じゅんびかんりょう
短い間だったが、この洞窟での生活は今日で最後だ。
この洞窟での生活は正直かなり快適だった。
なにせ、雨が降りこまない。これだけでもすごい利点だ。
実はこの森、日記にもあった通りそこそこ標高の高い場所にあるらしい。
そのため、突然にわか雨が降ったりと天候が不安定だ。
そのにわか雨に悩まされる心配もない上に、入り口がほぼ塞がれているため外敵の心配もない。
少し離れた場所に川もあるため水の心配もないし、畑跡に生えていた物はたいてい食べられるものだった。
正直ここでなら、3年もの長い間暮らせたというのも納得がいく。それをしろと言われたら、無理だけどな。
「ふぁぁあ……昨日は興奮しすぎてあんまり眠れなかったな……。とげぞう、飯食うぞー。起きろー」
俺は、新しく積み上げた寝藁代わりのフカフカした苔の上でゴロゴロするのを止め、起き上がりながらとげぞうに声をかけた。
俺が声をかけると、とげぞうが巣穴から顔をだし大きく欠伸をする。
お前も寝不足か。口が開きすぎてすげぇ怖い顔になってるぞ。
熊肉とフルーツで朝食をとり終わると、荷物の整理だ。
とは言っても、正直この洞窟に来てからいつでも動き出せるように荷物は整理していたので、それほど時間を取るものではない。
もともと着の身着のままでこの森にやってきたので当然か。
アリの巣で苦労して手に入れたフルーツ類は、ほとんどこれまでの生活で消費してしまったし、荷物になるものと言えば後は槍と水筒、研ぎなおした錆びたナイフくらいだ。植物の種のようなものや、薬草類はボディバッグに一纏めにできるし、諸事情で熊の毛皮は運ぶ必要がない。
あ、拾ってきたユニコーンの角があるけど……まぁこれはベルトにでも刺しておけば問題はないだろう。
あと、荷物と言えば、日記はおいていくことにする。数日かけて日記の内容はほとんど自分の手帳に書き写しておいたから原本は必要ない。
これを持って行ってしまったら俺の後に遭難した人は何もヒントがないままになってしまうからな。
無いことを祈りたいが、俺のほかにも遭難した人が居るんだ。俺の後に遭難してしまう可能性は否定できない。
俺のように劉さんを探して絶望するかもしれない。わかりやすい場所に置いておこう。
一応石版も置いていくことにする。これも後から来た人のためを考えてだ。物証がなければ本当に人が居るという自信を持てない。一応俺からのメモも一枚残しておくが、独自の法則があるこの森ではいろいろ想像が膨らみすぎてネガティブな思考をしがちだ。しっかりと物証があって確信を持ちたいという気持ちが沸き起こってくるのを俺は知っている。念のため石版の絵は、メモ帳の上から炭を擦りつけることで書き写した。
「こんなもん……かな?」
荷物は粗方整理できた。とりあえずこれらは洞窟に一度まとめて置いておく。
「おっとっと、これを忘れないようにしないと」
俺は忘れないようにと思って石椅子の上に置いていた物を手に取ると、外へと向かう。
これを忘れてしまったら、計画が進まない。
「きゅ?」
頭の上に乗っているとげぞうが、それなにー? と言った感じで腕を伝って降り、スンスンと匂いを嗅いでいるがすぐに頭の上へと逃げ帰ってきた。顔を顰めて臭がっている。
それはそうだろな……これ、俺の小便だし……。
俺は狭い入口を這い進み、外へ出る手前で手に握った小さくて丸い金属の器に目をやった。
中には黄色い液体が入っており、ガラスの蓋で密閉されている。これは洞窟に置いてあった、元コンパスだったものだ。
その中には今では針ではなく、白いミミズのような生き物が俺の方向に向かって器の壁にゴンゴンとぶつかっている。
このミミズは、便所神だ。
日記にあった通り、便所神は外気にさらされず尿の中でなら体外に排出されても長時間生きられる。
「周囲は安全なようだな……よし、いくぞとげぞう」
俺はコンパスを見て安全を確認すると洞窟の外へと這いだしていった。
改めて周囲を見渡してみても、辺りには全く生き物の気配がなく普通に歩いてもよさそうだ。
この洞窟周辺は日の光が射しこむからだろうか、森の奥に比べると顔を出してすぐに生き物に会うということはあまりない。
だが、それを除いても普段ならこんなに不用意に外へ出るということは無い。洞窟の上に猛獣が待ち構えている可能性だって十分にあるのだ。時間をかけてゆっくりと安全を確認しながら外へ出ていた。――今までは。
それが今日、いや、ここ2~3日はそんな必要なく、数秒間の安全確認だけで外へ出かけている。
それができる理由は、俺の手の中にあった。
このコンパスだ。
中に入っている便所神は相変わらずゴンゴンと俺の方向に向かって壁にぶつかっている。
日記の通り、便所神は体外へ排出されると他の生き物を目がけて突進する性質がある。他の生き物の位置を感覚的に把握できる超感覚を持っているのだ。その性質を利用して作ったこのコンパスは、言わば生体レーダー。
周囲半径数百メートルに他の生き物が居た場合、その生き物の方向を差して突進を続ける。その方向を避けて進めばいいわけだ。
さらに周囲に宿主となりそうな生き物が居ない場合、便所神は排泄主の体内へ再び卵を産み付けようと、排泄主に向かって特攻する。今現在俺に向かってゴンゴンしているのは、俺の体内へ戻ろうとしているわけだ。
俺の方に向かってゴンゴンしている場合は周囲が安全であるという証、そしてその他の方角を差した場合は、そっちが危険と言う意味になる。
ここ数日試しに使ってみているが、感度もかなり良いし数日に一回中身を入れ替えればいいというだけだからコストパフォーマンスも悪くない。
難点と言えば、安定して中身を得るために……体内で便所神様を飼う必要があること。さらに周囲に多数の生き物が居る場合、その中で最も大きな生き物を目指して走り続けるため、多数の生き物に対応できない点だ。だから生き物の影が濃くなる森の奥でこれを使っても、あまり効果がない。
まぁそれでも一番の脅威を避けれるわけだから意味がないわけではないのだが。
そして、これは独自の解釈だが第二段階に突入するとゲームオーバーと言う基準はここからきているんじゃないだろうかと言うものがある。
それは、日記にかいてあった便所神のもう一つの習性。
日記では便所神が執拗にマックスに向かっていたことが書かれていた。
呪いの第二段階になると、便所神までもが怒り狂うと。
それはつまり、第二段階になるとこの生体レーダーが全く機能しなくなるということだ。
この生体レーダーを考えたのはきっと俺だけではないのだろう。調査団のメンバーも、これを作っていたんだ。
あれだけ生態がわかっていればこれを作り出すことに答えが行き着くのは当然だろう。
これが使えなくなる理由こそが、第二段階ゲームオーバーの真実……だと推理した。
確証はないが、かなりの確信はある。それだけこの生体レーダーは実用性が高いのだ。
「さて……と」
丘の周囲は、半径数十メートルほどしか拓けた場所はなく、そこには芝生のような短い草が生えそろい小さな黄色い花が彩を豊かにしている。そしてそのすぐ目の前には、光もほとんど射しこまない暗くて深い森が迫っている。
俺はこの森で、脱出に向けた準備をしなければならない。
それはまさに、俺のこの森での生活の集大成と言えるもの。
俺がこの森に来てやってきたことはすべて無駄ではなく、ここに繋がっていたのだと思えるほどだ。
安全を確保しながら、俺は森の中でも崖沿いにほど近い場所へとやって来た。
すぐ脇にある大木を超えれば、崖沿いの道へと出る場所だ。木の隙間から黒っぽい崖が見えている。
「よしよし、あるな。これが無くても一応問題はないんだけど……どうせだからこいつを使いたいよな」
そう言いながら見つめる俺の視線の先には、無造作に大木の根元に転がっている緑色の竹。
俺が苦労して集めた挙句、結局筏として活躍することのなかったアレだ。
事前に運んでおいたこれを使うことで、俺の脱出計画がスタートする。
試しにいくつか使ったため、数が減っているが支障はない。遭難生活前半、俺ががんばった結果としての竹をここで使うことで、気持ち的にも気合が入るというものだ。
早速作業に取り掛かるとしよう。もうすでに何度かテストを行っているため、ここで失敗することは無いはずだ。
竹を手に取ると、俺はそれらを蔦で組み合わせていく。
竹の端に竹を垂直に組み合わせ、蔦を使ってつなぎ合わせる。
片方を結び終えたらもう片方の端にもう一本括り付ける。
それを何度も繰り返していくと、四角い骨組みの完成だ。
「む……レーダーに反応アリ。とげぞう、一回森から出るぞ」
作業中も欠かさずレーダーのチェックは行う。
これが命綱だからな。少しでも反応したら安全圏に移動するくらい慎重じゃないと、簡単に命を落としてしまう。ましてや今は反撃すら許されない状況なのだ。
とげぞうと共に崖沿いの道へ出て、しばらく森の様子を伺っていると先ほどまで俺が作業をしていた場所に巨大な甲虫がやってきた。
角は無く、大きなカナブンのような奴だ。
どうやら便所神様はこいつに反応してらっしゃったようだ。虫にまで寄生するのかこのお方は。
小山ほどもある巨大甲虫は、まるで巨大なバギーのようにその体を傾けながら木々を避け、森の奥へと消えていった。
その跡を追いかけるように跳ねていったのは、巨大なノミだろうか? 寄生生物を引き連れて森の中を徘徊しているらしい。
「ふぅ……まだレーダーが反応してるな……。しばらく待つしかないか」
結局レーダーの反応が消えるまでに数十分の時間を要した。
その後、何度も作業を中断させられながらも地道に作り続け、完成したそれは骨組みと屋根だけの簡素な家の形をしたものだった。
作りは荒く、スカスカの家の中に、熊の毛皮を敷く。
中に入ってみると、急いで作った割にはなかなか悪くない家になっている。
「今までで一番いい出来じゃないか? 何回も作ってるうちに建築スキルがアップしちゃったのかもな?」
必要ないスキルがアップしてしまった気がする。
まぁなんにせよ、これですべての準備は整った。あとはこの簡易ハウスを壊されないように全力で死守するだけだ。
「見てろよ晶……。明日にはお前も晴れて自由の身だ」
スカスカの骨組みの中草で覆った天井を見つめながら、白い空間で見ているであろう晶に向かって話しかける。
この見た目もボロボロの小屋が、この森からの脱出を始める全ての始まりだ。
俺は小屋に敷いた熊の毛皮をポンポンと叩くと、立ち上がり呟いた。
「さぁ始めようか」
答え合わせの時間だ。