かいじゅうだいけっせん
「グルルル……」
俺が知っている龍と違うのは、空を飛んでいないということだろうか。
鋭い爪の生えた4本足でしっかりと地面を捉えている。また、眉間には赤い結晶のようなものが輝いて見える。
……みじ……かい?
圧倒的な存在感と、威圧感。その迫力と距離から一瞬気付けなかったが、その龍はよく見ると明らかに小さい。
いや、小さいということは無いのだが、龍というイメージからしたら圧倒的に小柄なその龍の大きさは全長10メートルにも満たないのではないだろうか。
頭の大きさは俺の背ほどもあり2メートル近いというのに、その全長の短さから、体長と横幅のバランスが合っておらず、ずんぐりとした印象だ。
「グルルルルル……」
青い龍は低いうなり声を上げながら、俺の目の前から移動を始めた。
4本足でまるでトカゲのように這っている姿はどこか違和感を感じる。
へたり込む俺の目の前を、その長い体がずるずると通り過ぎていった。
青い龍は、ユニコーンの死体の前までやってくるとその死体を口に咥え、丸呑みにしだした。
さすがに一飲みにはできなかったようで、顔を上に向け、体勢を変えたり獲物の角度を変えながらアグアグと飲み込んでいく。
ユニコーンを殺したのは、この青い龍なのだろうか。
疑問に思いながらも頭が働かない。その小さな龍が発する気配に中てられてしまっていた。
周囲の空気はピリピリとまるで電気を帯びたように張りつめており、殺気が満ちている。その場を完全に青い龍が支配していた。
……やばい……体がうごかない……怖い。
今までも恐ろしい猛獣たちを見てきたけどこいつは違う……存在そのものの格が違う……。
まさに蛇ににらまれた蛙という奴だろうか。
龍は食事中であり、俺のことなど見てもいないにもかかわらず、その姿だけで俺の体を硬直させてしまった。
それほどまでの格というものの違いを俺は理解してしまっていた。
「ゴフゥ……」
ユニコーンの体をようやく飲み込んだ青い龍が、大きくゲップをした。
ずんぐりとしたその体の喉元の辺りがぽっこりと膨らんでいる。ユニコーンの死体が今あの場所を通っているのだろうか。
ゲップをしてすっきりした龍が、デザートでも食べるかのようにユニコーンの頭を齧り出そうとした時だ。ジワリとその動きを止める。
そして、金色の瞳がギロリと俺の方を向いた。
「ひっ……!」
目が合った。
俺の口から、思わず悲鳴ともとれない声が漏れ出してしまった。
慌てて口元を手で押さえるが、すでに手遅れだ。
……く……食われる……。
そう思った瞬間だった。
フードの中にいたとげぞうが、俺の頭によじ登ると――跳んだ。
一瞬何が起こったのかわからなかった。目の前をとげ饅頭が四肢を広げて跳んでいる。
「な……」
とげぞうは地面に着地すると草むらの中を全力で走り出したようだ。
俺の膝まである草のせいで姿は見えないが、揺れている草のおかげで走っている場所はわかる。すごい速さで草の揺れる場所が移動していき、俺と龍から遠ざかっていく。
……に……にげ……た?
俺は愕然とした。
龍にその存在を気づかれた瞬間、とげぞうがすさまじい勢いで離れていく。
その事実だけが頭の中を満たしていた。いろいろなことが起こりすぎてわけがわからない。
龍から発せられる威圧はものすごいものだ。ついさっきまで、動くことができなかったほどに。
その威圧にとげぞうは耐えられなかったのだろうか、わき目もふらず走り去ってしまった。
……と……とげぞう……。
とげぞうに見捨てられ、奈落に突き落とすかのような衝撃を受けた俺は、頭の中でただただとげぞうの名前を連呼していた。
確かに一緒に生活するようになって日も浅い。野生の動物だと考えればとげぞうの行動が最も合理的だろう。
だが、俺はとげぞうをパートナーだと、自分は慕われているのだと思い始めていた。
だってそうだろう? 俺がピンチの時はいつもその身を犠牲にして守ってくれていたのだ。慕われてると思っても仕方ないじゃないか。
漫画やアニメで見る深い絆で結ばれているんじゃないかとどこかで思っていたのだ。
だが、それは幻想だったらしい。見捨てられたという事実のあまりの衝撃で、俺は龍の存在を一瞬忘れてしまうほどだった。
……俺は…………いや、しょうがない。とげぞうのしたことは正解だ。このまま二人一緒にいても二人とも食べられてしまうだけだ。逃げられるなら逃げた方がいい。何も、囮にされたわけではないんだ。ぼーっとしていた俺が悪いだけじゃないか。
とげぞうのほうが……現実を見ていただけだ!
俺はなんとか我に返ると、自分に言い聞かせるように事態を整理した。
呆けている場合ではない。目の前の脅威をやり過ごしてからいくらでも考えられる。多少とげぞうのほうが考え方が合理的だっただけのことだ。
俺は今のショックで自分の体の硬直が解けていることに気付いた。
心臓はいまだに早鐘のように鼓動を刻んでいるが、それでも手足は動く。
軽く手を握ったり閉じたりすると、ゆっくりとへたり込んだ体勢から、膝をついた状態にシフトしていった。
……落ち着け……ゆっくりだ。ゆっくりとすぐに走れる体勢を作れ……。何としても生き延びてとげぞうと合流するんだ……。
なんとか龍を刺激しないようにゆっくりゆっくりと動いていると、妙なことに気付いた。
龍の視線が、俺を見ていない。
右手にいる俺を見ていた視線はいつの間にか前方を見据えていた。
……どこを見て……あっ!
その方角は、とげぞうが走り去っていった方角だった。
……こいつ……もしかして、ノンアク……?
龍が放つプレッシャーが凄すぎて、完全に忘れていた。
それはつまり――
……最初から……とげぞうを見ていた?
そうとしか考えられなかった。
実は、今までも度々こういうことが起こっていた。
ノンアクだと思っていた生き物が突然襲ってきて驚いていると、狙いはとげぞうだったということが。
たった今、目の前にいる俺に何の反応も見せずに、走り去っていったとげぞうのほうを見続けていることも、そのためだろう。
とげぞうが俺の頭から飛び出す直前、俺を見たと思っていたあの目も、とげぞうを見ていたのだ。
……た……助かった……。
俺は自分の身に危険がないとわかると、安堵の溜息を吐き出した。
と、同時に俺の中にある疑問が浮かぶ。
……なんであいつは一人で逃げようと考えたんだ……? あいつは自分だけが龍に見つかっているって知らなかった?
いや……あの敏感なとげぞうだ、それはないだろう……。
以前ノンアクの動物に襲われた時も、とげぞうは自分が狙われていたことに気付いていた……。
ってことは……くそっ! あのバカ!
一つの結論が浮かんだ。
……俺を見捨てたんじゃない! 自分が囮になりやがったんだ!!
この結論に達した瞬間、俺は走り出していた。
気配を消すことなんて気にしている余裕はない。なぜなら今まさに、龍がとげぞうの走っていた方向を見つめたまま、大きく息を吸い込んだのだ。
俺には、龍がなにをするのかなんてわからないが、少なくともただ深呼吸したわけではないことだけは理解できた。
大きく体を反らせながら息を吸い込む龍の脇を、全力で駆け抜ける。
……お前を犠牲にしてまで生き延びるつもりはないって言っただろ!! ふざけんなよ!
ついさっきまで見捨てられたと思っていたことなんて、俺の頭から吹き飛んでいた。
膝まで伸びた草に足をとられながらも、なんとか転ばないようにかき分ける。
……いたっ! あそこだ!!!
数メートルさきに見えた草むらの中を、何かが移動しているように揺れている。
思ったより距離は離れていなかったようだ。
――グルアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
あの咆哮だ。
真後ろから今までで一番大きな、鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどの咆哮が鳴り響いた。
――ビクッ!
俺の動きと、草むらを走るとげぞうの動きが一瞬とまった。
どうあがいてもこの、魂に直接刻まれたような恐怖に逆らうことはできないらしい。
先に動いたのは、とげぞうだった。
目の前の草むらが揺れた瞬間――
――ピシュ!
再び俺の脇を何かがすり抜けたような気がした。
暗くてよく分からない上に、すさまじいスピードだったらしく、音しか聞こえなかった。
「なっ……!」
何かが通った先を見て驚いた。
草むらが、斜めに刈られている。
とげぞうがいた辺りの草むらが、突然長い刃物を振り回したかのようにスパッと切りこまれているのだ。
なんだ!? 今何が通った!?
……とげぞう! とげぞうは無事なのか!?
俺は慌てて刈り込まれた草むらへ駆け寄ると、しゃがみこんで残った草をかき分けた。
「とげぞう!!」
そこにはとげぞうが、針を立てたまま震えていた。
いつもの威嚇とはちがう。明らかに怯えきっている姿だった。
「とげぞう!!! 大丈夫か!?」
俺が慌てて声をかけるも、とげぞうは反応をしない。
……ん……? 水……?
草をかき分けた手が濡れていた。
一瞬なぜここの草だけが濡れているのか気になったが、今はそれどころではない。
すぐに震えるとげぞうを片手で抱きかかえると走り出した。
「はぁ……はぁ……とげぞう! 大丈夫か!! お前にはいろいろ言いたいことがあるけど今はとにかく逃げるぞ!」
震えるとげぞうにそう語りかけながら、とにかく草むらの中を全力で走った。
とにかくできることがこれしかない。今走っている辺りは木々の間隔が狭すぎて通り抜けられない。
もう少しすればまた木々の間隔が空き、太古の森へと逃げ込めるかもしれない。
出来る限り入りたくない森だが、今は逃げられる場所がそこしかない。
だが、そんな俺の望みはあっという間に絶たれてしまう。
――ズズン……
「なっ!!?」
必死に走る俺の目の前に、巨大な何かが突然降ってきた。
突然の衝撃に驚き、地面をける足に急ブレーキをかける。
俺がその物体の正体を、確認すらできないうちだった。
――ブォォォォォォ!!!!!!!!
目の前の物体が、突如として大地を震わせるほどの巨大な音を発した。
あまりの巨大な音に、鼓膜がビリビリと震え雑音を発する。
一瞬音だということすらわからなかったほど巨大な轟音は、鳴りやんでもしばらく俺の耳を馬鹿にしていた。
キーンと耳鳴りが鳴り響く中、その巨大な物体を見上げる。
目の前には金色の巨大なサルが立ちふさがっていた。
俺の5倍はあろうかというその巨大なサルは、長い牙を携え、目が赤く光っている。長い牙のおかげで口が閉まらないのだろうか、よだれがぽたぽたと落ち、道をふさぐように仁王立ちをしていた。
「うわあああああああああああ!!!」
思わず悲鳴を上げていた。
耳が馬鹿になっているため、自分の発した声が歪んで聞こえる。
悲鳴に反応したのだろうか、巨大なサルが動き出す。
低いうなり声を上げながら俺の方をにらみつけると、金色のサルはその巨大な手を大きく振りかぶり――
俺に向かって打ち下ろした。
――ゴン!
俺の髪を、強めの風が撫でていく。
思わず目を閉じると同時に、後ろから鈍い音が聞こえた。
なっ……なにが!?
恐る恐る、目を開くと――
「ひっ!!」
俺のすぐ真上を、金色の毛むくじゃらの腕が伸びていた。
自分を外れたと瞬時に理解した俺は、すぐにしゃがみこみ尻餅をつきながらその拳の先を見た。
「グルルルルルル……」
その金色の拳は、俺の真後ろに迫っていた龍の顔へと直撃していた。
巨大な拳が額にジャストミートしているにもかかわらず、龍はまるで何事もなかったかのように目の前の拳をにらみつけている。
巨猿は俺ではなく、最初から龍を狙っていたようだ。
いつの間に!? こいつ……蛇みたいに腹這いに……!
龍はまるで地面を泳ぐかのように四肢を体に付けた状態で移動していたようだ。
拳が突き刺さったままの状態の今も腹這いになり、体は道一杯にくねくねと蛇行している。
どうやら巨猿と龍は拳と頭で押し合いをしているらしい。ギリギリという音が聞こえてきそうなほど拳と首に力が入っているのがわかる。
俺は慌てて後ずさりをすると、崖へ背中を預けた。
今、俺の眼前で、怪獣大決戦が幕を開けようとしていた。