く楽しく、飲んで食べて騒いで、そして安心して帰れるような店を目指しております。

 入ってみたはいいものの、カラスのようにお困りの方は是非ともお申し付けください。当店の女将が承ります』だとさ」

 「なんだか私たちみたいだね」

 アイルが暖かい目で真っ直ぐに僕を見るので小っ恥ずかしくなってきた。

 「そんな照れくさいこと、言われたらそっぽを向きたくなるじゃないか」

 「気持ちはわかるが、そんなこと好きな女の前で言うもんじゃないぜ?」

 「な、何でそれをおじさんが知っているの……!?」

 「この前の様子だと告白もしたみたいだし、初体験も済んだんだろう?」

 オレガノがピューィっと口笛を吹いて僕らの恋仲を冷やかした。

 「ていうかおじさんこそ、私みたいなうら若き乙女の前で、初体験が云々だの言うもんじゃないと思うけど?」

 アイルがジト目でオレガノを諌める。

 「は、はうっ!」

 うら若きって自分で言うかよ、と思いつつ僕は苦笑する。何はともあれ、見事に言論ブーメランである。やーいやーい。

 「まったく、昔っからこうなんだから。デリカシーの欠片ぐらいポケットに突っ込んでおきなさいよ」

 「す、すんまそーん……」

 「死語になっちゃったギャグを言うなよ!うぅ、寒っ!」

 普段尊大な態度ばかり取っているオレガノが、咎めれば咎めるほど縮こまる姿は目に新しい。

 「まあとにかく訳ありの客が入る場合はあのケープを被るんだ」

 「あ、誤魔化した!」

 オレガノの指さした先には、なるほどケープが掛けてあった。

 「あははっ!とにかく、これは姿を見られたくない人への配慮ってことね」

 アイルは嬉々としてフードを被り、僕らとともに入店した。

 「らっしゃい!!」

 店の扉を開けると大将の威勢の良い声が出迎える。中は人でいっぱいでとても賑やかだ。あいにく僕は喧騒が苦手なので、気分に反して耳を塞いでしまった。このままこうしていれば、次第に耳が鳴れいていくだろうし、少し我慢することにした。

 「今日は何名様で?」

 女将さんがすっ飛んできて、僕らの人数を聞いた。

 「うぐいす一人と、カラス二人で」

 女将さんは僕の顔をじーっと見つめる。どうしたんだろう。背中に変な汗が垂れそうだ。

「オレガノの旦那さんよ、この坊ちゃんのどこが訳ありで?」

 当然のように、警戒心剥き出しでオレガノに不信感を訴えた。何だ、そんなことか。不審者でも見るような目だったからかなり怖かったぞ。

 「国賓クラスの上客がお忍びで来た、とだけ言っとくぜ」

 オレガノが女将さんに耳打ちすると、途端に目の色が変わった。

 「ワオ‼ということは、『外』の方?」

 「ビンゴだ!」

 「アイ・シー(なるほど)。そちらのお嬢ちゃんは……、言うまでもなく『白』の方だね。先に言っておくけどここは良くも悪くも治外法権だからね。悪いことさえしなければ何をしてもいい。細かいマナーはいろいろあるけど、それがここのルールさ。さあ、どうぞお入り」

 なかば巻き舌な南方方言―――――要するに英語――――――で隠語混じりの会話が交わされた後、僕らは客室に通された。

 部屋というよりはテントに近い体裁である。

 もっと言うならばモンゴル民族のゲルに近い形状だった。

 「わー懐かしい!お母さんと暮らした部屋とそっくり!」

 アイルが被っていたフードを外して歓声をあげた。

 アイルの目が輝いてこっちまで嬉しくなってしまう。

 「そうだろう?あと、ここの料理だけじゃ口に合わないだろうから、お嬢ちゃん達の伝統料理を特別に用意しておいたよ。好きなものをお頼みなさい」

 女将さんは溌剌と笑顔を振り撒き、得意気にそう言った。

 「それと歓迎の印に一杯好きなのをタダで注ぐから何がいいかい?」

 「俺は蜜酒で」

 「じゃあ僕は、炭酸水に果物の蜜を入れてくれるか?たっぷり頼むよ」

 「私は……、うん、決めた。砕きアロエの牛乳割りに、わらべ酒をちょっとだけ入れてくれたらいいな」

 女将さんは注文された飲み物に必要な材料を伝票に書き込むと「それじゃあ、これでも食べてお待ち」と言ってお通しが入った小鉢を三皿置いて去っていった。

 メニュー表によると、なるほど、どうやら材料によって価格が変わるらしい。

 定番のメニューはあるにはあるが、基本的に好きな食材と調理法を指定して、料理してもらうようだ。

 なんでも、期間限定で巷で噂の料理人が来ているので、珍しい調理法を選択して特別発注できるらしい。

 どうやらこのメニューは訳ありの客と訳なしの客が相席するとタダになるようだ。

 それなら好都合なので、後で熟成クルクル鳥の低温丸焼きを頼むことにした。

 「さてさて、小鉢の中身は、お!キャベツのクリーム漬けか。うまそうだな」

「もう私、お腹ペコペコだよ……。早く食べよう」

 アイルがそう言うと、オレガノはおしぼりでよく手を拭いて、手づかみで食べだした。

 アイルはというと、いただきますの代わりに『ウォ・ラハ・マテラミゼ』と詠唱すると、一瞬で普通のキャベツが半透明のキラキラしたキャベツへと変貌した。

 分子構造が変質し、魔子化(マテラミゼ)したのだ。

 彼女は、それを手に取って美味しそうにかじっている。

 小リスみたいで可愛いなぁ、などと思いながらアイルの幸せそうな笑顔を眺める。

 それにしても、何度見てもここの食文化には慣れることがない。

 「どうしたの?食べないの?」と不思議そうな顔でアイルが問いかける。

 「あ、ああ……、ええい、ままよっ」

 キャベツのサワークリームマリネとでも言うのだろうか。

 ヨーグルトのような爽やかな甘みと酸味が、パリパリキャベツによく合う。

 これだけで飲み物がいくらでもいけてしまいそうだ。

 「これ、旨っ!」 

 「そりゃなによりだ。これから大盤振る舞いする甲斐があるってもんだぜ」

 テントの掛布が開いた。

 「あいよ、お待ち遠様。蜜酒と、砕きアロエの牛乳割りと、三種の果汁の炭酸水割りだよ。それじゃあ、ごゆっくり」

 運ばれた飲み物は、氷の盃に注がれて、どれもキンキンに冷えていた。でも量が結構少ない。

 不満たらたらでオレガノに尋ねると彼はおかしそうにカラカラと笑った。

 「あーこれは、乾杯用だから少ないんだよ。

 乾杯した後に気に入って注文すれば、どでかい水差しに入れて運んで来るから、いやというほど飲めるぜ」

 「へー、そうなんだ。それじゃあ、そろそろ」

 「「「乾杯‼」」」

 三人揃って各々飲み物を一気飲みする。

 「くぅーっ‼美味い‼まさか酒飲める年頃の子が更生してくれて、しかも一緒に飲みに付き合ってくれるなんて思ってもみなかったぜ……。この一杯のために生きたい‼」

 「それもいいけどさ、まず話すべきは本題じゃない?」

 たまんねぇーっと唸るオレガノに素早く水を向けた。

 「そうだよ。私、その話を早く聞きたい!」

 僕が戻した話の流れにアイルが追随する。

 「おう、そうだった。酔いが回らないうちに話しておかないとな。まず、何から話すか?」

 僕はアイルと顔を見合わせて「まずは一番大事な話からかな」「そうだね」と掛け合い、合意した。

 「アイルのお兄さんがどうなったのか知りたい」

 「そうだね、ちょうど私もその話がしたかったところだよ」

 「じゃあその話で決まりだな。まず『破壊神の真名』というのは何か、って事から話さにゃならねぇんだ」

 オレガノは気遣わしげにちらりとアイルの目を見た。

 「君のご先祖様のことを話してくれるか?」

 「むしろ、レイヤくんには本当のことを知ってほしいからちゃんと話すよ」

 「そうか……、なあレイヤ。これから話す事はあまり人の前でペラペラしゃべるんじゃねえぞ?

 公衆の面前で話しゃぁ、下手すっとそういう組織に殺されるからな」

 どこの世の中にもそういったヤバい組織というのは存在するものだとしみじみとそう思う。

 何より死んでしまっては元も子もないからだ。

 「わかった。絶対に人前では話さない」

 僕は決意を込めた面持ちでこの場に誓った。

 「よし、それでいい。破壊神の真名についてよくわかる昔話があるからそれを聞いた方が良いな。

 この話については、俺なんかよりも当事者の末裔が詳しいだろうからアイルに任せよう」

 「分かった。まずいくつか確認しておくけど、 レイヤ君はこの大陸が空に浮かんでることは知ってるよね?」

 「ああ、もちろん」

 「ならいいよ。あのね、これはまだこの大陸と星がかけ離れてなかった頃の話なの。

 幾百にも分かれた国々は隣の国同士で憎しみ合い、大陸中の国が自分の国を守ることに固執していたんだって。要するに戦争待ったなしの時代だったんだ」

 「なるほど」

 彼女の語り方が上手いのですぐにその情景が浮かんできた。

 「その中でも一番大きい国があった。それは私のご先祖様が造った国。『白の帝国』よ。魔導機械で栄えた国だったと聞いてるわ」

 「ほー、凄いな」

 「この話を最後まで聞けば、褒められたことじゃないっていうのがよくわかるよ」

 アイルは憂鬱な面持ちで若干俯いた。僕の頭の中に大量の疑問符が浮かぶ。この影のかかった顔に、どんな意味があるのだろうか。

 「……いずれにせよ始まる争いに備えて、私の先祖達は、とある最終兵器を用意していたの。それこそが『維持神の真名』や『創造神の真名』に連なる禁忌の力。『破壊神の真名』よ」

 思わず固唾を飲み込んでしまった。

 「皇室は三神教を国教にしていてね。自分たちの権威を神様で誇示するために星と大地を繋ぎとめる大いなる力、龍脈を丸ごと根絶やしにしたの。その代償として帝国の首都で儀式の焔を上げたことによって、『破壊神の真名』を復活させたわ。

 古文書に記されし『破壊神の真名』によってもたらされた惨害を丸ごと無視して、ね。

 そして、真名との適性が高い皇族から一人を引っ張り出してきて、ゼ・ノン、もしくはゼ・ノと名付けたの。まあ、発音上の細かい違いなんだけど。ところで、その後どうなったって言ったっけ?」

 僕は気まずい沈黙の後何とか重い口を開いた。

 「大陸はボロボロになって宙に浮いたんだよね?」

 「正にその通り。その帝国の首都を大災害の中心として津波と溶岩が一緒くたになって、荒れ狂う天地の暴威により、何百万何千万の命が一瞬で消えたと言われてるわ。

 でも、惨劇はそれだけじゃ終わらなかった。レイヤ君が使っている磁力魔法の習得者が生き残ったの。

 空に浮かんで行くバラバラになった大地の中でも一番安全な所を選んだから、皆同じとこに集まったと聞いているわ。

 奇しくも十の種族のうちその生き残った七つの種族たちは、それぞれの国の王族に関わる人達だった。そして責任のなすりつけあいと、醜い争いが始まったの。

 そして誰かが言った。『結局誰が一番悪かったんだ?いつもは諍い合いながらもなんとかやってたじゃないか。国と国のバランスを崩したやつが、一番悪いじゃないのか』と。

 そして一斉に全員の目が私の先祖に向いたわ。『六対の目が向く』っていう故事成語にもなっている程、有名な話だよ。

 そして私達は、他の人々から心底軽蔑されるようになった。

 ――――――その忌まわしい力が、お兄ちゃんに宿ったかもしれないってわけ」

 「しかも未だに奴の足取りは掴めていない。分かっているのはこの子の兄上だっていうことと、白エルフの若い男性であるということ。たったこれだけでは探しようがないんだ。後はこの子の記憶を頼って行くしかない」

 「そうか。君はこれからお兄さんを探しに行くんだね」

 「そうだよ。……レイヤ君もついてきて、くれるよね?」

 アイルは見捨てられそうになった仔犬みたいな顔をした。

 「もちろんだよ。あの日、君を助けた日から『僕は君を一生守る』って誓ったじゃないか。放っておく訳ゃないだろう?」

 僕は不敵にもニヤリと笑った。

 「レイヤ君……」

 アイルの潤んだ目が柔らかな視線を僕に注ぐ。

 「何より僕は君のことを愛してる。だから最後まで君のそばにいるって決めたんだ。僕はどこまでも君に付いていくよ」

 「――――ありがとう」

 和やかな雰囲気の中、さっきからオレガノが難しい顔をしている。

 どうしたのか、と口に飲み物を含みながら視線を送ると、彼は新聞から顔を上げ、決まり悪そうな面を僕らに向けて、重たい口を開いた。

 「……実はな。あと半月をめどに『六族連合』が『魔人狩り』を行うって噂を各地のコーヒーハウスで聞いちまったんだ。この新聞の情報から察するに、どうやらガセネタでもないらしい」

 アイルが驚きのあまり思いっきり童酒を吹いた。

 目を白黒させながら苦しそうにむせるので慌てて背中をさすってやる。

 「あの六族連合が活動を再開したですって!?」

 「そうだ。しかも、奴らは最近このあたりに大規模な支部を作ったそうだ」

 「そんな……、最悪じゃないの!!」

 どうやら大規模なテロ組織のようなものらしいが、僕にしてみれば二人の話から遠ざかってしまっている感が否めない。

 二人にしてみればわざとでは無いのかもしれないが、こちらとしては堪らないではないか。

 「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕は詳しくないからよくわからない。けど、その六族連合ってのは白エルフを弾圧している組織って事でいいんだよな?」

 僕はぶっちぎれたテンポで始まった話題のスキマに無理矢理質問をねじ込んだ。

 オレガノは深刻な顔で腕を組み、重々しくうなずいた。

 「その通りだ。……端的に言えば『魔人狩り』っていうのは、白エルフ大虐殺の事だ」

 「……大、虐殺」

 そこまでおぞましいことがまた違う世界でも繰り広げられるなんて、この瞬間まで夢にも思わなかった。到底信じられない。否、僕はただ信じたくないのかもしれない。

 片腕をなくした祖父から聞かされた【沖縄戦争】の光景が脳裏を駆け巡る。

 余りの身震いにテーブルの食器がカタタッと振動する。

 「……レイヤ、レイヤ!」

 顎にアッパーカットを食らったみたいに顔を上げた。

 様子が明らかにおかしい僕の顔をオレガノとアイルが怪訝そうに覗き込む。

 「大丈夫?顔真っ青だよ?落ち着かないときの薬、用意しようか?」

 「いや、ありがとう、でも止しておくよ。……それで、今後の行動計画についてなんだけど、オレガノよ」

 「ん、なんだ?」

 「確かお前、仮釈放のアイルを24時間体制で保護観察する仕事が残っていたよな?」

 ああそうだが、とオレガノは胡乱な顔を向けて答えた。

 「これは僕らの個人的な頼みなんだが……」

 オレガノは話が具体的になったことでようやく得心したようだ。

 「ああ、解っている。この件については職務上の義務でもあるんだが、個人的にも心配だしな。お前たちの旅についていくことにするよ」

 オレガノの頼もしい宣言にアイルはパアッと顔を輝かせた。

 「おじさん、それ本当!?」

 「ああ、本当だとも。潜伏中に真風教会の騎士団の奴らとダチになったしな。向こうにも俺の部下がいるんだ。緊急時には前に取った杵柄で何とか応援に来てくれると思うぜ」

 「それは助かる。恩に着るよ、オレガノ」

 オレガノはいつものように豪快に笑い飛ばした。

 「いいってことよ!……それとな、『破壊神の真名』の事について情報収集したいならいい場所があるぜ」

 この辺に大きなコーヒーハウスがあるとは聞いた事も無いし、はて、そんなにうまい話があるものだろうか?

 「青の国の王立図書院に行ってみよう。そこなら何かわかるかもしれない。

 何より維持神の御主(みぬし)様がまします聖域でもあるからな。そのお方は文献をこよなく好まれるがゆえに、なんと畏れ多い事に図書院長の職務を負っていらっしゃるという噂だ。

 御主様の元を訪ねれば、慈悲深いあのお方の事だ。何か良い知恵を貸して下さることは間違いない。あと、青の国に行くにはこの呪文を覚えておけ」

 「どんな呪文なの?」

 よくぞ訊ねてくれた、と言わんばかりに自信満々の体でオレガノは精神を集中させた。

 『ウォ・ラハ・ブリーザル・フィング』

 詠唱が終わった途端、オレガノの手からぼたぼたと水が滴り落ち始めたではないか。

そしてオレガノは、元素魔法が掛かっていない方の手で卓上に置いてあった水瓶の中に手を突っ込んだ。

 「すごーいっ、手の表面の水が空気になっちゃった!こんな魔法、見たことないよ」

 「スゲェだろ?それだけじゃない。それっ」

 オレガノは一声を飛ばすとともに、水瓶から手を引っこ抜いた。すると、今度は逆に手の表面から水が滴りだした。これには僕もアイルも拍手喝采。いやあ、素晴らしい。こんな魔法があるなんてい知らなかった。

 「これが潜水魔法『ブリーザル』だ。よく覚えておけよ?」

 だが、それでもまだ疑問は残る。

 問題は、青の国に行くために何故潜水魔法が必要なのか。その一点に尽きる。

 「そうだよね、だって青の国は『星の湖』の底にあるんだもの。酸素が必要な私たちがそのまま入国したら五分と経たずに溺れ死んじゃうよ」

 「ああ、そういうことか」

 「ん、何のこと?」

 「いや、こっちの話」

 反射的に不思議そうな顔を向けて素朴な疑問をぶつけるアイルをさりげなくあしらう。

僕の考え事を知ってか知らずか、アイルは僕の様子を気にする風も無く、あっさりと疑問に答えてくれた事に感謝しつつ、それ以上の無駄口を慎むことにした。

 でないと、違ったケースでオレガノの二の舞を演じることになりかねない。

 「まあ、ここは一度飲み食いすれば三階に寝床があるから一泊素泊まりできるし、それから道順を決めよう」

 「それもそうだね。何より六族連合が動き出す前に安全な場所を探さなくちゃ」

 「まあ、その件については向こうで考えるとしよう」

 一通りの行動方針が決まったので、話を締めくくることにした。

 「じゃあ、辛気臭い話はこれぐらいにして、汝ゃーん踊ゆらーんが(きみもおどらないか)?」

 アイルは僕の誘いを聞いて、アーモンドの花の様に明るい笑顔を咲かせた。

 「うん!」

 ギターのような楽器をボストンバックから取り出した。

 弦が三本しかない上、蛇革張りの胴と鮮やかな糸でハイビスカスの柄が縫いこまれた側面が印象的な逸品だ。

 「わあ、すごい!」

 煌びやかな装飾が為されたその弦楽器に二人とも驚きを隠せない様子だ。

 「こいつは見事だな……」

 「そうだろう、そうだろう?もっと感心してくれてもいいんだぞ?」

 陰界人年金を受給した直後に連邦憲兵隊修練所の近くの木工芸店でこっそり特注しておいたのだが、どうやら三日間昼食を抜きした甲斐はあったようで、僕は大いにホッとした。

 「三線(さんしん)っていう僕の故郷の伝統楽器だよ。黒檀の霊木で作られているんだ」

 へーっ、とかほへー、とかいいつつ二人とも感心しながら物珍しそうに()めつ(すが)めつ観賞している。

 「ちょっと貸してよ」とアイルがねだるので、「はい、どうぞ」と素直に渡す。

 すると、アイルは弦をピックに引っ掛けては、持ち上げて放す、という独特な弾き方を披露した。

 三振と言うよりも、もっと別の楽器の奏法に近いかもしれない。

 「そういえばアイル達って、三線(さんしん)は初めて見るんだっけ?」

 素朴な質問をぶつけると、二人は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 「私は本で見たことあるけど、実物は初めて見たの」

 「俺も同じようなもんだが、……さてはお前、どうやって俺たちが練習したか気になっているな?」

 いたずらっ子を諫めるようにオレガノはニヤリと笑った。

 「あ、バレた?なあんだ、そこまでわかっているなら話の途中で教えてくれたっていいのに」

 「種明かししちゃったら面白くないじゃないの、ねーっ?」

 「なーっ?」

 朗らかに笑いあうオレガノとアイルのすげない返事に、僕はテーブルに頬杖をついて不貞腐れた。

 そんな僕を見て二人は一層おかしそうに笑う。

 「さて、皆で気分転換するんだろ?さっさと始めようぜ」

 そう言ってオレガノはいかつい顔に全く似合わない気障ったらしいウィンクを飛ばした。

 全く食えないやつである、と呆れ半分、諦め半分の体で肩をすくめ、僕は鼻から息を吸って大きく息を吐き、ニッカリと笑った。

 「ああそうだな、踊るぞ、アイル!」

 「了解っ」

 「曲は任せたぞ、オレガノ!!」

 オレガノにその楽器を手渡すと彼は不敵な笑みを浮かべた。

 「『唐船どーい(からふねが来たぞ)』だな?合点承知!」

 音高く指笛が鳴り響いたのを合図に、蛇革の三振から陽気な音色が小川のように流れ出した。

すると、アイルが片面だけのタンバリンから金具を外した様な太鼓と、バチを荷物から取り出して、長い髪を振り乱しながら、逆巻く水のように踊りだしたではないか。 

 アイルはとても楽しそうだ。

 「おい、オレガノ、あんな踊り見たことないぞっ!

 しかもあの楽器はパーランクーじゃないか!

 それによく僕の故郷のことをここまで……」

 おとがいをあんぐりと開けて呆然としたまま固まる僕を、オレガノは得意げに見下ろした。

 「実はもうすぐ釈放だからっていうことでこっそりお前の故郷のことを調べていたら、面白そうな歌と踊りを見つけたんでな。

 俺は歌詞をアレンジしてみるのも面白いかと思い、 彼女は白エルフ民族に伝わる『白風』っていう民族舞踊とお前の故郷の『エイサー』っていう慰霊祭の踊りを見事に融合させたんだ。その結果があれさ」

 「もうこりゃエイサーじゃない。エイサーを超えた……。『白風しるーかじエイサー』だっ!」

 「そりゃあいいや!そんじゃぁ、一丁行ってみるか!」


 〽「唐船(とーしん)どーい!」さんってまーん

 一散走ーえーならんしぃやー

 (「唐から船が来たぞー!」と騒いでも一目散に走らないのは)

 若狭ぁ、まぁちぃ村ぬ瀬名波(しなふぁ)ぬ、たぁんめぇ!

 (若狭町村の瀬名波のおじいさんだよ!)

 「「はいや、せんするゆいやなー!」」

 「「「いやぁっさっさっさっさっさぁっ!!」」」


 伝統舞踊であるカチャーシーの形も忘れて跳び上がる。最高に楽しい!!

 「楽しーいっ!!」

 「そうだろう、そうだろうっ?」

 「私、歌詞を覚えてるんだ!さあ、もう一番行くよっ」


 〽「歌れ歌れ‼」さんってまーん

 ()ーが(うて)ぃわな()ちゅみさー?

 (「歌え歌え‼」と言ったとしても、私が歌わずにいられるかい?)

 「「ゆいやなー!」」

 さらば立ちゃいさ(うた)ゆーてぃ見してぃ!

 (それならひょいと立ち上がって歌ってみせよう!)

 「「はいや、せんするゆいやなー!」」

 「「「いやぁっさっさっさっさっさぁ‼」」」

 「なてぃち(もういっちょ)なてぃち(もういっちょ)!あいやいやさっさ!」

 後から来た白エルフの人達が、隣のテントの掛布から様子を伺っている事に気が付いて、反射的に手招きした。              

 「らーらー(なぁなぁ)いったーん踊ゆらーん(きみたちもおどらない)が!?」 

 なんとなく語感は伝わったようだが、

 彼女達は「見てるだけでいいよ」と言う。

 「何にも遠慮することはないよ!『行逢りば兄弟(であえばきょうだい)』やさ‼」

 「え、良いの?」 

 白エルフたちはあっけにとられた顔をした。

 「いい!(うん!)『(ぬー)(ふぇだ)てぃ有が?』(何の隔たりがあるかい?)りっか、めんそーれー!(さぁ、いらっしゃい!)」

 「よっしゃあっ、踊るぞ‼」

 「さぁ、今度はあたしの番だ‼」 

 他の白エルフたちも沖縄の風に巻き込まれ、辺りに凄まじい活気が渦巻く。

 「なんつーグルーヴだよ!最高だな、オレガノっ!」

 「ああ、そうだな!!俺も最っ高にワクワクしてきたぞ!もう好きに弾いて良いよなっ?」

 「ああ、汝ゃーや清ら弾ちゃー(お前は立派な弾き手)やさ(だよ)!」

 オレガノが林を吹き抜ける一陣の風の様に爽やかで、且つ岩山の様にどっしりとした声で吟じ始めた。


 〽(あお)(すら)太陽(てぃだ)(てぃん)ぬ地にん

 (青い空の太陽は天の地にも)

 「「ゆいやなー!」」

 むにーぐとぅあかがいんやぁーっさー!

 (同じように明るく光るんだぜ)

 「はいや、せんするゆいやなー!」

 「「「「「「いやぁっさっさっさっさっさっさぁっ‼」」」」」」


 朝まで飲んで歌って騒いで、そして夜明けを迎えた。



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