かいじゅうだいけっせん2
にらみ合いの均衡を破ったのは、巨猿だった。
龍の頭に押し付けていた拳はそのままに、左手を前に出すと、龍の角を鷲掴みにした。
そのまま合わせていた拳も頭の上を滑らせ、もう片方の角へと握りなおす。
完全に力比べをする気らしい。
一方、龍の方も角を掴まれたことで本気になったようだ。
腹這いの状態から四肢を広げると、がっしりと地面に爪を立てながら立ち上がった。
ずんぐりとした龍の体が少しだけ地面から浮き上がるのを見ながら、俺はじわじわと壁伝いに移動を始めていた。
ゆっくり……今のうちに離れるんだ……。よくわからないけど二匹で決闘に夢中になってるうちに離れるんだ。
もしかしたら助かるかもしれない……!
一時は絶望的な状況に陥っていたが、巨猿の乱入でチャンスが訪れていた。
完全に二匹は、俺ととげぞうの存在を忘れて戦いを始めている。
今のうちに離れてしまえば森へと逃げ込むことができるだろう。
じりじりとばれないように移動をしていた時だ、角を握っていた巨猿が、歯を食いしばりると突然筋肉が盛り上がった。
金色の毛に覆われた上からでもわかるほどの膨張だった。
そして次の瞬間、龍の体が持ち上がる。
いや、正確には尻尾のほうは地面についているため完全に持ち上がったわけではない。
だが、龍の足は完全に宙を浮いていた。
「ブウウウオオオオオ!!!」
よだれの垂れる口をぎりぎりと食いしばり、低いうなり声が漏れる。そしてそのまま、巨猿は龍を崖に向かって叩きつけた。
――ゴオオオオン!
俺は身動きが取れなかった。仕方のないことだろう。
すぐ隣、たった数メートル先に突然長さ10メートル、幅2メートルはあろうかという巨体が叩きつけられたのだ。
その衝撃はすさまじく、パラパラと小石が崖の上から降ってくる。
その衝撃を目の当たりにして、俺の体は再び固まってしまった。
なんなんだよこれ……もうやめてくれ!! 神様……。
しかし、思わず神に祈ってしまっている間も、戦いは続く。
龍は壁に叩きつけられながらもすぐに体勢を起こすと、その太い体で巨猿へと巻き付き、巨猿を締め上げ始める。
巨猿は龍を投げたことで油断していたのだろうか、あっさりと捕まってしまい身動きが取れなくなってしまった。
ギチギチと肉の締まる嫌な音が周囲に響いた。
だが、巨猿も黙っていない。
龍の巻き付いた体ごと、壁へ体当たりをして龍にダメージを与えようと試みている。
絡み合った二つの巨体が、まるでピンポンゲームのように崖と森の間を右へ左へと暴れまわる。
たまったものではなかった。
巨大な体が足元にいる俺のことなど気にすることも無く暴れまわるのだ。
ただひたすら小さくなって運よく踏みつぶされないことを祈るばかりだった。
唯一自分で出来たことと言えば、背中に背負っていた槍の柄を地面に突き立て、刃の部分を避雷針のようにしてその根元で小さくなることぐらいだ。
今になって、膠着状態の時になりふり構わず逃げてしまっていた方が安全だったんじゃ無かっただろうかなんて考えてしまうが、もはや後の祭りだ。
腰が、抜けてしまっている。
龍は壁にぶつかりながらもそのまま巨猿の体を締め付け続ける。そして大きく首を仰け反らせると、口を大きく開いた。
……噛みつくつもりか!?
だが、俺の予想は外れる。龍は口を開いたまま動きを止めてしまった。
俺が疑問に思い、身を小さくしながらも覗き込むように、様子を伺っていた時だ。
大きく開いた龍の口に、何かがあるのが見えた。
それは透明な球のようでもあり、表面が波打っているようにも見える。水玉と言った表現がぴったりなものだった。
突如、その水玉から一筋の線が飛び出した。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
巨猿が、耳をつんざくような悲鳴を上げる。
その顔は苦痛で歪み、口は顎が外れるのではないのかと思うほど大きく開いている。
一瞬遅れて、龍の目の前にある胸板から、鮮血が噴き出た。
その血はまるで水鉄砲のように胸から脈を打つように吹き出し、龍の顔を赤く染める。
「あ……あれは!」
腕の中でカタカタと震え続けるとげぞうをちらりと見た。
とげぞうに追いつきかけたあの時、隣を何かが通ったのを思い出す。
今思うと、確かにあれは線のようなものだった気がする。
「水……?」
あの時濡れていた手、さらに龍の口に入っていた球が結びついた。
原理はわからないが、もしかしたら水をレーザーのように圧縮して打ち出しているのではないだろうか。アニメかなにかでそんな風なものを見た記憶がある。恐らくあれがユニコーンの首を落とし、とげぞうの周囲の草を刈り取った現象の答えだ。
怪獣から目を離し、思考してしまった一瞬、
「グルァァァァァァァ!!」
今度は、先ほどよりも低い鳴き声が周囲に響き渡った。
慌てて顔を上げると、巨猿が真っ赤に染まった龍の首元に噛みついている
「グルルルルル……」
もはや泥沼の戦いだった。
鋭い牙に噛みつかれた龍の首元からも、赤黒い液体が流れ出ているのが見える。
お互いの血で真っ赤に染まりながらも、戦いは続いた。
巨猿は、ダメージと疲労により締め上げる力が弱まった龍の体から拳をひねり出すと、その拳を振り回す。
それに対抗するかのように、龍は巻き付いたままその鋭い爪を巨猿の体へと食い込ませていった。
苦痛に顔をゆがませ、さらに暴れまわる巨猿。
振り回す腕は狙いを定めることなく、ただひたすら暴れまわっていた。
あらぬ方向に振りぬかれた拳が、壁や木々に当たり轟音を発する。
「ぐあっ!!」
俺のすぐ真上の壁を、巨猿が殴りつけた。
カラカラと崖の上から落ちてくる小石が頭に当たる。
小さくしゃがみ込んでいた俺の顔がこわばり、少しでも小さくなろうと、さらに岩壁に背中をぐっと押し付けた時だ。
――ピシッ
岩壁に預けた背中から、何かの割れるような音が聞こえた。
「え?」
不思議に思ったのとほぼ同時だった。
巨猿が追い打ちをかけるように、振り回した拳をもう一度崖に当てた瞬間に、それは起きた。
背中を預けていた壁が、突如として無くなり、俺の体が宙に放り出されてしまう。
「なっ!?」
突然ふわりと体が浮き、背中から倒れこむ。
慌てて槍を持つ手を離し、前に伸ばすが、掴めるものがなにもない。虚空を掴むのみだった。
「うわああああああああああああ!!」
落下しながら俺が見たものは、大きく割れた崖の割れ目。そしてその隙間から見える、龍と巨猿が暴れまわっている光景だった。
その光景はどんどん小さくなっていき……暗闇の中へと、頭から落下を続けていった。
「うわあああああ………がっ! ごっ!」
落下を続けていた俺の体は、数秒後岩壁に当たりバウンドした後、地面に激しく打ち付けられた。