夜店にて
日は落ち、夜空には星が瞬いている。
しかし、露店がずらっと並んだ公園は、まるで昼間のように明かりが煌々と灯されている。
祭りはこれからが本番だ。
射的場の店主は、笑みを浮かべて露店の前を通る人々に声をかけていた。
店内を何気なく見た若い女性が足を止めた。
「ねぇ見て。かわいい」
小首を傾げながら、隣の恋人らしき男性の袖を引っ張り、店内に並んでいる的の一つを指さした。
可愛らしいリボンをつけた、小さなクマの人形。
この店の人気商品だ。
店主は満面の笑みを浮かべ、若いカップルに近づいた。
「でしょ~。あのつぶらな瞳がなんとも言えないんですよ。ここからだと分かりにくいんですが、おリボンの真ん中に、レースの小さなお花がついているんですよ」
恋人にせがまれれば、男としてはやらざるを得ない。
それがわかっている店主は、ニコニコしながら女性の方の攻略にかかる。
女性は目をこらしてクマを見つめ、「かわいい」と甘えた声を出しながら、せがむようにチラリと恋人を見た。
男性は困ったような表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうだ。
店主はあと一押しが必要だと口を開いた。
「彼女にいいとこみせるなら、今ですよ、旦那」
男性を肘で軽くつつきながらニヤッとする。
「じゃあ、1ゲームだけ」
「へい。まいどぉ」
店主はそう言うと、現金と引き換えにコルク弾を5つ渡した。
がっくりと肩を落としたカップルが店を後にした。
あの後、頑張って5ゲームほど粘ったが、結局取れなかったのだ。
あのクマは標的には少し小さい。
重心の関係で、中心よりもやや上側に当たらないと倒れない。
そして、設置されている空気銃は、少し癖があり、真直ぐに飛ばないようになっているのだ。
今夜はどれだけ稼いでくれるのだろうか。
店主はほくそ笑んだ。
気配を感じた店主は、客が来たのだと思い、ニコニコ顔を創って振り向いた。
黒髪のおかっぱ頭の幼い少女が、じっと瞬きもせずにクマの方を凝視していた。
「ロジーナ、どうした。気になるのか?」
傍らにいる父親と思われる黒髪の男性が少女に尋ねた。
ロジーナと呼ばれた少女は、クマの方から目を離さずに大きく頷く。
店主の目がキラリと光った。
一見シンプルだが、父娘はなかなか良い品物を着ている。
穏やかな雰囲気の父親の身のこなしには、どことなく洗練された品があった。
その様子から、それなりの店の主人ではないだろうか、と店主は推測した。
懐具合はとても暖かそうだ。
これは、かなりつぎこんでくれるに違いない。
新たなカモの登場に、店主の胸は弾んだ。
「旦那様。お嬢さんの為に、1ゲームどうですかい?」
手もみをしながら近づいた店主をチラッとみた後、父親は視線をロジーナに戻した。
「ロジーナどうする? 挑戦してみるか?」
顔を覗き込むようにしてロジーナに尋ねる。
「はい」
ロジーナは父親の顔を見つめ大きく頷いた。
父親は、「そうか」と言うと店主の方をみて微笑んだ。
「1ゲーム、お願いします」
「へい、まいどっ」
店主は威勢良くコルク弾を父親に渡した。
父親は台の上に並んだ空気銃を、重さを確認するように一丁ずつ手に取った。
「これが一番軽いな」
頷きながらそうつぶやくと、店主の方を向いた。
「踏み台はありますか?」
父親の言葉に、店主は目を丸くした。
「え? まさか、お嬢さんがおやりになるんで?」
「もちろん」
「いやぁ、いくらなんでも……」
目の前にいる小さな女の子では、銃を持つことだけで精一杯だろうと思われた。
「本人がやると申しておりますので」
父親がロジーナの方に顔を向けると、それにこたえるように、ロジーナは期待に目を輝かせて大きく何度も「うんうん」と頷いた。
店主は店の裏に回ると、ニンマリしながら踏み台持ち上げた。
幼女では絶対に当てることはできない。
あれだけやる気満々というとことは、かなり勝ち気な性格なはずだ。
クマを手に入れるまで、駄々をこねるに違いない。
父親というのは娘に甘いと相場が決まっている。
最終的には、あの父親が頑張るハメになるだろう。
どちらにしても、ガッポリつぎ込んでくれるはずだ。
「ロジーナ、重いのでしっかり持ちなさい」
銃を渡されたロジーナは、その重さによろけたが、すぐに足を踏ん張り、体勢を立て直した。
父親はロジーナを抱えると、踏台の上にのせた。
ロジーナは父親の指示通りに、台の上に両肘をついた。
銃口をしっかりとクマの方に向けて固定し、じっと前方をを見つめる。
その様子に店主は驚いていた。
いくら台に肘をついているとはいえ、あの銃は幼い少女が持つには重すぎる。
重さに筋肉が悲鳴をあげてプルプルと震えてもおかしくない。
ところが、店主の位置から見た限りでは、ロジーナはしっかりと銃を固定している。
じっと獲物を見据えるその姿は大人顔負けだ。
たいした集中力だった。
「そうだ、ロジーナ。そのまま標的から目を離さずに引き金を引きなさい」
ロジーナは身じろぎもせずにしばらくクマの方をじっと見つめ、ゆっくり引き金にあてた二本の指を動かした。
が、やはり力が足りないのか、引く瞬間に大きく身体が傾いだ。
銃身が大きく揺れる。
危ない。
店主は反射的に身体を避けるように動かした。
が、瞬時に父親が銃身を押さえたので、弾は正面に向かって飛んだ。
クマの頭上を弾がすり抜けた。
「ロジーナ。標的から目を離すなと言ったはずだ」
父親の小さいが厳しい声が聞こえた。
ロジーナは口を引き結びうつむく。
幼い少女に、そんなきつい言い方をしなくてもいいのではないだろうか。
店主はそう感じながらも、父娘の様子を見守っていた。
「ロジーナ。もう一度やってみなさい」
「はい」
ロジーナは先ほどと同じように銃を構える。
父親は何も言わず、じっと見守っている。
ロジーナは前方をじっと見つめながら、引き金を引いた。
案の定、身体が傾ぐ。
店主は今度は動揺せずに観察していた。
予想通り、父親が動いたからだ。
弾はクマの横をすり抜けていく。
「ロジーナ。お前、今、目をつぶったな。しっかり見なさいと言ったはずだ」
「すみません」
父親の静かだがきつい口調に、ロジーナは真っ赤な顔をしてうつむいた。
なにも幼い子ども相手に、そこまでムキにならなくてもいいのではないだろうか。
あの父親は少しおかしい。
店主は渋面になったが、口を出して無用なトラブルになるのも嫌だったので、黙っていた。
「ロジーナ。もう一度だ」
「はい」
ロジーナは再び銃を構え、そして引き金を引いた。
やはり身体が傾いだが、先ほどよりもだいぶましだった。
もちろん弾はクマにかすりもしなかったが。
「そうだ。今度は標的をしっかりと見ていたな」
今度は父親は満足したらしく、ロジーナの頭を軽くポンポンと叩いた。
なぜか店主の方がホッとしてしまった。
「ロジーナ。指が痛いか?」
よく見ると、ロジーナは銃を台におき、空いた右手をフルフルと上下に振っている。
「大丈夫です」
「そうか。ならば、もう一度やってみなさい」
ロジーナは再び銃を構えた。
口を引き結び、大きな黒い目をカッと見開いて、慎重に前方を見定めている。
その緊張が伝わってきて、店主は息を呑んだ。
ロジーナの小さな指が動いた。
軽快な音を立てて、弾が発射される。
ロジーナの身体は少しだけ揺れたが、銃身はぶれなかった。
残念なことに、弾はクマにかすりもしなかったが、今回は父親が銃身を押さえることもなく、ロジーナは自力で撃ったのだ。
「だいぶコツを掴んだようだな」
父親は満足そうに言うと、ロジーナに向かって手を差し出した。
ロジーナは無言で空気銃を渡す。
「よく見ていなさい」
「はい」
銃を手にした途端、父親の雰囲気がガラリと変わった。
まるでそこだけ異次元になってしまったと錯覚するぐらい、空気がヒンヤリしてくる。
祭りの喧騒が遠のき、静寂に包まれていくようだった。
父親はゆっくりと銃を構えた。
その一分の隙もない完璧なフォームに、店主の背中に冷汗がにじむ。
やられた。
穏やかな雰囲気に騙されていた。
だが、まだ望みはまだあった。
あの銃には癖がある。
残りは一発。
あたるはずはない。
外すに決まっている。
父親が店主の方をチラリと見た。
その紫色の瞳が一瞬だけニヤリと笑ったように見えた。
店主はハッと息を呑んだ。
父親は標的に視線をもどすと、微かに銃口を傾ける。
店主が青ざめると同時に、引き金がひかれ、弾が飛び出した。
弾は見事に命中した。
クマの隣にあったぜんまい仕掛けの鶴人間がポンと飛び、地面に落ちた。
え、鶴人間?
店主はまばたきする。
もう一度、目をこらしてよく見たが、地面に落ちたのはクマではなく、鶴人間だった。
鶴人間。
そのぜんまい仕掛けの奇妙な物体を、店主はそう呼んでいる。
嘴の長い大きな羽をもった鶴に、不自然な大きさの足がついているのだ。
その足がぜんまいで動き、歩き出す。
おそらくは誰も欲しがらない物体だ。
腑に落ちない店主は父娘の方を見た。
ロジーナは大きな目をさらに大きく見開いて、父親と地面に倒れている鶴人間とをキョロキョロと交互に見つめている。
顔はニコリともしてはいなかったが、その様子からは喜びが見て取れた。
鶴人間でいいのだろうか?
疑問に思いながらも店主は鶴人間を拾い上げ、ロジーナに差し出した。
「はい、鶴人間。おめでとう」
ロジーナは目をキラキラ輝かせて受け取った。
「鶴人間」
じっとそれを見つめながら小さく呟くと顔を上げ、父親を見上げた。
「師匠。ありがとうございます」
ロジーナはぺこりとお辞儀をした。
師匠と呼ばれた男性は軽く頷くと、向きを変え歩き出した。
ロジーナはその後をてけてけとついて行った。
「親子じゃなかったのか・・・・・・」
「射的屋さん、知らなかったのかい?」
後ろ姿を眺めながら呟いた店主に、隣のお面屋が話しかけてきた。
「あれは、紫蒼の星クレメンス。師範魔術師様ってやつさ」
「ええっ」
店主は目を丸くする。
師範魔術師といえば、魔術師の中でも非常に優れて者しか認定されない、エリートの中のエリートだ。
自在に空を飛び、瞬間移動もできるらしいという話も聞いたことがある。
そんな優秀な彼らにとっては射的など朝飯前だろう。
「お面屋さんも人が悪い。何で教えてくんなかったんだよ」
「いやぁ、商売の邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
お面屋はニヤリと笑うと、お客に呼ばれていってしまった。
危ないところだった。
下手をしたら店の商品を根こそぎとられていたかもしれない。
この先、あのロジーナという少女が見つめていても、絶対に声をかけない。
店主はそう固く誓った。