彼女と彼のお月見日和
学校を出ると、人だかりが出来ていた。
ざわざわと思い思いに話ながら、何故か一様に同じ方向を見上げている。
一体何事だろうと、私もそこに歩いて行って、見慣れた顔を見つけた。
「先輩」
「ん? ああ、おう友香。今帰りか?」
「はい。お疲れさまです。それより、なんですか、これ」
これ、とはこの人垣の事である。
「んー。いや別に大したことじゃないんだけどさ、ほら、あれ」
と、先輩はぴっと、指をさす。それは生徒たちの視線と同じ、東のななめ上。
つい、っと私もそれにつられて見上げる。そうして、
「ああ」
とうなずいた。
なるほど。
「月、ですか」
そういえば、なにやら教室で同級生たちが騒いでいた。なんでも百何十年ぶりの月なのだとか。
えっと、なんだっけ。名前、出てこないや。
「今年二回目の十三夜なんだとさ」
「へえ……」
その現象も、なにが珍しいのかも解らなかったけれど、なるほど、その月は美しかった。
まだ仄かに明るいその空には、硝子のような月。満月、より少しだけ欠けたその姿。
今日は快晴だった。晩秋の澄んだ空気がきゅ、っとよく引き締まっている。月を見るには絶好の日だ。
明かりのあるうちに見る月というものは、なぜこんなにも綺麗なのだろうか。透き通っているように藍色の世界に浮かぶ。
その在り方があまりにも幻想的で、私は思わず見蕩れてしまった。
きっと、その時の私の顔ときたら、目の前の生徒達のように呆けていて、人に見せられるようなものではなかっただろう。
そうしてしばらく空を見上げ、はた、と意識を取り戻す。
し、しまった。ぼーっとしてしまった。
どうしよう。見られなかっただろうか。見られていたら、そうだ後で一発殴って忘れてもらおう。そうしよう。
そんな思考のもと、私はごまかすような声を上げて、
「いやあ、き、綺麗ですね。ねえ、悠せん──」
隣にいるその人が、まったく見当違いの方向を向いているのに、気が付いた。
「…………む」
何をしているのだろうこの人は、という疑念。
自分の呆けた顔を見られていない安堵より、そんなもやもやが先に立つ。
月を見ているのではない。
なにしろその顔は全く逆。体は私に向いているけれど、首は西側へ。本当に何をしているのだろう、と私もそちらを見遣って。
──そうして。
鮮烈な茜色に、目を奪われた。
「ああ」
私はこの日二回目の感嘆を吐き出す。
もう殆ど沈んでしまった太陽。その残滓が紺色のキャンパスに赤を流しいれる。
空の絵の具は水性なのだ、と。だからこんなにも綺麗ににじむのだ、と。どこかの誰か言った意味が、ほんの少しだけ解った気がした。
ああ、そういえば。
そう、そういえば今日は快晴だった。海に行けば、それは素晴らしい夕陽が見られただろう。
けれど、今日に限ってはそれに誰も気づかない。
百何十年に一度の天体ショーがそれを隠してしまったから。
「綺麗ですね、先輩」
私はもう一度、けれど今度は違う空を見ながら呟く。
「ん。綺麗だ、すごく」
今度は返事があった。
まったく。
なんというかこの人は、
「……先輩って、ひねくれてますよね」
「む。どういう意味だ、それ」
怪訝そうな目が、こちらを向く。私は笑って。
「言葉通りの意味ですよ。みんなが月見上げてるのに、他のもの見たりして」
「ほ、他のもの、って」
「うん? 夕焼けですよね」
「あ、うん。夕焼け」なぜか少しほっとしたように「とんでもなく綺麗だ」
「月より?」
「月も。でも、気づいてるのが僕だけの分、ちょっとだけ、こっちの方が」
綺麗だ。すごく。
そう言って、もう一度顔を逸らして、西を向く。
私はくすり、と笑って。
「ほら、やっぱりひねくれものじゃないですか」
「そうかな」
「そうですよ」
ひねくれもので、でも、人の気づかないことをしっかり見ていてくれる。
とは、言葉にしないけれど。
鈍感なくせして、目端が効くのだ。まったく、変な人である。
変な人で、そんな人だから、私は──。
「さあ、そろそろ帰ろう、友香」
ふと気づくと先輩は二歩ほど先にいて、そんな言葉を私に投げていた。
しまった。また呆けていた。けれどまあ、この暗がりだし、と気を取り直して。
「そうですね、帰りましょう。そうだ、もう暗いですし」
「はいはい、ちゃんとお送りしますよ、お嬢様」
「ふふん。そうこなくっちゃ。──あ、帰りのお茶はルモンドのココアがいいです私」
「送迎おやつ付き!?」
そこまでお嬢様待遇するつもりはねえよ、あんまんにしろあんまんに。
などとぼやきつつ先に歩き始めながらも、なんだかんだ歩幅を緩めて私が追い付くのを待っている先輩の背中に、「あ、チョコまんがいいですどうせなら! ゴディバ、ゴディバコラボのやつ!」「値段上がった!?」などといつもの軽口を交わしながら、私も駆けよるのだった。
ええと、うん。
まあなんというか、ひねくれているのは、どうやら先輩だけではないらしい。
◆
僕は、いつもよりずっと歩幅を緩めながら、ゴディバゴディバと喚きながら隣を歩く後輩を見る。
しかし、驚いた。
ばれたかと思った。
『他のもの見たりして』
この後輩はなんでこんな言い方をするのか。いや単に言葉の綾なのだろうけれど。
ちょっと動揺してしまったが、事のついでと鎌をかけてもみたのだが、ことごとくスルー。
そう。他のものを見ていた。
月を見ていた。夕焼けも見ていた。
けれども──月を見ていたこの後輩を見ていた時間のほうが、長かった。
なんともいえない、というかぶっちゃけかなり呆けていた顔だったけれど、うん、まあなんというか。
それは、僕にとっては。きっと、僕にだけは──。
「ねえ、先輩! 聞いてますか、先輩。ゴディバは譲りませんよ私」
そんな馬鹿みたいな思考は、張本人の割とどうでもいい呼びかけによって、遮られた。
「ええい、解った。いいだろうおごってやる。そしてちゃんと食べられるチョコレートの味を覚えろ」
「む。食塩は食べ物ですよ。チョコに間違って入れても食べれなくはなりません」
「それが致死量じゃなかったらな!?」
そうして始まるのはいつも通りの、愉快な会話。
沈んだ夕陽が、手をつないで月を引っ張って、そうして171年ぶりの夜が来る。
僕たちの今日はそんなに特別ではないけれど、出来ればどうか僕たちだけに解るくらいほんの少し、あの夕焼けのように鮮やかであって欲しい、とそんなひねくれたことを思うのだ。
と、そんなことを考えて、くすりと笑ってしまう。
ああ、うん。
癪だけど、どうやらこの後輩の言うとおり僕は、筋金入りのひねくれものらしい。
お月見青春コメディーいかがでしたでしょうか。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
この二人と愉快な仲間たちがコメディーな青春をくりひろげる、生徒会しーずんす! (http://ncode.syosetu.com/n0520bc/)連作短編にて連載しておりますので、気にいっていただけならばそちらもお読みいただけるなら嬉しいです。