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白きエルフに花束を【初版】  作者: 宝島 登&玉城つむぎ
白の章
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白の章(弐)

                      《1》                    


 この前の続きとして、異界へと渡る準備のために、午後の半分以上をかけてボストンバッグやらキャリーバッグやらに一週間分の食料品と寝袋、着火剤、拳法着、かるたとトランプ、そして帯と道着と実用性が高いと思われる本を詰め込んだ。

 「お兄ちゃん、何やってるの?」

 華が下からのぞき込んできた。

 「あぁ、華か。……往くぞ」

 「どこに」

 僕は何も言わなかった。華だけのためではないが、もうクソ親爺に痛い目に遭わされずに済む所、浮かれた言い方をすれば楽園(ユートピア)へ。

 「家出?」

 唐突に、部屋の蝶番から激しい金属音が響いた。クソ親爺だ。どうやら昼間っから出来上がってるらしい。

 「ンだと? おひとりさまだけで大きくなった気になりやがってヨォ」

 「この辺に地震が来るかもしれないって、この前ニュースでやってただろ? 準備してんだ」

 「ガーハッハッハッ、地震ぐらい切り抜けられなくって何が沖縄男児じゃ!」

 こいつ、理論値じゃ真っ先に死ぬくせに実際には生き残るしぶとい奴じゃんか。というか、沖縄男児なんて言葉は無いし、本当の沖縄の人は争いを好まない大らかな平和主義者だし、そもそも沖縄人(うちなーんちゅ)と云う呼び方が正しい。まあ家族としては生きてくれたほうが嬉しいが、こいつ(くぬやー)にはこの程度しか取り柄が無い。核燃料デブリ並みに危険なゴミの中のゴミだ。だれか暗殺してくれないだろうか。考えすぎかもしれないが思わずそう妄想してしまう。

「たるんどる、礼也! 稽古の相手してやる!」

 まーた、始まったよ……、全く。

 師匠が僕に、『三戦』、最高位形の『壱百零八手』を上のみならず中巻、下巻ともに託してくださった。それもあるが、無駄な闘いなんてしたくなかった。

「今日は遠慮し……」

「たわけがっ、それでも沖縄空手道にはげむ男かっ!」

 クソ親爺の鉄拳が飛んできたのを避けたのはよかったが、余計にどっかに火をつけたらしい。

 「華、あいつは何をやろうとしているんだ、正直に答えろ。でないとこの前みたいに血まみれにしてやる」

 華は何も知らない。そもそも、こいつが素面の時に言い出したことなのに、もう行ったことを忘れている。

 「わからない。サバイバルごっこの準備?」

 ちなみに、今まで一度もサバイバルごっこはしたことがない。が、どうも逃げ口上のように聞こえたらしく、親爺が腕を振り上げた。

 「やめろよクソ親爺……!」

 「親に向って糞とはなんだ、礼也! 16年間誰が育てたと思ってンだ!ゴルァッ」

 「グハァッ……」

 拳を腕で受け止めたものの、もう片方で僕の頬を打った。僕は右にふっとび、クローゼットに頭を打った。

 「お兄ちゃんっ、大丈夫?!」

 華が、止血にと救急箱を取りに行こうとするも、クソ親爺が通せんぼする。華の耳を引きずって、別室に連れて行こうとしている。

 「離して」「痛い」と叫んでいる華は、ドア前で部屋の窓を指し、下に指を振った。まさか地獄に堕ちろということではないだろうから……

 《ここのすぐ下で、まってて。華もくるから》


 その予想は大体当たった。僕は窓から予備の縄を垂らし、最初に荷物をエアバック代わりに投げた。

 クソ親爺は、僕と、華の部屋の前で座り込み、張っている。華の部屋は鍵がかかるようになっていて好都合だが、僕のところにはない。

 慎重に、気づかれないように。

 この昼最後の風が気持ちいい。普通なら寒いというところだが、その爽涼さが、むしろ心地よかった。大事な時だから、と狩衣に着替えている間も肌を冷気が伝い、覚悟の時だ、と気を引き締めることができた。

 さあ降りよう、という時に華が来て、下から手を振り始めた。

 どうやって降りたのかというのはさておき、華は旅行用バッグをひとつしょい込む。今行くからな――

 部屋の一角に、武器を置くためとか言われて付けられた取っ手がある。幸い窓から近く、縄自体も長かった。

 窓に飛び乗って、……家の壁は想定以上になめらかだ。

「華、荷物を下に置け!」

「何やっとんじゃァ‼このクソたわけがっ!」

 親爺がドアを蹴破って入ってきた。今回は大声出した僕が悪い。僕は、侭よとばかりに2階から縄伝いに飛び降りた。左手の平が熱い。

 「イッチチ……華、僕の走ってるとこにそのままついてこい」


 「待ちやがれっ、この出来損ない二人組ーーーーッ!」

 クソ親爺は、ご自慢のフェラーリという車で僕たちを追いかけてくる。見栄っ張りの親爺らしい外車だ。中古大幅値下げをさらに下げてもらったものだけど。

 僕はとっさに、狭い裏路地に駆け込んだ。少し遠回りだが、仕方ない。

「シャ――――――――ッ!」

 猫が威嚇しているが、相手をする暇はない。

「お、にぃちゃん、づがれた…………」

 華が手を求めた。僕は彼女を引っ張るも、少し速度が遅くなった。

「どこだ―――――狩衣纏った一家の恥さらし――――――!」

 ぜえぜえと息を切らしたクソ親爺が、遠くからギロッとこちらを睨み見た。手には台所から拝借しただろう包丁が握られている。

「ハナ、ガンバレ、モウスコシダゾ―――――――」


 ――うん、お兄ちゃん。二人だけの天国まで、もう少しだね。

                      《2》

 迷宮の様に入り組んだ路地を抜け、華と共に四〇坪ほどの狭い墓場にたどり着いた。

 並び立つ墓、墓、墓。そして無数の卒塔婆。この狭さでその数は、背が波立つほど夥しい。

 「ここが……、『此方の岸』か」

 伝承によれば……いや、実際、その奥に異界へと続く門の役目を担う、苔生した祠が佇んでいる。

 今まで矢の如く過ぎ去った二週間を思い返せば、正に試練の連続だった。華が中学二年生に上がると同時に、僕は高校生となるべく最低限の受験勉強によって回答武装しておいた。

 異界へ旅立つ前に、最低限の知識と生存用品を備える計画を立てるため、兄妹で頭を突き合わせてあれこれ画策していた矢先のことだった。

 結局、所属する中高一貫校の形骸化した進学試験をサボった僕は、何故かそのまま進学できてしまった。高校の歴史の選択科目で、郷史を選択できた。これ幸い、とばかりに、今更ながらまともに授業を受けたことで、わざわざ近隣住民に頼み込んで聞き込みをする必要が失せてくれた。渡りに船とはこのことである。鴨葱と言ってもいいかもしれない。

―――聞けば、別名『此方の岸』と呼ばれるこの地は、古くから度々怪事が起きることで音に名高かったそうだ。

 二週間前、特別支援学級の井上先生がこの地について話したように、事実、この周辺では三社祭が行われなかった翌年、翌々年に、数十名が不審な失踪を遂げている。それを裏付けるかのように『此方の岸』には毎年【ひとりでに】墓が現れるという。

 関係があるかは判然としないが、異界に姿を消した者の死霊が、生前の強い怨みを持って『此方の岸』を訪れ、この地の氏子を呪殺すると言い伝えられている。

 そう考えるとつまりは。

 「……ねえお兄ちゃん、この墓って」

 その考えに行きついた華の全身が、一斉に総毛立ったように見えた。

 「ダメだ、それ以上想像するな」

 「全部ッ、彼の岸で死んだ人の、墓なの……っ?!」

 「だから、ダメだってば!華っ、はなっ!!しっかりしろ!!」

 うわぁぁあっ、と年甲斐なく泣く華をなだめながら、本当に、ここに来てしまったのだと実感する。皮肉にもここは、その惨劇が繰り替えされないように死者を供養する為の場所でもあったのだ。

 彼女はいや、いや、と後退りながら、必死に口を塞いで吐き気を堪えたが、言語に化し難い悍しさに耐え切れず、反吐を己の顔や地面に吐き散らしながら頽れた。

 キュルキュルと胃の腑が捩じ切れそうなほど絞り上がる音が、心なしか華の胃から聞こえる。

 おそらく、あの祠に住まって居るのは。この世ならざる【魔】だ。

 「なあ、もうそろそろ行かなきゃ、逢魔が時じゃなきゃ儀式は成立しないだろう?さあ、立って」

 華はバッグを開けてタオルで顔を拭くと、僕の顔をじいっと覗き込み、膝小僧を握りしめ力を振り絞って立ち上がって僕を抱き締めた。

 これは、試練だ。

 己の覚悟を試す禊なのだ。

 最後に妹の華へよく我慢したなと微笑み、熱い抱擁を返す。

 狩衣が汚れちゃったけれど、不可抗力なので仕方ないし、それぐらい許さなければ、術者として廃るというもの。でもなぜか華は、顔を俯けたまま憂鬱な顔をしている。

 いうべきことがあるのに言い出せないといったそぶりを見せ、やがて踏ん切りがついたのか僕の顔を正視した。

 「ごめんね、お兄ちゃん。――――わたし、やっぱりいっしょにはいけない」

「え?」

 今の一瞬、僕はその意味について判じかねた。

「お兄ちゃん。あの伝説って、清い身だからこそできるんだよね」

「そうだけど……どうかしたの?」

 気が付けば華は、涙を目一杯浮かべて嗚咽を漏らした。

「ごめんね、ごめんね……やっぱり私、牧師の夢を捨ててまで行きたくない。向こうに行ったとき、もしお兄ちゃんだけが死んだとかだったら……ムリ、いや、やりたいことがないよ……」

「そうだな。帰るか?」

 僕は機械的に返事をした。よく考えれば、華には荷が重すぎるし、変な気持ちを持って行けば共倒れは確実。軽く天秤にかけてみたが、結局のところ、最終的には華にも思い入れがない気さえしてくる。縦にブンブンと首を振っているところが、本当に子どもっぽく、あどけなく思えた。

「お兄ちゃんは頑張ってよ! だって、木村のおじちゃんからメール来たんだけど、兄君を助けなさいって。そして、異心あらば蹴りだしなさいって」

「そんなもん、あるわけないだろ」

 少し意地になって、華に寄った。

 華が唇を押し当てた。僕は閉じるどころか、思わず目を見開いてしまった。離そうとしても、首と首との距離が、より近くなる。

 酸欠になりかけた時だった。

「本当に、未練なんてないの? お兄ちゃん。私、小さいころから、ずっとお兄ちゃんが好きだった」

「――――華」

 天主教では、『近親相愛』は禁忌中の禁忌なのだ。中世とかでは親告罪とはいえ、常に神が隣におわす状態の華からすれば、火刑と常に向き合っていたことになる。これまで一緒に過ごしてきた中でも、煙ったようにすごく苦しそうだった。うつむいて吐く息も少しずつ細くなっていく。

 「私、神様を裏切りたくない。でも本当はそれと同じくらいお兄ちゃんが好きなの。ねえっ、お兄ちゃん!私、私っ……」

 華は、自分ののどを両の手で押さえた。鼓舞するつもりだったのに、僕にすがるように、頼るように、乞うように、目で訴える。

「どうしたらいいの。お兄ちゃん」

 わからない。せめて、僕が大人になって支えないと。なだめないと。

 「……もういいよ、シスター華。もう我慢しなくていいんだってば」

 「お兄ちゃん……?」

 「時空がゆがむ今だけは、僕がわがままの責任を取るよ。華の信じる神様は、どんな方だったっけ」

 彼女は少しうつむいて、思いの海原に沈んでいった。そして、一筋の光明を得たように顔を上げた。

 「赦しと癒しの神」

 「さあ、おいで。もうこれきりなんだ。誰も見ていない。誰も僕らのことは知らないんだ。今だけなら、僕は華の恋人になれる」

 正直な所、本当は、何も感じていなかった。出まかせだとも思う余裕なんてなかった。

 一叫。僕を呼び、華は僕に抱き着いた。愛おしそうに、幸せそうに、僕をきつく抱きしめる。僕も、彼女の背中に腕を回して、髪をすいてあげた。

 「ふぁ……。……気持ちいい。レイヤくん、好き、大好きっ。愛している、愛しているの」

 僕の胸に手を当てて、華は鼓動にそっと触れた。そして、2回目のキス。

 初めは優しく、柔らかく。――――――――――っ。僕の背筋に強烈な背徳感が駆け上がった。なんで、そうなったのか理解する間もなかった。

 口づけは次第に深くなって行き、回された腕も、背中をまさぐるようになった。胸と腹の奥から突き上げるような衝動が沸き上がる。このまま、溶けて、癒着し、混ざり合いたくなった。なのに、何故。喉の奥が塩辛くなってきた。

 「お兄、ちゃん。わ、たし、も、う」

 華の顔はこれ以上ないくらいとろけ切っていた。内またになって、太ももをこすり合わせている。もうこうなってしまえば、乗り掛かった舟だ。僕何も言わず、華にやさしく笑いかけ、視線で問いかけた。すると彼女はうなずいて、僕に身を預けた。そのまま僕は――――。

 「ぅふぅっ、嗚呼ッ!お兄ちゃん、おにいちゃ、ああっ」

 華の体が、大きく痙攣する。戒律を破る背徳感と、体験したことのない快楽にからめとられ、溺れていった。いつもの華からは想像もつかないほど、他人に見せられない顔をしている。ガタガタと細い足を、後ろに引こうとした。

 そのまま彼女は腰砕けになって、震えながら崩れ落ちた。倒れかけたところをぎりぎりのタイミングで支える。

「……おにいちゃん」

 キャンプシートとタオルをカバンから取り出し、その上に華を寝かせた。

片手の指を絡め、僕の鼓動を聴き、僕の胸に額を預けている。髪をいつまでも、いつまでも梳きながら、華は賛美歌を囁く。

 幸せだった。この時間がいつまでも続けばいいのに、と思ったけど、心から言っているのか、とうにわからなくなっていた。

 ―――――――――誰を、愛せばよかったのだろう。

 僕は、華の頭を抱いて、蹲った。泣いて、哭いて、鳴いた。そうして、深い眠りに落ちた彼女の首筋に、手刀を入れて気絶させた。それはまるで、彼女の電源を切るような行いだった。

 華の首をそっと撫でて、静かに横たえ、空虚な思い出を振り切るために立ち上がった。

 僕は己の指先に犬歯で噛み付き、傷口から血を流した。そして上着を脱ぎ、胸に血の五芒星を描く。その中心に原始的な漢字で【飽】の字を書いた。

 それから口に血を塗り、祠の前に平伏した。

「彼方と此方の狭間にまします幽かな主よ、此処に渡世の詞を捧げ奉る。吾の(くびき)を砕き(たも)れ」

 僕は祝詞を挙げ、伝承どおりに滅茶苦茶に踊り狂い、異界の【魔】に厳かな詩を奉納する。最初にうたった詠み人は――現在まで伝わっていない。

「……クソったれ」


 幽けき 深みに まします主ぞ 聲を聴き給れ

 巡りたる 九十九重の 籠世の網目を 裂き給れ 古の大門に 三顧九拝 捧ぎけり

 其の文 示すや 現世返る子 喰らふべし

 八十八の 暁に 呪禁之血啜(ずごんのちすす)り 盟いけり

 渡世賽之瀬ぞ 千代に八千代に 去り行かむ 手の道 楽土道 いざや彼岸に参らむ


 狂舞と渡世唄を終えると、どこからともなく風が襲い掛かる。

 その風は空気を一瞬にしてさざめかせ、僕を青黒い業火の内に押し包んだ。

「貧クソったれがァァァァァァァァッッッ!!」

 この世すべてへの巨いなる呪詛を、淀んだ曇天に、高く、どこまでも高く、ブッ飛ばした。

「今日もだりいなぁ、パトロール1時間さぼってもいいんじゃね……って、何だあれ!」

「すげー、その病焔を鎮めしは俺!ってやつじゃん!! 俺、昔ダークブレイズマスター目指してたんだよ」

「おい、女の子が倒れてるぞ」

「あの家の厳さんか、ッたく、いや、殺ったのは息子の礼也じゃねぇか! というかなんだよ、何かに吸い込まれてるぞ、助けに……」

 救急車かパトカーのサイレンが響き、僕は「兄」として最後に少しだけ、乾いた笑い声を漏らした。


 ――わたしが一番じゃ、ないんだね。でも、大好き。


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