私があの子であの子があの子
しばらく歩いただろうか、階段を上り続けると何やらすえたような匂いがしてきた。
目を凝らせば、ぼんやりと先が明るい。
ルルが立ち止まった場所に並べば、そこは広い空間の中二階のような場所で、下を見下ろせるバルコニーだった。
「これは……」
黙ったままのルルの視線の先に目をやって、驚いた。
人だ。
そこに、まぎれもなく人が造ったものがあり、生活している人が居た。
石の柱が立ち並ぶ薄暗い大聖堂は、所々壁の窪みに火が焚かれその全貌をぼんやりと浮かび上がらせる。
壁際には細かい彫刻の施された女神のような石像と石の祭壇があるだけの何もない広場となっており、作り自体は質素と言えるだろう。
だが、広場の真ん中は高い吹き抜けとなっているらしく、上を見上げるにつれて火だけが浮かび上がりまるで夜空のごとき美しさを作り上げている。
質素で気品のある、まさに教会らしい作りと言ったところか。
……作りだけの話だ。
石の手すりから階下を見れば、ヒソヒソと周囲から誰かの話し声や泣き声が聞こえる。
見えるのは大量の色とりどりのぼろきれと、そこらかしこで焚火やかがり火が焚かれた灯り。
大聖堂はたくさんの朽ち果てたテントが立ち並び、スラム化していた。
神聖さと穢れと生と死と、全てが混ざり合い冒涜的で混沌としている。
焚火の周りでは、ボロを被った老人や女性が何か得体の知れない肉を焼いている。
どこからともなく怒声や奇声が時々聞こえ、髪の生えそろっていない幼児が何かを捕まえて口に入れているのが見えた。
こんなに、人が住んでいたのか。
「獄夢は、王城から発生したの。じわじわと根を張り、ゆっくりと、奇妙に日常が侵されていったわ。そしてそれはある日、津波のように街を襲い逃げ切れたわずかな人達は此処での生活を始めたのよ」
「60……いや、男たち合わせれば80人くらいか?」
「93人よ。うち4人は此処で新しく生まれた子達ね」
まさかの人口増加まで発生してただと? 逞しすぎるだろ人類。
よく見れば、山羊のような家畜まで数匹バルコニーへ伸びる柱に繋がれている。
「獄夢とは、今まで誰も攻略どころか碌に生きて帰った人も居ない世界最悪の厄災よ。異界の何かがこの世界に顕現するための浸食触媒と言われてる。人々を食らい、孵化すれば存在を確立し大陸を飲み込んで自分たちの都合のいい環境を作り上げるわ。そうなれば、その大陸は死の大陸に変貌する。それを阻止するには、これを引き起こしてる主を殺すしかないと言われてるの」
「ここが、その獄夢の中ってわけか……。つまりここは、逃げ遅れた難民キャンプってことか?」
どうやっているのかは知らないが、こうして結界を張って人の生存圏を維持しているんだろう。
いつかやってくる助けを待っているということだろうか。
「いいえ、ここは……前線基地よ」
「前線基地?」
「ええ。外部からの獄夢の攻略は不可能。ならばと、内部から攻略を行うためにあえて命をかけて内部に残った、探索者達の砦なの」
「……あの人らも?」
「彼らは、辛うじて此処にたどり着いた難民よ。だけど、此処での生活を維持してくれるサポート要員でもあったわ」
過去形か……。
ってことは、見た通り生活はどこかで破綻したんだろう。
うーん、何が起こったのか気になるところではあるけど深入りするべきでも無いよな。
そう思っていたのだけど、ルルはこちらを振り返ると俺をジッと見つめて語りだした。
「それじゃ、ここからが本題。あなたとアキラのことよ。この国で、獄夢の発生が予見された時その対策として、おばぁ様はあなたと私と一緒にこの王都に連れてこられたわ」
「それで俺がこんなところに居たってわけか」
「ええ……。他にどうしようもなかったの。あなたを放置していけば、確実に転生は失敗してドロドロの何かになっていたはずよ」
ドロドロの何かって何!?
こわっ! 普通に死ぬとかじゃなくてドロドロの何かになったまま生きてるの!?
うーん、しかし結果としてこの地獄の中……どっちがマシだったのかは何とも言えないのかもしれないくらいしんどかった。
「アキラは、死んだ。そしてあなたを助けるために祝福を授けた。そこまでは理解してるわよね?」
「あぁ……。晶は俺を救うために魂のエネルギーを祝福に変えた……だっけ?」
たしか、眠りについているときに受けた説明の一つだ。
この世界では、身近な人が死ぬと祝福や呪いと言われる魂の痕跡を稀に残すことが出来るらしい。
人の魂を、人がアウラとして吸収するんだ。魂が混ざらないためのフィルターがあるとはいえ、それを上回る思いがあれば魂に影響を与えられる。
良い影響なら、祝福を。悪い影響なら呪いを。
晶が死んだときなんて、俺に魂のフィルターが無かったわけだから影響を与えるなんて簡単だったらしい。
「導く者……そう呼ばれるタイプの祝福。普通なら祝福や呪いを与えた魂は全てのエネルギーを消費して輪廻転生の輪からすら外れるほど摩耗するはずだった。だけど、何らかの要因とあなたの魂が無防備だったこともあってアキラの魂はあなたの中に別の部屋を作って留まることに成功した」
俺が転生する前に出会った白い部屋に居る晶は、そこに留まっていた証らしい。
晶は、それほどの覚悟をもって俺を助けてくれたようだ。
さらに、摩耗していた魂には俺の名前の一部を与えることでエネルギーを送り込みなんとか形を取り戻していたはずだ。
「だから、アキラの魂は奇跡的に魔素にも完全なアウラにもなることなく残ることになった。もちろん、この世界でだって普通、死んだ人間は生き返ることは無いわ。だけど、今なら――その魂を使ってアキラを復活させる方法は二つある」
「二つ……?」
晶の復活……っ!
正直、助けるってどういうことかと不安だった。
人を生き返らせる事なんて、物語だけのことで本当に出来るなんて半信半疑だった。
その方法が二つもあるなんて!
「一つは、この獄夢を攻略すること」
はい、そう来ると思ってたよ……。
何かわからないけど、協力しないと助けてやらないよ系だろ。絶対そうだと思ってたよ。
「獄夢には、孵化すれば世界の理を捻じ曲げるほどの膨大な力がため込まれてるの。だから攻略すれば、そのエネルギーを自らの物に出来ると言われてる。その力を使って、晶を生き返らせるのよ」
やっぱりな……。
この話の流れから想像できない日本人は居ないよほんと。
しかし、俺に攻略なんてできないぞ? 一般人だぞ。
「なんて顔してるのよ……。まぁ、考えてる事は、大体わかるわ。無理やりこの獄夢に連れてきておいて、何言ってるんだって思うわよね。だから、もう一つの選択肢」
「それは?」
「アキラの魂は、魔石に封じてある。ただ、その記憶は失われる可能性があったからバックアップを取ってあるの。……私の中にね」
「え……?」
魔石ねぇ……魔石……?
いやいや、まさかな。
って、バックアップ? え? どういうことだ?
つまり、こいつは――
「ふふ。気づいた?」
ルルがその固かった表情を和らげると、視線をわずかに俺から逸らした後、俺の耳に口を近づけた。
その笑顔は、どこかで見たような――
「元希」
「っ!?」
かすかな声で、ルルは呟いた。
もはや晶にしか呼ぶことの許されない、その名前を。
「私はアキラの記憶をまるまま持ってる。だからあなたの真名も呼べるし、地球のことだって理解してるわ。私の中にはある意味、アキラが居る」
俺ですら、その名前は既に口にすることが出来ない。
しようと思っても、音にならない。
希の字は、晶から貰ったエネルギーを上乗せしてアイツに捧げたんだから当然だ。
その名前を口に出来る時点で、もはや疑いようはなかったがそれでも確認してしまう。
「……俺達が住んでた街の名前は?」
「F県I街。小学校は明林小学校で6年生の頃のクラスは2組。ゲンがよくやってたゲームは、タクティクスハンター」
ま……マジか。
聞いてない情報までポンポン出て来やがる。
しかもこの勝手に話す辺り、確かに――
「ちなみにあなたの初恋の相手は――」
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
「ふふ。獄夢を攻略して、そのエネルギーを使い粘筋でアキラの依代を作って魂を入れる事。もしくは、今すぐにでも私がアキラの魂を取り込み、アキラの魂で私の魂を上書きすること。これがアキラを救う二つの方法よ」
あぁぁぁぁ。混乱してるのに情報が止まらない。
魔石に晶が入ってて、ルルが晶の記憶を持ってる?
信じられないけど、絶対に晶しか知らない初恋の相手まで知ってるってことは本当にその通りなんだろう。
しかし、それはつまり――
「その場合……ルルはどうなるんだ?」
「安心して。後者の場合もちろん私は消えるわ。その代り、アキラの体は私のままになっちゃうけどね」
「――っ」
まじかよ、ルルを犠牲にして晶を助けろと……?
なんでそんな重大なことそんな平気な顔で――なるほど、そういう事か。
晶の記憶を持ってる……ね。
確かに、晶の考え方も地球の記憶もあるわけだ。
「……一つ、聞いていいか?」
「なに?」
「晶の記憶を持ってルルの魂を持つお前は、誰だ?」
この問に、ルルの表情が一瞬驚いたような顔になった。
そして、勝利を確信したかのようにその美しい口元が弧を描く。
「私は、ルルよ。アキラの記憶も考え方も理解できるけど、選択するのは私。それに私の記憶も、意思も主導権は私にあるわ。魂を持つっていうのは、そういう事。だからこそ魂の上書をすれば、私は完全に消えるわ」
「そうか……じゃあ――」
いまいち魂ってものが理解できていなかった俺に、ルルはそう説明した。
考え方とか、記憶とかそういうものと魂は別の物だと。
その勝ち誇ったような笑顔を見て、俺は決めた。
「今すぐ晶を生き返らせてくれ」
その言葉を聞いて、ルルは――固まった。
「えっと……」
「どうした? 早くしてくれよ。俺の目的は、晶を生き返らせる事ただ一つだ。外見なんてどうでもいいよ。あぁ、魔石って――」
「ま、待て!! 待ってくれ!」
そう叫びながら物陰から現れたのは、金髪の美丈夫、マズローだった。
彼はひどく慌てた様子で現れると、俺とルルの間にグイッと割り込んだ。
出やがったな。ずっと俺達の話を聞いてたんだろう。
「ゲン。ルルを犠牲にする選択肢を取るのはやめてくれ。この子は責任感が強いせいでそんな方法を準備していたが、彼女はこの獄夢の攻略に必要なんだ」
「マズロー……」
「……っは。とげぞう、俺達としては晶が復活さえしてくれたらあとは何とかここから脱出できればいいもんな?」
「きゅ? きゅ!」
とげぞうさん、寝てて聞いてなかったな?
犠牲にするのを辞めろって、この人俺の事犠牲にしようとしてたよな? しかも食料として。
ルルは、マズローが現れた瞬間に目を見開いて逡巡したあと俺を見た。
「マズロー、私は最初からこのつもりだったから黙ってて。それに、ゲンの性格は私が一番良く知ってる。彼は性格が陰険なのよ。そんなお願いなんかじゃ意思を変えるわけないわよ。それこそすべてを犠牲にする覚悟でお願いするくらいしないと、話しすら聞いてくれないわよ」
「黙ってられるか!! やっと、やっと状況が変わろうとしてるんだ! それに、全員そこで話を聞いてるんだぞ!! お前はみんなの前でそんなことを――」
「ルル、早くしてくれない?」
誰が陰険やねん。覚えてろよこいつ。
ほーんそれにしても、みんな聞いてるわけか。
マズローは、俺のことをギリギリと歯ぎしりしながら睨みつけた後、ゆっくりと地面に膝をついた。
「っく。……頼む。ゲン。俺に出来る事なら何でもするから、ルルを見逃してやってくれ。この通りだ」
そして、そういいながらゆっくりと頭を下げた。
なんてこった。こんなところでこんなきれいなジャパニーズ土下座を見てしまうなんて。
……ルル、お前中々いい性格してるよ。見られてないからって全員をこっそり手招きで呼ぶんじゃない。
「今、何でもするって言ったな?」
「えぇ、言ったわね」
「っ――!?」
そう確認する俺の声に、ルルが返事をした。
それに反応するように、マズローが顔を上げる瞬間――
「みんな、マズローが出発前に秘蔵の酒を大盤振る舞いしてくれるそうよ」
「うおおおおおおお!! 酒だあああ!!」
「このオヤジまだ隠してやがったのかあああ!! ひゃっほおぉぉぉぉ!」
ルルの宣言に、男たちが歓声を挙げた。
うわぁ、悪い顔してやがる。これで判明したわ。確かに晶の記憶持ってるけど、こいつの方が性格悪い。
だけどまぁ、そういうの嫌いじゃないよね。
俺を食おうとした奴が一番悪いよね。食い物の恨みは食い物で晴らすべきだと思うんだ。
「えぇ、酒だけか? 俺としては腹減ったんだけど」
「もちろん、つまみも確か隠してあったはずよね」
「うおおおお! もしかしてシーアさん特製の干し肉か!?」
「ちょ! ちょっと待て! 何で知って――あれは本当に秘蔵の酒で全員で飲んだら無くなっちまう! それに、干し肉隠してたことシーアにバレたら殺される!」
寸劇を広げてみれば、なんか追加の要求も通った。
ちらりと階下を眺めれば、何事かと集まった住民の中、ローブを被った女性が親指を突き立てもっとやれアピールしてるのが見えた。
うん、アレが多分シーアさんなんだろう。
許可も貰ったし、オッケー。
「えぇー? 嫌なの? 何でもするって言ったよなぁ?」
「言ったわね。間違いないわ。まさかマズローともあろう男が、約束をたがえるはずがないわよね」
「言ったけど、言ったけども!! なんでお前らそんなに息ぴったりに――あぁ!? ハメやがったなお前ら!!」
慌てるマズローの顔を見て笑っている俺達の表情を見て、マズローが崩れ落ちた。
気付くのおせぇなぁおっさん。
いやだって、やられっぱなしなのも癪に障るし。
なんか重たい雰囲気続くのも、しんどいし?
ちょっとゴネて雰囲気軽くしてやろうかとおもったら、なんかあっさりと俺の考え読んで乗っかってきたどこかの腹黒聖女が悪いと思う。
晶の記憶持ってるって言ってたから通じるとは思ってたけど。
「落ち込むなよおっさん。ちゃんと要求を通してやるからさ」
「……お前、最初からそのつもりだっただろ」
がっくりと肩を落としながら、おっさんは小さく呟いた。




