天使?
「……どう思う?」
日も暮れようとしていた頃、ルルが焚火に小枝を投げ込みながら話しかけて来た。
「天使……だっけ? すげーなこの世界、天使なんて居るんだな。ルルは会ったことあるのか?」
「会うもなにも、ココに居るじゃない?」
あん? なんだよその顔。君がそうだとでもいいたいのかね?
「裸でラッパでも吹いてから言え」
「変態なの!?」
あれ? 天使像ってこんなんじゃなかったっけ?
「まぁ、天使なんて神話だけの存在よ。実際に会ったなんて人見たことないわ」
「やっぱりかぁ……じゃあ、ただの見間違いかね? ハーピーとかの線は?」
ハーピーなんて鳥人族なら、天使に見えないことも無いだろう。実際俺も世界新山で遠目ながら見たことがある。
「うーん、こんな魔素の薄い場所で見かけるようなモンスターじゃないんだけどなー。よくわからないわね。天使に会えるものなら会ってみたいけど」
「遭っちゃったらすぐ調子に乗って誰かさんの聖女アピールすごくなりそうだなぁ」
「ゲンちゃん、聖女と旅出来るって本当にすごい事なのよ? もっとおねぇちゃんを大事にしてよね?」
「いまいち聖女感たりねぇんだよなぁ」
「なっ!?」
そんな感じで、罵り合いながら飯を食った。
ユリ根とゴブリンのスープはまぁまぁだったな。
日が暮れてから寝るまでは、お互いに色々作業をしながら、焚火の火を囲む時間だ。
「新しいナイフが欲しい……」
「ゴブリンナイフ、すっごく脆いもんね。さすがに柄はガッゴイさんお勧めの店で買っただけあって頑丈だけど、他はゴブリンの骨だもんねぇ」
食後終わりに、ナイフの手入れをする。俺のナイフは一角ディアの角の柄に、ゴブリンの骨を研いだ刃を組み合わせた通称【ゴブリン複刃】だ。
刃を自前で調達でき、取り回しが簡単なため廃銅クラス御用達のコスパナイフである。
ゴブリン刃を新しく研ぎ終わった俺は、柄と合わせた後軽く炎で炙って接着した。
「この世界、まさか金属が貴重とは思わんかったなぁ。よく考えてみれば確かにマズロー達だって金属製品使ってなかったし」
「属性がね……。あれだけの火力を出そうと思うと、本当にドワーフの工業都市くらいしか無理なのよね」
「まさか金属のナイフに憧れる日が来るとは」
ドワーフの工業都市とか、ワクワクワードがまた飛び出してきたよ。この世界、ほんとにファンタジーなんだなぁ。
野営の準備を終わらせ、マントを毛布替わりに横になった。炎の揺らめきでオレンジ色に染まったルルにお休みを伝える。
「虫よけの香草なんてよく知ってるわね。この世界の人間の私より詳しいのって悔し……。さっき張り巡らせてたのは、糸?」
「ん……。結界だけじゃ不安だから。これなら仮に寝落ちしてもすぐわかるしね」
「青銅クラスなのに、一端の探索者みたい……」
ルルが、フフっと笑いながら目を閉じた。
鳴子付きのイソコマの糸を張り巡らせてある。魔物に反応する結界はあっても、人に反応する結界は早々作れないため人避けだ。
そのあとすぐ、辺りはルルの寝息だけが聞こえる静かな世界に沈んでいった。
原野を歩き続けて、2日後。
もうそろそろ目指す山も大きくなってきた頃だが、今日も野営を行っていた。すっかり日も落ち、虫の鳴き声に反応したとげぞうが草むらでガサゴソやっている。
「……ルル、聞こえた?」
「悲鳴? 男の声だったわ」
月明かりを頼りにメモの整理をしていれば、何やら悲鳴と怒声が続けて聞こえて来た。
雑木林の縁で野営をしていたのだが、どうやらそこを抜けた先らしい。
「行こう!」
野党の類か、それとも堕族に探索者が不意打ちを受けたのかもしれない。
「う……っ」
「ひどい……! 生きてる人は……!?」
林を抜けた先には、惨状が広がっていた。
血と、焦げた匂いの他に何か酸っぱい匂いが周囲に漂っている。
いくつもの、死体が転がっていた。
何人分かわからない、手足などの部位がバラバラに散らばり月夜の晩でも地面がどす黒く染まっているのがわかった。
「居た!! ルル、あの人生きてる!!」
木陰にもたれ掛かるようにして、男が二人身を縮めている。
血にまみれた男達に近づけば、ビクッと体を震わせた。
片方の男が抱えているのは、誰かの千切れた腕だ。
「大丈夫か!? 神聖魔法を使える奴が居るから、今から治療する。何があった!?」
「安心して、もう大丈夫だから」
「あ……あ……」
「に……兄ちゃん……」
男達は憔悴しきっているのか、うまく返事も出せずガタガタと震えていた。よく見ると若い男のようで俺よりちょっと年上と同じくらいだろうか。
くそ、一体何があったんだ?
異常過ぎる。ほとんどの死体がバラバラで胴体は見当たらない。乱暴に食い散らされた後のようにしか見えないけど、そんなモンスターが出れるような場所じゃないぞ!?
腰にぶら下げた濃度計を見る。
魔素濃度は……1.2しかない。
治療を開始しようとするルルの後ろを、顔を上げた年上の男が震える手で指差した。
――!?
慌てて振り向けば、月夜の平原にポツンと小さな影が浮かんでいた。
……何時の間に?
月明かりだけでは、シルエットしか見えない。
ゆっくりと、それは回転して向きを変える。
「……天使?」
呟いたのはルルだ。
1メートルほどの体長のそのシルエットには、一対の身長と同じほどの翼が付いているように見えた。
「うわあああああああ!!! ひいぃ殺されっ!!」
「兄ちゃん!! にいちゃっ! うわああああー!!」
「落ち着け!! あいつにやられたのか!?」
突如年長の男が錯乱し、暴れ出すのを必死に押さえるがその間に弟が逃げ出そうとし――
「フシュッ!!」
いつの間にか目の前にまで来ていた天使らしきものに、頭から食われた。
「うわああああ! ヨハーーーーン!!」
一瞬で頭がでかくなったそいつは、男の上半身をかじり取った後、ボリボリと咀嚼し元のサイズに戻った。
「ゴブリン……? いや、何だこいつ?」
「わからない。見たことないわよっ。羽の生えたゴブリンなんて!!」
「ギ……ギィ」
口から血をたらした羽根ゴブリンが、こちらを見て笑った気がした。