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白きエルフに花束を【初版】  作者: 宝島 登&玉城つむぎ
白の章
3/15

白の章(参)

……ふうぅ。

 昨日の夕暮れとは、また別の爽やかさがここにはあった。樹木が生んだ新鮮な空気が、僕の気を高めるような――

  僕は瞼を開いた。

 「ついに来たのか」

 ここには、樹齢百年をゆうに超えるであろう木や、緑が眩しい草が繁茂している。すでに深い樹海に身を置いているからか、僕の心はふしぎと騒めきが薄かった。

 すぐ近くに、一本の大樹があった。他の樹木を地に臥せさせても、自らが生き残ったといわんばかりの、存在感。その近くの倒木のうちいくつかからは、キノコが生えていた。

 大樹は見上げればいよいよ高く、頂きなんてとてもじゃないが見えやしない。誰が刈ったのか陽の光を一身に浴びること叶い、下葉がつややかに、照っていた。

 大地は一寸ほどの苔に覆われ、歩けば足跡が付きそうだ。

「ここが、陽界……」

 感慨深いものがあるが、そうもいっていられない。異世界に来れた、これはいいとして、遭難の二文字が頭を掠める。

「色々と準備しておいて良かった」

 手刀を繰り出し、適当な木を相手にしばらく応戦していた。練習用の案山子ではないため、手には細かく傷跡ができたが、とにかく、打ち込まねば気が済まなかった。

 夜目が利く方ではあるが、気が付いたらほぼ何も見えなくなっていた。このままでは逆に視力が落ちる。

 日も落ちてきたのだし、夜営の準備をせねば。と簡易テントと寝袋を手探りで用意。少しだけ懐中電灯を使って組み立てた。コツはつかんだ。

――近いうちに、人工的な光とはおさらばだろうな。

 ぬくもりを感じる前に、切った。本当にいる時だけ使うべきなんだ。

 そのまま、意識が途切れた。


《2》

「親方、青の国まではあとどんぐらいなんすか?」

 長い耳を持つ浅黒い少年は痛む左膝関節をさすり、問いかけた。

「せやなぁマグ、この森の斜面が終わってすぐに白い砂が続く。そん時に教えてやる」

 二人が支えている簡易な車には、動物の干し肉や砂糖菓子、紙製品、骨や角の加工品や角材、さらには置物や鉄器などがあった。この隊商は13人で構成されていて、種族、容姿や男女比が多少偏っていた。

「まず青って、湖の底なんでしょ? 溺れませんか」

 肩に売り物を背負っている別の青年がツッコミを入れると、親方は舌打ちした。なまじ頭の割に多大な筋肉がついており、とてもバランスが悪い。

「だから後で言うつってんだよ‼んだよええとこやってのに。おい、エイシス、おまえも何か言うてやれ」

「ただの説明に論戦を強いるなど、愚かなこと」

「おまえは空気読めーーーーーー! 」

 先の運送で熊に右腕を食いちぎられた女相手にも隊長はガミガミとあまり容赦しない。エイシスは怒鳴りをしっかりと聞きながら車の後部を支えていた。

「ところでよ。今回、例の目玉商品が売れて報酬が5倍になったら、どう使いたい」

「あー、黒檀と玉鋼の食器だっけ?レプラコーンの工房に伝手あって、ホント好かったッスよね」

「確かに。そうですね、私だったら黄の国に旅行に行きますね。あ、でも赤だと教会焼延事件や水毒白エルフ逮捕事件とか、株価世論困惑事件とか、危険地帯の宝庫ですけども新文芸の聖地参拝も悪くないですよね」

「俺は緑かな……やっぱ、その」

 マグはあることを思い出し、もごもごと口を動かした。

「なんだよ」

「いや、なんでもねーよ」

 親方は頭巾を外して顔の汗を拭き、あと歌をひとつ歌いきったら交代だ、と言った。

「じゃ、いこうか。国歌の御岼(みゆり)‼」

「……センス古っ」

 また、別の誰かが突っ込んだ。彼は赤毛で、もうすぐ荒地に近づいているというのに、汗一つかく様子がない。加えてガタイが非常にいい。タッパもかなりある。

「あ、噂をすれば白エルフか……」

「え、どこどこ? あ、あんなところにいた」 

「虫取り網どこ?」

「バカ、休憩なんてもんじゃないだべさ、親方、獲りに行ってもいいっしょ? 体ボロボロで動けなさそうだし」

「服着てるし、ムラからはぐれているみたいだし、ただの野生種に見えない。あたしは反対」

「あ、逃げっぞ。なおさら好都合じゃねえか。ひん剥いて縄つければ高水準で売れるじゃん。旅行よりぱぁっと打ち上げようぜ!」

「親方はどう思います? ねえ親方?」

「……おめえら、気力は残ってんのか?」

 親方が急に静かになった。それを厳かぶったと誤解した隊員らは、余計やる気が出てきた。

「勿論! さ、とっつかめーるぞ! エイシスも手伝えよな。人がいなきゃ手足がバタバタとうぜえんだよ」

「じゃ、俺たちゃ行ってきますんで、荷物お願いしまーす!」

 青年らは縄や鉄スコップ等を持っていき、その白エルフを追いかけた。

「親方」

「ミェイ、おまえは行かないのか?」

「僕は一応白エルフの友達たくさんいるんで、見て見ぬふりをします。親方こそ、どっちにしろ責任取らなきゃいけない立場ですよね。部下に押し付けることもできるじゃないですか。どうして行かないんですか?」

「俺? そーだなー。今日は気が乗んねえから。商人の勘だ」

「それはどのような根拠がおありで?」

「考えてもみろ。あの白エルフ、身なりがピシッとしているだろ?ああいうのは、誰かしらの助けを得て生活している証拠だ。バックに居る奴を怒らせていい事なんかあるはずがない」

「だが、止めると揉めるから放っておく、と。なら、僕、残って正解でしたね」

ミェイが仲間たちが走っていった方をじっと見つめる。それを見て、親方は自分は本当にどうしようもないやつだと呟いた。

「ま、ヤクザの元締めが意外と普通のおっちゃんなのと同じ事だ」

「何か言いましたか?」

「いいや、何も」

本当にどうしようもない。そんな気持ちを代弁するかのように薄く嗤う。

「何も言っていないさ。何も、ね」

                      《3》

「は、やっ! もう今日はいいかな」

 樹を相手に練習していたおかげで、拳には傷がつき、体からはうすく汗がついていて、先ほどの爽快感がむしろ寒さに変わる。

 鞄に入っていた飲料水のうち、一つが空になった。幸か不幸か周囲に獣や虫はいない。

「色々と準備しておいて良かった」

 先ほど見つけてきた川から冷水を汲み足し、ペットボトルに移した。沈殿物が目立つほど汚くはなかったし、濁ってもいない。ただ、サバイバルブックによれば本来は日光に6時間当てなきゃ消毒できないらしい。はやく明日の朝を迎えたい。チャーハンのレトルトパックを開いている時のこと。よくわからない声が聞こえる。

 どう考えても、人の喝采だった。

 よかった、人がいる! というのが僕の第一印象だった。

 唐突に、強く嫌な予感がして、後ろを振り返る。今までこういったので、ロクな目にあったためしがない。おまけに、本能が何かの命の危機を感知している気がする。

「……なんでだ?」

 転瞬、荷物を全部持ったまま、気配を殺し、殺気を感じた方角へ三戦の歩法を応用して、忍び寄る。

 茂みから伺うが、頭が白い人を、大勢の男女が縄を持って囲っているという視覚情報以外、得られなかった。

『そうね。私はそうよ。どうしてって? 案内? 紺青村まで案内? 嫌。他の子に頼んでよ。私そのへん詳しくないし、ガラスの回廊ぐらいしか名物知らないし。旅人さんのほうがわかってるんじゃないかしら? 最近は鋼の街とか言われる首都なんて、私といるより、ずっと快適だと思うな』

『ねえちゃん、頼むよ! 荷物を持って待ってるツレも、こっち来たのはじめてなんだ。国境出るどころか、こっちの方角の森に行ったことねえんだよ』

 人の比率が、明らかにおかしい。さすがの僕も、というか僕だからこそ、何か気持ち悪いと思うような囲み方だった。

  茂みに荷物を隠し、素早く手近な若木の幹へ上る。枝葉の隙間から恐る恐る覗く。

「……こいつらッ……!」

 囲まれている人の肌の色が茶色とか赤とか、もの凄い色合いになってんですけど!!しかもどう見ても、白い女の子が大木を背にして追い詰められている。

「……貧クソッたれが。その罪、地獄で償っていただくとしよう」

 気が付いたら、手足が勝手に動いていた。自分でもよくわからない。物凄いパワーで、男女問わず地べたに打ち付けた。

 巨漢の強そうなの目掛けて、跳躍。

 『剛柔流空手・跳び膝蹴り』

 それでも足りず、硬い膝が、名も知らぬ巨漢のしゃれこうべを皮越しに強かに粉砕。そのまま首がひしゃげて動かなくなった。おそらく即死だろう。

 片手の拳をもう一方の片手で包み、軽く哀悼を捧ぐ。いわゆる『拱手』と呼ばれる中国の軽い礼だ。

 その場の僕以外が全員ポカンとしているが、こういう機会はなかなかないので言わせてもらう。

 「全日本空手道剛柔会派・剛柔流空手道・第六代目継承者、風祭礼也、参上」

 なんか、すっごく気持ちがいい気がしてくる。

 呆然の感をさらに深めた大柄な巨漢達は、やっと目が覚めたのか、立ち上がろうとした。僕に「バッゲンッ!」だの「ボッギュ!」だの、凡そ未成年が聞くにあたってよろしくなさそうな異界の罵声を浴びせる。

 巨漢も、もぞもぞと少し動いていた。治療はいるかもしれないが、少し時間がいる。

 まともに立ち上がれたのは、僕より浅黒い肌の耳が長い奴だけだった。

  何か言ってる。全く意味が分からん。恐らく向こうにも通じていないだろう。

 地面に足を真っすぐ叩きつける。

(ツァオ)(受けてみろ)‼」

『俺らの獲物だ。青の国まで案内する奴が必要だから今回は見逃せ』

 何を言っているのか、全くわからない。翻訳してもロクなことにならなさそうだ。

 風祭氏八極拳の基本技、『震脚』と『冲捶』を繰り出した。

()ッ」

  腰に構え、体を横に向けながら強力な突きが放たれて鳩尾を直撃、肋骨をゴリリッと抉る。少し吹っ飛んで、つま先で着地し、足のバランスを崩した。

 森に鳥の群れが驚いて飛び立つほどの少年の大絶叫が鳴り響いた。

『あいつ、捻ったほうを折ってんじゃん! どうすんだよこいつっ』

 たたらを踏む彼奴にラリアットから首投げを噛まし、足の側面を使ったローキック『足刀蹴り』を叩きつけ、震脚の要領で顔面を踏み潰しながら、先ほど首を折ってやったのとは別の巨漢の喉元へ、素早く飛び蹴りを放った。

『痛ッ、だいじょうぶかマグ、……親方んところに戻らんと……あの女、こいつのツレかよ……』

『すまんな、ルーフ、戦ってくれ! 誰か、連絡いれてくれ‼』

『わかった』

 嫌がる白い子の両腕を握っていた何人かの少女たちは、ぱっと手を離した。その隙に彼女は逃げた。

 当然躱されてしまったが、腕を鉤状にして巨漢の首を巻き込み、着地と同時に引き倒した。

 震脚で踏み潰してとどめを刺そうとしたが、靴の裏を蹴り上げられてしまった。

 不味い、トラッピングに引っかかってしまった。

 そう思った時にはもう遅く、巨漢はバネ人形のように跳ね起きて、その勢いを使ってヘッドロックを狙いながら頭突きをかました。

 しかし辛くも空手の交差受けを使って受けきり、腕を解き放って頭ごと吹き飛ばした。

 「(ツァオ)!!(喰らえ!!)」

 『おい、誰か鍬投げろ! とどめを刺させろ、ルーフとマグの仇だ』

 鍬での突きをなんとか転がりながら避け、下から少女たちを見た。

 そのうちの一人が羽織を畳んでいた。彼女の片腕がなかった。急に恐怖感が増し、焦りが生まれた。

 怖い、怖い、怖い。

 狙いが定まらず、腕を曲げたまま一撃目を繰り出し、突いた瞬間に肘を伸ばし切った。剛柔流古流空手の技術における極意であり、突きに一寸勁を掛ける方法。巨漢はゆらめいて、後ろに倒れた。けど、すぐ起き上がる。

――決まらなかった……? 木村師匠に託された僕が?

 瞬時にシュミレートして、相手を倒すはずが、何かが利かない。何も考えれない。

 嘘だ、そんなはずはない! 僕は選ばれたんだ。選ばれて、陽界に来たんだ!

 心が落ち着けば、きっと、そんなはずはないんだ! 次こそ、白い子のぶんの恨み、晴らさせてもらう!

 僕は茂みの荷物を持ち、女の子が行った方向とは逆に走り去った。

 『なあ、みんな生きとるか?』

 『だれかー、傷薬もってない?』

 『あたしの救急箱フル活用だね』

 『地べたでうめいてる5人のなかで一番重いのだれ? おぶれる? 固定用の添え木持ってる子は……いないか』

 『ちょっと待てよ、マグ、おめえさっき足が痛いって言ってたよな。そこやられちまったか』


                       《3》

  背中が冷たくてヌルヌルする。まずそう感じた。寝こけた、というより倒れた衝撃で砕けた苔くれが、背中にぐちゅりと纏わりついていた。

 悔しいささえ湧かない。写真のように、敗北の記憶が僕に纏わりつく。事実、追い打ちをかけるように背中と尻が朝露に濡れていた。思わず不快感に身をよじる。一応寝袋は2人分あったが、 どうも暖かさを求める気持ちになれない。

 鍛えているはずなのに草臥れた体は軋み、意識は完全に置き去にしてあーだのこーだの不平を漏らしている。末梢神経がイカレたのか指先が悴んでしまっていた。なんか、もう、疲れたよ……。

陽が出る方向へ寝返りを打ってから、ゆっくりと身体をさすり、徐々に目を開けた。眩むほど強い光だった。いや、もっと……。

「うぅ……、って、え?」

正直気づかなかったが、隣に昨日の白い子が座っていた。

『あ……。起きた』

「っ……!!」

 僕は驚きで絶叫したいところをぐっと堪えた。 これこそ、写真的記憶(フォトメモリー)として残すにふさわしい一瞬だったと思う。ぐいぐい目を見つめ返してしまった。

 ……フォトメモリーとは、自閉症等でたまにいる、事物を記憶する際に写真のように細部にわたって記憶できる、一種の異能力ともいえる症状だ。……だが、この話を昔の嗤う正論と言われた友人に打ち明けたところ、中二病アニメの主人公になれそうでうらやましいなどと言われて、ソイツをぶちのめしたこともある。

「レイヤ、やっぱりオッドアイとかどうだよ。チョキを横にしたらきっとかっこいいと思うぜ」

 それが皮肉か本心かは今となってはわからない。少し前までオンラインゲームのアカウント名を「†キリュヴド†」にしていたらしいから、その反動を押し付けているだけではないかと勘繰ってしまう。

 ふと気が付くと、彼女は事切れたばかりの死体みたいにカチコチになった僕を見て非常に心配そうな顔をした。

「……っふぅぅ」

大きく深呼吸して緊張を解いた。人さまの顔を見て仰天絶叫するなんて、化け物に鉢合わせたのではあるまいし、ましてや年頃の異性に対して無礼千万ではないか。

『大丈夫?……あれ、どうして、顔を伏せるの?』

――この、僕ともあろうものが。

少々無理やり起き上がってその子の容姿をはっきりととらえた。

白い、本当に真っ白だ。

 第一印象としては『白』という概念が服を着て座っていたとしか表現しようがない。

足跡一つない雪野原みたいに、くすみなく滑らかな肌に、華奢な四肢。

 何より凄いと思ったのが、色無き光芒のような髪だ。少し透明感があるのに、地肌が透けていない。本当に色が無いのかと尋ねられると困るのだが、強いて色と呼べるのが髪の毛を弾く光だ。それが、彼女を柔らかくオーラの様に包み込んでいる。

 自然豊かな土地柄の影響のせいか、かなり引き締まった体の持ち主のようだ。

 武術家としての目で見れば、意図的に鍛えた体ではなく、生活の必要に迫られて得た肉体であろうことが窺える。

 白染めの麻布で仕立てた服はかなり軽装で、首から柔らかそうな紐でへそ出しトップスを吊り下げて更にその下にショートズボンを下げ、その下にズボンの裾が下がっている。

 もしかしたら、あの紐は布地の中で一本の紐として繋がっているのかもしれない。

風通しがよさそうで、涼しげな格好。しかも脱ぎやすい――って、僕は何を考えてるんだ!

それにしてもここ最近、普段どおりでないことが多すぎる。だけど、不思議と不甲斐なさに前ほどのつらさは感じない。

だが、いくら元がキレイでも、どう考えても転んだ等と言う言い訳など通用しない生傷や無残な内出血があちこちにある。もしあの時助けていなければ、この子はきっと――

 傷が時代を重ねている。昨日今日で連中につけられたのもあったが、もっと前に何かあったんだろう。

細いチェーンには太陽の欠片のような宝石がむき出しのまま付いていた。不揃いにカットされていたが大き目の水晶かと思ったが、その宝石の中心部には燦然と輝く光明が宿っていた。

暇つぶしに鉱物辞典を読んではいたが、こんな宝石は見たことが無い。だが、この石自体は磨きが足りない気がする。若干透明度に欠ける……ものの――本気で磨けば、凄まじい耀霊を放つだろう。

 もうしばらく考察を続けていたかったが、本人が何事かと眉をひそめていた。やはりこれ以上の推測は、下賤な邪推になりかねない。どうしたらいいのだろうか。

 僕は、心の中で頭を抱えた。正直、なんと感じようかというのを抑えているような、よくわからない不快感があった。いろんな色が、僕の目をひきつける。

「う゛っ……!」

思わず声に出てしまったが、運悪く彼女の腕を見てしまった。

 リストカットだ。正直、生々しい。危険信号をあえて避けているせいか、冷や汗がでそうだ。白そのものが自らを傷つけ、このままでいたら滅する。まるで、白色そのものに脅かされて生きてきたみたいに、真っ黒な瞳が寂しそうに揺れていた。

 僕はつい笑顔をつくって、この子に反射的に抱き着いた。

『え、あ、その……あなたは……えっと、嫌いじゃ、ないの? 顔がくもってたよ』

でも、顔を上げて笑いかけてくれる彼女は、きっと、思いやりのある優しい子なのだろう。自分が落ち着くまで、これでごまかす作戦をとった。

「……もしかして、君はあの時の女の子?」

 それからしばらくして、体を離した途端に、つい、言葉が漏れた。

 通じないことなんてわかってたのに口が動いた。僕がそう問うても白い少女は僕の言葉に不思議そうな顔をするばかりだ。

 だが、彼女はふと何かを思い出したようなそぶりを見せた。待っていてほしいと身振り手振りでいうので、うなずいた。

 彼女は、コップのようなものに水と何かを入れた。僕に渡すと何かを探しに行った。

 少し後を追ってみると、別室の手すりを伝って幹の上を歩いて行っていた。

「……それにしても、この場所は不思議なところだな」

 察するにここは木の上に足場を渡して作られた家の類だろう。幹と足場の隙間に補強が施されており、万が一の備えにあちこちに手すりらしきものが規則正しく設置されている。

 あたりの様子を見回していると、先ほどの白い少女が戻ってきた。

何やら重そうなものを抱えているが、何だろうと思いきや、何のことはない。正真正銘僕の荷物だった。

もうこれを見てしまった以上、問い質すまでもなくこの子は僕が助けた女の子だ。

 彼女はどうやら、中身が気になってしょうがないのを堪えて知らんぷりをしているようだ。

 それなら、とバサバサと中身を出す。サバイバルセットだからナイフ等の凶器も入っていたが、それ以上に食料やテントが多くを占めているのだから、さして怖くもないだろう。

 興味あるのバレバレなのにこちらの苦笑いに気付いていないあたりが可愛らしい。

『ナイフ……? 縄? でも平気そう。というか気づいてないみたい』

 やっぱり、こっちでは見ないものばかりだから気になってるのかな?

 あ、先ほどの事件は何事なのか聞かねば話になるまい。そっちにしよう。

 いざ言葉を切り出そうとすると、どうアプローチしようか迷った。ぼそぼそと独り言をつぶやき、要点を整理する。言葉なんて通じなくとも、僕が言いづらそうな話を切り出そうとしていることを、器量のいいこの少女はすぐに察した。

 何事かを僕に告げ、一個の指輪を取り出した。銀色に輝くその指輪には、磨き抜かれたオニキスが嵌め込まれていた。

 女の子は、僕の節くれた小指に輪を通した。

「私の言葉のもうわかるか?」

 頤を弾かれたみたいに顔を上げた。自分は不安げに引きつった笑顔を浮かべている。あのようなことがあったせいもあってか、精神的衝撃と頬骨の青痣が邪魔して上手く笑えていない。

「うん、ありがとう。いい家だね」

「……よかった。それ、翻訳の魔法がかけてあるんだけど動きが低いから。この指輪は熊とか鹿とか犬とか、そんな頭が良い動物としか話せない仕様なんだけれど、もっと頭いい人間なら詳しさが強いんだね」

 翻訳が微妙に間違っている気がするが、まあ言いたいことはわかる。

 この女の子は、こういった奇妙な出来事を前にして、また奇妙な独り言をつぶやいていた僕を安心させるために静かに笑った。

「でもさ、そんなことより僕のためなんかに無理して笑わないでいれば、君も僕も今よりは幾らか楽に話せるんじゃないかな。」

「あなたも無理なことしてるでしょ、お互いだよ」

 本当にお互い様ですむことなのだろうか。僕なんかよりも、彼女の方がずっと苦しそうだった。だから、尚も言葉を継ぐことにする。

「僕は、戦う術があって日ごろ体を鍛えている上に、元々頑丈な体質だからそんなに心配してくれなくたっていいとしても、何より今の君こそ怪我をしている僕よりもずっと辛そうな顔をしていると思うんだ」

 顔には出ていなかったけど、あまりにも痛々しいその姿が無性に悔しくて、どうにもならない無力感を押し隠した。女の子も黙っていた。

今の彼女がどんな気持ちかわかってしまえば、多分二の句が継げぬまま、互いに黙り込んで話を終えなければならないかもしれない。

どう切り出すか暫く逡巡し、口を開いた。

「守り切れなくてごめん。今言った言葉やこれから聞くことは本来、通りすがりの関係ない奴がとやかく聞くことじゃないし、言うことじゃないかもしれない。だけどいいかな? なんで君はあのような連中に袋叩きにされたんだ?」

 間髪容れずに「な、何でも、何でもないの!あれはただ」と誤魔化す彼女の声を「僕はただ、君が心配なだけだ」ときつく眉根を寄せたまま、温かい言葉で容赦なく遮った。

「……ほ、本当に何でもないんだけどなぁ」

事実を口にしている割には、肩が震えすぎている。おそらく、捕まりそうになっただけで乱暴はされていないのだろう。

 「あ、そうだ!」

 それから、何か思い出したように両手をパチンと合わせた。

「お腹すいている?この辺に旅人さんが来たのは初めてなの。たくさんな話を聞きたいな。周囲近くに今夜泊まるところもないんだし、家に泊まるといいよ!ああ、それと自己紹介もはじめた!」

 あの話によほど触れたくないのか、あくまでも明るく振舞う。

「なんで、泣いているの?」

「へ?」

「君、今とっても自然に笑っているはずなのに、何故笑いながら泣いているんだ?」

目を据えたまま、彼女は頬をなぞった。

「……嘘、あなた、怖い。sinpaiって言葉ってなに? なんで押し付けに変換されないわけ? ねえ!」

「え?え……っと」

警戒心に操られた哀れなマリオネットは、そのまま緊張の糸が切れたみたいにくずおれた。


                      《4》 


 怖いとか、言われる覚えがない。


『ごめんなさい、よければ、このハンモックに寝て。私はここで警戒してるから。そのナイフと重そうな本、貸して』

 昨日の彼女の言葉を思い出す。

――何て虫のいい。

 なんというか、この子の嘘が許せない。助けてやったのに、どうも面白くない。

 うまく言えないけど、こっちに来てから予想外の事ばかりでよくわからない事ばかりだ。

「そういえば、君は一人暮らし? お母さんとか、……家族とかは、いなかったの?」

「いない。旅人さんは? 変わった服してるけど、しいて言うなら赤の国の戦災孤児みたいに見えるけど」

「どこか知らないけど、向こうって、戦争してるの? 今は大丈夫かな」

「本当はどこに住んでるの? 違う国かな」

「ニホン。三ノ辺町」

「どこ?」

 地図で説明すればいい? どうやって示せばいい? 

 とりあえず、異世界のことについてなんてよくわからなかったけど世界地図を開いた。黒いボールペンを出してみる。

 少しは、似たところがあるだろうという淡い期待は、すぐ打ち砕かれた。

「これなに? 長細くてまるいね」

「この地図のなかで、どこが現在地?」

「え、地図? うちにもあるけど、その形見たことない。それより、朝ごはん食べようよ。根つめるし、体力つけなきゃ。何食べたい?」

「僕? そうだなあ。君がいつも食べているものがいい」

「なら、鹿肉をコルトゥラに漬けてあるから、地下室に取りに行こうよ」

ふむ。コルトゥラか。察するに味噌の仲間だろうか。

「いいけど、コルトゥラって何?」

 僕が不思議そうに尋ねると、しばらくの間、彼女は眼を瞬かせてそれから小さく噴き出した。

 「あははっ、そうよね。旅人さんが知らなくても無理ないか。ええと、コルトゥラというのは、川魚を童酒で発酵させた調味料の事だよ。ひよこ色で粘り気があるんだ」

 やはり、味噌と非常によく似た調味料らしい。地下室は、家である大樹の地下にあるそうなので、取りに行くことになった。


                       《5》

 暗くて狭い地下室まで取りに行った甲斐があった。何せ極上の逸品である。最高に旨い。何が旨いって、カーフィャで発酵してあるから、山羊乳の豊かな風味と濃厚なうまみが塩気と相まってものすごく旨いのだ。酵素のおかげか、肉も非常に柔らかい。

 加えて、この本能をくすぐる食事スタイル。これで食欲が増さないはずがない。

 「旨----!!サイコーーーー!!」

 歓声を上げながらむしゃむしゃとがっつく僕を見て、彼女はすっかり呆気に取られている。

 ガツガツっ、むしゃむしゃむしゃむしゃ、ゴキュッ!

 「御馳走様でした!あーっ、美味しかった……」

 「そんなに美味しかったの?」

 「うん!最高だったよ!」

 僕の答えを受けて、彼女は満面の笑みを浮かべて鼻歌を歌い始めた。足どりも軽く、嬉しそうに皿を片付け始める。

 「今度はもう少しさっぱりさせてみようかな」

 「うん、それがいいよ。ありがとう!」

 笑い合って、その日の朝食を和やかに締めくくった。

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