りゅうとなるもの
龍視点です。
そのトカゲは、同時に生まれた兄たちに比べてひどく体も小さく、やせ細っていた。
彼は何とか卵の殻を破り、この世に生まれた瞬間、自然の厳しい洗礼を浴びる事となる。
なんと、体の大きな、先に生まれた兄たちに自分の生まれた卵の殻を食べられてしまった。
このトカゲの種類は、生まれた自分の殻を食べることで生きるための最低限の力を得ることが出来る。
その、生きるために必須の殻を、兄たちに奪われてしまったのだ。
兄たちは、弟の力を全て奪い終えるとすぐにその場から立ち去り、自分たちの生きる場所を探し始めた。
トカゲは、自分に全く優しくないこの世界に、生まれた直後に絶望した事にすら気づけない。
自分が何者なのか、何のために生まれてきたのかすら考えることもできない。トカゲには自我が無かった。
その場から動くこともできず、トカゲはその生まれたばかりの命を散らそうとしていた。
岩陰で、誰にも知られることなくひっそりと死んでいく自分が悲しかった。
だが、当時のトカゲはそんな自分の思いにすら気づかない。
ひっそりと、ただひっそりとその命の炎は消えようとしていた。
「あら? あなたはだぁれ? 苦しいの? 今お水をくんできてあげる」
トカゲが死を覚悟した瞬間だった。
巨大な影が射したかと思うと、耳触りのよい高い音が響いた。
その影はすぐにいなくなり、戻ってきた時には大量の水を……全身に浴びせかけられた。
瀕死のトカゲは、その消えかけた蝋燭に水を浴びせられたことで、そのまま息絶えた。
だが、この時奇跡が起こる。
「あら? 大変、この子苦しがってるわ! どうしよう、そうだ! お詫びに私の宝物をあげる!」
動きが止まり、水に力なく流されるトカゲを見て慌てた影は、何を思ったか動かないトカゲの鼻先に赤い結晶を置いた。
この赤い結晶は、すさまじい力を秘めていた。
そばに置かれた結晶から、トカゲへとエネルギーが流れ込む。
息絶え、そのまま死んでしまおうとしていたトカゲに一瞬意識が戻った。
赤い結晶を無意識に咥えたトカゲは、夢の中で暖かい何かに包まれていった。
◇
数か月後。
「ジョセフィーヌ! あなたの名前はジョセフィーヌよ!」
また影が、トカゲのことをジョセフィーヌと言うわけのわからない名前で呼んでいる。
トカゲはやれやれと言った感じでノッソリと動き出すと、影の呼び声に答えた。
影が自分のことをジョセフィーヌと名付けているということは、この数か月で理解できていた。だが、トカゲにはその名前は似合わない気がする。そもそもこのトカゲはオスだ。そういったことをトカゲもどこかで感じていたのだろうか。いまだ名前に納得していなかった。
だが、名前に納得はしてなくても呼び声には答えざるを得ない。
トカゲは、影のことが大好きだ。
初めて触れた暖かい気持ち。
そして何よりも、今この場に自分が居るのはこの影のおかげ。
あの赤い結晶を与えられたその日から、この影との間に何かのつながりが生まれ、そしてトカゲは自我を得た。
この影の名前は、メリルと言うらしい。他にも同じ種族らしき真っ黒な影数名と生活しているらしいが、それはどうでもよかった。
時々低い声を出す黒い影がトカゲのことをじっと見ていたが、トカゲは気にしない。
トカゲは、メリルと一緒に居られるだけで幸せだったから他のことはどうでもよかったのだ。
メリルに褒められると、うれしくて気持ちが弾んだ。
メリルに撫でてもらうと、何よりも気持ちよくて安らいだ。
その甲高い声が、無邪気な笑い声が、暖かい肌が、全てが愛おしかった。
メリルが求めることは何でもやった。
大して好きでもない豆を、上手にキャッチするとキャッキャと喜ぶその姿が見たくて、何度も豆を飛ばしてもらえるようにお願いした。
毎日が、幸せだった。
「もし私が居なくなったら、ジョセフィーヌはこの滝で待っていてね。あなたならこの滝の中で隠れられるでしょ? もし迷子になって離れ離れになったら困るもの! いい? 絶対よ?」
メリルは離れ離れになってしまった時のために、口を酸っぱくしてそう言っていた。
豆をキャッチするために走り回っていたら、離れ離れになることが多かったし、メリルに頼まれたことを行うためにメリルを置いて行動することも多かったからだ。
滝で待っていると、いつもきちんとメリルが迎えに来てくれた。
メリルを滝で待つその時間すらも心地の良い時間となっていた。
次第にトカゲは成長していき、どんどん逞しくなっていった。
口から出せる水の量も増え、いろいろな形に変えられるようになった。
生まれた時に自分の殻を奪っていった兄たちと比べても、まるで相手にならないほどの大きさへと成長していた。
トカゲは、トカゲではない何かになろうとしていた。
◇
そんな幸せな毎日は、あっという間に終わりを迎える。
その日、トカゲはメリルに頼まれて新しい食べれられる草を探しに出かけていた。
なんでも彼女はこの森を一人で出るつもりらしい。
10日以上前、彼女に何か悲しいことが起こったようだった。
そういえばそれ以来、もう一人の高い音を出す影を見なくなった。
どうやら黒い影同士で諍いを起したらしい。
トカゲは、その影同士でのやり取りに干渉することをメリルに禁止されていたため、何もしてあげることが出来なかった。
今回のことも、そのことを起因とする嫌なことがあったらしくメリルは森の中で一人、さめざめと泣いていた。
それを見た瞬間、トカゲは黒い影たちを殺してしまいたい衝動にかられるが、メリルに禁止されていることを行うのは気が引け、ぐっと自分を押さえメリルのために食糧を探しに行った。
トカゲはこの選択を生涯後悔することになる。
トカゲが帰ってくると、いつもの待ち合わせ場所の滝にメリルは居なかった。
こっそりと影たちの住処へと潜り込んでみると、黒い影同士が殺し合っている。
諍いが激化してしまったらしい。
野太い声同士の黒い影が争っている。
トカゲは焦った。
メリルの姿が見つからない。
トカゲはメリルを探し回る。
森の中をがむしゃらに探し回り、ようやく落ち着きを取り戻したトカゲはメリルの言葉を思い出した。
そうだ、きっとメリルも自分を探して滝に来ているはずだ。
そう信じて滝へと戻った。
それから数年。
待てども待てども、メリルがトカゲを迎えに来ることは無かった。
それでもトカゲは待ち続ける。
雨の日も、風の日も、雪の日も、メリルが来るはずと信じて待ち続けた。
いつしかトカゲは、崖沿いの道をやってくる生き物がすべてメリルに思えて迎えに行くようになる。
それが違うとわかると生き物をがむしゃらに殺し出した。
トカゲの愛は、長い年月をかけて怒りへと変貌していた。
それからさらに年月は過ぎていく。
崖沿いの道を通る生き物全てを殺し続けたトカゲは、龍へとその姿を変えていた。
やり場のない怒りを携えたその姿は、いまだ成長途中とはいえ王者の風格をかもしだし、滝周辺の主として君臨する。
もともと怪鳥のおかげで生き物の行き来がすくなかった崖沿いの道だが、今では龍の姿を恐れ、日中崖沿いの道を通る生き物は全くと言っていいほど居なくなった。たまに夜中に龍の目を逃れて通ろうとする生き物が居る程度だ。
姿を変え、当時の面影がなくなっても龍はメリルを待ち続けた。
ある日メリルが洞窟に帰ってきていないかを確認しに行くと、そこに影が住んでいた。
龍は歓喜する。メリルが帰ってきた!
慌てて近寄った龍は、甲高い声をした影に反撃を受ける。
これは、メリルじゃない。
怒り狂った龍はその場で影を食い殺すと、メリルとの思い出の場を誰かに汚されないように洞窟の入り口をふさいでしまった。
これでもう、メリルが暮らした場所を荒らす奴は居ない。
その影の名は劉と言ったが、トカゲが知ることは無い。
それから数十年の月日がたった。
今では、メリルが飛ばしてくれていた豆が自然と飛ぶ季節まで理解してしまい、自然に飛んだ豆に反応することも無くなった。
あぁ、豆が飛んでいる。だがあれはメリルではない。もう、ぬか喜びは沢山だ。
龍は、滝壺の中で寝て過ごすことが多くなった。
起きて待ち続けていても、気が狂いそうになるだけだ。
それならいっそ、眠り続けて夢の中でメリルと暮らそう。
そんなある日の出来事だった。
森の中がこの数日騒がしい。
そう思って目を覚ました龍が久しぶりに陸地へと登ると、暗くなり始めた崖沿いの道に何かが居た。
まさか、メリルか? いや、そんな都合のいいことがあるはずがない。どうせまた森の生き物たちだ。
龍は半信半疑になりながらも、それでも確かめずにはいられなくなりその何かの元まで向かう。
そこに居たのは、ユニコーンだった。
龍は落胆する。
またぬか喜びか。もう怒る気にもなれない。
それでも永い眠りから覚めたばかりの龍は、ユニコーンで腹を満たすことにした。
水のレーザーで、ユニコーンを仕留める。
ユニコーンを丸呑みにして腹を満たし、頭を齧りながら再び眠りに着こうか考えていた龍の隣に何かが居た。
薄黒い影だった。
龍は自分の鼓動が早くなるのを感じる。
メリル。帰ってきたんだねメリル。
フラフラと影に近寄ろうとすると、影に一匹のハリネズミがまとわりついているのが目に入った。
誰だお前は……私のメリルにくっついて何をしているんだ。
それを見た瞬間怒りに我を忘れた龍が、ハリネズミに向かって攻撃を仕掛ける。
メリルは一言も発することなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。
我に返ったメリルが、ハリネズミを追いかけて走り出す。
メリル、私だメリル。そんなハリネズミの事なんてどうでもいいじゃないか。私を見てくれ!
だが、メリルはハリネズミの方へと走っていく。
慌てて龍もメリルを追いかるが、ようやく追いつくとメリルは巨大な金色の猿に襲われていた。
私のメリルに何をしている!!
怒り狂った龍は、メリルのことも忘れてその場で猿と戦い始める。
この猿は、龍が眠りについている間にこの崖沿いの道を縄張りにしようと目論んでいた。
龍の寝ている間に力を蓄え、自信をつけ、龍が目覚めるのを待ち続けていたのだ。
龍と巨猿の死闘は長時間にわたった。
気が付くと、巨猿は倒れ、メリルは姿を消していた。
崖に入った亀裂に落ちてしまったらしい。
龍は怒りに我を忘れた自分を呪った。
自分でもわけのわからなくなるほどの怒りをため込んでいるなんて思ってもみなかったのだ。
それから数日、龍は大人しくメリルを滝壺で待ち続けることにした。
もう、怒りに我を忘れてメリルを危険にさらす失態を犯すわけにはいかない。
あれがメリルなら、必ずこの滝壺へ戻ってきてくれるはずだ。
そう思い、滝壺でじっと待ち続けた。
だが、1日たっても2日たっても彼女はやってこない。
どうしたのだろうか、まさかあのまま崖の亀裂で死んでしまったとでもいうのだろうか。
もしそうだとしたら……。
龍は自分を呪い続けた。
怒りに身を任せた結果が最愛の人の死。
今まで急激に膨れ上がっていた怒りの感情が、見る見るうちに萎んでいき何も行動を起こす気がなくなってしまった。
メリル、お前は本当に死んでしまったのか?
そう考え、見上げた空には回転しながら回る物体。
ヘリ豆だった。
モンスターからの視点です。
モンスター視点から見た人間は、見えている奴には影にしか見えなかったわけですね。その中でもさらに見え方が違ったりするわけですが……。
劉さんは龍さんに殺されてました。
中国人の劉さんは、いち早く銀の煙の力に気づき、此処は神の地だと確信を持っていたようです。
しかし、此処からの脱出は、一人では不可能だと判断し誰かが来るのを待っていました。何度もあの石像の場所へと様子を見に伺っては、絶望していたようです。