第一話 スラム1
ユニットリンシング。
そう呼ばれる大革命がこの世にはあった。とは、俺のばぁちゃんの言葉。と言っても、そのばあちゃんだってばぁちゃんから聞いたわけで、じゃあそのばあちゃんが実際に革命を見たかと言うと、俺は知らない。とにかく、ユニットリンシングは遥か昔の話で、俺が生まれたときには世界はとっくに、階級別のユニットに分かれていた。
正直、階級の違う人間同士がどうやって一緒に住んでいたのか、俺には想像もつかない。食料の配給とか、店で扱う商品の質とか、階級の違う者がごちゃごちゃいたら、不便でしょうがないだろうに。
そんなことを考えながら、俺は「ポンプ」に揺られていた。「ポンプ」とは言っても、ようは列車なわけだ。普通の列車と何が違うかといえば、ユニットとユニットを繋いでいるという点だけだろう。俺は、S階級にまでとどく「ポンプ」に乗るのは始めてだったが、繋いでるユニットが違うだけで、DやCにある「ポンプ」となんら変わらない。強いて言えば、俺の住むCとDを繋ぐ「ポンプ」よりは座席の座り心地が良い。そして、乗っている人間にもわずかばかりの余裕が感じられる。
正直、自分がS階級に行くことはこの先の将来、どんなに都合良く見積もっても有り得ないと思っていた。思っていたのだが、俺は今、S階級のユニットに向かっている。というのも全ては数日前、俺が仕事の上司に呼び出されたことから始まる。
俺は、C階級のユニットに居をかまえる出版社で記者をしている。俺の生まれはD階級で、階級ユニットを超えての就職は二階から落とした針に糸が通るくらい珍しい。それでも、うちの大将が俺を雇ってくれたのにはそれなりの理由があるのだけれど、そんなことは今はどうだって良い。とにかく、俺はなかなか優秀で、呼び出される覚えなんてこれっぽっちも無かった。なのに呼び出しをくらったということは、どうせろくでもない仕事の話をされるに決まっていた。
案の定、俺を呼び出した課長は開口一番
「お前、スラムに行く気は無いか?」
と切り出した。
「はぁ?」
俺は思わず聞き返す。
「だから、スラムだよ。取材に行かないか、と言っている。」
取材……。ということは仕事だ、仕事があるというのは何よりだ。ありがたい。ありがたいが。
「スラムって……」
呟くように言った俺のせりふに課長が眉をよせた。
「なんだ?スラムだよ。知らないのか?」
「知ってますよ。人殺しの巣窟でしょう。」
慌てて答える。課長は、口元だけでくすり、笑った。
「この街の人間100人に聞いたら、100人がお前と同じように答えるだろうな。」
その目は明らかに、俺を試している。
「だって、事実そうじゃないですか。」
俺はあえてその誘いには乗らない。
俺には、この世でもっとも憎むべき人種がいる。それが「人殺し」だ。人の命の大切さから説かなくてはいけない人間などとは話もしたくない。もちろん、俺が記者という職業に就いている以上、ある程度の妥協は必要になってくる。だから、俺が人殺しと話したことが無いかと言うと、必ずしもそういうわけではない。が、自ら人殺しに近づいていくような真似はしたくない。ここでうっかり課長の誘いに乗れば、俺は知らぬ間にとんでもない仕事を請けることになるのだろう。正直それは、避けたかった。俺は、俺の意思にだけ支配されることを常に望んでいるのだ。
「お前、100人が答える回答と同じ内容が書かれた記事を読むか?」
課長の攻撃はまだ続く。
「よみません。」
俺は、はっきりと答えた。
「そうだろう。だから、お前には人殺しの巣窟じゃないスラムに行ってもらおうと思う。」
「はい?」
俺の記憶違いで無ければ、この世で「スラム」と呼ばれているのは一箇所だけのはずだ。そしてそこは、まぎれもなく人殺しの住む場所だ。
「スラムに行って、人殺しの巣窟じゃないスラムを取材して来い。期間は最低半年。何があっても半年は帰ってくるな。」
「はぁ?」
俺は思わず声を大きくする。
「もう手配はすんでる。――そうそう、忘れてた。これは命令だから。お前はとにかくスラムに半年行くんだ。以上」
課長は涼しい顔で言い放った。彼にとってはおそらく、その丸くて短い爪につまったごみの方が気になったようで、俺の目を見もしなかった。俺は、課長の爪からかきだされるゴミをただ目で追っていた。
理由を、聞こうと思えば出来た。なぜ、俺なんですか。そう言うだけだ。ただ、彼は俺の上司で、数え切れないほどの恩がある。さらに付け加えるならば、彼は俺のことを嫌いではなく、愛情の裏返しなんて洒落た意地悪もできる性質ではない。俺はそれをよく知っているし、俺が知っていると言うことを彼はよく知っていた。つまり、あの取材は最初から断れるはずも無く、いずれは俺のためになるのだろう。もしくは、今の俺に必要なものなのかも知れない。だからといって、彼がそれを素直に言うことはないわけで、俺に足りないと彼が感じているかもしれないことは、結局、自分で判断するしか方法がない。かくして俺は、憎むべき人殺し達の街、スラムへと足を運ぶことになったのだった。
急に、横方向に働く引力を感じて俺はわれにかえった。どうやら、S階級のユニットについたらしい。
俺の住む大陸――その必要性から俗にヨーロッパ大陸と呼ばれているが――はユニット数が非常に多く、世界最大規模の大陸だ。大陸は全部で五つ。それぞれにA階級からE階級まで、大小さまざまなユニットが点在している。S階級のユニットは世界に三箇所しかなく、その一つがこのヨーロッパ大陸にある。住所で言えば、S-1と呼ばれる地域になる。通常、住所にはアルファベットの前に大陸名が入るのだが、世界に三箇所しかないS階級には大陸名が入らない。後ろに続く数字は、敷地面積の広い順につけられるので、このS‐1が世界で一番大きなS階級ユニットということになる。ちなみに、俺の住所はヨーロッパC‐3から始まっている。ヨーロッパ大陸のC階級、3番めの大きさの地域に住んでますよ、という意味だ。その後ろにさらに細かい住所が続いていく。
遥か昔のユニットリンシング以来、世界は完全階級別だ。階級は、ユニットリンシング当時の個人保有資産によってすっぱりと分けられたと聞いている。A〜Eまであって、Aのさらに上にSがある。Sが一番のお金持ちだ。生活水準が同じもの同士を一緒の地域に住まわせることで、誘拐事件や強盗事件の防止や、食糧支援の簡略化を図るのが目的だった。当時は反対意見も多くあったと聞くが、信じられない話である。実際、ユニットリンシングは大成功を収めていて、犯罪の防止や、病気の予防、飢餓の解消に大いに役立っている。生活が苦しい家族の隣に大金持ちの家族がいたら、そりゃあ強盗の一つも犯したくなるというものだが、どこまで行っても同じ境遇の人たちだらけなら、そんな気を起こさないのは道理である。同じ階級のものは皆、ほぼ同じ財力しか持たない。一番開きがあるのがS階級だが、あの階級の人たちはそんなことは気にしない。俺が思うに、大きくなりすぎた自分の財力をはかる術を忘れてしまったのだ。あの人たちはまるで蟻で、象を見るみたいにお金を見ることに慣れてしまってのだろう。
不毛な考え事をしながら俺は「ポンプ」から降りた。S‐1のプラットフォームは見たことのないようなテラテラ光った石でできていて、俺の靴の安っぽいゴム底が歩くたびにキュ、キュ、と音を立てた。人影がまばらなせいだろうか、それを気にする人は無い。俺はまるで、氷の上を歩いている気になってその石の上を進んだ。滑らないだけいくぶんかましだろうか。思った途端、足にじゃり、と慣れた感触を感じた。自分が前ばかり見ていた事を思い出して、ふと視線を落とすと、どうやらいつのまにかステーションをでていたらしい。検閲がもう一度くらいあるかと思ったが、A階級のステーションとポンプ内でも一回やってたので、それで十分と言うことだろう。
――S階級に、着いてしまった。
とりあえず、俺はあたりを見回す。課長の言葉を信じるのならば、迎えがあるはずだ。が、それらしい人物は見当たらない。もしかすると、課長の悪い冗談だったのだろうか。俺は、人殺しの街に行かなくてもいいのだろうか。――そう思ったのとほぼ同時に、ぽん、と俺の肩をたたく者があった。
「オズ?」
手は言った。
「え?」
俺は答える。
「オズワルド・タラントさんですよね。俺、オリバーと言います。ディーンの紹介で……」
そういえば、課長の名前はディーンだったな。思いながら、俺は振り返った。と、目に飛び込んできたのは青年である。歳のほどは18、9だろうか。金の髪、緑の瞳の整った顔だち。高級そうなスーツをかっちりと着込んで微笑む彼からは、上品な雰囲気がそこはかとなく漂っていた。
「仲介屋のオリバーと言います。どうぞよろしく。」
彼は手を差し出した。
「は、始めまして。オズワルドです。」
俺はその手を握り返す。オリバーは満足そうにその手を振ってから、先ほどとはうってかわって子供らしい笑顔を見せた。
「すぐに分かって良かった。俺、あなたの年齢も特徴も何も聞いてなかったんだよね。思ったより若いね。」
その笑顔でも、彼が美形と呼ばれる部類に入ることは間違いない。
「それはこっちのせりふだ。いくつだ?」
俺は思わずあまりにもつまらない質問をした。
「俺?俺は一応20だけど、オズは?」
「俺は26.」
正確にはもうすぐ27だ。記者は体力勝負。痩せるのも太るのも禁物だ。俺はそれなりに体を鍛えているし、外ばかり飛び回っているせいでいい感じに日焼けもしている。さらに、黒の短髪と黒い目のせいか、20そこそこに見られることが多かった。
「ふうん。」
しかしオリバーはそんなことは全く気にしないというように一つ呟くと、来て、と歩き出した。
「どこに行くんだ?」
俺は慌ててその後を追いかける。
「どこ?どこってスラムだろ。オズはスラムの取材に来たんじゃないの?」
オリバーは微笑む。
「もちろん」
俺は頷いた。
「いくらスラムがS階級の中にあるといっても、さすがにステーションから見える場所には無いよ。移動しないと。」
言って、オリバーはまた笑顔を見せた。
……そう。スラムはS階級の敷地内にある。良く言えば間借り、悪くいえば寄生しているのだ。S階級の敷地はバカ広い。なのに人口は一握り。土地ならいくらでも余っている。下の方のDやEは敷地も狭くゴミゴミしていて、とても他の人間の入り込む隙がないわけだから、ある意味、利にかなっていると言える。
スラムの成り立ちについては、未だに分からないことが多く、ただ一つ分かっているのは、遥か昔のユニットリンシングのその時にS階級の敷地にこっそりと住み着いた人達が居たということだ。そして、その人達が政府の目を盗んで作り上げたのが、スラム。政府の公式発表によれば、当然、その存在は無いものとされている。しかし、スラムが実際に存在していることは小学生でも知っているし、それがS階級の敷地内に存在するということも周知の事実だ。とにかくこれは、ユニットリンシングの際もぐりこんだ彼らに気づかなかった政府の完全なミスで、それを政府の誰一人として認めたくないがために放っておかれているという、決して解決しない問題なのである。
「多分、四時間くらいかかると思うから。」
俺の前をすたすた歩くオリバーが唐突に言った。
「四時間?歩きでか?」
俺の交通手段は歩きか走りの二種類だ。
「まさか」
オリバーは笑った。その笑顔には、やはりどことなく上品さが漂っている。人殺しの街の人間の影を感じることは全く出来ない。
「もうすぐ見えてくると思うけど……ほら、あれだ。」
オリバーは前方を指差した。
「車?」
目の前に近づいてくるのは明らかに駐車場だ。
「そう。乗ったことある?」
オリバーは高級スーツのポケットから慣れた手つきで車のキーを取り出すと、それを右手の人差し指でちゃらちゃらと回した。
「バスなら……」
俺は答えた。
車は高級品だ。俺の生まれたD階級は道も整備されていないし、そもそも車が持てるような生活水準の人間は存在しない。つきに一回は食料配給があるし、それがあってもかろうじて衣・食・住を揃えるのがやっとだ。それでも衣・食・住がそろうだけ、俺の階級はましというものだ。E階級に至っては、週に二回も食料配給があるにも関わらず衣・食・住を揃えるのが難しい人間の方が多い。スラムというのはそのさらに下をいくということになるわけだから……俺には想像しがたいものがある。
「バス……ね。Sにバスは存在しないんだ」
オリバーはまわしていたキーを器用に右手でキャッチする。Sにバスがないというのは最もだ。Sの人間は必ず、自家用車とお抱え運転手をもっている。時刻表を見ないと自分の予定も決められないバスなんかを利用するものはいない。
「お前、免許もってるのか?」
促されて、助手席に座りながら俺は聞いた。
「免許?」
彼は、クスリとまたたいた。キーを差し込み、車にエンジンをかける。
「オズ。言っておくけど、スラムは無法地帯だよ。俺が免許なんて……もってるわけないでしょ」
オリバーは相変わらずの笑顔である。けれども、そのせりふは確実にスラムの住民のものだ。
「安全……なんだろうな?」
本当なら無免で運転なんかするなよ、と叫びたい。しかし、ここはぐっとこらえて俺は最低限の質問だけをした。
「安全さ。年期が入ってるからね。」
そう言ってオリバーはサイドブレーキを引き、ギアに手をかける。ほとんど何の衝撃もなく発車したそれが、上手なのか下手なのか、車に乗ったことのない俺にはわからなかった。
頑張るのでよろしくお願いします。
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