赤の章(弐)
ここはどこだろうか。
夢の中だろうか。
どうやら中学校の教室の前の廊下らしい。
だからこの廊下にいる僕を含めた全員がこの制服のブレザーを着ているのだ。
そうだ、僕は学級崩壊してしまった障害者専用クラスの特別支援学級に居場所を見出せず、通常学級くんだりまで来てしまったのだ。
学級隔離はもうこりごりだ。
ならば早く友達の輪に加わるために、 挨拶回りに行かなくてはなるまい。
早速引き戸に手をかけ、開く。
何だこれは。
教室がしわくちゃの鏡面に映り込んでしまったかのように歪みに満ちている。
おかげでクラスメイト達が、餓鬼畜生のように見えるではないか。
彼らは、若者言葉で不可解な交流を楽しんでいる。女子高校生語や男子高校生語とかいうスラングだろうか。自分も相当若いのだが、全く理解できない。だが自分と違うからといって物怖じしてはだめだ。その恐れは必ず差別につながることを僕は知っている。だから思い切って話しかけることにした。
「初めまして!僕の名前は 風祭 礼也 っていうんだ。よろしく!」
僕は溌溂と挨拶した。だが、彼らの反応は思ったよりも冷ややかだ。
「お前、まだ図書室登校しているんだって?」
「え、そうだけど……」
「困るんだよ、そういうことされるとさ。図書委員会からまた注意が来てるぞ?」
何だこの人は。確かにその件については僕に非があるかもしれないが、挨拶ぐらいしてから答えたらどうなのだ。
「ごめんね。挨拶すらする気のない人の話を聴く余裕があるほど、僕は暇じゃないんだ。別の人と話すよ」
「おい、待てやコラ」
「うん?なにさ。恐喝ならよそでやってくれないかな」
「いやそうじゃなくて、周り見ろよ」
彼に言われて、周囲を見渡す。眉根を寄せてヒソヒソと囁き合う女子達。虫けらを見るような冷たい視線を投げかける男子達。僕は今まさに大いに顰蹙を買っていた。嫌な脂汗が首筋を伝って背中に流れ込む。
『空気。読めよぉ……』
風呂場の排水溝に詰まった髪の毛のような声が、背中をにゅるりと撫でた気がした。巨大なアメーバが背中を這い回っているかのような錯覚を覚える。もはや悪寒が止まらなかった。
陰口と暴言の雨脚は次第に強くなっていく。
………ひそひそ……さわさわ……
止めろ、僕が悪かった。認めるからっ。
………ざわざわ……ザワザワザワザワザンザンザザザザザザザザァァァァッッ!!!!
「頼むから止めてくれェェッッ!!」
あまりの悪夢と、大きな音によって僕は跳ね起きた。一瞬のうちに掛布団を吹き飛ばしてしまった。
「わぁッ‼って、夢か。ていうか何なんだよ、今の音は!」
アイルは慌てふためく僕を見て目を丸くしたが、すぐに普段通りの僕の様子に安心して微笑む。
「レイヤ君が元気になってくれてよかった!私、ほっとしちゃったよぉ」
お香だろうか。客間には甘ったるい香りが満ちており、何故か彼女の声も間延びしている。
「ありがとう。でも、今はそんなことよりも今の馬鹿でかい音の源がどこで何が壊れて生まれたものなのか教えてくれないとか安心できないんだ。だから教えてくれないかな?」
彼女が不安にならないよう細心の注意を払いながら―――――何せ先ほどの僕の身には、あれほど激しい発作が起きてたのだから――――――、 僕は優しくアイルに尋ねた。
「え〜?今はそんなこといいじゃない。何のために司祭に命じて、この寝室にあなたを担ぎ込ませたせたと思ってるの?」
そんな僕の気遣いに満ちた配慮は、不機嫌そうにむくれた彼女の意外な言葉で粉々になった。
「えっ!?そ、それは」
「それにせっかく心が落ち着く効果のあるお香を焚いたのに、そんなに興奮してた意味ないじゃなーい」
自分まで薬の効果を喰らう必要なんかなかったのに、わざわざ看病してくれたのは嬉しいのだが、どうやら今の彼女に何を話しても無駄のようだ。
僕は色々と口に出したかったことを飲み込んで考え込む。
どうやら彼女は例の薬を使ったお香の作用によって惚けてるようだ。
まあ同じように僕も落ち着けているのだが、ではそのお香とやらはどこにあるのだろう。
僕は羽毛らしき代物を固めた寝具に座ったまま何気なく前を向く。
これは宗教画だろうか?
後光と思しき複雑な模様が額の上部を半円状に埋め尽くしている。
その辺の中に、僕に隣る少女に似た男が魔力の殻を鎧って悪しき者を滅している。
ふと、僕は会議の最中に巻末資料を見たことを思い出す。魔人化現象のメカニズム自体は解明されているものの、どうやらこの状態の白エルフは特に神聖視されているのかもしれない。
部屋を見渡すと様々な調度品が客人にとって使いやすいように設えられており、僕に清潔な印象を与えた。
木製の扉、漆黒の竹を編んだ衣装棚、窓際に置いてある水差しが目に付いた。
外から心地よい春風が吹いているが、先ほどから絶えず響き続ける破砕音のせいで台無しだ。
枕元へ視線を落とすと、玉ねぎに猫の足がついたような金属の道具が熟れた果実のような甘い芳香を放っているではないか。
きっとこの香箱のせいで彼女は酔ってるのだ。
「レイヤ君」
「なんだい?」
アイリが僕の名を呼ぶので振り返る。
「さっきは、あんな大声で怒鳴ってごめんね。レイヤ君は悪くないのに私、どうかしていたよ。本当に」
『グヴォォォォァァァァ―――――――――ッッ!!』
千の獣の遠吠えを編み上げたような凶悪な慟哭が轟いた。
「キャアッ!!」
「わぁっ!!」
「……ねぇッ!!さっきから気にしないようにしてたけど、ずっと鳴ってる何かが壊れる音といい、今の叫び声といい、やっぱりまずいんじゃない!?」
僕は頭を抱えながら深遠なるため息を吐いた。薬のせいとはいえ、この子は大丈夫なのだろうか。
「だ・か・らぁっ。さっきから心配だって言ってるじゃん!!そーうだよっ、まずいよこれッ!!絶対行かなきゃダメなヤツだよ!」
僕も僕で相当迂闊だった。建物の中で何かが壊れたような音がしたら普通はびっくりして駆けつけるものだ。どうも二人とも随分ぼーっとしていたらしい。
「そうだね!!でもレイヤ君に、ちゃんと謝れて……」
僕はあえて彼女の言葉を無視し、急いで香箱の火の始末を済ませ、廊下への扉を開け放ちアイルの手を取る。
「そんなことは気にするな!!さぁ、さっさと行くぞ!!」
「えぇっ!!ちょっと待っ」
「【床は天井に、天井は壁に、壁は床に変わり行け!号令、電磁の覇王に続くのだ!!】」
僕は磁力魔法を唱え、アイリの手を繋いだまま、壁に落ちてゆく。
「きゃぁぁぁぁぁぁ―――――――!?」
壁に墜落する寸前で方向転換し次の壁へ落ち……、を繰り返して移動する。
「あ゛ァッ‼もう五月蠅ェ‼なんだってこんな音が大聖堂から鳴ってんだよっ!?」
僕は風を肌で感じつつ、不満を叫んだ。
「こんな乱暴なことする人には教えないもん‼」
彼女はその続きを呟いたが風切の音で途切れた。
「何だよ!?何か気づいたんだったら教えてくれよ‼嫌な予感で胸が張り裂けそうなんだ‼」
僕は伝えきれないほどの不安をアイルに訴えた。
「あなたが気絶してる間、司祭が大聖堂に用事がありますので失礼します、とか言って駆け出して言ったの。それだけ」
僕の顔から血の気が引いた。
「何がそれだけだよ!?司祭さん暴れてるやつに殺されてるかもしれないっ。早く行こう‼」
「怪我しても知らないんだからね‼」
僕はアイルの刺々しい言葉に舌を打ち、アイルと共に大聖堂前へ減速、しかけた。
「わぁっ‼」
しかし激しい地鳴りに足をすくわれて転んでしまい 集中を途切らせたせいで重力操作が解けて、床に叩きつけられた。
「アガァ……‼」
受け身を取ったおかげで大事には至らずとも落下した衝撃たるや常にあらざり、烈然と僕の身を打った。
「だから言ったじゃない」
アイルは軽々と着地した。
「『急いた先には崖がある』ってことわざを知らないの?ほら立って」
アイルは急がば回れ的なことを言いつつ、僕に手を差し伸べた。
「……ありがとう」
何も文句は言わず、アイルの手を取って立ち上がる。
どうやら気が付かないうちに、大聖堂前の鉄扉にたどり着いたようだ。
しかし、試しにドアノブを押し引きしても開かない。
「ああ、じれったいなぁ!もうっ、【風の小精霊たち!逆巻き荒ぶらなきゃいけないんだって、いい加減気付きなさいっ!アルヴの暴虐に今、立ち上がれ!!大精霊の颱弾炮】!!」
アイルは、痺れを切らしたのか地団駄を一つ踏むと早口で呪文を詠唱した。
「こーっやってェ…‼」
なんと彼女が一抱えの疾風の塊を自ら鉄扉に投げつけようとしてるではないか。
「おい、何する気――――」
「開ける、のッ‼」
その風の塊で鉄扉を強撃。
「嘘ーん……、え」
信じられないことが二つ起きた。
一つは押しても引いてもびくともしなかった鉄扉を風属性の最高位魔法『ウィルフーン』の暴威でこじ開けてしまった事。
もう一つは、開いた扉の砕けた石材のその先で。
紫紺の筋繊維がむき出しになった人型の【異形】が、こちらに背を向けて衛士の屍を貪っていたからだ。
「ぎゃ」
叫びかけた僕の口をアイルがとっさに塞いでくれた。
「しっ!なるべく音を立てないで一度逃げるよ…!」
アイルは口を塞いだまま僕を伴って遁走しようとした。
だが退路は不可逆となった。
僕らが通った入り口が崩落したのだ。
「どうする…ッ!!?」
僕は声を潜めて彼女に問う。
「やるしかないよ」
「やるってまさか……」
「そのまさかだよ。逃げられないから戦うの」
アイルは悲壮な覚悟を瞳に宿し、僕がこの場で最も恐れていたことを口にした。
「………そうか、じゃあ、奴を潰す前に一つ聞きたいことがある。あれは司祭さんが化けた…、ってことで納得していいんだよね?どうしてあんな風になっちゃったんだ?」
その根拠を胸にアイルに問う。
「多分、司祭に例の『虚』がとりついたんだと思う」
「ウ、虚って、破壊神になっちゃったお兄さんの使い魔じゃないか!!
そんな化け物に勝てるわけないだろう‼」
「じゃあ私たちは猛獣と一緒に檻に囚われた兎みたいに喰い殺されるしかないって言うの?冗談じゃないわ‼」
アイルの悲痛な叫びに胸と言葉が詰まった。
「……………」
「……………」
「後さー、どうでもいいけどアイルちゃんの本名ってアイル・インなの、それともアイリーンなの?どっち?」
僕は自分でも本当にどうでもいい質問だなぁ、と思いつつも現実から目をそらすために聞いた。
「……あなた、本当に空気が読めないわね……。自分の置かれた状況が解って、逃げてェッ‼」
何時の間にか音もなく忍び寄ってきた異形により、ほとんど悲鳴に近いアイルの声が彼女ごと吹き飛ばされた。壁に叩きつけられたアイルを花芯に、壁に白い血の華が咲く。
「アイルッ!!」
次いで、直感に従って振り仰ぐ。
異形が僕を撲殺せんと、手にした鎚を振り下ろそうとしていたのだ。だが胸ががら空きだ!
「隙ありッ!!」
僕は心にまとわりつく恐怖を押しのけ、異形の頭にジャブに似た刻み上段突きを叩き込み、脇腹に体の軸の回転を加えた中段廻し蹴りを浴びせかけ、 止めに異形のみぞおちについている宝玉に、渾身の正拳突きを打ち噛ました。
『グヴォァッ‼』
正拳突きが宝玉に直撃した瞬間だけ手応えがあった。異形は鎚を取り落とし、うめき声をあげながらたたらを踏む。
「【迅雷・掌底・感電・絶叫っ。酔え、どれどれ痴れ痴れようッ】」
異形の胸部に強磁場を生成し、片足を軸に反転、雷撃を纏った掌底を叩きつける。
『大東流合気術・てっぽう』
武術の本を読みかじって木村先生に内緒で練習した技によって異形を突き飛ばした。―――――――はずだった。
『■■・■■・■■■■■■■・■■■■』
奴がおぞましい呪文を叫び、姿を消した。厳密にはドーム状のこの大聖堂が闇に閉ざされたのだ。
視界を真っ暗にする呪いをかけられ、僕は目が使い物にならない事実に根源的な恐れを抱く。
「な、なんだこれは!?アイルーッ!!どこにいるんだーッ!?いるなら返事してくれ‼」
返事がない。こうしてる間にも奴は僕の命を虎視眈々と狙ってるのだ。構えておくことに越したことはない。
『剛柔流空手・三戦立ち』
僕は足をハの字に締め、前後にずらす立ち方で構えた。
そこら中に邪悪な気配が充満しており、どこに奴が潜んでいるのか見当もつかない。
気を張り続けるも付かれてきた、瞬間。背中に生ぬるいものが触れた。
ソレは皮をすり抜けて僕の五臓六腑をぬとぬとした魔手でかき回す。怖気に襲われ嫌な汗がぶわっと吹き出した。
何だ、嫌だ……、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!!
「【止めろッ】」
口からついて出た願いが たまたま呪文となり 金属を叩き割ったような音と、光明が異形を僕の体から溢れ出し、ヌトヌトの手を叩き出されたかと思いきや、やつは闇の向こうにふうと消えた。
胸には魂を千切り取られた後のような喪失感が残った。
今のを喰らい続けたら、確実に人間ではなく別のものになってしまうかもしれない。
ゾッとするとともに、かくなる上は早くこの状況から抜け出さなければならないと気を引き締めた。
では、脱出するためにするべきことは何か…?
「闇を払うもの…。ヤミ、やみ。闇魔…、魔を祓うもの。それだ‼」
ズボンのポケットに突っ込みっぱなしだった例のブツを取り出す。麻の帯を丸めた、炸裂弾である。
帯には解呪の呪文が書き込まれているので、これさえあれば呪いが解けるはずだ。
アイリが『魔法使いの必需品だからもしもの時のために持っておいてね』と、白百合のように笑ったことを思い出す。
とにかく急かねば。
僕は床に炸裂弾を叩きつけた。すると、幾何学的な模様が地面に燐光とともに展開していく。僕は魔法陣に現れた呪文を手順通り唱えた。
「【祓ひ給へ雷ぞ、清め給へ御光ぞ、我闇を滅す者なり】」
足元の魔法陣から風が吹き荒れる。全身に激しい力が宿っていく。血の流れに乗ってエネルギーが駆け巡る。
【滅せよ、神立。裂けよ、雷鳴ッ】
もう駄目だ。制御しきれない。黒き風が魔手と共に影となって僕のもとへ這い寄る。
「【雷帝の裁き】」
全身が上空へ放電を引き起こし、辺り一帯に天怒が降り注ぐ。 その白が空間を支配していた黒を塗りつぶした。視界が晴れていく。
《4》
眩しさに目が慣れず、瞼をこする。耳を澄ますが、奴の気配はしない。どこに隠れたのだろう。
刹那。
視界が晴れた途端、突然背後から両の拳が僕を左右から叩き潰しにかかった。
腹式呼吸によって防御力を高めた両腕を『夫婦手』に構えて仲睦まじい夫婦の様に互いに連携し、その拳を『諸手中段受け』によって辛くも防ぎ切った。
手を開き、『掛け受け』で異形の手首を搦め取り、隆々とした筋骨をしっかりと掴む。
ネッチョネチョしていて気持ち悪い。
『大東流合気柔術・ 後ろ両手取り四方投げ【表】』
腕の骨が耳障りな音を立てた。
「ぐぎ……ィッ‼」
腕がもげるかと思うほど痛い。それでも泣くものか。
「フゥッ‼」
異形に無理な体勢を強い、思いっきり投げ飛ばした。そのまま奴は土煙を上げて石畳へ倒れこむ。
異形が起き上がろうとたたらを踏む今こそ、僕は丹田に力を込め直す。
僕はあの子を守れなかった。だから此奴だけは倒す!!
前屈立ちに構え、万全の体勢を取り、渾身の力を込めて踏み込む。
肘をあえて曲げ、緩く握る事で遊びを持たせた拳が何の力みも無く、砲弾のように打ち出された。
宇宙人じみた反射神経で虚憑きと化した司祭が跳ね起きた。
気合一閃、絶妙なタイミングで拳が着弾。瞬発的に伸ばされた肘にブーストされる形でインパクトの瞬間に握られた拳により、衝撃が貫通する!
『グヴがッ‼』
宝玉、否、核と思しきそれがひび割れる。僕は一歩身を引く。
「剛柔流空手道・奥義【一寸勁】」
地面と体が引き合うかのように撃沈。二度と呪われた司祭は動かなくなった。
フゥ、と深い息を吐く。両手を重ね、闘気を納めて一礼する。どんな相手に対しても礼に始まり礼に終わる。
形は変われども、それは変わらない。それが空手の『道』を貫くものとしての掟だ。
「―――それにしても……、この化け物どうやって元の司祭に戻そうか……」
【あなたが私の糧になる事を、私は感謝します】
「え」
聞き覚えのある呪文に振り向く。
アレは何だ。先ほど見た宗教画が脳裏を横切る。
何故、白い血の華が咲いた場所に、肌が紙よりも白くなってしまったアイルではなく。
高密度の魔子を鎧い、爪を尖らせ、瞳を白くした少女が―――――――――。血に飢えた獣のような誰が、立っているのだ?
魔人がゆらりと異形に近づく。
僕は反射的に魔人の前に立ちふさがる。
「君は、アイルだよな?司祭さんに何する気だ?」
あまりの戦慄におびただしい量の汗が僕の肌を伝う。
彼女が立ちふさがる僕を前にして何故という顔を見せる。
【食べるの】
―――――――は?
理解できなかった。何を、食べると言ったのだ?
【そこの司祭の胸についた核を食べるの】
カァッと体の体温が上昇する。僕は完全にブチギレた。
「ふ…ざけんなァァッ‼化け物になっちまったとはいえ、 仮にも人だったやつの体を食らうだとッ!?
それは、人間が絶対犯しちゃならない禁忌なん」
【……………ふふふっ、アハハハハ、ハハハ】
魔人は首を後ろに傾げて、笑っている。
「何が可笑しい?」
【アッハハハハハハハハハハハハ邪魔立てすると引き千切るよ?ニンゲン】
唐突に魔人が僕に能面めいた顔を向けて低く警告した。
僕の皮という皮が本能的な悪寒に総毛立つ。退かねば、確実に殺される。
僕は尻を地に落とし、退きながら失禁した。アレはアイルじゃない。魔人が異形に近づく間、僕の直感が告げた。
アイルは、そんなことを絶対言わない!!言うとしたら……、あれは狂ってる。
否、結局僕は、アレがアイルではないとそう信じたいだけではないのか。
アレこそがあの娘の本当の(考えたくない考えたくない考えたくない考えたくない考えたくない‼)姿なの(考えちゃだめだ考えちゃだめだ考えちゃだめだ考えちゃだめだッ‼)だろうか?
(僕の中のアイルが僕の中のアイる)魔人が異形の背中をほじくり、 返り血を浴びた。
美しかった彼女はどす黒い返り血によって穢れた。何ゆえかは全く理解できないが、ぼろぼろと大粒の涙を流して司祭の肉を貪っている。そして、クヒュッっと鳴いたかと思うと。
そのまま血だまりに沈み、動かなくなった。
「う、ふ、うぁああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
余りの出来事に、僕は気を失ってしまった。