ちのそこふたたび
「……ん……?」
鼻の頭を何かがぺろぺろと舐めている。
気を失っていた俺は、その感覚で目が覚めた。
ゆっくりと目を開くと、暗闇の中、眼前に針山がそびえ立っている。
「うお!! あっ!? っつー……」
驚き慌てて起き上がろうとした瞬間、全身に激痛が走り顔が引きつってしまった。
体を強く地面に打ち付けたらしい。
「とげぞう……無事だったか。ここは……?」
目の前にいたのはとげぞうだった。
周囲はかなり薄暗く、ゴツゴツした地面と、岩壁があるのがうっすら見えた。
……そうか……。崖の壁が突然崩れて……上から落ちてきたのか……。
俺はここに来た経緯を思い出し、上を見上げる。すると、10メートルほど上にうっすらと青っぽい光が差し込んでいる場所が見えた。どうやらあそこから落ちてきたらしい。
痛む体をあちこちさすってみると、頭から血が出ていたようでかさぶたのように干からびた血が顔や頭などところどころについていた。そこそこ長い時間気を失っていたようだ。上からの怪獣たちの暴れる音も聞こえない。
改めて周囲を見渡すと、今いる場所は断崖絶壁の中腹にできた、踊場のようなちょっとしたでっぱりだということがわかった。
岩肌に付いた光苔のようなものがぼんやりと光り、周囲の地形が見て取れる。
指輪の明かりはもうないので、光源があって助かった。
ここは、地下渓谷というべきだろうか。左右に長細い、クレバスのような巨大な割れ目が、はるか遠くまで続いているようだ。
「……運が良かった……かな?」
恐る恐る踊り場から下をのぞき込むが、苔が途中までしか生えていないらしく底は見えない。
もし、このでっぱりに引っかからなかったらと思うとゾッとした。
「とげぞう……」
現状を確認し終わると、俺はポリポリと顔についている血の跡を剥がしながら、とげぞうに再び目をやった。
「きゅー……」
とげぞうは緑色の光に照らされて、俺のすぐ脇にへたり込んでいた。
まるで落ち込んでいるかのように頭を下にさげており、小さな声で返事をする。
俺はそんなとげぞうの姿をしばらく見つめた後、フーッと息を吐き出した。
「本当は思いっきり馬鹿野郎って怒鳴りつけてやろうと思ってたんだけどな……。なんだよお前、そのお尻……ははは」
「きゅ!?」
とげぞうに怪我はないかと目をやると、お尻の辺りの針がきれいに刈りそろえられているではないか。
どうやらあの龍の水圧レーザーがぎりぎりかすっていたようだ。
正直冷静に考えると笑える状況じゃないのだが、綺麗に針が刈り取られ、ピンク色のお尻が顔を出しているのがシュールだ。
張りつめた俺の顔が、思わず破顔してしまった。
とげぞうは自分の尻を見ようとするが、どうしても後ろを見れないため、その場でくるくると犬のように回っている。
それを見て、さらに俺の顔が緩んでしまった。
「ははは……はぁ。もう、怒る気が全然しないじゃないか……。とにかくお互い生きてて本当によかった」
淡いヒカリゴケの明かりに照らされた舞台の上で、踊るとげぞうと笑う俺。
極度の緊張状態から解放された、一時の平和をとにかく噛みしめていた。
◇
「なぁとげぞう」
しばらく、ぐるぐると自分のお尻を追いかけるとげぞうを見ていたが、やはり言っておくべきことは言わなければならない。
俺は柔らかい口調を意識して、とげぞうに呼びかけた。
「きゅ?」
とげぞうはお尻を追いかけるのを止め、こちらを向くと、首を傾げた。
「もう……あんなことするなよ。あと、ごめん。俺、一瞬でもお前を疑ってしまってた。お前が俺を見捨てたんじゃないかって。お前が命を懸けて囮になったっていうのに、自分のことばっかり考えてたよ……。お前の行動をどうこう言える立場でもないんだ。……だから、ここから無事に帰ったらちゃんとルールを決めようぜ! もっと連携と意思疎通が俺たちには必要だと思うんだ!」
「きゅ!!」
俺の提案に、とげぞうが大きく返事をした。
正直、俺たちに必要なのはコミュニケーションだ。今回のことで思い知った。
お互いの行動の意図を全く理解できていない。
いや、俺が出来ていないってだけかもしれない。とげぞうの行動に毎回驚いてしまう。
基本的な行動原理、ある程度の打ち合わせを事前にしておく必要があるとつくづく実感した。
せめて、戦うのか、逃げるのか。ここをハッキリしておかないといきなりバラバラになってしまうだろう。
今までは俺一人だったから行き当たりばったりでなんとか切り抜けてきたが……今後はそういうわけにもいかなさそうだ。
「とにかくまずはここを出ることからだな。しかし、俺の体も大概丈夫だな……まだ動いてくれるか」
全身が激しく痛むものの、動かないというわけでもない自分の体に驚きを隠せない。
人の体ってこんなに丈夫なものなんだな。
「よかった、槍はここに落ちてたか……この谷底に落ちてたら回収は無理だったろうな」
踊り場の隅に、俺が落下中に手放した槍が突き刺さっていた。これが無くなってたらヤバかったからほんとによかった。
さて、槍も見つかったし……どこかすすめそうな場所は……?
「んー……上に登るのはちょっと無理そうだな……。あっちのほうは何とか通れそうか……?」
崖はいくつかでっぱりらしきものがあるものの、ほぼ垂直に切り立っているため登れそうにない。
他に通れそうな場所は無いかと思ってうろついてみると、今いる足場がかなり細くなりながらも、奥に続いているのに気付いた。
「行ってみるか! とげぞう、狭い道だからフードに入っとけ」
とげぞうを呼び、崖沿いに伸びている細い通路に向かった。
うっすらと光る苔で照らされた先に、崖の中にぽっこりと開いた洞窟が見えていたのだ。
人一人が通るのがやっとの通路を、壁にへばりつきながらなんとか渡り切ると、その先はヒカリゴケも生えない一本道の洞窟だった。
「うーん……。この先が地上に通じてればいいんだが……明かりが無いな。これで何とかなるかな? なんか危険な気配がしたら教えてくれよな」
「きゅ!」
俺は足元に落ちていたヒカリゴケのついた小石を拾い、ライト代わりに足元を照らしながら洞窟を進んでいく。
ヒカリゴケの放つ光は蛍の光程度のものだが、無いよりは全然マシだ。
洞窟の中は入り口こそ狭かったものの、進み続けるうちにだんだんと広がりを見せていった。
今では大人が4~5人並んで歩けるほどの広さになっている。上へと向かって伸びているその洞窟の長さは結構なものがあるらしい。
これが地上に通じていなかったらどうしようという不安がちらりとよぎるが、今はとにかく進み続けるしかなかった。
先ほどの怪獣たちの戦いに巻き込まれた状況を考えれば、幾分かましだというよくわからない比較だけが、俺の体を動かしていた。
◇
結構な距離を歩いたのではないだろうか。岩がごろごろと転がる洞窟の中を、かすかな明かりを頼りに進み続けていると妙な物が光りに照らされた。
「なぁとげぞう、これ……骨だよな?」
俺の足元に、岩に紛れて白くボロボロに風化した、骨のようなものが落ちていた。
何の骨だ……? 結構大きな動物の骨みたいだけど、かなり古いな。
ヒカリゴケを近づけて確認してみると、原型は残っていないが、やはり骨のようだ。つまんでみるとぽろぽろと簡単に崩れてしまう。
「こんなところに骨があるってことは、もしかして地上が近いんじゃないか?」
「きゅ!」
些細なことだったが、今の俺にはこの暗い洞窟の中に一筋の光明が差したように感じた。
少なくともこの骨の持ち主は生前どこかから地上と出入りしていたはずだ。つまり、この洞窟は外と通じている。
俺ははやる気持ちを抑えきれず、無意識に早足で進みだした。
さらに数分も歩いたころだろうか、
「…………うそだろ…………」
俺は洞窟の中で立ち尽くしていた。