灼足
「ここが二番街の入口だ」
マズローが立ち止まったのは、小さな名状し難いアーチ状の門柱の前。
路地を抜けてやってきた二番街のため、その門も裏口といえる。
本来なら石造りの門だったのだろうが、粘筋が覆ったその門柱にはいくつもの苦悶の表情の顔が浮かび上がり扉の無くなった門は口のように歯がびっしりと生えている気味の悪い物へと変化していた。
そこでしばらく休憩を取ることにした。
思っていたよりも、精神的な疲労は大きい。
俺自体何もしていないはずなんだが、猟奇的な光景が続くとやはり気持ちは沈んでいった。
「浮かない顔ね。まぁ、こんなところで浮いてる顔しててもおかしなもんだけど」
ちらりと見たルルの視線の先では、ラニャがとげぞうを強引に撫でようとして針を飛ばされていたのだが、何をしているんだろうか。
勝手にとげぞうに触れないでほしいと思う反面、とげぞうはペットではなくてパートナーなので自由にさせている。触らせてもらえていないところを見るに、気を許していないのだろうが。
「なぁ、本当に俺が来る必要あったのか? 王種の骨渡した時点で、王種への耐性は出来上がってるんだろ?」
「……ハッキリ言うと、保険ね。おかげで王種とは確実に戦える。これは間違いない……だけど、その先はわからないの」
粘躯化には、彷獄獣のルールが適用される。
それはつまり、彷獄獣の序列にも組み込まれるという事だ。
「耐性が完成してない階級に出会ったら、体が固まってしまうんだっけ」
「恐怖で体が動かなくなるらしいわ。実際に私が教会で初めて王種を見た時、全員が跪いて無抵抗に殺されていったの」
死から解放された無敵の体を手に入れた探索者達は、それはもう調子に乗ったらしい。
一度死を体験すれば、もはや死への抵抗は無くなり死んだ者ほど一人前という風潮にまでなってしまったそうだ。
そしてすぐに、彷獄獣のルールを知ることになる。
凡種以上の彷獄獣と出会ったとき、体の不調が起こった。
動くこともままならず、無残に殺されていったそうだ。
絶望と試行錯誤の結果、畏怖と呼ばれる硬直はひたすら同階級彷獄獣を倒し階級を上げていく事か、上位彷獄獣の残滓を体内に取り入れる事で解除されることは判明したものの、階級を上げることは並大抵の事ではなかった。
一年かけて、ようやく兵種との戦いを可能としたところで、初めて王種という存在との邂逅。
その圧倒的な存在感と、心の底からあふれ出る畏怖に探索者は絶望した。
それでも、1年、2年と時間をかけて兵種を殺し続け階級を上げることを目指していたが、とうとう王種級へと至る人間は現れなかったらしい。
「んで、そのための俺か……。ばーさんはこれも見越してたんかね」
「今となってはわからないけど、恐らく可能性は考慮してたんだと思う。だからこそ、研究書にゲンの考察があんなに詳しく書いてあったんだろうし」
俺の左腕は、細かい話はよくわからないが彷獄獣や粘筋と似た構造を持っているらしい。
つまりは、独立した粘躯体のような物であり、粘躯体でありながら獄夢のルールの外に存在するようだ。
ばぁさんが残した研究結果により俺が近くに居るだけで、ルールへの干渉を行えるかもしれないという仮説を打ち立てたルルは、それを希望にするために探索者へ話したのだが、一部の人間が曲解して俺を食えばルールから逸脱出来ると考えたようだ。
「……正直、俺を食わせろって迫られて牢屋で目を覚ました時は、食わせろの意味を真剣に考えて尻の無事を確かめたぞ?」
「ホモロー……!」
やめろ、冗談じゃねぇ。
ガチムチの金髪親父に言い寄られる姿を想像してしまい、もうマズローが完全にそっちの人にしか見えねぇ。
おい。何考えてるのか知らんけど、その笑いをこらえきれないようなムニムニする口元辞めてくれ。
しかし、俺を食う前に俺が持っていた王種の骨を発見して相当な騒ぎになったらしく、俺を食べるという暴挙は寝てる間に阻止されたようだ。
それを見つけた時、正直とんでもない混乱だったと興奮しながら伝えて来た探索者のあんちゃんは、ようやく王種と戦えるのだと涙ぐんでいた。
死ぬ思いして手に入れた骨だったんだけど、俺の身代わりに勝手に消費されてしまってショックだ。
骨は犠牲になったのだ。
「とにかく、ゲンの持ってきた王種の骨のおかげで無事に全員が王種級の肉体になれたわけだけど、眠れる主に至っては、その階級が未知でどうなるかわからないわ。だからこそ、ゲンを同行させるのは必須なの。切れるカードはいくら持っていても損は無いわ」
「正直、完全に荷物でしかないのは辛いんだけどなぁ」
「あら。人の目を気にしてるの?」
……あ?
「……してねぇわ! あ、暴れられなくて残念がってたんだよ!」
シュッシュとシャドーボクシングのような素振りをすれば、生暖かい視線が飛んできた。
正直、ドキッとした。
確かに、何も悪い事してないし寧ろ協力してる方なんだよな。この世界では治そうと思ってた俺の悪い癖だ。
……こいつは、狙って言ってるのかそうじゃないのか。
「心配しなくても、此処から先は彷獄獣を殺してもらわなきゃいけないしいくらでも出番はあるわ」
何もしないでいるのが悪みたいな気持ちが湧き出てたわ。うんうんそうか、堂々としてればいいんだよな。
「あ! 私もとげぞうちゃん触りたい!」
一通り話し終えたルルは、仕方なく触らせていたラニャととげとげぞうの姿を発見して行ってしまった。
案の定とげぞうに追いかけられるルルを、俺はぼーっと眺めていた。
二番街に足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのがはっきりとわかった。
赤い霧は濃くなり、粘筋は今まで唯の死肉だったものにヒダのようなものが生え足元はさらに悪くなった。
目立った見た目の変化はこの程度の物なのに、何もかもが違うように感じる。
突然、猛獣の檻にでも入れられたかのような圧迫感と危機感が襲ってきた。
「……二番街はな、実は道中はそこまで問題はない。ただ、いくつかどうしても通らなければならない場所に危険な個所があることと、あとは途中で兵種に見つからないようにルートを選ぶこと。後はまぁ……足が降ってこないことを祈ることだな」
「でかい足か……。それ降ってきたらどう対処すればいい?」
「逃げるしかなイ」
シンプルイズベスト。
休憩中に聞いた、でかい足と呼ばれる罠の話だ。
「前兆もなく、気付いたら頭上に10メートル幅の足の裏があるからな。気付かなければ何が起こったかわからないままつぶされる。ありゃ多分足にみえるだけの罠だ。胴体があるわけじゃなく天井から伸びてきてる。気づいたら声をかけるが、全員自分の事だけ考えて逃げろ」
恐らく縦に10メートルもある幅なら、今歩いてる裏通りなんて横幅は一杯に押しつぶされるだろう。
完全に殺しに来ている罠は、頻度こそ少ない物のある程度ランダムな状態で降ってくるらしいから、頭上の警戒に一人が必ず専属になる。
「此処から先は、正直命の保証は出来ない。極力自力で逃げてくれ」
「ちなみに、足はどれくらいの頻度で?」
「安心しろ、そんなに多くは――」
「フシュッ」
マズローの言葉の途中で、とげぞうが警戒音を鳴らす。
――嘘だろ!?
いや、とげぞうを信じろ!!
「走れ(レ)!!」
「?? ――っ!!」
俺とネルが同時に叫び、その場を走り出す。
一瞬何が起こったのかわからなかったらしく全員が呆けていたが、俺が三番街の方へと戻るために走り出した数瞬後に遅れて走り出した。
――ズゥゥゥゥン……
俺の後方で、低い轟音が鳴り響く。
振り向けば、そこには灼熱色をした巨大な塊が先ほどまで俺達が居た場所を踏み抜いているではないか。
「……でけぇ。なんだよこれ」
こんなもんに踏み潰されれば、ひとたまりもない。
上を見上げれば、その先はどこまでも上へと伸びていた。
「……二人潰された。こんなところで足が降ってきた事なんて、今までなかったってのに」
ゆっくりと、巨足が上がっていく。
そこには、もはや人であったものだとも認識しようのない潰れた肉がへばりついていた。
「今までとパターンが変わってるネ。慣れて居るだけに不意を突かれたヨ」
「あぁ……。お前らが気付かなかったらやばかった」
「まぁ、こういう危険を察することは森で慣れてるからな」
危険を察することには慣れて居る。
……主にとげぞうさんがだが。
ほんととげぞうさん天才ですわと褒めれば、調子に乗ってのドヤ顔である。
可愛すぎて、カメラが無い事に血の涙が出た。
「さすが、これぐらいはできる男だと見込んでましたの」
「自分だけ役立たずになるまいと自らの観察眼をねじ込んでくるとは、やるわねラニャ」
「そそそんなことありませんの!?」
ルルも何もしてないけどな。
日刊今回のとげぞう
寝るのも飽きて暇なので粘筋のひだで遊んでいれば、妙な♀が背後から近づいて来たので逃げ出した。
ずっと追いかけてくるが、なんだか楽しくなってきた。
しばらくすると飽きたので、休憩がてら触らせていれば別の♀が近づいて来た。
不愉快な手つきだったので、針で撃退してやった。「なんでー」と、目から水を出していた。
頭上から不快な気配あり。お知らせしてやった。危うく潰されるところだった。
褒められた。ちょっともうれしくないし。これぐらい当然だよね。
お腹もすいて来たし遊び疲れたので、また袋の中で寝ようと思う。
byゲンによるアテレコ風