第三話 キャロライン1
俺がスラムで最初の取材対象を見つけたのは、俺がスラムに来て丁度四日目の昼だった。初日のキースの親切なスラム観光と、その後の二日間で、俺はわずかながらだが、スラムの全体像を把握することに成功していた。
まず、スラムは大まかに三つの階層に分かれている。S階級の都市部からは大分距離があり、また間に大きな森が立ちはだかっているせいで、階級を持っている人間がその姿を捉えることは難しいが、スラムは広く、そしてきれいな街だった。きれいというのは、外観が優れた建物が多い、とかそういったことではない。
確かに、道が全て石畳なのには驚かされたが、明るくなって良く見ると、使われている石は明らかに安物で質が悪そうだし、モザイクで模様が造ってあるといった洒落たところも見当たらない。コンクリの家々も統一感があってなかなかに良い趣だが、質素で冷たく、暗い印象はぬぐえない。
俺が言うきれい、はそんなことではないのだ。つまり、ホームレスの類が居ないのである。野良犬、野良猫も少ないように感じる。俺の生まれたD階級は、一応家を持っていることが条件に入っていたので、道で寝起きをしている人間は居なかったが、昼間になれば仕事を求める大人たち、食べ物を求める子供たちが、ふらふらと徘徊していたものだ。食料や生活用品の配給が定期的にあるといっても、生活はかなり苦しかったし、政府の用意してくれる仕事のほとんどは、きつい肉体労働で女子供が働くことは至難の業だった。疲労で精神的余裕を失った人間も多く、酒や、ドラッグにおぼれた者が道に転がっていることなんて、日常茶飯事だ。が、どうやらスラムにはそういった人達は居ないようだ。
キースの家のある第一階層はもとより、第二階層、第三階層でも、同じことが言えるようだった。最も、スラムの階層分けは、所有金額によるものではないとキースに教えてもらった。キース曰く、だいたい職業別、とのことだ。だいたい、というのがいかにもスラムらしい。
キースの住まう第一階層は、裏稼業で食べている者が中心。つまりは、暗殺、運び屋、何でも屋。さらに、かなり立派な歓楽街なんかもある。
その奥にあるのが第二階層。S階級とまではいかないが、A階級なみの商店街がある。店舗の数も、そこに並ぶ商品の数も非常に豊富で、また古さも感じさせない。俺がただただ目を丸くして見ていたら、キースがそのうち仕組みを教えてやる、と嬉しそうに笑っていた。ちなみにこの商店街、商品の数と比例して値段の0の数も一個、もしくは二個多い。俺は、キースが家賃に食費を含んでくれたことを心から感謝した。
スラムの一番奥にあるのが、第三階層。俺が最初の取材対象に選んだのも、ここの住民である。第三階層に住まうのは、職人達。スラムの裏稼業を影ながら支えてる人達、ということになる。また、キースの話によると、教会もあるらしい。宗派は不明だ。
こうして見ると、スラムは街でありながら、一つの巨大な組織といった感が強い。どうやら、お互いがお互いを上手にカバーしながら生活をしているらしいのだ。その最もたる象徴が、スラムの最大のルールに見える。
『スラム内での殺しはご法度』
意外なことに、人殺しの街の住民は、仲間同士での殺し合いを最大の禁忌としていた。それでもスラムが人殺しの街、人殺しの巣窟と呼ばれるのには、どうやら第一階層の人間にその責があるようだが、不思議なことに、スラムの住民のほとんどは、第一階層の人間にたいそうな感謝の念を抱いているのだ。
最も、俺が最初の取材対象とした人物は、第三階層に住みながら、職業としては第一階層にかなり近いものだった。彼女の名はキャロライン。運び屋を生業とする、23の女性だった。
その日は、キースが突如、昼食を食べに行こうと言いだした。この男は、大振りな行動のわりには気のつくヤツで、俺が取材対象を見つけられなく焦り出したのを、感じていたのだろう。俺はもちろん、お金がないので断る。スラムの物価は非常に高い。俺の給料では、たちまち破産してしまう。しかし、これも家賃に含まれた食事代の内、というキースに負け、俺たちは男二人悲しく、外食に出かけたのだった。キャロラインに会ったのは、その帰り道だ。向こうが、キースに声をかけてきた。
「キース。仕事は順調?」
彼女は色あせた茶色の髪を肩にかきあげながら言った。短いTシャツにホットパンツ、日に焼けた小麦色の肌がまぶしい。身長は180cm近くあるだろう。抜群のスタイルの彼女は、しかしあまり顔には恵まれていなかった。卵形の輪郭は理想的だが、低めの団子鼻、細めのブラウンの目。キースの顔を見ながら日々を過ごしていると、すっかり感覚が麻痺してくるのか、彼女の顔も十分平均的なのだが、美女とは言いがたかった。
「まあ、順調だよ。それなりにね。」
キースが答える。キースと歩いていると良く分かるのだが、彼は非常に顔が広い。どの階層に出かけても、決まって誰かに声をかけられた。
「それは良かったわ。ところで、そちらは?見ない顔だけど。」
彼女は俺に微笑みかけた。
「あぁ。コイツはオズって言って、スラムを取材に来た記者だよ。」
キースがあっさりと紹介する。言っておくが、俺にはオズワルドという立派な名前がある。が、この街の人間にはフルネームを名乗る習慣がないようだ。どうしたって呼びやすい方で紹介される。
「へぇ。記者。」
彼女は目を大きくした。同時に大きな口が微笑みをかたどる。
「はじめまして、オズです。」
俺は手を差し伸べた。
「始めまして。キャロラインよ。キャルと呼んでね。」
キャルは俺の手をしっかりと握り返す。この街の人間は、記者という人種に全く抵抗が無いらしい。人殺しや、犯罪者が多いと聞いていたし、実際、多いように思う。それでもオリバーやキール、そしてキャルにいたるまで嫌な顔をした人間は一人も居なかった。
「キャルは運び屋をしているんだ。」
キースが付け加える。見ると、その手には大きなキャリーバッグが引かれている。最も、それが仕事道具なのかどうかは、俺には判断しかねた。
「オズは、何の取材に来てるの?」
キャルが俺に顔を近づけた。俺は、それを決めかねて悩んでいたわけで、正直その質問には閉口した。
「や、あの……殺しの街じゃないスラムを……」
俺はなんとかそれだけは言う。何の具体性もない、我ながら情けない答えだった。
「へぇ。殺しの街じゃないスラムか。それは俺も始めて聞いたな。」
キースが切れ長の目を少し大きくした。そういえば、彼には仕事内容を話したことが無いな、とその時気がつく。
「なかなか立派なテーマねぇ。私達を、おもしろおかしく書いた方が簡単じゃない。」
キャルが大きな口でからからと笑う。もちろん俺には、人殺しの話が面白おかしく書けるわけはないけれども。
「でもさ、それだったらキャルなんかは、良い取材対象になるんじゃないか?」
キースが、俺の肩に手を乗せて呟いた。
「キャルが?なんで?」
俺は聞き返す。
「いや、だって彼女、この界隈じゃ珍しい、殺しを引き受けない運び屋なんだよ。」
「はぁ?」
俺は首を傾げた。運び屋というのは、物を運ぶ仕事だろう。そもそも殺しの依頼などは受けないものなのではないだろうか。
「オズのためにお得な情報を教えてあげるわ。」
俺の顔を読んだのだろう。キャルが自分の人差し指を唇にあて、微笑んだ。
「お得な情報って?」
俺は素直に聞くことに決める。
「あのね、運び屋というのは物を運ぶ仕事だけど、運ぶ物がまだ生きていたらオズはどうすると思う?」
「生きて……。つまりペットとか?」
「やぁだ。」
彼女はクスクスと笑った。キースのおさえた笑い声も聞こえる。
「違うわよぉ。たとえば死体の運搬を頼まれて、でも依頼を受けた時点で運ぶべきものが生きていることがあるでしょ?」
その問いに、俺は答えることが出来ない。が、おそらくあるのだろう。彼女の顔がそう語っている。
「そういった場合、方法は三つなのよ。」
キャルは指を三本立てた。
「例えば、殺しの部分は俺みたいな殺しのプロが請け負うパターンが一つだな。運ぶところだけ運び屋に任せる。」
キースが口を挟む。
「そう。でも、それじゃあ殺し屋と運び屋、両方を雇わなくちゃいけないから高くつくのね。でも、もっと安くあげる方法もあるのよ。」
「オプションをつけるパターンだな。俺も何度か受けたことがある。」
キースがまたも口を挟んだ。
「そうよ。殺し屋か、運び屋に追加料金を払って自分の仕事に伴う作業を全てやってもらうの。」
つまり、殺し屋の場合はその後の運搬作業を、運び屋の場合はその前の暗殺作業を同一人物が行うということだ。
「ま、これには問題もあってな。お互い、専門じゃないほうの仕事の難易度がある程度低くないと難しい。俺のばあい運びは専門じゃないから、あんまり難易度が高いと受けられない」
キースが何かを思い出すように視線を漂わせながら言った。キャルはその様子を優しく、本当に天使のような微笑で見てから、ふ、と俺の方を向く。
「難易度を判断して、仕事を割り振るのは仲介屋の仕事なんだけどね。とにかく私は、そういった殺しがオプションについている依頼は受けないの。」
それは、俺には当たり前のことのように思えた。殺し屋がいるのだから、殺しは殺し屋がやればいい。他の仕事を選んだ人間が、殺しを安請け合いするものではない。しかし、それがスラムの常識で無いことは、二人の表情を見れば一目瞭然だ。
「それは貴重なことなんだな?」
キャルは自信たっぷりに頷いた。
「どうする?」
キースが聞いてくる。俺に、選択の余地は無いように思われた。
「出来れば、取材に協力してもらいたい。」
俺は、キャルの目を見て少し、小さな声で言った。
「お安い御用だわ。」
キャルが微笑む。
「でも、これって勝手に依頼を請けちゃっていいのかしら?オズって、担当の仲介屋が居る?私、報酬はいらないけど。」
「一応、オリバーに一言断ったほうがいいな。」
俺が答えるより早く、キースが答える。
「オリバーに?」
俺は聞き返した。
「そう。お前の行動は把握しておきたいと思ってるはずだ。」
言って、キースがポケットから電話を取り出した。携帯電話だ。俺も、スラムに取材に来る際に会社から一つ手渡されているが、触ったことは愚か、見たことさえほとんど無いその機械を、使いこなすことは出来なかった。キースは、もちろんなれた様子でその機械を操作し、あっという間にオリバーに繋いでしまう。そのまま、2,3言葉を交わしただけで交渉を成立させると、俺に向き直った。
「キャルとの交渉成立で大丈夫だってさ。ただし、仕事が終了したら報告するようにって。」
これが、スラムのルールというヤツだろう。どうやらこの街において、仲介屋というのはかなり優遇される存在であるらしい。まあ、すべての仕事を仲介屋から紹介されるということは、仲介屋をないがしろにしたら仕事にありつけなくなるということだ。それを考えれば、彼らの気の使いようも当然といえば当然である。
「わかった。報告するよ。」
俺は頷く。
「それとキャル。本当に報酬は無しでいいのか?オズにはオリバーがつくから交渉も出来るぞ?」
キースが言う。話から察するに、キースやキャルのような実行部隊は金銭の交渉をする権利がないようだ。必ず、仲介人の立会いが必要なのだろう。
「いらないわよ。」
キャルが笑う。その笑顔はさっぱりとしたものだ。策略の香りはしない。
「そうか。なら、いいんだけど。」
キースは携帯電話をポケットにしまった。
そのまま、明日の集合場所と集合時間を告げられ、俺達はキャルと別れる。俺のスラム取材の第一歩がやっと、動き出した。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
ジャンルに迷っています。
ぜひ、あなたの思うジャンルと共に感想を一言いただけると嬉しいです。