にっき
……遭難17日目。
――じゅるっ。
目が覚めると、狭い洞窟の中だった。
本を開いたまま上で寝てしまっていたようで、顔を持ち上げると張り付いていたページがぺりぺりと剥がれる感触がした。
あーあ、よだれで本がベトベトだ……。
「晶……」
昨晩のあれは夢だったんだろうか。
そう思いながら頭をさすると、白い世界で強打した部位がズキズキと痛んだ。
やっぱりあれは夢ではないはずだ。アイツは今も俺のことを見ている。
「見てるか……? 俺は……生き抜いてやるからな。絶対森から抜け出して、お前をそこから出してやる……」
「きゅ? 」
なんとなく俺のことを見ているであろう晶に向かって言葉を呟いてみる。あの夢が本当なら晶にもこの声が聞こえているはずだ。
俺の隣で丸まって寝ていたとげぞうが、自分に何か言われたのかと思って起き上がった。
「なんでもないんだとげぞう、気にするな」
「きゅー……」
俺は穴の中に寝ころんだ体勢のまま顔だけ横へ向けると、クワっと口を大きく開けて欠伸をしていたとげぞうと一緒に、熊肉ジャーキーで朝食をとった。
人一人が何とか這いずり回れる程度の幅しかないこの洞窟では、水筒ひとつ取り出すのも一苦労だ。
モゾモゾと身をよじり、なんとか引っ張り出した水筒の水でのどを潤し、噛みほぐして柔らかくなった肉を飲み込む。
うーむ、虫なんかと比べると断然旨いんだが、やっぱ塩味が足りない。塩分が恋しい……。
顎を動かすことで、まだぼーっとする頭が覚醒してきた。
「さて……日記の続きを読むか。とげぞう、もうちょっと退屈だろうけど待っててくれ。このままむやみに太古の森に出るよりは少しでも情報を得ておきたいんだ」
そう伝えると、とげぞうはモゾモゾと丸くなり寝息を立てだした。
すでに森の中に日の光が射しこんでおり、この洞穴の入り口にも月明かりとは比べ物にならないくらい明るい光が射している。
だが、それでも何の対策も無しにこの太古の森に足を踏み入れるのは躊躇する。
この日記の著者がこの場所で暮らしていたということは、もしかしたらこの森で生活するための知恵みたいなものや、安全に歩くコツのようなものが載っているかもしれない。そう思うと、安易に森に出るよりは先にこの日記を読破した方がいいと考えたのだ。
俺はよだれで染みついたページを捲った。
……あ、次のページにもよだれが染みちゃってる。
◇
『遭難して2日目、初日はパニックになってしまっていたため不可能だったが、今日から気づいたことを逐一記録していくことにする。
昨日は周囲を軽く探索するだけで、碌に何もできなかった。見知らぬ土地に突然放り出されたのだ、無理に動く方が危険だという判断だった。
現在は多少の混乱が残るものの、すぐに助けが来るものだと信じて励まし合いながら過ごしている。
幸い森の中に洞窟を発見出来たので、しばらくここで助けを待つことで意見は一致した。
この場所がどこか、何故こんなことになったのかを何人もが船長であるマックに問い詰める姿が見受けられたが、何も答えられるわけはなく、ただ皆の表情に落胆が浮かぶだけだった。
助けを求めようと周囲を探索するも、どこまでも巨木の森が続くだけで人の気配はなく、ただ空に巨大な青い月が浮かんでいるのが見えていた。
いったいこの森は何なのだろうか? 人の気配どころか動物や鳥すら居ない。
私たちは太古の地球へタイムスリップをしてしまったとでもいうのだろうか。
私は怖がるエマと……』
◇
ここから先は、エマとの甘いやり取りが続いている。
こんな森にまで来て何してんだこいつらは。
やはりこの人達が来た当初も、他の生き物の気配が無かったようだ。
こうなると晶の推理が信憑性を帯びてきてしまう。
どうやら最初のページだけがあとから書き足したページのようで、ここから先は日記が続いているらしい。
日記と言うよりはメモに近いものも多く、ボブやミケルソンなど、人名が書きなぐってあったり雑然としている。
パラパラと先のページを読み漁ってみると、エマとのやり取りが大半を埋めていた。
もっと他に書くことあるだろう?
とりあえず重要そうな項目や、生活の姿が読み取れる部分を重点的に読んでいくことにするか。
◇
『なんていうことだ!』
とりあえず役に立ちそうな文を探そうとななめ読みしていると、早速なにやら事件の予感だ。
『なんということだ!
この森の植物は素晴らしい! 遭難したことへのパニックで気づかなかったが、ここは我々にとってパラダイスだ。
未知の植物で溢れているではないか。これらを持ち帰り発表すれば世界がひっくり返ること間違いなしだ。
この森に群生している巨木、一見ミズナラによく似ているがこんな巨大になるミズナラを私は見たことがない。
他にも、足元に生えている草一本からして我々の知る物とは似て非なるものが多い。
助けを待つ間に、少しでも有益な植物を探してみよう。全ては持ち帰ることが出来ないため、この地の有用性を示して第二、第三の調査団を編成する必要がある。』
なんだよ、植物の話か……。そういえばこの人達、植物学者なんだっけ?
見たことないような植物ばっかりだなと思ってたら、専門家ですら見たことない植物だったのか。
……ん?
次のページには、さらに植物のことが書かれているようだ。
『ミルズの様子がおかしい。突然昏睡していたミルズが、先ほど目を覚ました。だが、何やら意味不明なことをぶつぶつとつぶやき、常に挙動不審だ。まるで見えない何かに怯えているかのようだ。
いったいどうしたのだろうかと、ミルズと共に居たはずのバッソンに聞いてみると、どうやらミルズは空腹に耐えかねて一人見つけた木の実を食べたらしい。
馬鹿な男だ。未知の植物が多いから安全が確認されるまで何も口に入れるなと通達があったはずなのに……。
しかし、ミルズばかりを責めるわけにもいかない。この森には食べ物が少なすぎる。
エマはと言えば、チーム唯一の子どもであるメリルの世話を焼いている。この子の母親はガイドの一人だったのだが、先日の赤い空間で結晶に刺さって死んでしまった。不憫に思ったエマが世話を焼いているのだが、この子も母親が死んだショックからか、幻覚を見ているようだ。いつも母親が見ていると笑っている。エマにはメリルに近づかないように言ってあるのだが全く聞こうとしない。子どもよりも私の相手をしてほしいものだ。』
「やっぱり……」
どうやら彼らも当時、俺と同じ問題に直面したようだ。
食糧不足。これは避けられない問題だ。
荷物も何も準備することなく森の中に放り出されたら、食べ物は自給自足しかない。
ここから先は、少しずつメンバーの様子がおかしくなっていく様が書かれていた。
どうやら食糧不足が深刻化し、こっそりと自分が見つけた食べ物を食べていた人からおかしくなっていったようだ。
その一番の現象は、幻覚。一度昏睡状態に陥り、目覚めた人は幻覚が見えだすのだ。
だが、俺は知っている。それは幻覚ではないということを。
おそらく、食べ物を口にした人から順に、世界に馴染んでいったんだ。
そして、未知の生き物が見えだした……。
日記では、とうとう著者とその恋人も空腹に耐えかねて拾った木の実を口にしてしまう。
『どういうことだこれは。
エマと共に木の実を食べ、具合が悪くなったところまで覚えている。
ミルズにこっそりと味見をさせて安全を確かめたはずなのに……遅行性の毒でもあったのだろうか?
まぁ済んでしまったことはどうでもいい。それよりも問題は、この森だ。
具合が悪くなり寝込んでから、目を覚ますと森の景色が変わっている。
周囲に生き物の気配が溢れている。
鳥だ、鳥の鳴き声が聞こえる。
いったい何が起こったというのだろうか?』
ここまで読んで分かったことがある。
この著者は結構えげつない野郎のようだ。
恋人と自分だけは何が何でも生き残ろうというのが根底にあるらしい。
その気持ちは悪いことではないが、助け合えよ。人が居るって素晴らしいことなんだぜ?
どうやら食べ物を食べることで生き物が見えるようになるのは、間違いがないようだ。
この後、日記は一通り俺と同じような状況を経験していくことになる。
遭難したら、大抵の人は俺と同じような行動をするようだ。
だが驚いたことに、一つ一つの理解が早い。おそらく検証や試案が大人数のため行いやすいんだろうか?
俺が何日もかけて気づいたことをあっという間に理解していってしまっていたり、俺の知らない新情報が載っている。
ここら辺はまだ不確定な情報も多いので、読み終わってから後で整理することにしよう。
何やら次のメモで、展開が大きく動いているのだ。
考証メモと日記が、短文で入り混じっているため整理して読んでいかないと状況についていけない。
これでも読みやすいようにある程度は整理してあるみたいだけど……記録を残すのが苦手な学者だったのか?
『ミケルソンが死んだ。
たった今埋葬が済んだその死体は、無残にも食いちぎられボロボロになっていた。
そう、ミケルソンはこの森の動物に殺されたのだ。しかもほんの小さな、体長50センチほどのリスのような生き物に。
この森の生き物は、我々に関知しようとしない。いや、どうやら見えていないらしい。
そのことに気づいたマックスが、ミケルソンに命令して狩りに行かせたらしい。そして反撃にあったようだ。
この森の生き物は自分から襲ってこない代わりに、とてつもない凶暴性を秘めている。
ミケルソンは一瞬で腹を食いちぎられたらしく見るも無残な姿になっていた。
最初に一撃を先制で食らわせたにもかかわらず、ビクともしなかったらしい。
これはまずい。生き物が増えたことで食糧の心配が無くなるのではないかと喜んでいた矢先の出来事に、皆の顔に影が落ちている。』