もりのひ
大改稿中
「はぁ……はぁ……はぁ…………」
……リー、リー。
ありったけの力を振り絞った俺は、しばらく動くことができずに仰向けに倒れたまま放心していた。
オレンジ色に染まった森、虫の鳴き声と風の音が耳に心地良い。
「ここは……」
見覚えがある。
洞窟の周囲は拓けており、地面に散らばる白い骨たち、頭蓋骨の山。
慌てて洞窟を振り返った俺は、理解した。
「ここに繋がってたのかよ……。ここは……あの毒ガスの洞窟だ」
三日目に彷徨い、猿に襲われた場所だ。
密林の奥から谷底を抜け、地下をぐるりと回ってこの森に戻ってきたのか。
あの時周囲に充満していた異臭は、今は消えている。いや、俺の鼻が馬鹿になっているだけなのだろうか?
とにかくあのクラクラする症状もないし、少なくとも、ガスは相当薄くなっているのだろう。
もしかしたらあの大穴から出た火柱は、ここを満たしていた毒ガスに引火していたのかもしれない。
まぁ今は難しいことはどうでもいい。
「今度こそ……」
今度こそだ。何度も何度も死にかけて、ほんとうに今度こそ、拠点に戻れる。
「いぃぃぃよっしゃああああああ!!!」
心の奥底から歓喜の声が沸き上がり、全力で雄たけびを上げた。
俺の口からこんな大きな声が出るのは初めてなんじゃないだろうか。
自分の声のでかさに自分でビビってしまった。
「帰ってきたぞおおおおおお!!!! 俺は帰ってきた!!!」
もちろん、地球にではない。最初の森に戻ってきただけだ。
だが、それでも極限状態が続いたあの状況から抜け出したという喜びで心の中が満たされていた。
「っと、だめだ。ここで油断してたらまたろくでもないことになりそうだ。もうひと踏ん張りして拠点に早いところ戻ろう」
あまりの嬉しさに、しばらく地面の上を転がりながら喜びをかみしめていた俺は、ようやく我に返った。
思わずでかい声で叫んでしまったが、初日にここで猿に襲われたんだった。
こんなヘトヘトの状態で追いかけられたら、今度こそ逃げきれないかもしれない。
ここまできて、目の前でゲームオーバーになんてなってたまるか。
俺は緩みかけた気持ちを引き締め直すと、森の中へとガクガクの足を進めた。
森の中は密林に比べるとはるかに静かで、今日は猿たちの気配も感じない。
夕日の射す穏やかな森が続いていた。
だが、油断していると即命を取りにくるのがこの森だ。細心の注意を払わなければ。
――と思っていたのだが……
「つい……たぁ……」
結局、何事もなく拠点へと帰り着くことができた。
ヘロヘロになり、なんとか拠点の奇妙な木へとたどり着く頃には、周囲にはすっかり夜の帳が降りてきていた。
◇
俺は拠点へ着くなり荷物を降ろし、途中で拾った薪に火を移した。
広場へとたどり着いた途端、気が緩んだのか疲れをどっと感じて、早く座ってしまいたかった。
火はすぐに円状に組んだ薪へと燃え広がり、広場の中央にある木の周囲が、オレンジ色の炎で照らされる。
俺はたき火の前に座り込み、しばらく揺らめく火を見つめ続けていた。
本当に今日は疲れた……。何度死を覚悟したことだろう。
だが、それでも俺は生き延びた。
力強く燃える火は、まるで俺の生命力を現しているかのようだ。
この森に来てから、日本にいた頃からは考えられないほどたくましくなった気がする。
まだ数日なのにな。
日中は、運動するとジンワリと汗ばむ陽気のこの森も、日が暮れると案外冷えてくる。
火の温もりがありがたい。
なぜか大きくなったり小さくなったりと、いまいち安定しない炎はユラユラと揺れ続けていた。
はー、なごむわー。ユラユラ、ユラユラ……。
――ッハ!
寝ていた?
どうやら自分でも気づかないうちに意識が飛んでいたようだ。
薪の具合から、数時間ほど寝ていたらしい。ずいぶんと灰が溜まって火が小さくなっている。
いかんいかん、本気で疲れてたんだな。
よだれがべったりとふくらはぎに垂れている。
中途半端に寝てしまったから、なんだか目が覚めてしまった。
意識がはっきりしてるのに体がだるい。
くそ、体に糞が付きっぱなしで寝てたから、体中カピカピだ。
俺はカピカピに乾いたう○こを爪でカリカリと剥ぎ落としながら竹筒を取り出すと、中に入っていた水を飲んだ。
この竹筒は、水筒以外に水を貯めておくために拠点に何本も用意している。
う○こ水を入れた水筒と間違えないように、気を付けておかねば。
「ぷはぁ! 寝起きに水が飲めるって最高だな。 よし、元気も出てきたし今日の戦利品の整理をしよう。潰れてるものもあるだろうし、いつまでもう○こまみれの布に包んでたら悪くなって……って、あいつは!?」
またあのハリネズミの存在を忘れていた。
いい加減目を覚まして、出たがっているかもしれない。
俺は近くに放り出していたショルダーバッグに駆け寄ると、急いでジッパーを開いた。
「大丈夫か!?」
「キュー……」
ハリネズミは、ショルダーバックの中でとっくに目を覚ましていた。
だが、様子がどうもおかしい。
ハリネズミはショルダーバッグの底でうずくまったままだ。そして覗き込んだ俺の顔を一瞥すると、力なく一鳴きして再びうずくまるように丸くなってしまった。
……ハリネズミは、警戒心の強い生き物だ。
日本でハリネズミを飼っていたからこそ分かるのだが、普通見知らぬ人間や動物をみると、一瞬で息を荒げながら針を立て、威嚇を始める。
いや、見知らぬどころか、見知っていてもフシュッと鼻息を荒げながら針を立てるのだ。
それほど気難しいハリネズミが、俺の顔を見ながら針を立てないということは、通常まずありえない。まぁ俺の知っているハリネズミとは生態が違うということも考えられるのだが……ハリネズミの様子からも考えて、どうやら相当弱っているようだ。
ちなみに、ハリネズミはほとんど鳴かない。
「お……おい、大丈夫か?」
声をかけてみるが、ほとんどハリネズミは反応しない。呼吸だけが荒い状況だ。
大丈夫なのかこいつ? 病気なのだろうか。
まさか、バッグの中で圧迫されて骨が折れたとか?
ずっと背負ってたからごちゃごちゃになってたもんな。ダンゴムシプロテクターに納まってたから大丈夫かと思ったんだけど、この様子だとそういうわけでもなかったんだろうか。
くそ、わからん……この状況でしてやれることがない。
俺はとりあえず、ドロドロの風呂敷から取り出した潰れかけの果実と、少量の水を木葉で作った器に入れてハリネズミの鼻先に置いておくことにした。
獣医もいないこの森で、ほかにしてやれることがない。巣穴で暮らすハリネズミは、狭いところの方が落ち着くだろうとバッグの中に寝かせておく。
ハリネズミは、鼻先に置かれた果汁を一舐めすると、再び横になり苦しそうに息を荒げている。
「とりあえずこのまま様子みるしかないな……。しかし……」
ハリネズミに与えるために開けた風呂敷の中身は、半分ほどが潰れてしまっている。
木の実関連は悪くなる心配はないのだが、潰れた分は日持ちしないだろう。
「はぁ……命がけの結果がこれか……。まぁあの大混乱の中で半分無事だっただけでも運が良かったと思うしかないな」
この物資を食いつないで、太古の森へ行かなければならない。なんなら、この森からの脱出までの間も食いつないでいかなければならないかもしれないのだ。
まだ太古の森に入る事すら出来てないってのにどうすればいいんだろうか。こんな調子で、集落なんて見つかるんだろうか。
「まてよ……そうか、別に太古の森に無理に入り込む必要はないんじゃないか?」
よく考えたらあの巨大な川を下っていけばいいだけじゃないか。竹も見つけたし、筏を汲んで川を下れば……。
「そもそも、集落なんてのは大抵川沿いにあるもんだ。だったらムリにあんな化け物の居る太古の森を探索するんじゃなくて、川を下ったほうが明らかに確率が高いはずだ」
川沿いを歩ければよかったんだがそれよりは早く探索もできるし、なんなら最悪、集落なんて関係なく森を抜けられるかもしれない。
今日手に入った牙を使えば、きっと竹の大量伐採も可能だ。湿地帯に大量に生い茂っている蔦で縛れば、頑丈な筏を作ることができるだろう。
食料も、しっかり計画を立てて食べていけば筏で下っている間は持つくらいはある。
「いける……いけるぞ! これで集落を探せる! この数日彷徨ったことは無駄じゃなかったんだ! 待ってろよ劉さん!」
この大量の果物手土産にして筏で下って来たら、きっと驚くぞ!
突破口が見つかった気がした。
色々見て回らなければ、物資も無く筏を作ることはできなかった。もしくは、筏を作るために結局周囲の探索をすることになっていただろう。だからきっとこの数日の探索は無駄ではない……はずだ。
「希望が湧いてきたらなんか腹が減ってきたな。早速木の実を焼いて食べてみるか」
せっかく手に入れた食糧だ。大事に食べないといけないが、今日くらいは贅沢しても怒られないだろ。
しっかり体調を整えて、明日からの筏づくりに精をださなきゃならないからな。
手ごろな大きさのどんぐりのような木の実を、火に直接かけてみる。
どうやって食べたらおいしいかなんてわからないので、殻ごと焼いたら中身は丁度良くなるんじゃないかと言う考えだ。
さてはて、苦労して手に入れたどんぐりはどんな味になるのか――
――ボンッ。
「は?」
どんぐりを一つ、火に投げ入れた瞬間だった。
まるで爆発するかのような音を立て、どんぐりが一瞬で炭になる。
俺は慌てて棒を使って真っ黒になったどんぐりを取り出すが、駄目だった。
「中まで完全に炭になってる……なんで!?」
意味が分からない。もしかして油分が豊富で、火にかけちゃだめなやつだったんだろうか?
「き……貴重な食料が……」
俺はガックリと肩を落としながらも、違う種類の木の実を取り出す。
やってしまったものは仕方がない。高い勉強代だったと思うしかないだろう。あのどんぐりはまだ数があるので、別の使い道を考えよう。
次の木の実は、出来るだけ油分が少なそうなやつを選んでみた。
また貴重な食料を失うわけにはいかないからな。
何度か火に近づけ、燃えてしまわないことを確認しながら火の中へ投入する。
……そろそろかな?
俺は棒きれを使って、木の実を取り出してみた。
よしよし、今度は綺麗な形を残している。
「…………生だ」
取り出した木の実の殻を割ってみると、中身は完全に生だった。
時間が早すぎたのか?
仕方なくその木の実を生のまま頬張ると、同じ種類の木の実を取り出した。
結構じっくり焼いたと思っていたのだが、前回の失敗でビビっていたのだろう。時計がないため時間がわからないので、無意識のうちに焦ってしまっていたようだ。
「今度はじっくりじっくり……」
――ボッ!
「は!? なんで!?」
間違いなく、2番目に焼いたのと同じ種類の木の実だったはずなのに、火に入れた瞬間、1個目と同じく一瞬で燃え尽きてしまった。
どういうことだ? 貴重な食料を無駄にするわけにはいかないから、慎重に選んだはずだ。間違えて一個目と同じものを入れたなんてあり得ない。
「なんなんだよ……この森じゃ調理すらままならないってのか……?」
俺が悪いのかどんぐりが悪いのか……それとも他に何か、失敗する要素があるのか。
試した数が少なすぎて断定できる情報がほとんどない。いろいろと試してみる必要がありそうだ。
結局この後、10個の木の実を炎に投入した。
3個は炎上、5個は半生か生、うまい具合に焼けたのは2個だけだった。
時間を調節したり、殻を剥いてみたりいろいろ試したが、結局この2個もなぜうまく焼けたのかわからない。
とにかくわかったことは、うまく焼けた2個の木の実は、涙が出るほどうまかったということだ。
最後に生焼けの木の実と、潰れた果実でお腹を満たした俺は、木の上によじ登って寝なおすことにした。
明日から脱出に向けて忙しいのだ。体力を回復させておく必要がある。
夜空には大量の星が瞬き、夜空が明るく感じるほどだ。さらに二つの月が優しい光で周囲を包み込み、森全体がぼんやり光っているように見えた。
こうやって景色だけ見ればものすごく綺麗なんだけどなぁ……。
この景色に騙されて油断してると、あっという間に死にそうになってしまう。
食糧はアリが根こそぎ集めてるし、生態系は狂ってるし、出口は無いし……。
調理すらままならないこんなくそったれな森、絶対に出て行ってやる。
空に浮かぶ青い月に向かって、そう誓いながら目を閉じる。
明日から筏の準備か……。なんだかこの森に来て初めてわくわくする。
うまく見つけることが出来るだろうか。劉さんと合流できたら、何かわかるだろうか。
森を脱出したら、何があるんだろうか。
本当にファンタジーの世界だったらどうしよう。魔法とかあったら俺も覚えられるのかな?
筏を作るのに、竹って何本くらい必要なん……だろ……。
眠気は無かったはずなのに、疲れの取れていない体はあっという間に眠りに落ちてしまった。
その日の夜中、俺の体を高熱が襲った。