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原初の地  作者: 竜胆
1章
24/144

ひさくとは




 「…………こほっ」


 目を開くと、そこには灰色の雲と、緑の葉が広がっていた。

 周囲には焦げ臭いにおいが充満している。


 全身がズキズキと痛む。

 俺は一体何を……?


 数十秒ほど、虚空を見つめ茫然としていた。

 ぐちゃぐちゃだった頭の中が整理され、妙にすっきりしているが何も考えられなかった。


「う……」


 ようやく頭が再起動し始め、体を起こそうとするが苦痛で顔がゆがむ。


「なんだよ……これ」


 何とか上体を起こし、周囲を見渡して驚いた。

 周囲はまるで爆弾でも落ちたかのように至る所で煙が上がり、焼け焦げている。


 何よりも驚いたのは、俺のすぐ隣に倒れている巨大な緑色の物体。


 熊だった。


 熊は大きく腹部がえぐり取られ、絶命していた。

 その断面は炭化し、いまだ煙が上がっている。


「これは……俺が?」


 熊に殴り掛かり、指輪が爆発した。

 その瞬間まで覚えている。


 ということは状況から察するに、やはりこれは俺の仕業なのだろうか。


「……いや、むしろこれはデニーが……」


 右手にハマったままの指輪に目を向ける。


「……宝石がない?」


 指にハマっている指輪は、台座だけを残してあの真っ赤な宝石が消えていた。

 辛うじて指先だけ動く左手で、何とか指輪を触ってみるとあれだけ抜けなかった指輪がするりと抜ける。


 指輪の内側には、≪tooエリー≫ そう刻んであった。 


「デニー……」


 俺は指輪を指で触りながら、男の名前を口にする。

 俺の記憶が、少しだけ戻っていた。






 俺は遭難した日の午前中、マイアミの街を彷徨っていた時にデニス松村(デニーと呼べと言われた)という日系二世のメキシコ系アメリカ人にナンパされた。


 そして、そのまま客のノルマが足りないと喚いていたデニーの操縦する、小型飛行機で遊覧飛行を楽しんだのだ。

 マイアミの海を空から楽しみ、様々な話をデニーとした気がする。


 あの指輪の話もその時に聞いたんだ。

 黒太子のルビーの話……。


 なんでもイギリス王室の宝らしくて、絶対にイギリス王室に帰ってくるっていう伝説のある宝石らしい。

 よくわからないけど、デニーの話では王室に保管されてるのは偽物で、本物をデニーが見つけて指輪にしたとか言ってたが……。


 まったく信じてなかった。


 女の子にプレゼントするために必死に探したとかなんとか動機が不純だったし、そんな都合のいい話あるわけないと思ってたけど……。


 その指輪が爆発するってどういうことだよ。お前は何を見つけてきたんだよデニー……。


 その指輪を、なんで俺が持っていたのかは……思い出せない。

 思い出せたのはこれだけだ。


 何故指輪が爆発したのか、これだけの爆発で何故俺は生きているのか。そのあと俺に何があったのか。


 わからないことはまだまだたくさんある。

 だが、いつまでもこうして座り込んでいるわけにはいかない。


「とげぞう……」


 俺はなんとか立ち上がると、熊の死骸を見下ろしていた。


 思わぬ結末を見せたが、お前の仇を取ることができたぞ。

 お前が勇気というものを見せてくれたから、俺は今生きていられる。


 お前が居なかったら、俺は熊の恐怖に負けてそのまま何もできずに殺されてただろう。


 出来ることなら、とげぞうに直接伝えたかった。

 小さな勇者に、感謝の言葉を伝えたかった。

 だが、それは叶わない。


 強烈すぎる熊の一撃で、跡形もなく消し飛んでしまったのだから。


 いま、とげぞうが死んだ場所には熊の死骸が覆いかぶさっている。

 あの時熊は、きっと匂いだけではとげぞうが死んだことを判断できなかったのだろう。


 だから、確実に殺そうと匂いの残る、死んだ場所に向かって追い打ちをかけようとしていたのだ。

 そのおかげで、俺は熊に一撃を与える隙を得ることができた。


 とげぞうは、死してなお、俺を助けてくれていたんだ。


「う……ふぐっ! うあ”ぁ”……」


 とげぞうの勇敢な行動を思い返すたびに、涙があふれ出てくる。


 一緒に暮らした時間は短かったが、二人だけの生活だったというのもあるのだろう。あっという間に俺の心にとげぞうは入り込んでいた。


 お前の鳴き声がききたい……。


 もうあの無邪気でかわいらしい仕草も、からかった時の反応も、虫を食べるときのちょっと怖い顔も見ることができないのだ。

 考えただけで、涙が止まらない。


「お前が!! お前がとげぞうを!! 殺したんだ!!」


 泣きながら、熊の死骸に蹴りを入れる。

 ゴムタイヤを蹴った時のような感触が足に伝わる。


 無駄なことだとも、死骸を冒涜する行為だということもわかっている。だが、それでも怒りをぶつける先がほしかった。

 俺は屑野郎だ。自分のことを棚に上げて、すべての罪を熊に擦り付けている。


「はぁ……はぁ……」


 ひとしきり暴れた俺は、熊の体に刺さったままの槍を引っこ抜いた。

 肉が締め付けてしまっているかと思ったが、案外すんなりと槍は抜ける。


 俺はそのまま槍を使って、熊の毛皮を剥ぎだした。

 毛皮を何かに使えないか、そう思ったのもある。


 だがそれよりも、皮をはぎ取ってやりたいほど熊が憎い……この思いの方が強かった。

 こいつさえ、こいつさえいなければ、俺はとげぞうと筏を完成させてこの森を脱出することができていたんだ。


 なんで今日なんだよ……。


「……秘策が……尽きたからか……」


 思い返せば、俺たちが熊に襲われてから数日。

 ほぼ毎日秘策を使っていた。


 今だから言うが秘策とは、オオトカゲの尿を浴びることだ。


 昔見た映画で、猛獣の跋扈する孤島で少年が一人で何日も生き延びていたというシーンを見たことがあった。

 助けに向かった救助隊が、生存は絶望的だと思われていた少年を見つけた時に話していた生存方法が、これだった。


 すなわち、その生態系ピラミッドの頂点に君臨する生物の尿を使って、虎の威を借りるのだ。

 ピラミッド下位にいる生物はその生物の縄張りに入ってしまったと思い逃げ出す。さらに使用者の匂いも消せる。


 あの穴底の泥地がボットン便所だとわかった時に、この作戦を思い出して、尿を採取していたのだ。


 作戦は見事に的中した。だが、その有用性に気付いて後日再び採取にいくと、あの巣穴に通じる洞窟からは毒ガスが噴き出て近寄ることができなかった。ガスの濃さが足りないのか、火を着けようとしても引火することも無かった。あそこは一方通行なのだ。


 回数制限があるというのは、つまりそういうことだ。再びあれを手に入れるためにはアリの谷を通り、オオトカゲの巣を抜ける必要がある。


 まず不可能といってもいいだろう。


 ……頑なに秘策秘策と呼んで、尿と言いたがらなかったのは、気持ちの問題だ。尿を浴びるというのは正直きつかった。


 この秘策を使い続けたことで、熊はおそらく俺たちを見失っていたのだろう。


 毎日のように見かけた荒らされた森は、おそらく秘策が切れて俺たちの匂いが風に乗った時に、その場にいると勘違いして暴れまわったか、もしくはほかの生き物と出会って暴れたか……そこらへんは定かではない。今日発見した荒らされた場所は、半日だけ使わなかった日の残り香を発見した時のものだったのだろうか。


 そしてとうとう、秘策が底をついた今日、熊はようやく俺たちの匂いを捉えたのだ。

 そこまでして、熊が何故俺たちに拘り、恨んでいたのかはわからない。


 よっぽどうまそうな匂いがしていたのかもしれないし、何か知らないうちに俺がやらかしていたのかもしれない。


 だが、どんな事情があるにせよ、熊がとげぞうを殺したことは事実だ。

 熊が俺たちを絶対に許さなかったように、俺もこいつのことを絶対に許せない。

 毛皮を剥ぎ、解体することに何のためらいもなかった。 

 左手は動かないため、うまくはぎとれない。

 ぎこちなく皮と肉の間に槍の柄を突っ込み剥がしていく。


 かなりの時間をかけ、ようやく背中側の毛皮を剥がした。

 今度はお腹側だ。


 仰向けにしやすいように腕や足を、槍を使って切り落とす。

 先に毛皮を剥いでいるので、毛皮自体はつながったままだ。


 そして、地面と熊の間に槍の柄を差し込んで、思い切り体重をかけテコの原理で熊の巨体をひっくり返す。

 槍の柄も、俺の体も血だらけでぬるぬると滑りうまく力が入らない。


「うおおおおおお!」


 血管が切れるかと思うほど力を入れ、何度も反動をつけてようやく熊の体が反対を向いた。


「はぁ……はぁ……」


 ゴロンと仰向けになった熊の顔からは舌がデロりと垂れ下がり、生前はまるで怒りそのものだと思えた血の涙は、今では死の苦痛を現しているようにみえた。


 その姿を見て俺の中で、溜飲が少しだけ下がった気がした。


 腹部側の剥ぎ取りを続けていく。


 緑色の毛皮は、剥ぎ取り時に出た熊の血ですっかり赤く染まってしまっている。

 大部分を漸く剥ぎ終わり、地面へ広げてみるとその大きさに改めて驚いた。


 腹部は焼け焦げて穴が開いてしまっているが、4メートル以上の毛皮の絨毯ができている。

 今はまだ使い道は思い浮かばないが、これを鞣せば色々使い道があるかもしれない。


 ようやく作業が終わり、俺は一息つこうとその場に座り込んでいた。

 隣には解体され、理科室の人体模型のような姿にされた熊が転がっている。

 目が無いため一層不気味だ。


 あまり見ないようにしていたが、ふと目をやると皮を剥がれた目の無い顔がこちらを向いている。


 生前も、目がないことでアンデッドのような顔をしていたが……こうなると完全にゾンビとかそういう存在にしか見えない姿だ。


 今にも動き出しそうなその姿に、若干の寒気を覚えた。


 ……そうだ、ここはファンタジーな世界。ひょっとしたらそんなことだってあり得てもおかしくないんだ。


 強い恨みを抱えたまま死んだ魂は成仏できずに、動く死体となり地上を彷徨う。

 よくあるファンタジーホラー設定だ。


 何の恨みか知らないが、熊は尋常じゃないほどの執着心を俺たちに見せていた。


「……さっさと解体してしまおう」


 嫌な予感が俺の頭をよぎる。

 そんなことあるわけないと思いながらも、一瞬頭の中によぎってしまうとその考えが妙に離れない。

 怖い話を見た後のシャンプー中のような気分だ。


 慌てて立ち上がり、さっさと残りの解体を行おうとした時だった。


 なんと解体した熊の一部が、ピクピクと動き出したではないか。


「う……うそだろ!?」


 動き出したのは、剥ぎ取ったばかりの毛皮。

 ある一点がモコモコと盛り上がる。


 まさか……ほんとうに動き出すなんて。

 俺は恐る恐る槍を構え、毛皮の動きに備える。


 とてもじゃないが、熊が復活なんてしたら戦える体力なんて残っていない。

 体中から冷たい汗が噴き出てきた。


 このまま毛皮が死体に巻き付き、解体した部位が繋がり……熊のゾンビが動き出す姿が脳裏に浮かぶ。

 熊の復活だけは避けなければならない。


 こんなのムリゲーすぎる。


 とにかく、復活する前に動き出した個所から攻撃するんだ!

 完全に復活する前にもっとバラしてしまえば……っ!!


 焦った俺はモコモコと動いている毛皮に向かって槍を構えた。

 血で滑らないように思い切り握りしめ、一気に槍を――


 突く!!


「きゅー……」

「っ!?」


 俺が槍に力を込め、一気に突く瞬間だった。


 ……嘘……だろ?


 かすかに、本当にかすかに、俺が聞きたくて聞きたくて仕方なかった声が聞こえた気がした。

 その瞬間、動揺した俺の槍は狙いが外れ、思っていた場所と違う場所に刺さる。


「ふしゅ!」

「お……おい、おい!!! マジかよ!!!」


 その音を聞いた瞬間、俺の鼻をツンとした痛みが駆け抜け、視界がゆがむ。

 慌てて周囲を見渡し、その姿を探す。


「どこだ!! とげぞう! お前なのか!? おい!!! とげぞう!!」


 とげぞうとげぞうとげぞうとげぞうとげぞうとげぞうとげぞう!!


 何も考えられず、とげぞうのことで頭がいっぱいになり狂ったようにとげぞうを探し回る。


 どこにいるんだ!! とげぞう! 姿を見せてくれ!! 

 どうしてもその姿を見つけられなかった俺の目は、やがて熊の毛皮で止まる。


 まさか……。


 相変わらず、熊の毛皮は一部分だけがモコモコと動き、その動きは他に広がりを見せていない。

 俺は再び槍を手に取ると、そのモコモコと動き回る一部分の周囲をゆっくりと切り取っていった。


 丸く切り取った毛皮を、めくった瞬間だった。

 毛皮の下から、ツンと上を向いた、尖った鼻が顔を出す。


「きゅっ!!」


 そして、大きく鳴いたそいつは、解放されたことを喜ぶように元気いっぱいに毛皮の穴から飛び出してきた。


「とげぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 その姿を見た瞬間、俺は大粒の涙を流しながら、とげぞうに抱き付いていた。


「うああああああ! とげぞうとげぞう!! どげぞう”ぅぅぅ!!」


「ふしゅ!」


 驚いたとげぞうが針を立て、俺の腕に刺さるがそんなことはどうでもよかった。


 尖った鼻、ボタンのような真っ黒な目、丸い耳。とげとげの体、小さな手足、白と黒のツートンカラー。

 間違いない。間違いなくとげぞうだ。


 とにかくとげぞうが生きていたことがうれしくてうれしくて鼻水と涙で顔がドロドロになりながら抱き付いていた。


「きゅー」


 とげぞうも最初は驚いたようだが、そんな俺の姿を見て察したのだろうか。すぐに針を立てるのを止め、抱きしめる俺の腕をぺろぺろと舐めている。 


「はははは! なんで! なんで生きてるんだよお前!! 嘘だろおい!!」


 わけがわからないままテンションが上がり、泣きながら笑ってしまう。

 あまりにもうれしくて夢じゃないかと一瞬疑うが、体中はずきずき痛むし、とげぞうの針が刺さった場所も痛い。


「きゅー!」


 腕の中のとげぞうは、何か良いことあったの? といった感じで首を傾げながらも嬉しそうに抱かれている。


「はははは! もう何でもいいや! 生きててくれただけで十分だ! とげぞう大好きだ。ありがとう」


「キュ! キュ!」


 とげぞうは俺の腕の中から抜け出すと、俺の周りを嬉しそうに跳ねまわりだした。


 よかった。本当によかった。

 あふれ出る涙が止まらない。


 もう二度と会えないと思ってた。

 そのかわいらしい姿も、ほほえましい仕草も、そのすべてが愛おしい。


 軽い気持ちで、一人じゃ寂しいからとペットのような感覚で一緒にいたはずが、いつの間にか家族のような大事な存在になっていた。




 

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