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白きエルフに花束を【初版】  作者: 宝島 登&玉城つむぎ
青の章
12/15

青の章(壱)

                     《1》

馬車に揺られながら僕は体中の痛みに震えていた。どうやらかなり寝ていたようだ。満天の星空が窓から見える。そばでサエリの寝息が規則正しく聞こえる。サルマ村での追いかけっこをきっかけに旅の疲れが出たのだろう。荷台の毛布にくるまって、ぐっすり夢の中だ。

「レイヤ君」

アイルが僕の名を呼んでいる。呼び声に応えたくても応えられず、とても歯痒い。

ここ最近は、旅から旅への根無し草みたいな生活をしていた。そのせいで、体の肉と言う肉が鉛になる病気にでもかかったかのように重く、そして凄まじく怠い。何らかの検査をしようものなら、乳酸の値はすさまじい水準まで到達しているとわかるだろうことは、全く想像に難くない。

 「大丈夫?」

 彼女が切なそうに僕の瞳を覗き込んだ。同じように見つめ返すとその深い黒の奥には底知れぬ思慮が窺えた。

 心配されている事に遅ればせながら気が付いた僕は無事を示したくて起き上がろうとする。

 「ああ、だいじょ、アガッ(痛ッ)……」

 だが上半身の筋肉全体に鋭い痛みが駆け抜ける。

 「ああ、もう無理しちゃだめだよ」

 アイルは僕の背中を支え、ゆっくりと毛布の上に身体を横たえてくれた。

 「怪我はどうなっているんだ」

 彼女は物憂げにゆっくりとかぶりを振った。

 「レイヤ君の体はもう限界だよ。触診してみたけど、全身の筋肉が骨みたいに硬くなっているよ」

 「そうか、無理しすぎていたのかもな」

 僕の手を握りしめて辛そうに俯くと、彼女は顔を上げて決然と告げ放った。

 「とにかく、今晩は休めるところを探さなきゃ」

 「そうか」

 「このままじゃレイヤ君、体壊しちゃうかも」

 「いつからだろう」

 その一言で、体を壊した時期について尋ねられている事を察してくれた。

 「分からない。でも」

 アイルは夜空を仰ぎ、物思いに沈んだ。砂金をちりばめたような星影の群れに照らされた彼女は何よりも美しかった。

 僕は一天にポツリと浮かぶあの一番星のように独り言ちた。

 「『僕たちはこのままでいいのかな』っていうことか」

 「そうだね」

 こうやって僕が無理し続けていてそれでいいのか。重苦しい空気が漂い始め、それっきり僕らは押し黙ってしまった。

  彼女について知らないことと言えば、ついこの間まで本来アイルがどんな言葉でしゃべっているのか知らなかった。

 最近のことだ。アイルが何もしゃべらなくなったことがある。察しの悪い僕はこの子の意図をくみ取れず、業を煮やしたのだ。

後で改めて呪文語で聞いた話だが、彼女が使っていたのは白エルフ語と言う言語だったのだそうだ。

別名『声無き言葉』ともいうらしい。

 それから、ほんの気まぐれでアイルの小指を人差し指で弾いた。『ねえ』という意味である。

彼女はゆっくりと振り向くと手元を見遣り、おかしそうに笑った。

白エルフ語で『何よ、藪から棒に』と表現したらしい。

アイルは首の力を抜いて頭を傾げ、「ー?」と喉を鳴らして『どうしたの』と尋ねた。

僕は遠くをわざと見つめて自分の胸に手を当てアイルの手を持った。彼女の胸に押し当て、斜めに俯いて唇を真一文字に引き結び、毅然とした態度で彼女を見つめた。

僕は『これからの僕らの事を一緒に考えなくちゃいけないと思う』と言ったのだ。

 その言葉を受けて、彼女は深く沈思した。

 「君は。僕の本性についてうすうす気づいているだろう」

 やっとの思いで口を開いた。開くからには重要な話をするべきだし、多分、今がその時だろう。

 「それは、私に優しくしてくれている本当の理由の話?それとも、あなたがもともと特別な血を持って生まれた人だって事?」

 驚いた。もはや開いた口が塞がらない。軽蔑していたわけでは決してないが、そこまで聡明な子だとは思っていなかった。なのに、今のこの頭の冴えはどうだ。

 そう、アイルは鋭く核心を衝く事によって、僕の問いに対して鮮やかに切り返したのだ。

 それも、虫けらを見るようなつまらなそうな眼差しを、今のこの空気へ向けていた。

 「……何故、そんな重大なことを知っているんだ」

 「ふふっ、笑えない冗談だね。レイヤ君が、最初から立ち直った私に慰めて欲しくて、すり寄ってきたことくらい知っているよ」

 彼女は、獲物を捕らえた熊の様な無表情で僕を見下ろした。

 「……そんな言い方っ!」

 そんな振る舞いに耐えられるはずもなく、痛みも忘れて飛び起きた。

 「レイヤ君は、もとの世界に帰った方が良い」 

 心臓をレイピアで貫かれたかのような痛みが走り抜ける。今の気分もあってか、夜の声を全身で感じられてしまう。――――――さらなる嫌な予感がする。

 「あんなにあなたを想ってくれている人たちがいるんだもの。それに私と同じように、レイヤ君も心に穴が開いている。でも、私にはそれを埋めてあげられないよ」

 だめだ、【アイルが、僕の心の側から離れていく】。僕を置いて、どこかへ―――――――。

 「でも、私自身が幸せになれなかったとしても、私がレイヤ君を幸せにできるように何とかする」

 僕と、アイルの間で、何か切れてはいけない糸の様なものが切れてしまった気がした。同時に、どうでもいい糸がつながってしまった気がした。それは、とても大切なものでもあるけど、僕はその糸の力なんか望んじゃいなかった。

 「私ね、今までレイヤ君と過ごしていて、昔話を思い出したんだ。この世界には、たまに人の世と自然の世界を区切る役割を持った人が生まれてくる。その人たちの名前は――――――」

 「アイル、そんな話がしたいんじゃない。僕は――――――」

 「『境ノ護リ人』。そしてあなたは、その人たちと対をなす『栄華ノ担イ手』。私たち人類をその才能で導く役目を負っている。そう思うの」

 「……。つまり、君は、【この世界でのアスペルガー症候群】の話をしているわけだな?」

 「そうだよ。そしてその力は、あなたが元居た世界で使うべき。あなたが正しくその血の力を使うには、必要なものが一つだけある。

 『栄華ノ助ケ手』、つまり、レイヤ君が強烈な個性と集中力を発揮した時、それらの矛先をを調節してくれる人を探すこと。条件として、お金や契約が絡むのはだめ。そばで精神的に支えてくれる人が大切だよ」

 確かに、この拳が正しくあるために、そばで助けてくれる人が必要なのかもしれない。彼女が言いたいことがようやくわかってきた。自分では役不足だというつもりなのだ。今までの僕たちの歩みを顧みる限り――――――、それも妥当なのかもしれないと思えて来た。僕も彼女も、到底このままで胸を張って生きていくことは難しいだろう。それゆえに先ほどあんなにも重苦しい気分に陥ったのだ。

  それからアイルは懐かしそうに、暖かな思い出を語った。彼女が幼いころ、夜眠れないときにお母さんが色んな昔話を聞かせてくれたこと。果てはお父さんが、オオムラの宴に出てすっぽんぽんになったこと。それらを語る彼女はとても幸せそうだった。

 「私、お母さんが話してくれたことが本当だって知れて、とっても幸せなんだ。生まれてきてくれてありがとう、レイヤ君」

 アイルは昔話が現実になったことへのほのかな喜びを表した。――――――なぜか、充血した目には涙が溜まり、肩が細かく震えている。何に耐えているのだろう。僕はというと、半ば縁を結び直されたばかりなので、自分の存在自体に感謝されたことをどう受け取っていいかわからない。

 「えっと、そういう風習なのかな」

 「うん、栄華ノ担イ手に生まれ付いた人には、そう挨拶するのがしきたりだよ」

 「そうか。よし、目指すべき目標が増えたな。まず、君のお兄さんを見つけたら、その後僕を支えてくれる人を探しに行こう」

 話の雲行きがどんどん怪しくなっていくが、もはや気にするまい。進むべき方向に進むと、割り切るほかないのだ。

 「レイヤ君」

 彼女が静かに僕を呼んだ。だが、アイルがこう言い出した以上はもう逆らいたくない。伝説だか何だか知らないが、それで彼女が喜んでくれて、僕も幸せになるならもうそれでいい。もうそれ以上望めないし、助け手とやらの間柄をいっその事恋人にすれば済む話だ。

 「その後君が幸せに暮らせるかは、もうこうなった以上保証できない。僕も担いきれないと解ってしまった。だから――――――」

 「レイヤ君っ!!」

 えぐるように頬を張られた。馬車の中で盛大にすっ転び、頭を床に痛打した。

 「だからって、私を蔑ろにしていいとは言っていないよっ」

 明らかに、アイルの顔にはありうべからざる主張をはねつけると大書してあった。何に怒っているのかは分からないが、夜空の彼方まで僕を叱り飛ばすつもりらしい。この際に至っては、僕が悪い。非があるからには、猫の尻尾が杓子に付こうと、杓子の持ち手が猫の胴にすげ変わろうと、とにかく何が何でも謝罪しなければ!

 「済まないっ!僕は私利私欲のために君に無責任に手を差し伸べたっ。でも、あんなふうに辱められている君を見ていられなかったんだっ。って、え?」

 今度は馬乗りになって、両手で同時に往復びんたを食らわされた。夜中だというのに、目が完全に醒め切った。たちまち底冷えするような視線に射抜かれる。

 「……人の話を真面目に聞くつもりはあるの?そして、今までのあなたの優しさは全部嘘?」

 彼女はそんな僕の(ユクシ)を鼻で嗤い飛ばし、顔にかかった髪を薙ぎ払いながら僕の両こめかみの真横に掌を叩きつけ、覆いかぶさった。

 「計算する前にちゃんとケンカしてよ。あなたは私の男なんだから」

 「君は何を言っている?そして、何をするつもりだ?僕には今の君の全てが理解できない」

 「全部言わなくてもいいよ。レイヤ君はあいまいな表現が苦手なんだ、ってこの期に及んでようやく気が付いた――――――、他でもないこの私が悪かったんだ。私の本音が解らないなら、直接言ってあげる」

 そして、彼女は大きく深呼吸して、そっと瞼を下ろした。そして目を見開き、僕の耳元に顔を寄せた。たちまち胸がつきあがるような緊張に見舞われる。一言たりとも聞き逃すまいと、僕はきつく眼を閉じる。

 「あなたは、私と、主に自分の為に一生懸命頑張っているけど、私を護れているとは言えないと思う。もうこれ以上レイヤ君に寄り掛かったら、お互いにもっと危ない目に遭ってしまう。だから、お兄ちゃんを見つけたら、さよならしよう。こうして私の方から口に出さなきゃ、やっぱりさっきみたいに嫌なものは嫌と言うしかなくなっちゃうから。――――――ごめんね。それでも」

 顔だ。ここは彼女の表情を覚えなければならない。意識のピントを急激に彼女の顔へ引き絞った。自然と『過集中(オーバーフロー)』状態へ移行した。その顔は―――――――。

 「それでも、あなたのことが好きなんだ。ねえ、レイヤ君。私、どうしたらいいん、ケフッゲホッ!!」

 罪悪感に耐え切れないのか。重たい岩をつぶれそうなほど背負っているかのような、苦しそうな顔をしていた。顔中に真珠の様な脂汗が滲んでいる。抑えた手の中には―――――――。

 血が混じった、唾液があった。少し、黄緑色の痰が混じっている。カヒュッ、なんて掠れた声を繰り返す喉からは何の言葉も出ない。今の僕には、苦しむ彼女に責任をもって届けられる言葉なんて何もなかった。ただ、そっと手を伸ばして、触れたかった。それだけしかしてあげられることは無かった。

 「カヒュッ、クヒュッ。……難しいね」

 彼女は、微笑みを以って拒絶した。僕と自分のことを目いっぱい考えた上で、嘘にまみれた僕の手を払ったのだ。

 彼女が突然大きくむせた。心なしか息が苦しそうだ。寒気を覚えているのか全身が震えている。

 「お、おいっ、大丈夫か!?」

 返事もままならないのか、ぎこちない笑顔を反すばかりだ。なんてことないよ、と安心させるように無理矢理笑っているようにも見えてしまう。

 馬が驚いて大きくいなないた。ガタッコンっ、と馬車が揺れる。「お客さん、静かにして下さいよ」と御者が野次を飛ばした。

 もう、一刻の猶予も無い。アイルのお兄さんであるケイを見つけてからでいい。とにかく、どこかの病院で見てもらわなければ。おそらくだが、彼女は長旅による急激な環境の変化についていけなかったのだ。この辺の風土病に罹っている恐れがある。

  考える時間が枯渇していると悟った。それはアイルも判っているし、解っているだろう。あまりにもお互いの事を知り、お互いの事を考える時間をないがしろにしてきたのだと今になって痛感する。

これから先、どうすればいいのか分からないまま、ただ全身の力が抜けていく。

僕らは暁天へと移ろう闇夜を、ただじっと見つめていた。


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