遭遇
買い出しから戻ったカルロスは、台所へと向かった。
前方に、台所の扉が半開きになっているのが見える。
かなり嫌な予感がする。
このまま回れ右をして、何も見なかったことにしたい気分に襲われた。
しかし、カルロスは夕食をつくらなければならなかった。
扉の隙間から中をのぞく。
カチャカチャという物音だけではない、妙な鼻歌が聞こえてくる。
予想通りの展開に、カルロスは声にならない悲鳴をあげて、頭を抱えた。
やはり、無かったことにしよう。
カルロスはそう決心して立ち去ろうとした。
「カルロスくぅーん。夕食まだぁ?」
背後から飛んできた声に、カルロスはビクッと立ち止まる。
そのまま無視して行ってしまいたかった。
しかし相手は師範魔術師。
『灰色の道化師』と呼ばれ、師のクレメンスと双璧をなす実力の持ち主だ。
中級魔術師になったばかりのカルロスには、逆立ちしても太刀打ちできない。
「ふむふむ。この組み合わせだと、今日はハンバーグかなぁ」
いつの間にか、ヨレヨレのローブに身を包んだ男が、カルロスの買い物袋をガサガサとあさっていた。
「オイラ、ハンバーグ、大好物だよ」
男はカルロスを見上げ、口元をニヤリと歪めた。
灰色の瞳が妖しく光る。
「ニ、ニコラス先生、いらっしゃいませ」
カルロスは慌てて最敬礼する。
ニコラスはカルロスにとって、最も扱いにくい男だ。
その軽い調子にのせられて、迂闊に返事をすると、とんでもないことになる。
カルロスは過去に幾度かニコラスの口車にのせられた苦い経験がある。
特に、ニコラスの『お散歩』につき合わされたときは最悪だった。
ニコラスの『お散歩』とは、貴族の屋敷や高級店に立ち寄り、難癖をつけて『おもてなし』をしてもらうという、犯罪まがいの行為だ。
カルロスが付き合わされる羽目になった『お散歩』のとき、ニコラスは通報され、二人は駆けつけた警察隊に囲まれた。
子供だったカルロスはなんとか見逃してもらえたから良かったものの、一歩間違えれば、ニコラスとともに連行されていたかもしれないのだ。
二度とあんな目にはあいたくない。
そうでなくても、ニコラスはクレメンスの館にふらっと現れては、毎度のように台所を荒らし、何かしら一つは必ず『お土産』と称して持って行ってしまうのだ。
「弟子の躾が行き届いてるねぇ」
ニコラスはカルロスの顔を覗き込む。
少し青みがかったボサボサの黒髪が、カルロスの首筋をくすぐる。
カルロスは反射的に顔をそむけそうになったが、何とか思いとどまり、引きつった笑みを浮かべた。
ニコラスは息がかかるくらい顔を近づけると、ニタァと笑った。
「まぁいいや。とりあえず、クレちゃんとおチビちゃん呼んできて」
ニコラスはそう言うと、スタスタと応接室の方に向かって歩き出した。
*****
ロジーナはずっとニコラスを凝視していた。
「この子が噂の子かぁ」
ニコラスはロジーナの真正面でしゃがみこみ、視線を合わせた。
ロジーナは瞬きもせずに凝視したままだった。
「まるで生人形だね。クレちゃんのじゃなかったら、オイラのコレクションに加えたのになぁ」
そう言うと、ロジーナに鼻を近づけて「クンクン」とニオイをかいだ。
ロジーナは目を大きく見開いて固まっていた。
ニコラスはロジーナから鼻をはなすと首をかしげた。
もう一度、嗅ぐ。
その間、ロジーナはピクリとも動かなかった。
ニコラスは立ち上がると、首をひねり、視線を斜め上に向けてなにかを考えているようだった。
「うーん」
今度はクレメンスに近づき、ニオイをかぎはじめた。
クレメンスはチラリとニコラスを見たがすぐに視線を正面に向け、そのまま動かなかった。
ニコラスは「うんうん」とうなずくと、今度はカルロスの方を向いた。
カルロスは直立不動で息を殺し、ニコラスがニオイをかぎ終わるまでひたすら耐えた。
「だよねー」
ニコラスは再びロジーナのニオイをかぐ。
そして、鼻をはなすと、首をひねり、再び視線を宙にとばした。
「うーん。まいっか」
そう言うとクレメンスの方に向きなおる。
「それより、クレちゃんお金貸して」
ニコラスはクレメンスに顔を近づけニタァと笑った。
クレメンスはため息をついた。
「仕方ないな。カルロス。ロジーナを連れて下がりなさい」
そう言うと、カルロスに視線を送る。
カルロスは返事をするように一礼すると、ニコラスを凝視しているロジーナの肩を軽くたたいた。
「ほら、ロジーナ、行くぞ」
ロジーナの手をとり、出口へと向かう。
カルロスに引かれるままにロジーナは歩き出した。
だが、その視線はニコラスに固定したままだった。
ニコラスはそんなロジーナをニタァと笑いながら見送った。