やばい
膿のような汁の溜まる肉壁の隙間に、3人で固まるように身を沈めていると、そのうち自分の体までもが死肉になってしまうんじゃないかと思えて身を震わせた。
俺達はあれから赤ん坊の隙を突き、ようやく物陰に隠れることに成功したため、このキュリと呼ばれる少女となんとか情報交換を行っていた。
頼む……このまま隠れ切れてくれ。
「……じゃあ、ここがその獄夢っていう化物の巣って事なのか? で、あの赤ん坊なんかが彷獄獣って奴?」
「えぇ……此処から生きて帰った人なんて居ない。人類の絶望と呼ばれてる世界最悪の厄災よ……」
「絶望……ね」
どうやらここは、見た目通りのとてつもなくヤバい場所のようだ。
旧王都であるここは、ある日を境に死肉が溢れかえる化物の巣に変貌したらしい。
そして何の因果か、俺はその中に入ってしまったようだ。
どういうことだよ。場所の説明聞いてもなんで自分がこんなところに居るかなんて全然わからねぇ。
一方キュリ達は、突然兵士たちに村ごと連れてこられてこの獄夢と呼ばれる場所に落とされたのだそうだ。
弟のアルフォンスは抱えられているうちに早めに気絶してるが、この子にとっても今の状況にしてもこのままのほうが良いだろうな。
「……それで? 教会ってのは?」
「詳しくなんてわからないわ。……お父様もすごく焦った様子で、何があったかなんて聞く暇もなかったから……」
「ソコを目指せって言葉だけか……それじゃ出口もわからない?」
「えぇ……なんでこんなことに。私たちはちゃんと獄夢の監視を続けて来たし、罪人の選別だって……なのになんで私たちが此処に」
キュリはしばらく弟の頭を抱えたままぶつぶつと呟いていた。
どうやら無理やり村人が丸々この……獄夢? って場所へ落とされたらしい。
彷獄獣って化物はこの獄夢から出られないらしく、此処は何やら、凶悪な処刑場に使われている場所のようだ。そして、キュリ達は此処の監視員をしてきた一族ってことか……?
つくづく何て場所に俺は居るんだよ……。
少なくとも、本当の地獄や死後の世界とかいう状況と言うわけじゃないことがわかっただけでも僥倖だと思っておくしか俺の心が保てそうにないなぁ。
「大体あなた、何者なのよ……? なんでそんなに平気そうにしていられるの? 獄夢の中なのよ?」
「何者かって言われると……あ、自己紹介? どうも、ゲンです」
「いや、名前じゃなくて……」
わかってるよ。
でも何と答えればいいのか、自分でも困る。
平気そうって言われると、それは多分獄夢ってやつの認識の問題な気もする。ヤバい場所ってのはわかるけど、それがどれくらいかと言われると……実感はない。
ただ、少なくとも心の中ではそれなりに参ってはいるつもりだ。寧ろギリギリだよ。
怯えてる君の姿を見て心を落ち着けているぐらいにはギリギリだとは、口が裂けても言わないけど。
自分以上に困惑している人が居るって、大事だね。森の中じゃ一人しかいなかったからこうやって落ち着く方法なんてなかったもん。
つくづく人は一人じゃ生きられないってことを理解したね俺は。
ただ、そうやって落ち着いて居られる時間も長くはなかった。
「……キュリ、3つ数えたら走るぞ。準備しろ」
「え……まっ」
三つ数え、走り出した瞬間。
「ダァァァァァ!」
赤ん坊が俺達が隠れていた物陰に頭ごと突っ込んできやがった。
よし、うまい事死肉の隙間にはまって方向転換に手間取っている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
とにかく、家だ。
家の扉を探すしか、逃げ道がない。
肉壁の道を走りながらも食い入るように観察した。
教会を見つけられればそれが最高なんだろうが、これだけ走り回って見つからなかった教会がすぐに見つかるとは考えにくい。
そう考えると、死肉に覆われていないであろう閉じた扉の家に逃げ込むのがきっと正解だ。
死肉が蔓延っていても、元の家であったであろう建物の形が、うっすらとわかる。
背の高いビルのような立方体はのっぺりとしたただの肉壁になっているが、背の低い物はよく見ればうっすらと窓や扉の形が浮き出ているのだ。
だが――
だめだ、これは高い。
低い建物とはいっても、見つかる扉らしきもののどれもが二階や三階部分に相当するような場所にしかない。
まるで意図的に高い場所に入口が作られているかのようだ。
元は一体どういう町だったのか……。
最初の家のような低い建物は、見つけても扉が開いてしまっていて中が死肉に覆われている。
「はっ、はっ、はっ……もう、だめ……」
「諦めんな!! 扉があれば、アイツが入ってこれない場所に行ける! あの先の小さな建物ならもしかしたら……いや、絶対助かるから頑張れ!!」
ここまで来るまでになんとか走りながら、扉の先が安全であるとはキュリにも伝えてある。
ようやく見つけた、低い場所に扉がありそうな立方体だった。
まっすぐ今走っている通路を抜けたT字路になっている場所に見つけた。
……くそ、弟の方が気絶して余計に重く感じてるのか。
俺もきついってことは、この子も体力の限界が近づいてる。
「あっ……」
四つ角をまっすぐ走り抜け、先に見えるT字路を目指そうと最後の力を振り絞っていた時だ。
通路の先の光景が、おかしなことに気づいた。
色だ。色がおかしい。
黒に近い色に染まっている通路の最後の方だけが、うっすらと白っぽくなっている。
やばい。
そう思い声が漏れ、慌てて周囲を確認するがもう手遅れだ。
目的地まで一本道な上に、後ろから迫っている赤ん坊が居るため、引き返すことはできない。
それらが目視できる距離までやってきて、俺は息をのんだ。
手だ。
地面を、壁を、腕の花が足の踏み場もほとんどないほどの密度で咲いている。
「何あれ!? 手!? 沼のほとりにもあった奴!?」
「とっ止まれ!」
「無理よ!! 赤ん坊が来てる!!」
「っく!」
走り続けて心臓が破裂しそうな体に、冷たい汗が流れるのを感じた。
脳裏に、腕の花に触れて地面へと消えて行った男の姿がよみがえる。
やばいやばいやばい。
まじかよ、あと少しであの建物に行けるってのに!
腕の花の群生地の幅は、距離にしてやく10メートルほどだろうか。
とてもじゃないが、跳んで躱せるような距離じゃない。
それに、あと30メートルほどで到達してしまう。
しかしその先に見える家にこそ、俺達が目指していた閉じた肉壁の扉があった。
「あれ、扉じゃない!? 閉じてる! あの扉閉じてるわ!!」
それをキュリも気づいたらしい。
疲弊と緊迫の極限に達していた顔を緩め、ホッとした表情で叫んだ。
そうか。この子、腕の花の危険性を知らないのか!
「だめだキュリ!! 止まれ!!」
「なんで!? このままじゃ死ぬわ!!」
「あの腕はダメなんだ!! 俺があいつを引きつけるから引き返して――」
「うるさい! どいて!」
制止する俺を強く押しのけ、キュリが俺を追い抜く。
よろめきながら俺は、一瞬呆然としてしまった。
な……!
お、俺はお前を助けようと……!
兜夢ではありません。
地獄ヘル 悪夢 ナイトメア ヘル ナイトメア ヘル ナイトメア
ンー!
ペンパイナッポーアッポーペン
「ム」はどこからきたかって? 海賊王のDみたいなもんです。
「郷」的な意味も含まれてます。




