甲殻
「終わったかもしれん……」
「マズロー? 何を言って――」
そう言って指差したのは、羅刹鬼菩薩のそば。
そこに立っていたのは、グリッチだった。
ルルが焦りながらも状況を理解しようとしているが、やはり理解が追い付かないらしい。
「何をしてるの……?」
クヒヒと嫌な笑いをしながら、ひょこひょこと羅刹鬼菩薩の近くをうろついている。
場にそぐわない、異様な光景だった。
羅刹鬼菩薩は、グリッチに攻撃するわけでもなくゆっくりと手を動かす。
彼女が指差したのは、タイマルネの体。
「ケハァッ!」
弾けるような笑顔で、グリッチはタイマルネの体に、一目散に走りだす。
そして、ビクンビクンと動く千切れた下半身の断面に――飛び込んだ。
バタバタと4本の足が、その場で壊れた玩具のように暴れまわっていた。やがて、その動きは止まる。
むくりと起き上がった4本足は、獣のようにトコトコとその場を動き回っている。
そこに、下半身と下半身が繋がったような、歪な彷獄獣が完成した。
「なんで……なんで突然!? 心が折れる要素何てなかっただろ!」
「主にハ……逆らえなイ。ワタシ達は王種を食べた割合が多かったからまだ耐えれてるけド、彼らは怒気だけで折れタ。ワタシ達でモ、触れられたら無理」
彷獄獣の、戒律。
恐れていたことが現実になった。
王種と戦えるまでは行けた。だけど、やはり王種と主は別格だったんだろう。
獄夢とは、主の見る夢。夢の中の住人は、夢を見る本人にかなうわけがなかったのだ。
恐怖で縛り付けるどころじゃない。
完全な、絶対服従が主との間には存在した。
「は……はは。見ろよ。あの目を見ただけで、頭が狂いそうだ。生きているお前らを、今すぐにでも殺してやりたくなる」
「終わり……ですのね」
支配に抗っているマズローの手からは血がしたたり落ち、その姿を見てラニャはへたり込んだ。
「そんな……嘘よね? そのためにゲンが居るのに! ゲンが近くに居れば、主の影響は受けないはずなのに――」
ルルが真っ青になり泣きながら叫ぶが、全てが想定通りにいく訳がない。ここは前人未到の獄夢の中心地なのだから、想定外の事なんていくらでも起こりうる。
マズローたちが抗えているのも、俺が居るからかもしれないがそこまでだったようだ。
せっかくここまで連れて来た俺が役に立たないことで、ルルはパニックに陥りかけているようで呼吸が荒い。
羅刹鬼菩薩が、そんな俺達をあざ笑うかのように粘筋を叩き煽ってくる。そのたびにマズローとネルは、ビクンと体を震わせた。
絶望が、蔓延していた。
――ぶちっ
シンとした周囲に思ったよりも大きく響いたのは、肉の千切れる音。
その音と共に動いたのは、俺だ。
「諦めんな!!」
「っんが!!」
何で、そんなすぐ諦める!
何度でもやり直せると思うから、そうやってすぐリセットしようとするんだよ。
晶が、目の前にいるんだ。こんなところで諦めてたまるか!
大体おっさんたち、自分で最初にやろうとしたこと忘れてんじゃねぇの?
まだ、やれることあるだろうが。
「何を――」
「……ゲン?」
「あ、間違えたこっちだ」
俺は、突っ込んだ人差し指をマズローの鼻の穴から抜くと、口に突っ込みなおした。
「んぐ……ぶほぇっ!! おま、それ鼻の穴に突っ込んだ指じゃねぇか! こりゃ……血の味?」
「効果ありか? よかった、肉じゃなくてもいけるか」
仰け反るマズローの反応を見て、俺はすぐにネルの方を向いた。さぁさぁ、おっさんとの間接キッ――
「ドブ臭イ。自分で啜るかラ、此処に出しテ」
「っち」
察しのいい奴め。
ネルは苦しみながらも自分の手を差し出してきた。一度その手を握りながら俺の血を垂らすと、それをぺろりと舐めた。
「……驚いタ」
ネルの細い目が、見開かれる。
どうやら効果は完全にあったようだな。
「どぶくせぇ指とか、よくもそんなもん俺に突っ込みやがったな」
「おかしいな? つい30秒前までドブ臭くなかったんだけどね?」
意味が分からないようで、ルルとラニャが目を白黒させて俺達のやり取りを見ているので、説明してやる。
「あー、おっさんたち、俺を食おうとしてただろ? どうやらあながち的外れなことやってたわけじゃないみたいだ」
「ゲンの血を舐めた瞬間、獄夢の干渉が……緩和された」
夢には夢を。
この粘筋と、俺の腕は同じなんだろ。
この獄夢があいつが見てる夢なら、俺の腕だって同じく俺が見てる夢だってことだ。
だったら、俺の夢に引きずり込んでやればいい。
そう思って、体内に俺の血を巡らせてやった。
「これなら戦える!」
いや、理屈はよくわからんし絶対合ってないけど。でも、そういう事だろ。うまくいったしなんでもいいや。
これでダメだったら、全力逃走一択だったから実はかなりひやひやしてたんだけどな。
諦める? 馬鹿言うな、それは俺の一番嫌いな言葉だよ。
「ルル」
「え?」
「泣くな。これからだぞ。……俺を連れてきて、よかったろ?」
ニカッと笑ってやれば、ルルは今にも泣きそうな顔をしながら、大きく大きく首を縦に振った。
さぁ、何をしているのか、バンバン粘筋叩いていまだに煽ってるような動きを見せる夢見がちのババァにそろそろ現実を見せてやりましょうか。
「作戦がある」
俺は、カバンから光る筒を取り出した。
羅刹鬼菩薩の足元には、何故かいつの間にか大量の四本足が居る。恐らくあの粘筋バンバンは四本足を複製していたんだろう。ただこちらを煽っていたわけでは、なかったらしい。
――ブンッ!
羅刹鬼菩薩は、四本足の彷獄獣を無造作にブン投げた。
四本足は、空中で足を曲げ卍のように形を変えると、つま先が刃のように鋭くなり殺傷力を上げて来やがった。
「っく、早い!! 散れ!」
ルルとラニャは後ろに下がり結界を張り、狙いを定められた俺達は走りながら手裏剣を躱す。
「それで!?」
「こいつを使う」
「なるほどっ、確かにそれならあの化物も一発かもしれん」
「どうやっテ食べさせル?」
うんうん、この魔晶石の粉を見せただけでみんな次にするべき行動を考えるあたり、流石だね。
しかし、次々と投げられる手裏剣が邪魔でそうそう近寄れそうにない。
四本足は、まるでブーメランのように何度も空中を曲がりながら迫ってくると足の裏から炎まで噴き出し始めた。
羅刹鬼菩薩を中心に、彗星のように鋭い刃物が何度も回る。まだ、数が増えやがるのか。
「これさ、前も言ったけどここで作った粉なんだよな」
「?」
「劇物なのは間違いけど……獄夢から取り出した魔素を、主であるアイツに食わせて効果あるんかな?」
「っ!!」
全員気付いたようで、絶句した。
蛇の毒が、その蛇に効くのかって話だ。
もちろん、獄夢と羅刹鬼菩薩が魔素を共有しているわけではないのかもしれない。だが、少なくとも親睦性はあるわけで、効果が無いだけならまだいい。最悪なのは、下手したらこれの使用によってあいつを強化してしまう可能性もあるってことだ。
「じゃあ、どうするのよ!?」
「それなんだけど――」
飛び交う四足ブーメランをかいくぐり、羅刹鬼菩薩が駆け寄ってくる。そいつをマズローが何とか牽制しているうちだった。
良いぞ、そっちは任せた。
「こうすんだ!」
――パキッ
俺は、左腕の触手を蠢かせる。
そのまま、骨のライトを握りしめて砕いた。
中から、光る粉があふれ出る。
「ゲン!!! 馬鹿! その触手は魔素を吸うのよ!!!」
ルルが目を見開いて、俺の蛮行を怒鳴りつけてきた。
そんなこと知ってるわい。
初めて触った時に、焼けるように熱く感じて持てなかったのも、こいつらがこれを吸い込んでたからなんだろ。
「主に干渉出来るくらいだ、俺の腕は、主クラスってことだろ? それに、なんとなくこれだけ高い純度なら、触手たちも、昇華しきれる気がするんだ」
思い浮かべるのは、暴走時の腕だ。
ルルはさっき、あの黒ずんでいた手は暴走時の腕になりかけていたと言っていた。そう、なりかけていたんだ。
不純物が多すぎる魔素で、暴走時の腕になり切る前に食中りのような物を起こしていたからその先に進めなかった。
それなら、純度の高いこの魔素の塊なら――
――ギャハァァァァァ!
ルルが叫んだことで、羅刹鬼菩薩が結界の中のルルに気づいてしまったらしい。
何してんだあのバカ。
マズローが慌てて注意を引こうとするが、既に手裏剣は主の手を離れルルに向かっている。
「きゃあああああああ!!」
イメージだ、走りながらイメージしろ!
魔素を受け入れられるのは左腕だけ。本体に流せば俺は爆発して汚い花火を咲かせることになる。
さっきと逆だ、この激流を堰き止めろ! 腕の中に押しとどめろ!
腕が、黒く、やがて漆黒に染まり腕の周りに黒い靄があふれ出したかと思えば、それはコールタールのように重く腕にまとわりついた。
次の瞬間――爆発的にコールタールの質量が増えたと思ったら、それらは一気に収束を始めた。
うおおおお!! 間に合え!!
ルルたちの結界に、四本足が迫る。
結界を破り、ぶつかるその寸前。
――ギャリリリリリリリ!!!
「ゲン!!」
「うおおおおお!!」
割り込んだ俺の腕が、火花を飛び散らせる。
思わず飛び込んでしまった!!
どうなった俺の腕は!?
何か知らんけど耐えれてる!!
手裏剣受け止められてるけど火花とあいつのジェットで何も前が見えねぇ!!
――ギャリリリリリリリリ……リリ……リ……
物凄く長い時間、火花が目の前を散っていたような気がしたが、多分そう長くない時間だったんだろう。
やがて失速した四本足はポトリと地面に落ち、獣のようにトコトコと走り去っていった。
追い打ちをかけるべきだったんだろうが、そんなどころじゃなかった。
「ゲン……その……うで……」
「……えぇ?」
俺の腕から、パキパキと音を立てる巨大で不気味な甲殻が生えていた。
( `ー´)ノミ卍卍 卍 卍 卍 (´゜д゜`)