無慈悲
珠の完成と共に、俺に切りつけてきたのはラニャだった。
咄嗟に甲殻化したお陰で無事だったが、完全に狙ってたよな? 核を吸収したときに、甲殻化が自在に行えるようになってなかったら腕が飛んでたぞ。
とげぞうが、針を飛ばしたことでラニャが距離を取り、その間に俺は核を晶に渡した。
「すごい……これ――苦しさが消えた」
紫の宝石は、その大きさがあるにもかかわらず晶の中に吸い込まれていく。
晶の崩壊は、すぐに止まり体の黒が薄まった。
よかった。何が何だかわからないけど、とにかく晶が助かったのならそれでいい。
「ラニャ? 何を……」
ルルも、皆も何が起こってるのかわからず戸惑ったまま、ラニャと俺達を見ている。ラニャの冷たい目が、ルルを一瞬射抜いた。
「さぁ、見ましたか皆さま。アレがあなた方を救う唯一の方法ですの。あそこから抉り出して、己の物に出来る勝者は一名のみ。どなたが生き残ることになるのでしょうね?」
クスクスと歪んだ嫌な笑顔を浮かべ、ラニャが俺達を指さす。
その瞬間、探索者達の獣のような目が俺に向いた。
「ぼ……僕は……」
「心配するな晶。お前に指一本触れさせやしない」
武器は無いが、とげぞうがついてる。心配するな。
徒手空拳ながらも、戦えないことは無い。
一触即発の空気に、肌がピリつきやがる。
――だけど、絶対に今度こそ助けて見せる。
そう思っていたのだが、構える俺達を見て、晶が慌てたようにしがみ付いて来た。
「待って! そうじゃない、大丈夫。……この力があれば、ギリギリみんなを死なせないで済むかもしれないんだ。だからみんな待ってほしい!」
「本当か!?」
「……うん。多分大丈夫。核を入れてからなんだか頭がすっきりするし色んなことが分かる気がするんだ」
なんだよ、ラニャの様子はおかしいし、意味が分かんないこと続きだ。とにかく、大丈夫って事か?
確かにあの宝石からはすごい力を感じたし、全員を救う力くらいはあるのかもしれない。
あれ。もしかして、俺がコレを吸い取ってしまってたからこんな混乱が起こっちゃったのか? 本来なら、獄夢の崩壊のエネルギーにこの核が含まれてたんじゃなかろうか。
……この状況ってまさか俺のせい?
だが、ほっとしたのも束の間だった。
「アキラ! あなたまさか、獄夢化して皆を取り込むつもりじゃ!?」
「あ、まだ記憶の共有が生きてるのか……そうだね。これならとりあえずみんなを救えるはず」
「……いいの? それをしなければ、あなたは人間に戻ってゲンと一緒に好きに生きていけるのよ?」
なんだ、何の話をしてる?
こいつ、まさかまた自分を犠牲にしようとしてやがるのか?
「あら……それは困りましたわ。そんなことも可能ですのねソレは。ゲン、止めなくていいんですの?」
「……晶、命に関わる事か?」
大体、なんとなく会話から何するつもりなのかは理解できてる。つまり、獄夢の主みたいな役割になるって事だろ? そんな事可能なのか知らないけど、出来るっていうんだったら出来るんだろう。
「大丈夫。大丈夫だから。今はとにかくこの場を何とか乗り切るんだ! 少なくとも僕の命にかかわるようなことじゃないから」
「……好きにやれ。後のケツは俺が拭いてやるよ」
俺が答えると同時、ラニャが小さく舌打ちした。
こいつ、何者だ? 何を知っている? 何を企んでる? ただのメイドじゃないのか?
「お優しい事ですの。さてさて……ですが、その子達の分まで足りるのでしょうかね?」
その声に、晶の顔が青くなった。
指差した先には、マズローに抱えられたアリエルの姿。
そして、隣に並んだのは同じく黒ずみ苦しむ子どもたちを抱えたネルだった。
「アキラと言ったか。この子達を救う事は出来るのか?」
マズローの様子は、今にも爆発してしまいそうなほど怒りに震えていた。子どもを救えないこと、巻き込んでしまったこと、獄夢が終わってもなお苦しめられていること、色んなことへの怒りが渦巻いているんだろう。
既に顔が欠けるほど風化が進みながらも、それを怒りで押しとどめているような気概を感じる。
「……全員を、助けることは無理です。その子達は粘躰でありながら生身でもあるから……。取り込むことは出来ない。この子達全員を助ければ、探索者であるあなた方の9割は助けられません。……ごめんなさい」
その言葉で、様子をうかがっていた探索者達に動揺が走った。絶望に崩れる者、グッと堪える者、反応は様々だ。
「答えは出ましたね。所詮幅広く助かっても、あなた方は今と同じ粘躰のままですのよ。完全な人間になって生き残れるのは、一人だけ。さぁどうぞ、奪い合いなさい」
「ラニャ! あなたは何を言っているの!?」
ラニャが煽ったことで、数名が動き出そうとした。
だが、その動きは目の前の男を見てすぐに止まった。
「マズロー……、ネル……」
マズローと、ネルがその場に土下座していた。
「すまない、みんな。この子達を救ってくれ」
「ワタシ達ハ、十分生きタ。死んだ人間が生き続けるのはおかしいヨ」
頭を地面にこすりつけ、その巨体を小さくしながら必死に叫んだ。子どもを救ってくれ、どうか力を貸してくれと。
それを嘲笑う声が、周囲に鳴り響く。
「フフ……フフフフフフ! アハハハハハ。何この茶番? そんなことで命を投げ打つ人が居るとでも? 滑稽だわマズロー、ネル。正解はあなた達が核を奪って、無理やり子どもたちを救う事よ」
ラニャが馬鹿にするように笑い、晶を指さす。
さぁ行きなさい、一番槍は誰かしら? そう煽るが探索者達は動かなかった。
「どうしましたか? 最初に動くのが後ろめたいですか? 大丈夫ですよ、所詮目撃者はほとんど残りませんからね」
「ラニャ……ランネルレイト。一度も死んでないお前にはわからないだろうな」
誰かが言ったその言葉に、ラニャの眉がピクリと動く。
「えぇ、わかりませんわ。自身の生死の選択を他者にゆだねるような愚かな方たちの気持ちなんて、これっぽっちもわかりたくありませんの」
「そうか。じゃあ目に焼き付けとけ。死の先を見て来た俺達だから出来る、選択をな」
――カランカラン
探索者達が、次々と武器を手放していく。
「な……っ! クイルー! ポポスマ!! あなた達、先ほど動こうとしたじゃありませんの! 今なら一人勝ちできますのよ!」
「……尻を蜂に刺されたんだよ」
「子どもの命を奪ってまで、生きてられるか。俺達は誇りまでは死んでねぇ」
名前を呼ばれた男たちが、ばつが悪そうに呟いた。
誰かが、それを聞いて叫ぶ。
「俺達の朝飯はな、子どもの笑顔だ!」
「良い事言った! ルル、墓にしっかりその言葉刻みつけてやってくれよ!」
「止めてくれ!」
絶望の中に、光があるのを感じる。
これが、彼らの誇り。生きるとか死ぬとか、そういう次元を超えた先にある、彼らの生きざま。
彼らが幾千の死を乗り越えられた理由は、この光で道を照らしてきたからなんだろう。
彼らの心は、壊れてなんかなかったんだ。
うれしい、嬉しいな。おいルル。
……また泣いてやがる。すげぇ鼻水だよ。
先ほどまでの絶望は、そこには存在しなかった。
ただ、光り輝く彼らの誇らしい顔だけが在った。
ラニャは、下をうつむき沈黙している。
「ラニャ……あなた……何を知っているの?」
「ちがう……」
「え?」
「違う違う違う違う!! 私をラニャと呼ぶな!!! もういい、時間稼ぎも此処までですわ」
ルルの声に反応し、髪を振り乱しラニャが発狂したように叫んだ。
これが狂気と言うんだろうか、今までに見たことのない彼女の姿に、鳥肌が立った。
「全員、死になさい」
殺意をむき出しにした、極限まで瞳孔の開いた目が射抜く。全員が身構える中、ラニャが走り出した先は黒曜の海だった。
そのはるか先に、鈍色の何かが見える。
「あの旗……。お……王国軍……!?」
「獄夢の終わりに気づいて助けに来てくれたんだ!!」
「馬鹿め! ラニャ! 逃げ場はないぞ!」
「しかしアイツ、何がしたかったんだ?」
黒曜の海に、いつの間にか一個師団が陣取っていた。
その距離、400メートル。
足元を、魔法使いが凍らせながら進んできたんだろう。
先頭に立つのは、燃えるように赤い髪をした壮年の男性。その周りを固めるのは、兵士とは様相が違う探索者風の人々。そしてその横に、老婆が控えている。
「おばぁ……さま?」
ルルの震える声が聞こえた。
え? ばーさん? あそこにいるのが?
死んだんじゃなかったのか?
ラニャは器用に足元に浮かんだ瓦礫を使って、黒曜の海を渡り切った。
赤髪の男が、跪くラニャを手で制し、半歩前に出る。
「見よ! 聖女エレナの予言通りだ。獄夢の孵化が起こり、彷獄獣が王国に放たれた! 皆の者、これは聖戦なり」
不思議だった。
かなり距離があると思っていたのに、その声だけはハッキリと聞こえてしまった。
「放て」
赤い髪の男が手を降ろすと同時。
青天の空に、雲が浮かんだ。
ゆっくりと、スローモーションのように壁が迫るほどの密度で矢が降ってくるのが見える。
……え? 矢?
トストスと、どこか間抜けな音が聞こえた。
すぐ近くの男の胸から、矢羽の付いた棒が生えている。
……あ?
「――――――っ!! ―――っ!」
全員が、何が起こって居るのかわからず呆然とした中、マズローだけが叫んでいたが、何と叫んだんだろうか。
記憶が曖昧で、よく覚えていない。
甲殻化した手を必死に使ったような気がする。
ルルと、晶の手を取り、必死に走った気がする。
何人もの命が、手からこぼれて行ったような気がする。
記憶の最後にあるのは、矢に貫かれる人々の悲鳴と、反撃に出た探索者達の最後の姿。
オーバースキルを発動し、彷獄獣化して敵陣の中で崩れていく彼らの姿だけが、目に焼き付いていた。
気が付いたら、俺達は森の中に居た。
辺りは既に暗くなり、血と糞尿の匂いが充満している。
甲殻化した手以外の場所に、何本もの矢が刺さっていたが抜く気力すら起きない。
そこらかしこからうめき声や鳴き声が聞こえ、治療に奔走する人が声を荒げている。
なんだ……なんだこれは。
「残ったのは……これだけか……」
探索者の男が、一人つぶやいた。
残っているのは、生身の人間が7人。
子どもが4人、そして探索者が3人。
それに加えて、俺、ルル、晶。
たった、それだけだ。
この17人が、あの一方的な蹂躙を乗り越えて何とか逃げ出すことが出来た全員だ。
「……いま、ポポスマが逝ったわ」
森の陰からルルが憔悴しきった様子で出て来たが、眼が腫れてひどい顔をしている。
「あいつが居なかったら、俺達は全滅だったよな……」
だんだん、はっきりしてきた。あの時マズローは、スキルの使用可能な探索者を優先して晶に取り込ませたんだ。
限界ギリギリまで取り込ませた人間から、オーバースキルを使わせて、俺達を守ることに専念した。
その中の一人、ポポスマのスキルは、ファットマン。
風船のように膨らみ、矢ですら優しくはじき返す防御系のスキルだった。オーバースキルで巨大化まで果たした彼が盾となり、魔法でヘドロを凍らせながらの逃走劇だった。
敵の猛追を振り切り、何とか逃げ込んだ先で見せた彼の背中は、魔法による攻撃で皮が破れ、肉を裂き、骨が砕け瀕死の状態だった。
「僕に……僕にもう少し力があれば、彼を生き返らせることが出来たのに……」
「晶、お前のせいじゃない。体の崩壊を防ぐだけで限界だったんだから仕方ないだろ」
共に、最後を看取ってきたんだろう。
二人とも、俺のそばで力なく座り込んだ。
わけがわからない。やっと獄夢が終わったと思ったのに、俺達はまだ、悪夢の中に居るんだろうか。
誰かが、鼻をすするとその音は伝染していった。
マズロー……、ネル、……みんな。
ずっと、ずっと泣き続けた。
夜が明けるまで、ずっと。