番外編・レイヤの思い出
「あ~、今日も稽古つっかれた。早く家帰って風呂入って、アイルたんお手製、『川雑魚のシルキーミートサラダ』が食いてえ」
そうなのだ、今の僕は最高に腹が減っている。
僕の嫁たんの魚介肉類野菜が揃った、栄養満点オールスターサラダを胃袋が欲しているのだ。
最近自慢の嫁たんである刹良も、アイル時代や少女時代の面影を残しつつすっかり可愛い奥さんになってきたので、僕も負けじと思い切って頭をスポーツ刈りにした上で、こめかみより上の両サイドにギザギザの剃り込みを入れてもらった。名付けて『雷紋刈り』。僕が考案したこの髪型は、幅広い男性若年層と一部の五十代オシャレダンディ層を中心にこの三ノ辺町で最もCOOLなヘアスタイルとして、最近密かなムーブメントを引き起こしている。
一念発起して武術出張指導の帰り道がてら、予約していた完全永久脱毛が出来ると評判の美容外科クリニックに立ち寄り、ひげを永久脱毛してみた。
鏡で脱毛後の自分を見てみたが、アレは驚きだった。
ひげが金輪際消え失せて肌がつるっつるになっていたし、どうやらフェイシャルケアが期間限定でコース料金内に含まれていたらしく、肌の張り艶が半端じゃなかった。
これならアイルたんだけでなく、礼二父さんに今度僕の写メを送ったときに驚いてくれるかもしれないなと、のぼせた頭で昔の事をぼんやりと思い出す。
拳法着と道着とサイや棒などの伝統武器を詰め込んだボストンバッグを背負い直して、段々と真宵に差し掛かり始めた星空を翔ける一機の飛行機を、月明かりに目を細めながら見上げていた。
あのペイントからしてビジネスクラスと思しき飛行機に、わが偉大なるたった一人の真の父親は搭乗しているのだろうか。
「いまごろ礼二父さんは、他の貿易会社の人と切った張ったの大一番を繰り広げているんだろうなぁ」
すべすべのあごに手をやりながら独り言ちる。
元々、―――――――僕は礼二父さんの仕事事情で母さんと生まれたばかりの華と一緒に、台湾に住んでいた。
その影響で様々な老師に出会う機会に恵まれ、劉氏八極拳を身に着けた。
そんな僕の武術にまつわる人生の中で、もしかしたら中学時代の木村道場での数年間は一番楽しいものだったのかもしれない。
母さんの話によれば、僕の前の父親である礼二父さんと、厳とかいうあの糞親父と、母さん―――――名前はかわいらしい事に『夏』という――――――は中学高校を共に生活した親友だったらしい。
今の様子からは伺い知る事はかなわないが、地元の那覇でも有名な仲良しトリオだったのだという。
ところがある時、礼二父さんと夏母さんの恋仲が今の僕の父親である厳の奴にばれてしまう。
周りに厳しいだけでなく、自分にもストイックだった彼は、礼二父さんと夏母さんが互いに恋人であることを隠して居たことに筆舌に尽くしがたいほど憤激したという。
ひそかに思いを寄せていた意中の夏母さんの前でこそ、その鳴りを潜めては居たものの、礼二父さんの周囲を執拗に付け回してはストーキングにいそしんでいたというから、流石の僕も反吐が出た。
結局父さんの方から、昔の空手家がやったとされる『掛キ試シ』と呼ばれる路上決闘を仕掛けた。
ざんざん振りの大雨の中、偶然にも風向きが変わって突風に曝された厳は、視界が完全につぶれたせいで『地球儀ワンツー』という父さんの得意技を受けて、嵐の最中あえなく空中に鼻血の橋をかけたという。
捨て身の空中横回転蹴りの着地からの膝立ち中段突きという離れ業を、偉大なる我が父さんは事も無げに極めたのだ。
そんな最高にカックイィエピソードを持つ男の中の男、バリバリの国際派ビジネスマンである礼二父さんは今でも僕のあこがれだ。
もし今の僕の事を彼方が知るならば、『今でもあなたがどこかで僕の今の姿を見て、涙に暮れ、悲しみに溺れるならば、僕の事などどうか忘れて下さい』と、そんな手紙を捧げたいとそう強く願うほどに。
所詮ガキんちょでしかなかった当時の僕の目から見ても、父さんは仕事と子育てをきちんと両立していた。頭の回転がスパコン並みに素早く、機転が抜群に利く男だ、と勤め先の社内でも評判が非常に良かった。役員会副会長補佐の実力と経験、持てるビジネステクニックの全てを駆使して、その知識を余すところなく小学校になじみ始めた僕の子育てに応用、発展していった。
彼が僕に残してくれた数々の宝物。
先生や友達を納得させる『釈明の仕方』を、学校でよくありがちなシーンから、クラスぐるみのいじめなどの深刻なシーンまでを例に上げて丁寧に解説していく『よくわかる!明日から学校で使える弁証法』、互いに歩み寄りつつもぎりぎりの駆け引きを続け、自分に有利な条件を相手から引き出す交渉術が身に着く幼稚園児向けビジネス絵本『よいこのかけひきのしかた・そのいち』、最高のリーダーになるための責任論とリーダーシップ論を、儒教の観点から徹底的に探究していく小学生高学年向けビジネス書籍『超訳!幼稚園児でもわかる!論語に学ぶビジネスマンシップ』などなど、礼二父さんはわざわざ僕の為にあらゆるビジネス書を児童書として翻訳し、僕が誕生日を迎えるごとに一冊一冊丁寧に装丁されたオリジナルビジネス書を贈ってくれたものだ。
今僕の本棚に大事にしまってあるこれらの原本は、現在『児童向けビジネス書』という、出版界における
新ジャンルの草分け的存在として注目を集め、『晴原レイジ』の名がつく棚は入荷した側から飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていくというから、息子である僕も鼻が高い。
礼二父さんは、『児童向けビジネス書界にこの人あり』と世間に言わしめた貿易ビジネス界の若きレジェンドなのだ。
胸を張るなと言う方が無理な相談と言うものだ。
そんな誉れ高き彼を、ただの一商社の幹部役員に留めておくつもりはお上も周りも毛頭なかった。
礼二父さんが務める貿易社の上層部は、タイミングの好いことに新規事業として人材リース業を開業しようとしていた。
その人材派遣部門に、礼二父さんは異動になったのだ。
ある時は某大手中堅運送機器メーカーの会長代理として雇われ、さる時は『仕事人間改造セミナー』の講師として世の子育てに悩めるお父様方の味方になり、あるいは僕の小学校まで出向いて、夏休み期間の自由研究材料として開催された「なつやすみわんぱく教室」の『しゃかい』科目の特別教師として僕の顔を少しでも見たくて参加したり。
そんな事をしている内に礼二父さんの仕事は、『大爆発的』という形容詞が生優しいほど忙しくなっていった。
忘れもしない小学六年生のホワイトクリスマスの夜。
当時妹である華は、母の手ほどきを受けて牧師になるための修行に励んでいた。
聖水作りや、銀十字を聖別する練習、十字紋の種類の暗記とそれぞれの効果の暗記とその刻印法の実践、万が一信徒が悪魔に憑かれた場合の『悪魔祓い』の模擬実践などなど、聖職者ならではのマニアックな修行の数々がうちの地下礼拝堂で繰り広げられていた。
ちなみに同じ宗派の信者ですら、ガチ勢以外立ち入り禁止が原則なのだそうだ。
信心なき者が入ると、邪気が入ってきて結界を一から張り直さなければならないとか、何とか言っていた。
しかも結界を張った後の礼拝堂に満ちる神の加護は、特別な儀式の為に祈祷文の詠唱で神様に許可を得てから濃度を高めているのでかなり危険なのだという。感覚としては気化した高濃度のガソリンとほぼ何も変わらないらしく、結界はその『ハイパーデンジャラスな濃度の神様の加護を閉じ込めておくための幕』の様なものらしい。
ここまでは僕も真剣に話を聞いていたし、母さんも華も厳しい顔つきで僕に注意喚起していたのだが、途中から二人が怪しげな目配せをしあったのを僕は見逃さなかった。
『では『邪な何か』が火遊び好きの松明持ったクソガキみたいに侵入しやがりますと、どんな『大爆発現象』が起きるのかと言うと、まず最初に結界が壊れて神様の加護が大爆発を起こし、次に爆心地から半径二百キロから三百キロ圏内の浮遊霊や地縛霊が消し飛び、神道の土地神様の中でも比較的弱い数柱がご臨終します。
そしてなんということでしょう!爆心地近くに居た悪ガキどもが次々と教会に吸い込まれてゆき、うちの宗派の牧師様に洗礼の依頼が殺到するという不思議現象が起きてしまうのです!ハレルヤ!』
――――――――というホラ話を声高らかに真顔でうそぶいていた彼女たちは途中からツボったのか、抱腹絶倒、悶絶躄地と言った様子で笑い転げた。このバカタレシスター様たちを見て、本気で報復絶打、悶絶百蹴してやろうかと、こめかみから額の端にかけて何条もの『静脈』と呼ばれたる蒼き稲妻を走らせて、空手にしようか八極にしようかと真剣に悩んでいた。
まあそんなわけで、春原家では母と華監修の下、毎年クリスマスシーズンにになると日本のパーティ然としたクリスマスモドキとは一線を画す『降誕祭』が行われる。玄関にクリスマスリースを飾り、テーブルにメノラーというキリスト教独特の七つ又燭台を置いて灯りをともし、皆でロザリオを握り締め、聖珠に一つ一つ祈りを込めながら一年の懺悔と来年の幸福を願うのだ。
そして厳かな空気の中、清められた『マンナ』と呼ばれる聖なるパンの欠片と、言わずと知れたぶどう酒『ワイン』少々を静かに己の身の内に収める。
この儀式の日本名は『聖餐』、意味は「聖なる食事」だそうだ。
子供はアルコールを呑んじゃダメ、なんて教科書じみた理屈はこの日ばかりは宗教上の理由で通じない。
今まで『聖餐』のワインをぶどうジュースで代用するしかなかった僕が、小学校中学年になってからクリスマスの『聖餐』の時だけ飲酒を許可された。
少しだけ大人の仲間入りができたような気がして、父さん母さんと同じほろ酔い気分が嬉しくて堪らなくって儀式の後で千鳥足のまま小躍りしたことを今でも覚えている。
なあ、それに信じられるか?
僕が「ヤハウェなんて信じちゃいないけれど、皆と同じことして罰当たらないかな?」って母さんに聞いたら、たった小学三年生の女の子でしかない華が「神様は寛大なお方だから、ご自身を信じる者も信じない者も等しく交わろうとなさって下さるよ。そこには加護を受け入れているかどうかの違いしかないんだよ」なんて三つも上の僕に告げたんだぜ?
正直師匠である母さんもその理解度にはびっくりしていたよ。
だけど、そんな幸せだった家庭の根底を揺るがす大事件が起きたのさ。
クリスマスの日には必ず帰ると約束していた礼二父さんが、仕事の都合で珍しく今年だけ約束を破ったのだ。
時間はとっくに過ぎていたけれど、大好きな父さんと母さんと華と皆でロザリオのお祈りをして、一緒にケーキのろうそくを消すと僕は決めていたから、母さんに勧められてもごちそうの数々には手を付けなかった。
結局、父さんが帰ってきたのは夜中の三時だった。
誠実な父さんの人柄を信じて疑っていなかった僕は、家の玄関に現れた想像を絶するほどの父さんのひたむきな姿に、完全に絶言した。
全身が半分雪だるまみたいになってしまい、面の皮が凍傷でめくれあがっていたのだ。
低体温症で今にも死にそうな父さんを、やっとの思いで家に引きずり込んで、三日三晩家族全員で看病した。
意識を取り戻した父さんに話を聞くと、今年のクリスマスが二日後に迫っている事を母さんからの大量のメールから知ってしまい、派遣先のシンガポールの商社で疾風の如く仕事をこなしたあと、シンガポール滞在一日目で日本へとんぼ返りを決行。あらゆる交通手段を用いてかっ飛ばしてきたらしいが、最後の最後で高速バスが、山梨県のドカ雪が降り積もる山道で怪我人無しの大規模なスリップ横転事故を起こし、乗客だった父さんはそこから自分の足だけで道なき道をかき分けて、丸一日かけて家まで遥々帰ってきたという。
毎度毎度命を賭けなければ家族として触れ合うこともできないほど忙しいのでは、父親、ひいては夫失格だという事で、早い話、離婚届がごちそうの山が押し退けられたテーブルに叩きつけられた。
叩きつけたといっても、どちらかが提案したことではない。
二人で同じ一枚の紙をテーブルに叩きつけたのだ。
そのとき二人は初めて互いを罵り合い、積年の不平不満をネタにして最初で最後のすさまじい夫婦喧嘩を繰り広げたのだ。
このまま夫婦をやっていくつもりが失せてしまった彼らを見て、ショックのあまり僕はひきつけを起こして倒れてしまった。
即刻病院に救急搬送された僕は、救急車の中で呼吸困難を起こして意識混濁状態に陥る羽目に遭う。
病院で応急処置を受けた後、医師から下された診断は「重度ジル・ドゥ・ラ・トゥレット症候群」だった。
トゥレット症候群とはチック症が長期化したケースの事で、首をかしげる、頷くなどの単純な動作や、拍手したりジャンプするといった比較的複雑な運動、意味のない単語や呻き声、鼻すすりなどを、本人の意思とは関係無しに半永久的に繰り返してしまうという恐ろしい病だ。
年齢としては幼児が罹患しやすく、まれに中学生もかかることもある。
治療法は投薬以外か、肉体が成熟するのに任せる以外にあまり無い。
成長すれば完治してしまう事も多いからだ。
とはいえ僕の場合は、エビ反りと猫背を激しく切り替えながら、この世のものとは思えないほどのおぞましい奇声を上げながら顔をぐちゅぐちゅに歪めていたらしい。
苦しくて覚えていないが、きっと酷いありさまだっただろう。
『成長すれば自然に治る』なんて言葉が救いの一言どころか、気休め程度にしか聞こえないほど怖かった。人生で死を覚悟したのは、昔の劉氏八極拳の老師様と、『推手』と呼ばれるスパーリングを本気の殺し合いのレベルまでぎりぎり近づけて、対等に渡り合った時以来である。
あの日、老師様に負けて本物の中国刀を頸に突きつけられてなければ、僕は中国拳法家としても空手家としても腹をくくれなかったのだろうと、ひきつけを起こしたあの夜を以って実感したのだ。
後で知ったことだが、過去の症例には口から勝手に飛び出す心にもない罵詈雑言を止めるため、患者の幼い男の子が母親に懇願して、まともに言う事すら聞いてくれない自分の腕の代わりにガムテープで口を塞いでもらったという惨たらしい事例も存在したという。
その子を担当した僕の担当医師の話によると、成長と共に症状が完治したその男の子は「お母さん、ガムテープで口を塞いでくれて本当にありがとう、永遠に大好き」といってさめざめと泣きながら、母親に抱き着いたとのことだった。
ともあれ、その名医の診察眼は発現した僕の病気の根底を完全に見抜いていた。
問診の際に礼二父さんと夏母さんに「彼がここまでの重症に陥った原因は短時間に集中的なストレスを抱えてしまったことが原因だと思われますが、何か心当たりは有りませんか?」とその名医は聞いたのだ。
当然、二人の頭の中で真っ先に思い浮かんだのは、あのクリスマスの大事件の事だった。
そのことを医師に伝えると、彼は程良く間を開けながら、無駄のないテンポで「礼也君が赤ん坊の頃、あやしてあげてもよろこばなかったり、目を合わせてくれなかったりしませんでしたか?」とか「幼稚園や小学校の頃、彼がクラスメイトや先生とトラブルになって、お母さまが保護者として園や学校に呼び出されたことは何度かありますね?」とか、「興味の範囲が狭くて、その範囲内の事であれば何か才能をお持ちだったりしませんか?」と言った奇妙な質問を、まるで最初から決まり文句として用意してあったみたいに、母さんに投げかけたのだという。
その全てに「はい、一晩中夜泣きがすごくて、どんなに手を打ってもダメでした」とか、「そうなんです。上の子ときたら、いつも起こったこと自体が奇跡と言っていいくらいの大事件をしょっちゅう起こしていました」やら、「あの子は『自分は本当に勉強は向いていない』って本気で思っている節があって、ちゃんと勉強した方が良いよ、って説得しているんですけど、一度彼が通っている道場の先生の方にご挨拶にお伺いしたら『彼の免許皆伝を本気で考えている』って仰って居ました。礼也の技は見たことはありませんが、多分、相当な格闘センスと反射神経の持ち主なのだと思います」
そして、医者は黙々とチェックシートにサインしていくと納得したように重々しくうなずき、メガネの底から静かに父さんと母さんを見つめたのだ。
曰く、落ち着いてこれからあなた方の息子さんに下す診断を聞いてください、と。
そう、これが僕の人生における、最大の受難の始まりだった。
「息子さんは自閉症スペクトラム障害の疑いがあります。しかもかなり重篤です」
二人の間に衝撃が迸った。
だが、新たな病名なんてものは次なる絶望の序章に過ぎなかった。
何と今回のトゥレット症候群すらも、この得体の知れない精神病の二次症状に過ぎないというのだ。
何とか容態が落ち着き、意識を取り戻した僕にも同じことが告げられた。
自分が精神異常者だったと告げられた僕はパニックを起こし、症状を再発して滂沱の涙を流しながらグネグネと奇妙なダンスを踊り始めた。
大事になって、即刻僕はキャスター付きのベットに担ぎ込まれ、精神病棟の観察室にぶち込まれた。
周囲に危害が及ぶと不味いので、法令に基づいて精神科医二名の判断と指示でベッドに拘束帯を装着して僕を縛り上げた。
僕の有り様を哀れに思った担当主治医の判断で、父さんと母さんの顔を監視カメラのモニターで閲覧することを許可された。
そのモニターに映る父さんたちの背中は、見ているだけで凄く切なくて、なんだかとっても安心できた。
診断から一週間がたち、白薔薇みたいに麗しき看護婦さんが僕の下にやってきて、自分の症状について小さなやさしい声でゆっくりとわかりやすく説明してくれた。
僕の場合、曰く、主な症状としては出来る事と出来ない事の差が社会生活を営むことが困難なほど開き過ぎているのだという。
怒っているのを我慢している顔や、泣きたいのに無理して笑っている顔など、高度な感情の読み取りをしたり、周囲の状況を読み取って適切な判断を下すなどを司る脳のコミュニケーション系のどこかが、生まれつき欠損しているのだと聞かされた時は呆然とした。
それでも看護師のお姉さんとの話はとても楽しくて、暗い気持ちで聞いていたはずの症状の説明もなんとか現実の事として受け止められた。
でも、避けて通れないキーワードの数々が精神医療用語ばっかりだったので、看護師のお姉さんもちょっと困った顔をしていた。
それでも、根気強い看護師のお姉さんは、なんと説明の形式をわざわざ変えてみてくれた。
「まずは何から聞きたい?何でも答えてあげるよ」と看護士さんがふわりとした口調で微笑んでくれたので、僕はすっかりうれしくなって「自閉症の二次障害って他にもあるの?」と聞いてみた。
すると看護師のお姉さんは「このパンフレットに書いてあるけど……、心の準備してからじゃないときっと君の予後に響いちゃうと思うよ」と物騒なことを悲しそうに告げた。
ごくりと唾を呑み、意を決して該当ページを開くと、戦慄すべきことに両手の指では数えきれないほどの悪名高き病魔の数々が列挙されていた。
『強迫性障害』や『鬱病』と言った聞き覚えのあるものだけでなく、中には幻覚や妄言奇行などの症状で知られる、日常で出くわすかもしれない事例の中でも最凶の精神病『統合失調症』や、『解離性同一性障害』などという、いわゆる二重人格の正式病名すら乗っていた。
つまりは、『まだお前はちょっと変わったピーキーな少年武術家でいられるけれど、一歩間違えれば気違い一直線だぞ』と現実を突きつけられたわけだ。
結局そのことを父さんに伝えると、やはり案の定、彼はヒステリーを起こしたかのように仕事にますますのめり込み、猛烈なスタミナでバリバリ仕事を片付けるようになった。
まるで現実から目を背けるかのようにさっさと仕事に逃げた父さんを見て、当然のことながら母さんはそんな彼に見限りをつけた。
そのまま僕らは家庭崩壊の憂き目に遭う。
神様とやらがいるならば、今でも最低な奴だと思わざるを得ない。
本来父さんは出来た人だ、それは疑いようもない事実である。
だのに運命が父さんから余裕と冷静を奪い、幸せだった僕ら春原一家を木端微塵に吹き飛ばしたのだ。
これを最低と言わずして何と呼ぶ。
それだけじゃない。忘れもしない二人の離婚当日に、彼を乗せた空の便の時間に間に合わなくて結局さよならも言えなかった。
やっとの思いで空港に着いたのに、いろいろあったけどそれでも最後まで愛し抜いていた夫に会えなかった母さんは、堪らなくなったのだろう。
彼女の当時の職業だったキャビンアテンダントの身分証明書のIDを使って、僕と華のゲストIDを作成して僕を連れてバックヤードに潜り込み、同僚と上司に訳を話して滑走路の一番安全なところまで通してもらった。
あの日、母さんは僕の名前を呼んで。
「雲って、こんなにきれいだったんだね」とそれだけを言って、もう誰を乗せたから象られたのかもわからない、夕焼けに染まる飛行機雲たちを見つめていた。
母さんは、空を見上げて誰にも顔を決して見せようとしなかった。
けれど僕は風に膨らむ母さんの髪が、幾つもの雫が孕む瞬間を、確かに目の当たりにしてしまった。
あの日、あの時、母さんはどんな顔をしていたのだろう。
それは今でも、彼女の永遠の秘密だ。
だけどこれだけは確実に言える。
三人で夕映えの彼方に浮かぶ幾筋もの叢雲を見上げたあの日から、母の心は大破した。
それだけ礼二父さんの事を、深く愛していたのだろう。
僕にとっても、あの人が少しずつ発狂していった様子のことを、二度と忘れてはならないと思っている。
最初に彼女が起こした奇行を一つ挙げるとすれば、『愛情の暴走』だろう。
夫を失ったことで愛情を向けられる大きな存在を一人失い、残された僕たちに過剰なくらいの惜しみない愛情が向けられた。
当時の僕らは幸せの絶頂にあった。
母さんからの愛を一身に受けた僕らは、良識ある真っ直ぐな子供へと成長した。
彼女の教育はキリスト教の教理に基づいた完全ミッション式だった。
華はスピリチュアルなことに抵抗が無く、幼いころから讃美歌のオルゴールを聞かされて育ったため、母さんの教えをスポンジじみた脳みそでグングン吸収していった。
逆に僕は見たものや感じたものから真実を探求することが好きだったので、神様こそ信じはしなかったが、《聖書》に含まれる金言至言の数々を自分の価値観に取り入れることを優先した。
そんな幸せな毎日を送っていた最中である。母さんが厳の糞野郎と再婚したのは。
あの野郎は僕ら一家が台湾に移住していたころから、ずっと母さんを付け狙っていたのだ。
厳の野郎は卑怯なことに、心を壊してしまったせいで少女のように純粋になってしまった母さんを誑かしたのだ。
完全にオトされ、すっかり厳の野郎に熱を上げた母さんは後先考えず入籍してしまった。
だが幸せな夫婦生活は長くは続かなかった。
厳は僕ら兄弟を目の上のたん瘤のように扱い始めた。
それだけでない。その接し方について自分を諫めた母さんに、あろうことか乱暴したのだ。
耳をつんざくような金切り声と終末的な絶叫は一晩中続いた。
危険を察知した僕は華に略式で神の加護をかけてもらった。科学的には強烈な自己暗示の効果があるという。
鍵のかかった寝室の扉を『劉氏八極拳・貼山靠』という肩甲骨による体当たりで吹き飛ばし、母さんに覆いかぶさる糞親父を制止しようとしたが、奴は見境なく僕に襲いかかってきた。
僕は母さんを救うため、本気の時しか絶対に使ってはならないと己に戒めていたサイ術で、母さんに性的暴力を働く厳というろくでなしを、容赦なく滅多打ちにした。
荒れ狂うサイの暴風雨にに打ちのめされた奴は全身を粉砕骨折し、泣きながら僕に土下座してきた。
ついでなので「靴下舐めたらどうするか考えてやる」と言って靴下を舐めさせ、そのまま後頭部を八極拳の震脚の要領で踏み潰した。
勿論警察に警察に通報したが、彼らの対応は実におざなりだった。
被害者である母さんがまともな証言をできず、現場の証拠も隠滅されていたため、結局家庭内のトラブルという事で片付けられた。
こういうことが毎度毎度、内容を変えて起こる上に、母さんが時折フラッシュバックを起してパニック状態のまま僕に暴力を振るうようになった。
変な話、だからこそ耐え切れなくなった僕は異世界へ逃げたのだ。
だが、僕が異世界から帰ると母さんはものすごく取り乱して、僕の胸に涙ながらにしがみついた。
書置きも無しに突然消えて行ってしまった僕を相当心配していたのだろう。驚くべきことに母さんは学校の人とちゃんと話を付けて、僕を厳の糞野郎が逮捕されたせいで三人だけになった自宅に軟禁した。
僕の部屋の周りや玄関や勝手口ドアのドアも、どこから買ってきたのかDNA認証の特殊電子錠を取り付けた。
でも僕は母さんのその異常ともいえる過激な行動に安心していた。
母さんは黙って異世界へ旅立った僕を責めることなく、厳の糞野郎に怯えて自分の部屋で布団をかぶって怯えて、何も悪くない僕を痛めつけたことを小川のような涙と共に謝罪した。
僕は根気強く母さんを宥め、何度となく許してあげた。
そして泣きつかれた反動だろうか。
彼女は時折僕を呼び出して、訳も無く顔を見させて欲しいと訴えるようになった。
そうして毎回何も知らない僕の目の前ですさまじい葛藤を顔面に浮かび上げ、その後何を血迷ったか「何も言わなくていいから、この罪深い母さんの顔にあなたの八極拳最強の一撃をぶち込んで欲しい」と頼み出すのだ。
なぜよりにもよって空手よりも瞬間火力が高い八極拳なのかと尋ねると、「礼ちゃんの空手の威力も素晴らしいのでしょうけれど、私が礼ちゃんと一緒にしようと本気で考えている事に比べると、お仕置きには物足りないの」といまいちピンと来ない返事を寄こしてくる。
今思えば母さんは、父さんという夜の営みの相手を失ってとても寂しかったのだ。
それだけではなく、あの糞親父に植え付けられたトラウマを僕に癒してほしかったのかもしれない。
カラダで傷つけられたココロはカラダで癒す。
それは自然な発想だと思う。でも人間としても社会的にも未熟で、立場に問題のある僕じゃ役不足だ。
それでも自分の身勝手な性欲か、聖書の教えと子供たちの将来か。
僕が母さんを癒せないと解っていてなお、母さんはそれらを天秤にかけ続けたのだろう。
結局、毎回天秤は『聖書の教え+僕らの将来+母親としての意地』という、五万メガトンくらいはありそうなおもりの側に傾いていったという事だ。
きっと端っから性的虐待なんて絶対にしたくなかったのだと思うし、きっと僕の貞操を無理矢理奪うくらいなら、それよりちゃんと僕に許可を取ってから寝たと思うのだ。
そんな背徳行為に手を染めようかどうか真剣に悩んでしまうほど、一人間として凄くか弱くなってしまった僕の大切な母さんを、僕のアイデンティティと誇りでもある八極拳で吹き飛ばすのは物凄く気が引けた。
だけど殴ってあげないと、母さんの心がさらに壊れてしまう可能性も全く否めなかったのだ。
だってあんな今にも泣きそうな顔で『おねがい、礼ちゃん。一撃で良いから母さんをぶって』なんて言われたら、本当に一撃だけでも願い通りぶちのめしてあげないと、すごくかわいそうな気がした。
僕は気性が荒い反面、困っている人を放っておけない性格である。
毎回毎回いろんな技で、一回ずつ優しく丁寧に吹き飛ばしてあげていた。
毎日僕の技を食らうたびに母さんは、八極拳の洗練された技の数々に驚き、僕の武術家としての成長を喜んでくれた。いつも頭を優しくなでなでしてくれる。ものすごく小っ恥ずかしいけれど、でもとても幸せだった。
華が教会へ説教に出かけたある日、「本人が満足しているとはいえ、本当に母さんを吹き飛ばし続けていいのだろうか?」と僕が首をひねっていると、背後から母さんが突然ぬぅっと現れた。
「あのねあのね、聖書には書いていない事だけれど、『相手に納得してもらえる暴力は、れっきとしたボディーランゲージ』なのよ」と一理ある事を言ったかと思ったら、顔面中の筋肉を盛り上げて白目を剥き、ケリケリケリリッッと感電したアマガエルみたいな笑い声を上げ始めた。
うわぁ、気違いじみていてやべぇ、と日に日に壊れていく母さんを眺めながら、引き攣った顔で大股三歩分くらいドン引きした。
だけど僕の反応を見て我に返り、母さんは紗のかかった瞳を潤ませて、的外れな内容だけど精一杯誠実に凄く申し訳なさそうに謝ってくれる。
たとえどんなに心が壊れて気違いになっても、母さんのその純粋な魂からにじみ出る思いやりが、僕は大好きだった。
『お詫びのプレゼント、礼ちゃんに作らなきゃね』と突然言い出して、ぴょこんっとクラシックなゼンマイ人形の女の子みたいに可愛らしく立ち上がり、トコトコ台所へ歩き出すと、お菓子の材料と必要な器具を揃えるために台所を必死の形相でぐちゃぐちゃに引っ掻き回した。夢遊病者の様な足取りで探し物をしている最中に、キッチンの床に落ちた『業物の出刃包丁が何本も突き刺さった米袋』という事件性たっぷりの謎物体を何事もなかったかのようにシンク下の戸棚に仕舞い直し、早速お菓子作りに取り掛かった。
当時の僕はこういうシュールな光景にまだ耐性が無く『今のは見なかったことにしよう』と脂汗ダラダラ垂らしながら、全力で意識からよくシャットアウトしたものだ。懐かしい記憶である。
母さんは、認知症のおばあちゃんが思い出深い料理を若いころと同じように作るかのように、手慣れた様子でクッキーの生地をこねていた。
「礼ちゃんは手刀クッキーが良い?それとも中国刀クッキーがいいかしら?」とそよ風の様に問いかけてくれた。どうやら好きなクッキーの形を聞いてくれているようだ。やっぱり母さんは気違いになっても、本当に魂が清らかな人だ。
「う~ん、どの形もいいなぁ。選べないよ」と僕が困ったようにはにかむと、「じゃああたし、礼ちゃんの好きなクッキーなら全部作ってあげるわ。礼ちゃんの好きなクッキーってなぁに?」
「じゃあ、拳クッキーと偃月刀クッキーとヌンチャクッキーも食べたいな」
「ヌンチャクッキー!いいわねぇ、解った」
母さんはすっかり気合が入ってしまったようだ。その様子ときたら闘魂に彩られ始めた瞳に摂氏三千度の気炎を灯し、それこそ正気の人ならあり得ない速度と正確さで、工程をこなし始めるほどだ。
クッキーが焼ける間、妙にリアリティのある魚介ダンスを踊り出すのはご愛敬。
母さんがこの狂ったダンスをするのは最高に上機嫌な証だ。良かった、良かった……。息子としてとても安心する光景である。
ここまで読んでいれば、皆さんは既にお気づきだろうか?
そう、僕の母さんは礼二父さんと離婚したショックで『愛情』『人を思いやる気持ち』『優しさ』『母性本能』のリミッターが全て壊れてしまった人だ。
故にもし、僕と華が大人になったとしても、母さんは子離れすることなく、僕へ惜しみない愛情をこれからも注ぎ続けるのだろう。
だからこそ大人になったからと言って、心が壊れてしまった母さんを突き放すような真似はこれからもしたくない。
歪んでいるけれど母さんに対してマザーコンプレックスを抱き続けることが、僕にできる一番の親孝行なのだ。
クッキーが焼ける柔らかな香りを胸いっぱいに溜めて、ゆっくりと息を吐く。吹き抜けの天井に取り付けられた採光窓から降り注ぐ太陽の恵みを全身で感じながら、ただ、穏やかで幸せな午後のひと時が流れていく。
「幸せだね、母さん?……母さん?」
台所から声がしないので、おかしいな、と僕は訝しんでキッチンを除いた。
するとそこには、母さんが心ここに在らずといった様子で呆然と棒立ちになっていた。
そっとしておくのが良いだろう、と話しかけずに見守っていると、母さんが虚空を見つめたまま平坦な口調で「クッキーが焼けるまでの間、散歩に行かなくちゃ」と言い出した。僕は母さんの意思と自由を尊重したかったので「そうなんだー。じゃあ、気をつけていってらっしゃい」と告げて微笑んだ。
三十分後、インターホンの音と共に玄関の外に現れたのは土まみれの白い軽トラックだった。
「あ、畑村のおじさん!母さん!」
軽トラックのドアの窓から、ロマンスグレーの硬そうな髪を硬派に角刈りでキメて、ねじり鉢巻きを締めたビールジョッキ顔の男前が顔を出していた。
「おう、坊主!」
運転席に乗っていたのは、三ノ辺町でも指折りの豪農と目されるコメ農家の、畑村のおやっさんだった。
彼は町内と隣町の町境をまたぐ先祖代々からの広大な水田を受け継いでおり、彼の作るコメはとにかく量が多くて安く、おまけに用途は実に幅広い。うるち米なのに搗いて餅にしてもよし、炊いてご飯にしてもよし、和菓子に用いればお見合いの席に出しても恥ずかしくない高級な逸品に仕上がる。その味は「畑村米でおんはぎ拵りゃ、見合いの席でおや、親残りを、みな摘ーまぁ~む。マッタ、マッタ、チョイトヤットナ」という囃子歌が、二百年以上前から現在に至るまで地元の子供たちに歌い継がれるほどである。この『畑村節』には各家庭や学校のクラスごとに様々な歌詞があり、音程やテンポが変わっているバージョンや、合いの手が入って初めて成立するバージョンなども存在する。現在これらの中でもより正統派に近く、かつユニークで歌いやすいバージョンが一番から三番まで畑村一族のコマーシャルソングとして採用されている。
畑村のおやっさんは、日頃お世話になっている三ノ辺町の名を借りて『みのべ米』というブランドを立ち上げ、最近また一旗揚げたばかり。今では地元農協でスター百姓の名をほしいままにしている。それだけではない、丁度彼の代で11代目になる老舗農家だというから、その実力は折り紙付きだ。
そんなおやっさんは乗っていた白い軽トラックを玄関前に横付けし、米俵を担いで、感涙に目を潤ませながら華麗に降車してきた。
そして僕の下へ寄るなり、随分と感銘を受けたのかうんうん、と何度もうなずき僕の風体をしっかりと目に焼き付けた。
何があったんですか、と問いかけようとして「いいんだ、何も言わなくていい」と遮られてしまった。
「おめえ、頭はイカレてっけど優しくて立派な母ちゃん持ったな!よかったなあっ、おい!おら、おめえの母ちゃんが『畑の仕事をたくさん手伝うから、稲穂を一本くださいな』なんて言った時にゃこんな時期に稲穂なんてうちには生えていない事なんてその辺の畑みりゃ分かるのに、おかしなアマだなぁと思って訳を聞いてね!訊いたら『あたしの子供の礼ちゃんにどうしても見せてあげたいの、杏仁豆腐に生けてあげたらきっと喜ぶわ。お願い、立派なお百姓さん。力を貸して』なんていい年して年端もいかねぇ娘っ子みたいな口の利き方するし、せがれの下の名が礼の字だって聞いてピンときた時ゃあ、おら、思わず男無きしちまったよ……。まさかこの人が春原の奥さんだなんてなあ。旦那さんと別れたばっかりにあんなふうになって……。それでもせがれを想う気持ちは変わらないなんてなぁ……っ。うんうん、良い話だ」
おやっさんは米俵を降ろして、彼が知る頃よりずっと大きくなった僕の双肩をしっかりとつかみ、年季の入った瞼の狭間からじっと真っ直ぐに僕の目を見据えた。
それから、「よし、わかった。おらが一肌脱ごう」と言って、何とさっきまで抱えていた最高級のみのべ米を米俵丸々一俵分贈ってくれたのだ。それだけではなく、あのお馴染み畑村節でも知られ、安産を願ってゲン担ぎとして妊婦に好まれる事で有名な、三ノ辺町銘菓『お三はぎ』を六つも皿ごと用意してくれた。
「お三はぎさんはね、三つ丁度食べると力がもりもり湧いてくるって言い伝えがあってな。おめえんところの母ちゃん、たしかとても立派なキリシタンだったろう?」
「はい、『3』という数字はキリスト教では特別です!素敵な贈り物ありがとう、畑村のおじさん!」」
「いいって事よ!……そうだ、いっけね。これさ、渡すのを忘れていたな、ほれ」
と、彼から手渡されたのは、黄金色に輝く稲の穂だった。
「去年の稲作で余った稲穂だど!うん、これなら確かに粋な飾りになるだろうな!」
そういって一肌脱ぎ終わった畑村のおやっさんは、御年六十二歳とは思えない身のこなしで、ひらりと軽トラックの高い席に乗り込んだ。ディーゼルエンジンが発動し、軽トラックが動き出す。
「路頭に迷ったらいつでも来いよ!美味いもん食わせてやっからな!あと金に困ったらうちに働きに来いよー!何時住み込みで畑を手伝ってくれてもいいように、部屋を開けといてやっから安心しなよぉ!」
そんな温かいエールを僕ら親子に送りながら、おやっさんはあの武骨な軽トラックをかっ飛ばして夕焼けにおの奥に消えていった。
「心を込めて作ってくれた母さんと、お三はぎと稲穂をくれた畑村のおじさん。そしてこのお菓子の生産関係に連なる全ての方々に感謝を込めて。頂きます」
いつもよりも丁寧に食前の挨拶をして、出来上がった母さん手製の熱々クッキーと、トロトロの口溶けなのにしっかりと弾力のある不思議な杏仁豆腐を、幸せ一杯の気分で頬張った。
驚くべきことにヌンチャクッキーの鎖は平面ではなく、ちゃんと立体の鎖状として連鎖していた。あと、空手に関する形のクッキーにはパッションフルーツ味、中国拳法などに関する形のクッキーにはドラゴンフルーツ味が付いていて、とても甘酸っぱくてジューシィな香りがして美味しかった。
「母さんは味を選ぶときに迷わなかったの?」と聞くと、「空手と言えば闘魂情熱でしょう?それに、中国では龍は縁起がいいじゃない。名前を引っ掛けたのよ」とネタ晴らしして、心底愉快そうに笑った。
それだけではなく、なんと中国刀クッキーには折りたたんだメッセージカードがあらかじめ開けあった穴に差し込まれていた。フォーチュン中国刀クッキーだったのだ。
丸められたメッセージカードを広げると、そこにはクレヨンでこう書かれていた。
『れいちゃんへ。
あたしのひどーいおれがいお きいてくれと ありごとうね
れいちゃんがおれがいどおろ ぱんちしてくれたとき あたしはれいちゃんあ すこーくやさしくと つよーくと よいこなのだとおもうーたよ!あたしあ きみがうまれてくらと《幸せです》
こん こんど つるきをおせーてくださいな!あたし くれーしゃげきやりたうけれど いまあおばかなのててきないの
たかられいちゃんにつるきをおせーてもらうと くれーざんけきでけてうれしいです! つるきがとうずにふれるようになろうたら こんどのなつ はなちゃんもつれて ふたりですいかつこうて くれーざんけきしたいどす! いっそにあそびたいなぉ
れいちゃんならけっと やそしくおせーてくろるとおもうんた
れいちゃんはとっても 強くて 優しくて すごくすごく良い子です
永遠に無限に愛してます
かあさんより』
間違いだらけで字の大きさもバラバラだったけれど、僕がちゃんと読めるように頑張って書いたのだろう。何度も何度も白いクレヨンで直した跡があった。まさか、と思い立ち、台所に行くとシンクの上には僕の部屋から持ち出したと思われる数冊の武術書と小学生用の漢字字典が置かれていた。
「う、……うはっ、うわあぁぁ……!!」
母さんへの暖かな感謝の気持ちが止めどなく溢れ出す。
僕は台所で一気に泣き崩れた。その泣き声を聞いて母さんがそっと側に寄り添ってくれた。
そんな母さんに向き直って、熱く強く抱き締めた。
「母さん、ありがとうっ、僕をこの世に産んでくれて……、うぁ、育ててくれてありがとうっ!!」
これまた母さんが嬉しそうに目を細めて、号泣する僕を微笑みながら見守っている。
母さんの肩越しに杏仁豆腐用の切子皿にはおやっさんがくれた稲穂が神聖な存在感を放っているのが見えた。
母さんが「礼也は本当に良い子ね」といいながら膝の上に中学二年生になる僕を載せ直して、後ろからぎゅぅっと抱き締めてくれた。
凄く照れ臭かったけれど、その時の母さんの良く焼けたクッキーの様な香りを僕は何時までも忘れない。
星空を見上げて母さんの事を思い出していた僕は、ふと自分が自宅の前に居る事に気が付いた。
家からは何故かクッキーの焼ける匂いがする。
大きな木造の門の脇に備え付けられた勝手口の錠前を木製の鍵で開錠する。
擦り硝子が嵌め込まれた玄関の引き戸を「ただいま」と言いながら開けると、妻が「お帰りなさい、あなた」と微笑み、出迎えてくれた。
何を想像したのかうふふーと意味深に笑い「夕飯にする?お風呂にする?それともぉ、わ・た・し?」と愛嬌たっぷりに尋ねてきた。結婚から十年経っても相変わらずすごく可愛らしい。
最近僕は妻が何を考えているのか、大体の場合においてはっきりとわかるようになった。
実の言うと、妻がこういったあざとい新婚夫婦しかやらない媚態を取るのも、コミュニケーションを円滑化するための方策なのだ。
空気を読むのが苦手な僕が読み取りやすいように、刹良自ら会話を会話を簡潔にしたり、定型句を作ったり、仕草に共通の法則を作って読み取りやすくするために、仕草そのものを一新した。
最初なんかかしこまりすぎて、玄関先で三つ指を着きながら僕を仕事場の道場へ送り出していたのだ。
僕のためだけにここまでしてくれるなんて、素晴らしい奥様である。
そんな最高の妻の前でご飯にしようか、風呂にしようか迷っていた僕の耳元に、妻はそっと口元を忍ばせる。
「今日ね、エッチな友達にスゴイの教えてもらったの……、私、レイヤ君の下のミルク欲しいな」
生暖かい息とともにそんな台詞を吹き込まれた途端、背筋に電流じみた感覚が駆け上った。
そうなのだ。僕の妻は魔性の伴侶なのだ。僕の心をどう虜にするかをちゃんと心得ている。
女として振る舞う事にかけて、彼女に比肩する者を僕は未だかつて知らない。
また、あの世界から転生したあと、小学生になった彼女はその頃から保健体育実技に天賦の才を持っていたというから恐ろしい。
すっかり息子が元気になってしまった僕は、ニヤリと小粋に笑って「そうだな、じゃあお・ま・え……ってね」と悪戯っぽくうそぶいた。
「きゃぁっ」と黄色い声を上げて、両頬を抑えながら照れまくる刹良。ますますそそられる。
きっと今の僕らの様子をオレガノ辺りが見たら「このバカップル!リア充エイル・ボルカノンしろっ!!」と呆れと嫉妬がマーブル模様に浮きあがった、非常に奇妙な顔で絶叫したことだろう。
気にしてそうだけど、あいつ万年独身だしな。
そんな下らない事を考えながら、僕はそそくさと風呂で身を清め、寝室のベットに横たわる妻と愛し合った。
結婚当初、木村邸を亡き木村師匠から相続した僕は、早速僕の妻であるアイル・インこと春原刹良とこの道場付きの邸宅を新居とすることに決めた。
風祭氏八極拳とその根底に息づく劉氏八極拳、剛柔流琉球古武術と剛柔流古流空手道を広めるため、道場を経営することにしたのだ。
道場経営が軌道に乗り、一財を成した僕は刹良となかなかできない裕福な暮らしを始めた。
そんな経緯でこうして幸せな毎日を満喫している。
今までの人生が、これから死ぬわけでもないのに走馬灯のようによみがえる。
ふと頭を隣に傾けると、刹良が一糸纏わぬ姿でシーツにくるまっていた。
「ねえ、聞きたい?」
刹良がポツリと問いかけた。
僕は「何をだい?」と問い返す。
「私がアイル・インとしての命を終えた日の事を、だよ」
息を吞む。呼吸の仕方を忘れたみたいに、喘ぎ出した。
妻が心配そうに見守る中、ようやく呼吸の感覚を一定に落ち着けることができた。
しばし逡巡して「その話をずっと待っていた」と答えた。
「これから話すことは誰にも言わないで」と言って彼女はそろそろと弱々しく小指を差し出した。
一も二もなく僕は「約束するよ」と誓い、妻の小指に僕自身の小指を絡める。
「レイヤ君が居なくなったあの日、私は岩の殻を破って目覚めたの。そうしたら――――――――――、体が古人類になっていたからびっくりしたわ。
まさかレイヤ君とおんなじ種族になれるなんて思わなかった」
どうやら僕の創世神への願いは、妻を白エルフから人間へ変えるという奇跡をも引き起こしたらしい。
「でもそのすぐあと、弁護官隊が突入してきて私を逮捕したの。
彼等は警察官と検察官と弁護士の権限をすべて持った、法律のスペシャリストだから私を逮捕できたのね。
何故か何時の間にか体が古人類の大人になっていた私は、破壊神の力に勝手に手を出した疑いをかけられて裁判に巻き込まれたの。
だれも私がアイル・インだったなんて信じてくれなかったわ。
声も姿も細かい仕草も知らない内にすり替わっていて、正直自分でもびっくりしていたことを今でも覚えている。
当初、被告がアイル・インかどうかで白か黒かを決めようとしたのだけれど、何にもこの現象を説明する手掛かりがなかったから裁判は紛糾してしまった。
でも、このまま有耶無耶にしてしまう事は絶対に嫌だったから、正直に破壊神の権能を使って自分にとって都合の悪い記憶を消して、バレそうになったから暴走しました、って正直に言ったの。
それで執行猶予がついていた私の拷問付きの極刑が確定したわけ」
淡々とした彼女の説明を受けた僕は、昏い夜の海を少しずつ潜っていくように「どんなふうに殺されたんだよ」と震える声を妻の耳まで無理矢理引き伸ばして問うた。
ぶつんっ、と妻の中で何かが切れる音がした。
「……、何千人もの怒れる男たちのなぶり者として股をこじ開けられて、犯されて、国中の人々から罵声と石を投げつけられながら処刑広場に連行されて、皆が見ているのに、服をひん剥かれて焼けた鉄の靴を履かせられて無限に踊らされて、疲れ始めたら鞭とこん棒で百億回叩かれて踊って踊って踊って最後に何本もの槍で串刺しにされてそしてそしてそしてぇっ、厭ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!んぅっ!!」
話の途中から錯乱し始めた妻の心の危険を感じた僕は、即座に唇で彼女の口を塞いだ。
持てるテクニックの限りを尽くして気持ち良くしてあげる。
しばらく妻の背中をさすりながら、ディープキスをしていると妻はようやく落ち着いてくれた。
「急に取り乱して……、ごめんね。それから、ありがとうレイヤ君」
刹良はふわりと笑って、穏やかに僕にお礼を言った。
秋の夜長が更けていく。