始まりのタンジー
ゲンと二人組の出会いから遡る事、2時間前。
「ゲンちゃん、置いてきちゃったけど大丈夫だったかな……。起きたら絶対怒るよね。うぅ、またあの指拷問受けたらどうしよう」
ルルはあの時の激痛を思い出しながら、ゾッとした表情で指を摩った。
前を歩むのは、何故か全身あざだらけで戻ってきたタンジーだ。何があったのかと問い正したが、深刻そうな顔をするだけで何もしゃべってくれず、ようやく口を開いたと思ったら一人で付いてきてくれとのことだった。
何も詳しいことは話さずにひたすら頭を地面に擦りつけるタンジーに、強くは聞けなかった。
流石に何かあると思ったルルではあったが、ゲンは激戦で疲れも溜まっているようだったし、全く起きる気配はない。偵察くらいは請け負うべきだろう。それに、ルルの困った人を見捨てられない性分は、昔から変わらない。
(大丈夫。昔みたいにクールになればある程度のことは対応できるはず。最近はゲンちゃんに頼りすぎて気が抜けてただけだもの。迷える子羊を導くのも、聖女の役割なんだから)
そんな風に、自分を納得させてとげぞうにゲンのことを任せて出発したのだった。
そして今。
「……そいつが、顔隠しを騙った馬鹿者か……」
ルルは、連れてこられた洞の中にて、顔面蒼白になりながら老人たちの罵声を浴びていた。
違う、私じゃない。あいつです。
そう指差して丘の上に眠る嘘つきを生贄に差し出したかったのだが、自分で此処に来ると決めたのだ。そんなことは出来ない。
「よく連れて来たな、タンジー。これは返してやろう」
「……」
「待て。まだ終わってないぞ。貴様ら二人を囮にしている間に、ワシらはこの村を去る。最後ぐらいしっかり働け。お前たちが我々の村を滅ぼしたんだからな!」
気が狂ったように叫ぶ老人たちの言い分を、全く理解できない。確かに自分たちの代わりに顔隠しが来ていれば違った対応が取れたのかもしれないが、今現時点では滅びても居ないし、原因でもない。ただ自分たちが逃げ出す口実が欲しかっただけだろう。
(やっぱり、この村は王都に獄夢が潜伏していた時の雰囲気に似ている。だけど……何かが違う気もする。あの時は既に彷獄獣が人間に紛れてたし……)
決定的な証拠が、見つからない。
本当に未知の流行り病の可能性だってある。
その場合、今ゲンを呼べば二人とも罹患してしまうかもしれない。
ルルは、ゲンを呼ぶべきなのか迷っていた。
男たちは、ルルとタンジーを囲み今にも襲い掛かって来る勢いだ。
そこで、今まで黙っていたタンジーが口を開いた。
「あれだけ執着していた村を捨てるっていうのか。結局、あんたたちは自分たちが大事なだけだったんだな」
「黙れ!! 貴様が、貴様が差し戻しなんて喰らって帰って来たからこの病を持って帰って来たんだ! お前がこの村を滅ぼした!」
「あの親繭がお前の家に出来てるのが何よりの証拠だ!」
「そうだ! それに何でお前だけあいつらに捕まらないないんだ! お前があの病を持ってきたからじゃないのか!?」
男たちが口々に叫び、タンジーを罵倒する。
ルルは事情が呑み込めずただオロオロするだけだった。
タンジーはため息を吐きながら、悲しそうな顔を浮かべた。
「……そうだな。俺の家の問題だ」
「は……はは! やっと認めたぞこいつ!」
「だけど、こうなった原因はお前らにもある。その責任は取ってもらうぞ」
「何を――」
タンジーが、いつの間にか手に持っていたロープを引っ張った。すると、何か大きな音が洞の外から響き渡り、村人たちが狼狽えだしたのだった。
「タァァァンジィィィィ、ここかぁ?」
入ってきたのは、村の入口に居た太った男だ。
他にも、体に腫瘍の出来た村人たちが大量になだれ込んできたではないか。
まるで、ゾンビのように表情は虚ろだ。
「貴様、タンジー!!」
「木の実を拒絶すれば、繭に連れていかれるぞ。実を食えばこいつらの仲間入りだ。さぁ、好きな方を選ぶんだな。誰がお前らみたいな害悪を村の外に出すか。お前らは村と一緒に滅びろ」
そう吐き捨てると、タンジーはルルの手を取り走り出した。
流れ込んでくる村人たちは、タンジー達には目もくれず隠れていた村人たちに押し寄せてくる。
「ま、まて! タンジー! うわあああ!!」
村人のほぼすべてが集まっていたのではないだろうか。
人垣を抜けると、タンジーの走るスピードが落ちた。
「待って、何が何だか! どうなってるの!?」
「……巻き込んで済まない。だが、あんた達だって顔隠しだって嘘をついてたんだ。お互いさまだろう」
そう言われてしまうと、ルルは何も言い返せない。
「この病を持ち込んだのは、俺の兄貴なんだ……」
そんなルルに、タンジーは歩きながら話を続けたのだった。
タンジーは、幼い頃にこの村から養子と言う名目で売られた。貧しい家族だったため、そのことに恨みを持つことは無かったが、売られた先で幸せになることなんて、夢のまた夢だった。
食事は家畜の餌以下、何も食えない時もあったし、躾と言う名の虐待による傷は至る所に存在する。
養子と言う名の奴隷だった。
それでも幸運にも命が残っているのは、その豪商の家では火属性が足りていなかったからと言うだけだ。
タンジーの唯一の希望は、別れ際に言った兄の、必ず買い戻しに行くからと言う言葉だけだった。
その言葉だけを頼りに、12年必死に生き延びた。
獄夢の発生で奉公先の家が傾き荒れた時も、とにかく自分が生き残る事だけを考えひたすらひた向きに仕事に励んだ。
いよいよ家の存続も危ぶまれるほど経済が落ち込んでいた時、ようやくその救いは訪れる。
「弟は返してもらうぞ!!」
その時、事業で多少の損失を出した主人の腹いせに、タンジーは一週間の断食を言い渡されていた。意識も朦朧とする中、主人に金貨を叩きつけていた兄の姿は、まさに救世主が降臨したのかと思うほど神々しかったのを覚えている。
「こんなに痩せて……すまない、遅くなってすまない!」
兄は優しく抱擁し、泣いて詫びてくれた。
俺は兄を、全く恨んでいない。あなたの言葉だけを頼りに、必死に生き抜いてきたんだ。あなたのお陰で生きてられたんだ。その言葉は、乾き貼りついた口から出せることは無かったが、目からは無いはずの水分があふれ出ていた。
村に連れて帰ってもらい、家族みんなが喜んでくれた。
皆大きくなり、炭焼きが軌道に乗っていると聞いて安心した。助かったのが自分だけだと聞かされたときは複雑だったが、自分を迎え入れてくれたことに涙が止まらなかった。
様子がおかしいと思ったのは、村に帰って数日もしたころだ。
村人たちが、誰一人として関わってくることが無い。
挨拶をしても返事は無く、家族との交流も無い様だ。
それからすぐに、家が村八分にされていることを理解した。
どうやら、自分が原因らしい。
兄が買い戻してくれたという話を信じられなかったのだろう。一度奉公に出された人間を買い戻せるような金なんて、村人は見たことも無かった。
狭い田舎だ、閉鎖的で保守的なのもあったのだろう。
過去に逃げ帰って来た人間が居たせいで、ひどい目に遭ったこともあったのだという。
そんな村人が、外から出戻って来たタンジーに碌な感情を抱く筈がなかった。徐々に悪意を向けられ始め、石を投げられ、罵声を浴びせられた。タンジーが大人しくしていれば、その行為はさらに家族にも及びエスカレートしていった。
炭焼きの家族だけが儲けているのも気に食わないらしい。通常の数倍という多額の村税を余計に払わせているというのに、なおこの仕打ちである。
唯一のかかわりは、兄の恋人である隣家のジェーン他数名だけだった。
そのジェーンですら、家族から離縁されほとんど炭焼きの家と同居のような形になっている。
自分のせいで家族がそんなことになっているなんて、兄のボイズには言えなかった。
何度も家を出ようかと考えたが、自分を買い戻してくれた大好きな兄の気持ちを考えると中々選べない選択肢だ。
これ以上余計な心配はかけられない。年に数度彼が帰ってくるのを、温かく迎えることだけが尊敬する兄に対して家族に出来る恩返しだった。
タンジーにとって、それでもこの村は天国のように平穏だった。誰よりも敬愛する兄の家族で居られることが、誇らしかった。
だが、その平穏は獄夢の攻略の一報が流れてしばらくしたころに音を立てて崩れ出すこととなる。
それは、いよいよ自分が独り立ちをしても不自然じゃなく、それで兄や家族を守れるのならと村を出る準備をしていた時だ。
愛する兄が、探索者として世界中を駆け回っていた兄が、謎の奇病に襲われて帰って来たのだ。
「……兄は、全身を腫瘍に覆われていた。どんな魔法も薬も効かなくて、もはや手の施しようがなかったし、狭い村だ。関係が悪化した村人に病のことを知られるわけにもいかず、内密に看病するしかなかった」
だんだんと、似たような症状を持つ村人も出てきて、何故かタンジーのせいにされたが、その方が兄の存在を隠せて都合がよく黙っていた。
そのうちに、兄の容体は変化していきある日いきなりボイズの肉体が暴走して家を飲み込んだのだという。
当時、家族全員が家の中におり、何故か外にはじき出されていたタンジーだけがそのまま帰ることもできず今に至る。
「なんで俺だけ、無事だったのかはわからない。きっと、兄貴が助けてくれたんだと思う。……だけど、俺は見てしまったんだ。あの肉繭の中にみんなが居るのを……」
「あれは……!」
村の外れ、かなり歩いた場所にそれはあった。
タンジーに連れてこられたルルが見たのは、家を丸ごと飲み込むほど巨大な地面から生えた肉塊だった。
周囲には、いくつもの小さな繭が地面から生えている。
「何度も、この場所に戻ってこようと思った。だけど、村人が守っていてな。あそこが開くのは、木の実を食う事を拒否した人間を連れてきた時だけだ」
今は、村人たちが全員洞の中で人狩りを行っている。
その隙をついて此処に来たのだろう。
突然、タンジーがルルに向かって頭を下げた。
「頼む、俺はずっと神聖魔法を使える探索者を待っていたんだ。あんたの結界なら、きっとあの中に入ってもあんたは無事なはずだ。俺と一緒にあの中に入ってくれ!」
ルルは、色々なことを考えて居た。
恐らく、タンジーは最初から自分が目的だったのだろうと。
ゲンを連れてこなかったのは、あの老人たちに命令されたからではなく、家族に危害が及ばないようにと言ったところか。
「俺は、家族がきっとあの中で生きてると信じてる! みんなを……兄貴を、何としてでも救いたいんだ! あんたには迷惑はかけない! だから頼む!! 一人じゃあの中に入れないんだ!」
既に肉繭の入口は歪に開き、中に入って来いと語り掛けてきているようだった。
ルルは目を閉じ、しばし逡巡した。
「……家族は、大事よね」
ルルが意を決して、肉繭の中に足を勧めようとした時だ。
「ルル!! 見つけたぁぁぁ!!」
「ゲンちゃん!!」
たったいま思い浮かべていた人物の声が、村の中に響いたのだった。
「たっけてぇぇぇぇぇ!」
「……え?」
そのゲンは、大量の村人に追いかけられながら、半泣きで走っていた。