ねぼう
「マジかよ! これで何匹目だ!?」
1時間後、俺は全力で森の中を走り抜けていた。
実は、この広葉樹の森で出会う生き物のほとんどは小動物で、大型生物に出会うことは割合的に案外多くない。
今までの状況だと、小動物の場合ほとんどの確率で俺を見える奴は逃げ出していた。
つまり、見えないか、逃げるかのどちらか。
大型生物の場合は、ほとんどの確率で見えないか、襲ってくるかのどちらか。
そして、猿のような中型生物はどちらも半々ぐらいと言ったところだった。
それが今日の場合、俺のことを見えない奴が減ると同時に、新しく俺のことに気付いた奴は、俺たちに襲い掛かってくるのだ。
◇
蜘蛛のように額に大量の目があるげっ歯類が、俺たちを追いかけてくる。
気が付いたら森の中でよく見かけるようになっていたこいつらは、今まで完全に俺たちをスルーしていた奴だ。
迎え撃とうと槍で反撃したが、動きがすばやくて当たらない。
さらにこんなに小さいのに、食らった体当たりがまるで鉄球をぶつけられたかのような衝撃だった。
こんな奴とまともに戦っていられない。
この森の生き物たちは、基本的に桁外れにタフで怪力だ。
見つけやすい大型生物よりも、小動物が襲ってくるということの方がある意味で脅威的かもしれない。
今まででさえ、生きていられたのが不思議なほどだったこの森は、さらに凶悪になっていた。
だが、それでもまだ救いはある。
これだけの状況を聞いてしまうと、もはや生存は絶望的に感じるが、この新しく俺のことを襲ってくるようになった生き物たちは、走ってある程度距離が離れてしまえば、俺たちを追うのを諦めてくれる。
逃げることが可能なのだ。
だからこそ、今俺は全力で森の中を走っていた。
「はぁ……はぁ……。撒いた……か?」
後ろを振り返ってみると、どうやら追ってきている奴はいないようだ。
だんだん状況は悪化していく。
タイムリミットが、刻一刻と迫ってきているように感じた。
◇
崖の下、太古の森と崖の間の道は普段通りの落ち着いた道だった。
崖上を飛び交う怪鳥以外、普段生き物をほとんど見かけないこの道は、怪鳥さえノンアクでいてくれれば俺を襲ってくる奴はいないということだ。
これでもし怪鳥がアクティブに変化していたら、こんな拓けた場所を悠長に通ろうとした瞬間食われてしまっただろう。
もしかしたらこれこそが、この道をほかの生き物が通らない理由なのかもしれない。
「やっと着いた……。ちょっと休憩したら始めようか」
「きゅぅ……」
全力疾走する俺のフードに入りっぱなしだったとげぞうは、どうやら動きに酔ってしまったらしい。
滝壺へ着いた途端、フラフラと丸い石の転がる河原へと降りると、そのままへたり込んでしまった。
丸まるのではなく、両足を放り出しペタンと地面に寝転がる姿は間抜けだがかわいい。
そういえば、熊との戦いで折れていたと思っていた腕は、どうやらただの脱臼だったらしい。
死ぬほど痛い思いをして無理やり押し込んでみると、ゴキンと鈍い音を立てながら、案外すんなり入ってくれた。
まだズキズキと痛むが、細かい作業に支障が無くて助かった。
少しの間休憩した俺は、この滝つぼ周辺に運び込んでおいた竹を並べると、さっそく蔦を使って結び付けていく。
……うん、こういう時って結び方とかいろいろあるんだろうけど、結局全部かた結びのごり押しになっちゃいますよね。
昔連れていかれたキャンプなんかで結び方とか習った気がするんだけどなぁ……。
大きくなってからも何度か覚えておくといい結び方みたいなの覚えようとしたはずなんだけど……さっぱり覚えてない。
ああいうのは普段から使ってて身に着けるものであって、使ってないと速攻で忘れてしまう。
各箇所3重くらいにかた結びをして無理やり縛っていく。
何度も強度を確かめながら、8本を横一列に結び付けた。
竹一本の太さが15センチくらいだろうか。8本で120センチくらいの幅しかない。
これはかなり心もとないが、贅沢は言ってられないだろう。
「ほれ、邪魔だからそこをどけ」
「きゅー!」
暇なとげぞうが膝に乗ったり背中を駆け上がったりと邪魔をしてくる。
そんなとげぞうの相手をしながらも、作業を進めた。
時間をかけて、3つ同じものを作っていく。
そうしてできた3つの筏を重ねて、3層構造の本体が完成した。
「……ふぅ。これで何とかそれらしい形になったぞ」
なんだかんだですっかり時間がかかってしまい、とっくに昼を回っていた。
「きゅ、きゅー」
とげぞうが出来上がった筏の上を楽しそうに走っている。竹の表面がツルツルと滑って楽しいらしい。
「元気だなぁお前は。俺は長時間作業に集中して疲れちゃったよ……ちょっと休憩するからさ、もし寝ちゃってたら起こしてくれよ。10分くらい目を閉じてないと頭が痛くてさ」
久しぶりの集中した作業のせいだろうか、頭がズキズキと痛む。
俺は完成した筏の上に横になると、少しの間目を閉じて休むことにした。
この滝壺で猛獣を見たことがないし、少しくらいなら休んでても大丈夫だろう。
最悪とげぞうがきっと起こしてくれる。
後はオールを作り、荷物を積めるように出来れば完成だ。明日には出発できるかもしれない。
急ぐ必要はあるが焦ることは無い。体調を万全にしておくべきだ。
俺は目を閉じると、眠らないように轟音に耳を傾けていた。
轟々と体を震わせるほどの音は、だんだんと心地よい音へと変わる。
やがて音は、遠くへ霞んでいった。
◇
――リー……リー……。
滝の音に紛れて鈴虫のような、虫の鳴き声がかすかに鳴り響いている。
「ん……」
俺はゆっくりと覚醒する意識の中、背中の痛みに気付き寝返りを打った。
硬い竹の上に寝ていたのだから当然だろう。
……ん? ……なんか……。
「うお!! なんで!?」
うっすらと目を開けると同時に、周囲の異変に気づき、俺は一気に飛び起きた。
周囲の河原はすっかりオレンジ色に染まってしまい、今は明らかに夕方だ。
太古の森に囲まれたこの狭い空には、すでに太陽の姿が見えない。
太陽は西の空へ沈み切ってしまっており、もう数分もすればこの辺りにも夜の帳が降りてくることだろう。
「まずい……今すぐ走って帰っても確実に崖上にすらたどり着けない……。とげぞう!! なんで起こしてくれなかったんだよ!?」
俺は焦りながら、とげぞうに一言文句を言おうと足元に目をやる。
すぴー……すぴー……。
そこには、気持ちよさそうに丸くなるとげ饅頭が転がっていた。
「とげぞう……」
俺はその姿を見るなり、ガックリと脱力しながら名前を呼んだ。
あまりに気持ちいい寝っぷりに、一気に怒る気が失せてしまった。
やばい……どうする? このままなんとか夜の森を突っ切って戻るか? それともここらへんでなんとか夜を過ごせる場所を探すか……?
もう秘策は使っていないのだ。実は初日以来、俺は夜に秘策なしで森の中をうろついたことがない。
当然、初日の恐怖が頭の中にあるからだ。
せいぜい拠点の広場をうろつく程度で、森の中なんか入ろうとも思わなかった。ましてや、太古の森のすぐそばなんて夜にうろつこうなんて思ったことがない。
拠点に籠っていてもわかるのだ。夜の森は昼とは全く違うということが。得体のしれない鳴き声が一晩中続き、遠くから聞こえる遠吠えのようなものが太古の森の方向から聞こえてくることも知っている。
「おい! とげぞう! 起きろ!!」
「くぅ……きゅ!?」
とにかく移動をはじめないとまずいだろう。
そう思ってとげぞうを起こすと、とげぞうは慌てて俺のフードに駆け上った。
眠ってしまったことを怒られると思ったのだろうか。
「はぁ……別に怒らんよ。人任せにした俺も悪いしな。とにかくちょっとヤバい状況になってる。急いで移動するぞ」
「きゅー!」
俺は急いで荷物をまとめると、それらを抱えたまま移動を始めた。すでにオレンジ色の空は暗くなり始め、影はかなり薄くなっている。
崖沿いの道など、木々の陰になっている場所は一層暗く感じた。