すだち
……お、トレントのことが書いてある。
さすがは植物学者だ、やっぱり気になるらしい。
マックスがトレントを倒したらしいが、アイツらは動物ではなく植物の仲間のようだ。倒すと緑の樹液が血液のように噴出して来て、薪としては使えないなんて書いてあった。他にもオジギソウなんかをたとえにしていろいろ難しいことが書いてあったけどあんまり俺には関係なさそうだ。
さすがは植物学者らしく、他にも様々な面白い特性を持った植物を見つけている。
たとえば、刺激を感じると新芽が飛び出し、それをプロペラのようにして飛ぶ豆は大人でも少しだけ浮けるほど浮力が発生するらしい。メリルが発見して、ジョセフィーヌのおやつにされていたそうで詳しくは調べられなかったようだ。いつもおやつの時間になるとメリルが種を飛ばし、ジョセフィーヌが口から水を吐いて撃ち落として遊んでいたらしい。
他にも、果実を他の生き物に食べさせることで排泄物に種子を混ぜ、その排泄主の形態を完全に模写して成木になる擬態木。花粉を吸い込むと激しい幻覚症状に見舞われる夢ユリ。血に触れると巻き付く茨、栗のようなイガイガがあり、踏まれるとその場に根を張り地面と宿主を縫い付けるマインマロンなどユニークかつ凶悪な植物がいろいろあった。狩りや、生活の道具として活用していた物も多数あったようだ。
植物観察は、娯楽のない森の中での唯一の楽しみとなっていたのだろう。新種を発見するたびに嬉々として日記に書き込まれていた。
だが、この厳しい森の生活はやはり楽しいことばかりではなかったらしい。
日記を読み進めていくほど、メンバーの数は少しずつ減っていった。
ある者は突然洞窟の奥から現れた蜘蛛に卵を産み付けられ、穴と言う穴から大量の子蜘蛛を噴き出して死んだ。
そしてまた別の者は、狩りの最中に後ろから別の獣に襲われて死んでいった。
日記はミルズ、イーライが怪鳥に攫われるところへと追いついていく。
この間、およそ1年。
20名いたはずの調査団は、たった6人になっていた。
「えーっと……、寄生虫がデヴィットの……から……自立走行……? 」
あ、これ便所神のことだ。まじかよ、便所神って人にも寄生すんのかよ……。
どうやら著者はこいつに興味を持ったらしく、研究を始めたようだ。
マジか。でもちょっと興味があるから読んでみよう。俺図鑑とかそういうの大好きだったんだよな。
どうやら日記によるとあの寄生虫は、卵の状態で他の生き物の体内に侵入し、そのまま成長を続ける。そして成虫になると排泄物と共に体外へ排出され、再び他の獣の体内へと侵入するというごく一般的な寄生虫のサイクルを持っているらしい。
だが、驚くべきところはその体内への侵入の仕方だ。
排泄物を他の獣に踏まれることで足へと卵が移り、そこから口へと移動して体内へ侵入するこの便所神様は、なんと踏まれるのを待つのではなく自ら踏まれにいくのだ。
体外へ排出された便所神は、仲間と連携して排泄物を持ち上げ移動を始める。超感覚をもつこの便所神は、なんでも近くにいる獣の場所がわかるらしい。一直線に他の生き物の場所へと走っていくそうだ。周囲にいる生き物で一番大きな生き物の足元へと走っていき、その獣に踏まれる、もしくは体当たりを行うことで卵を産み付ける。
ちなみに体外へ排出された便所神様は、空気中では長く生きられないらしい。だからこそ排泄物に潜ったまま移動できるようにあんな風な進化を遂げたんじゃないかと言う推測までしてあった。なお呪いが第二段階に突入すると、この便所神まで怒り狂うようで相当の大物が近くに居ない限りほぼマックス目がけて走り回っていたらしい。その後しばらくしてマックスは森へと消えていったそうだ。
「……ウンコミサイルが嫌で洞窟出たんじゃねこれ?」
ってまぁそのころにはマックスは自我が崩壊しかけており、ウンコミサイルもほぼ無視だったらしいが。
すげぇな。本気の研究じゃねぇか。
尿の中でなら生きられるとかで、しばらく飼っていたこともあるらしい。卵の状態ならいつまでも生きていられるほどの生命力もあるらしく、洞窟の中に保管したとかなんとか。
なんていうかものすごく迷惑な生き物だな。
もうちょっと進化の仕方どうにかならなかったのかよ。自分で生きられるように進化しろよ。進化の無駄遣い過ぎるだろ。
残念なことに、下し方は判明しなかったようだ。
改めて日記を読み進めていく。日記はマックスが消えてから一か月後の日付へと進んでいた。
このころになると、銀の煙を貯めない事を最優先に生活を進めており、脱出の糸口を探している姿が目立つようになってきた。
火担当のアディソンが死んでしまったため、暖かいものが恋しいと嘆いていたり、突然一日だけ大量に雪の降る日があったりと、1年以上たっても森の厳しさに苦労したり、驚かされている。そんな中でも希望を捨てずに、脱出の糸口を探しているのだ。
まず最初に目を付けたのは巨人についてだった。何日も何日もエマが観察を続けていたらしい。
森の地形変化に、何か法則は無いのか。巨人の行動に何の意味があるのか等の考察がずっと続いている。
いくつかの法則らしきものはあるようだが、パターンが多すぎて読み切れていないようだ。
月の満ち欠け等色々な要素を盛り込んでいるらしい。
すぐに脱出できるように、薬草や食料の備蓄を始めた。
なんと、発見した薬草は簡単な傷ならあっという間に癒してしまうものすごいものらしい。
ただし依存性があるため要注意だそうだ。
ある日、畑に植えていた地球から持ってきた貴重な種が、実をつけたらしい。
……形はそのままで、巨大化、色の変化が起こったその実はまるで従来のものとは別物のようだった。
奇形種? 味は本来のものよりも濃厚で、地球で見つかっていたら果物の王様になれたかもしれないなんて書いてある。
干し肉や野草に飽き飽きしていた著者達は、久しぶりの甘いものにテンションが上がっていた。
日々の生活の中、ほんの小さな出来事に一喜一憂し、仲間のために身を挺してたまに肉を取ってくる。
いつまでも脱出するための糸口が見つからないながらも、この時期が一番安定した生活を送っていたのではないだろうか。
全員が希望を捨てずに脱出を目指していた。
――あの日を迎えるまでは。
◇
「ふぅ……」
俺はパタンと本を閉じた。
本を最後まで読み終わってみると、この調査団がどれだけ壮絶な生活をしていたのかが手に取るようにわかり、感情移入のし過ぎで読み疲れてしまった。
日記自体は2年目の中頃にはほとんど書かれることは無くなり、そこには絶望が満ち溢れていた。
まぁその辺は脱出とは関係ない人間関係のドロドロを綴ったものであり、俺には関係のないことだ。
「とげぞう、待たせたな」
「きゅ!!」
すっかり退屈していたとげぞうが、俺の声に反応して飛び上がった。
本に夢中で気が付かなかったふりをしていたが、とげぞうはひたすら右の穴から左の穴へ土を移しては、再び右の穴へ土を持っていく遊びを延々と繰り返していた。ルールがさっぱりわからないのであえて触れないようにしていたが、やはり退屈だったようだ。
「とりあえず、一度俺たちの拠点へ戻ろう。調べなきゃいけないものが沢山あるからな」
日記の終わりには、地図が載っていた。
そこにはこの拠点の場所も載っており、崖沿いの道からほんの少しだけ入り込んだ場所であることが分かった。
これだけ近ければ、全力で駆け抜けてしまえばモンスターに見つかってもなんとか逃げきれそうだ。
さらに、地図のほかに日記の後半はデータベースとなっており、モンスターたちの生態や、段階的にアクティブ、ノンアクの判断基準などが細かく記載されていた。これを頼りに森を歩けばかなり安全に進めるはずだ。流石は学者さん、いいもの書きやがる。
とにかく火をもってきて、洞窟の中を改めて調べないとな。ある程度、カギとなりそうなものの目星はついた。それらの検証をするためにも洞窟に残されたものを調べなければならない。
俺は体をよじりながら体勢を整えると、ズリズリと狭い洞窟の中、体を押し進めた。
そしてコッソリと入り口から顔だけを覗かせ周囲の気配を伺う。
まだ日は高く、木の隙間から射しこんだ光が、地面を明るく照らす。苔についた水分が反射しているのだろうか、キラキラと輝きここが危険な森の中だということを忘れてしまいそうだ。
暫く周囲を見渡してみるが、昨晩見かけた巨大な昆虫などは居ないようだ。
時折ブルァァァァと、どこかの緑色の細胞さんが出すような声が響き渡るが、声は遠い。
「今なら……いけるか?」
俺は恐る恐る体を捻り出し、穴から全身を出した。
這い出てわかったが、ここは小さな丘が削れてできた斜面のようだ。上の土砂が崩れ落ち、洞窟の入り口を隠してしまっている。おそらく外からじゃこの洞窟を見つけることはできなかっただろう。
っと、こんなことをしている場合じゃなかった。
今は見当たらないが、この森の生き物は危険だ。日記上では案外生活できていたように書かれていたが、それも50年前のものだ。
俺が見た感じ、昔よりヤバい状況になっている気がする。日記を全て信じているととてつもない落とし穴に落ち込んでしまいそうだ。
俺は日記に書かれていた地図を頼りに太古の森を抜け、自分の拠点へと向かった。
「確かに……生体は図鑑に描いてある通りだな……。チチチ……おーい」
道中、図鑑に描いてある第一段階ではノンアクの中型動物に、恐る恐るアクションを起こしてみるが反応がない。
ツチノコと犬を足したようなこの動物は、俺の動きにまるで反応せずに尿でマーキングしながら立ち去ってしまった。
図鑑自体はかなり信憑性のある物のようだな。動物の生息域が変わったとみるべきか。
森の様子自体がが変わってるから、それも当然か。
崖沿いの道に出るときは結構勇気が要った。銀の煙を吸ったわけじゃないから反応するわけはないはずだが、怪鳥が危険なやつだと知ったうえで堂々と道を歩くのは結構度胸が居る。結局崖沿いの道を歩き出すまでにかなりの時間を要したが、怪鳥はピクリとも反応を見せなかった。
◇
「なんか……ここに帰ってきたのも、すっげぇ久しぶりな気がするな?」
「きゅぅ!」
拠点は、いつも通りの静けさで俺たちを迎え入れてくれた。
草一本生えない広場も、蛇が絡み合ったような大木もものすごく久しぶりな気がする。たった1日ぶりなのに。
拠点へたどり着いたとたん、とげぞうが久しぶりのわが家へと潜り込んでいく。
気持ちはわからんでもない。あんな危険な森から帰ってきたのだ、俺だって出来ることならベッドに倒れこんで人心地付きたいものだ。
「とげぞう、準備したらすぐに出かけるからな。声かけるまで休んでていいけど二度と戻ってこないつもりで準備だけはしておけよ」
だが、そうはいかない。ここでゆっくりしていたら再び移動中に夜が訪れてしまう。
後日もう一度取りに来るという選択肢もあるが、出来るだけ危険な移動は一度で終わらせたい。
それに一日ゆっくりここで休憩してから出発しても大丈夫だとはおもうが、森の様子が変わってしまったらもしかしたらあの場所に戻れないかもしれない。一応、日記の中で拠点の場所は変わらないことは確認しているが……。
どうやら太古の森のいくつか決まった物は、固定の場所から動かないようになっているらしい。そう考えると一日くらいと思いたいところだけど鉄は熱いうちに打てと言うし、日記を読み終わって記憶が鮮明なうちに洞窟を調査したい。それに、日記を信用しすぎて本当にたどり着けなくなったら絶望的だ。
俺は拠点に置いてあった大事なものを纏めていく。
火は、大量に薪を置いていたおかげで、辛うじて小さな火種が残っていた。そのチロチロと燃える火に新しい薪を放り込むと、まるで火種が生き物のように薪を飲み込み、あっという間に大きな炎へと成長した。
「さて……全部持っていかなきゃいけないわけだが……」
思ったより荷物が多い。
というよりは、熊が荷物になりすぎるなこれは。
肉をそぎ落としてかなりの量を干し肉にしたし、毛皮はそのまま木に干しているが……。
正直毛皮だけでも数十キロはあるんじゃないだろうか。熊の腕も、下手したら腕だけで俺の身長に近いくらいあるため、肉の量がかなりある。
とてもじゃないけど、一度にこの量を運んであの道を移動することはできそうにない。
「……そうか、別に持っていく必要ないのか」
よく考えたら崖まで運んでしまえば、後は毛皮に包んだ荷物だけ落としてから、後で回収すればいいのだ。
そう考えると荷物はぐっと減った。
果物類は、さすがに落とすと潰してしまうので持っていくしかないだろう。
あとは竹筒もいろいろと持っていれば便利だ。
肉をそぎ落とした後の熊の骨は、必要ないかな? とりあえず爪だけもぎ取ってネックレスのようにぶら下げておくか。
最後に松明を持てば、準備は完了した。
「おっしゃ! 行くぞとげぞう!」
「きゅー!」
そう言って立ち上がった俺のかっこうは、もはや蛮族と言う言葉が相応しいほどのワイルドな格好になっていた。
手には松明をもち、上半身裸にボディバッグと、熊爪のネックレス。背中には槍を背負い、大量の竹筒が肩掛けに吊るされている。
脱いだ上着を風呂敷代わりにして背負っているため、とげぞうは俺の頭に乗っている。
荷物でいっぱいいっぱいなんだから自分で歩いてほしいんだが……。
そんなとげぞうは、何やら木の根のような謎の物体を背中に乗せて俺の頭でポーズを決めている。なんかよくわからんけど引っ越しの真似事をしているんだろうか。うれしそうだからほっとこう。
あとは干し肉を毛皮でくるんだものを抱えようとしたが、無理だった。半分引きずるようにして崖沿いまで持っていくしかないな。
一応これで必要なものは全部、一度に運べることになる。
もう二度とこの拠点へ戻ってくることは無いだろう。
長らくお世話になった拠点だったが、いまいちよくわからない場所だったな。
この変わった木も、この一本以外森の中で見かけることは無かったし、具合が悪くなる現象もさっぱりだ。
植物学者の調査団たちもこの木のことは気づかなかったようだし……まだ生えてなかったのかね?
まぁ二度と戻ってくることがない場所だからどうでもいいか。
今は前だけ見よう。
最後に一度だけ、拠点を見つめて一礼した。
……命を守ってくれてありがとう。帰る場所になってくれてありがとう。
俺は今日、帰る場所を捨てた。




