子ども
すみません遅くなりました。
あれから、数か月が経った。
逃げて、逃げて、逃げ続けて遥か遠くまでやって来た気がする。追手を警戒して人里には碌に降りれず、苦しい逃避行となった。
やがて辿りついたのは、ある深い森の中。
「ゲン、本当に行く気? 僕たちの事なんて忘れて、秘境でひっそり暮らす事だってできるんだよ?」
切り株の立ち並ぶ、森の一角。
俺は、晶に呼び出されていた。
「あほ、何言ってんだよ。まだ村の基礎も出来てないだろ? もう少しは手伝うさ」
「いや、それはいいや。その腕のせいで、みんな作業が捗らないんだから手伝われても邪魔だよ」
「ひどい言い草だなぁ」
少しは役に立ってることもあるだろ。気づいたら、腕が近くにいる生物に向かって触手出してるのは、確かに気持ち悪いけども。
「そうじゃなくて、行きたいならすぐ行きなよって話」
「むぅ……少なくとも秘境に逃げるのは卑怯だな」
「……2点」
5段階評価だよね? ならセーフ。
苦笑交じりに、晶が俺の腕を指さす。
俺の体は、みすぼらしいほどに痩せ細り今にも押せば倒れるんじゃないかというほどに弱っていた。
そんな痩せ細った腕から晶に向かって、白い触手がもぞもぞと動いている。磁石に向かう砂鉄みたいだ。
「あれから、ゆっくり話す時間は無かったけどさ。もうその体は限界に来てるのはわかってるんでしょ? ルルちゃんが言ってたよ。君の体は魔素の濃い場所でしか生きていけないって」
「あいつ……黙ってろって言ったのに」
「黙ってても、その体を見たらみんな絶対気づくよ」
いやいや、ちょっとダイエットに失敗したって説明すればあいつらバカだから気づかないって。
主婦連中はまぁ……何も言わなくても気づいてる気もするが。
「もうこの辺の魔獣も、粗方取り尽しちゃったし。飢えたせいで、腕が誰彼かまわず吸収しようとしちゃうとか、今の村の中で一番危険なのゲンの隣なんだからね?」
苦笑いするな。笑うならもっとこき下ろすように笑ってくれないと、心が痛いじゃないか。
俺だって好きでこんな腕してないっての。獄夢の味おぼえちゃったのか知らんけど、魔素求めて暴走しだすんだから困ったもんだ。
「僕たちとしても、君が行ってくれるとその分解放も近づくんだから嬉しいんだけど……。村が気になって出発のタイミング見失ってるんじゃない?」
「俺が居ない間に、アイツらが襲ってきたらって思うとな」
「大丈夫だよ。そのために、洞窟のダンジョン化を進めてるんだから」
粘筋を利用して、晶は簡易獄夢とも呼べるような地下ダンジョンを作り上げた。どうやら本当に獄夢の主としての力を少し得ているらしい。
ちょっとどんなダンジョンになるのか、ワクワクするのは内緒だ。
だが、そうは言ってもなぁ……。
「ゲン、君が責任を感じることは無いんだ」
晶が、手を後ろに組み切り株の合間をトコトコと歩く。
切り株の上に刺さっているのは、剣。
獄夢の攻略にて命を落とした英雄たちの墓標だ。
その下に、遺体は無い。
それら一つ一つを、慈しむように撫でながら順番に回っていく。
「僕が、君を元希って呼ばない理由わかる?」
「うん? 何だ急に?」
「ちょと、真面目な話」
晶が、俺をジッと見据えて立ち止まった。
「君は、未だに元希のつもりなのかもしれない。だけど、そうじゃないんだ。君にはいろいろな物が少しずつ混ざってる。自覚は無いかもしれないけど、君は変わってきてる」
「……?」
何の話だ? 色々混ざってる?
俺は俺だから、元希であることは間違いないと思うんだが。
「元希だったときの君は、大半が見ず知らずの人間だった教会の人たちに、こんなに肩入れしたかな?」
「それは……」
した……と、はっきりと言い切れない気がする。
俺はもっと、他人に対して興味が無かったような気がする。
たとえ、あれほどの苦難を乗り越えたとしても肩入れするのはせいぜいマズローやネル、そして子供たちくらいだっただろう。
「大本の魂は確かに、同じかもしれない。だけどそれはイコールじゃない」
「……よくわからんな」
相変わらず、もったいぶった言い方する奴だ。
「君は、ゲンという一人の新しい人間だ。元希じゃないって言ってるの。だから、僕に対して責任を感じる必要はないんだよ」
なんだそれ?
「赤の他人だって言いたいのかよ」
俺が不機嫌そうな気配を出せば、晶は慌てて首を振った。
「違う違う。んー、なんて言えばいいのかな。君の中には、僕の魂も混ざってる。言わば……元希の生まれ変わりであり、元希と僕の……子ども……みたいな?」
顔を真っ赤にして、そう答えた。
う……なんて顔しやがる。
目を潤ませるんじゃねーよ。
だけど、そうか……別人……ね。
「と、とにかく。君は君のために旅立って。僕たちのことは二の次で良い。痩せ細っていく君を押しとどめてる方がつらいんだ」
「はぁ……わかったよ。だけど、秘境でのんびりなんてのは無しだ。俺達は全員で自由になるんだよ。言っただろ? ケツは拭いてやるってな」
自分だけがぬくぬくとなんて、出来るわけない。
今となっては、この村は俺の家族みたいなもんだ。あれから生きるために、必死に支え合って来た家族を見捨てるわけには行かない。
そう思えるのも、確かに俺が元希とは別の人間だっていう証拠なのかもしれない。
「それに、俺は何が起こってるのか知りたい。ラニャが何をしようとしてたのか、死んでたばーさんが何故生きてたのか、マズローたちがなんで死ななきゃならなかったのか」
「……うん」
「獄夢を追ってれば、いつかその答えが見つかる気がする」
国の英雄を、皆殺しにしようとした王国を俺は絶対許さない。あの赤い髪の男……。エンキスをここまで引きずり出して同じように地獄を見せてやる。
しばらく、沈黙が続いた後晶が口を開いた。
「行くなら、ルルちゃんを連れてってあげなよ」
「あん? なんでアイツを?」
露骨に嫌な顔をした俺を、晶はくすくすと笑いながら肩を叩いた。
「彼女は、聖女だ。獄夢に対してこれほど心強い存在は居ないよ」
「あいつは唯のアホだよ。自分で何もかも背負わなきゃいけないと思ってるアホだから、ここでゆっくりさせとけ」
「それは君も同じでしょ」
う……。いや、違うよ? 俺には背負える物の限度ってものは理解してるし。
アイツみたいに世界を救わないとー。獄夢は全部殲滅だーとか言わないし?
「まぁ、考えといてよ。まだ何も準備してないんだから出発まで時間あるんでしょ?」
「うーん……」
考えるまでもないんだけどなぁ……。