ある日
カルロスが昼食の後片付けをしていると、クレメンスがやって来た。
「カルロス。今日の夕食は私がつくる。買い出しの必要はない」
それだけ言うと、カルロスの返事も聞かずに行ってしまった。
カルロスはくびをかしげた。
家事全般は内弟子であるカルロスの仕事だ。
クレメンスは料理をすることは、ほとんどない。
とはいえ、クレメンスを追いかけてまで理由をきくほどのことではないので、カルロスは片付けを続行した。
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夕方。
カルロスが復習をしていると、台所の方から甘いよい香りがただよってきた。
カルロスは顔をあげ、ちらりとロジーナの様子をうかがう。
ロジーナは眉根を寄せ、口をへの字に曲げながら、文字の練習をしていた。
どうやらロジーナは匂いを全く気にしていないようだった。
カルロスはそっと立ち上がり、出入口に向かった。
ドアを開け、振り返ってロジーナの様子をみる。
ロジーナは相変わらず、文字の練習に集中しているようだった。
しばらくロジーナを放置していても問題ないだろう。
そう判断したカルロスは廊下へ出る。
辺りにはとても美味しそうな香りが充満していた。
クレメンスは一体どんな夕食を準備しているのだろうか。
カルロスは匂いにつられるように台所へと向かった。
カルロスがクレメンスの内弟子になったとき、カルロスは料理がほとんどできなかった。
内弟子になるということは、師匠の身の回りの世話をしなければならない。
カルロスはクレメンスにとって初めての内弟子だったので兄弟子はいなかったし、クレメンスは使用人を雇っていなかった。
カルロスは魔術だけでなく、料理をはじめとした家事全般もクレメンスに仕込まれたのだ。
だからカルロスはクレメンスの料理の腕前を知っている。
クレメンスは長年内弟子をしていただけあって、料理も手慣れたものだった。
カルロスからみれば完璧だった。
クレメンスが、なぜ今日にかぎって夕食の準備をしてくれるのかは大いなる謎ではあったが、カルロスにとって久しぶりのクレメンスの料理は楽しみ以外の何ものでもなかった。
いずれ分かるとは分かっていても、今日のメニューが気になった。
とくに、先ほどの甘い香りが何なのかが気になって仕方ない。
誘惑に負けたカルロスは台所を覗くために、こっそりドアを開けた。
隙間からみえる調理台には豪華な料理が並んでいた。
まるでパーティーでもあるようなラインナップだ。
いつもの食事とは全く違うメニューを不思議に思ったカルロスは、ドアの隙間から首をいれて、さらに中の様子を確認する。
クレメンスの姿が見えた。
よく見ると、クレメンスはスポンジケーキに生クリームをぬっているところだった。
カルロスは驚きのあまり飛び上がった。
クレメンスが顔を上げ、眉をピクリと動かす。
「カルロスか」
「し、師匠」
カルロスの驚愕の声に、クレメンスは「何か用か?」とでもいうように目をすがめた。
「ケ、ケーキが焼けるんっすか」
カルロスの問いに、クレメンスは「フン」と鼻をならした。
「当然だ。私を誰だと思っているのだ」
「そ、そうっすよね……」
カルロスはそう言うのが精一杯だった。
クレメンスが料理ができるのはわかっていた。
しかしケーキまでできるとは思い至らなかった。
カルロスは、クレメンスからケーキなどのお菓子の作り方を教わっていなかったし、クレメンスが率先して甘いモノを食べる姿を見たことはなかった。
クレメンスとケーキの取り合わせは、カルロスにとっては想定外だったのだ。
固まるカルロスをよそに、クレメンスは今度はクリーム絞りに持ち替えて、器用にデコレーションをしていく。
プロ顔負けの腕前だ。
「今日はロジーナが来た日だ」
クレメンスは作業を続けながら、少し柔らかい声で言った。
謎かけのような言葉にカルロスの頭はさらに混乱する。
確かに、ちょうど1年前の今日、ロジーナはこの館にやってきた。
だからといってクレメンスがケーキを焼くのと関係があるとは思えなかった。
ケーキといえば何かのお祝いのときに食べるイメージがある。
カルロスはクレメンスから入門日を祝ってもらったことはないし、他の弟子もそうだ。
基本的に入門日を祝う習慣はない。
百歩譲ったとしても、祝うのは入門日より進級認定日だろう。
「ロジーナは孤児だ。いつ生まれたのかはわからない」
クレメンスの言葉にカルロスはハッと声をあげた。
「今日をロジーナの誕生日にするということですか?」
「うむ」
クレメンスの満足そうな返事に、カルロスは瞳を輝かせた。
誕生日となれば話は別だ。
クレメンスの行動も理解できる。
孤児であり、表情すら無くしてしまうほどの過酷な環境にいたロジーナに、少しでも家庭の暖かみを味わってほしい。
家族の真似事でもいいからしてやりたい。
それはカルロスも同じ気持ちだった。
「私も孤児だったからな。師が毎年祝ってくれた」
クレメンスはイチゴを飾り付けながら、呟くように言った。
カルロスはそんなクレメンスの顔をまじまじと見つめた。
クレメンスは今まで見たこともないような柔らかな笑みを浮かべていた。
カルロスはクレメンスの師匠であるレクラスの柔和な顔を思い出す。
数回しか会ったことがなかったが、いかにもそういった細かい気遣いができそうな、品のある穏やかで優しい老人だった。
普段は非常に厳しいクレメンスがまれにみせる優しさは、レクラスの影響に違いなかった。
「ま、ケーキを用意してくださったのはレイラ先生だったがな」
カルロスの動きが止まる。
霧の魔女レイラ。
あのニコラスの師匠で、誰もが恐れる魔女。
カルロスも何度か会ったことがあるが、小柄な体躯から発せられる威圧感には圧倒されまくった。
クレメンス、レクラス、レイラ、そしておそらくニコラス。
4人揃ったクレメンスのバースデーパーティー。
それはカルロスの想像を超える世界だ。
家庭的な暖かな食卓とはかけ離れた空間だったにちがいない。
「カルロス。食堂へ運んでくれ」
「はい」
カルロスは慌てて返事をすると、料理をカートにのせ食堂へと運ぶ。
食堂へ着くと、既にテーブルの上には食器がセットしてあった。
カルロスは数を数える。
「人数多くないですか?」
後から入ってきたクレメンスに尋ねたが、クレメンスは「問題ない」とでもいうようにカルロスをチラリとみただけだった。
「ロジーナを呼んできてくれ」
クレメンスが料理を並べながら指示をする。
カルロスはくびをひねりながら自習室へと向かった。