私と僕とエルシュタイン
「………僕は…っ、わ…たしは…」
震える声と息を吐きながら強く目を瞑った。
目を覆う両手で眼窩を圧迫する。
「私は…っ、随身を名乗ってもっ、い、良いんでしょうか?」
崩れた狭い箱から放り出された私の心は眩しすぎる外に飛び出す事を躊躇うしかなかった。
ここで喜び勇んで飛び立てば撃ち落とされてしまう気がして、せっかく開けた未来が夢で終わるとしか思えなかった。
随身になりたかった。
私はずっと随身になりたいと思っていたのだ。
自身の事とルーテルバーク家の事を理解し諦めたそれを、今更許されても嬉しさより他の思いが爆発的に膨れ上がる。
「勿論よ。 だって貴方は随身が何であるか知っていて、覚悟があるのでしょう? 王子を守りたいのでしょう? 憧れや傲慢さを携えていたら私たちは貴方を諌めるけれど、今のエルを知っている私たちは、反対をするより貴方を支える事を選ぶわ」
そんな私を母様は拾い上げ改めて背を押してくれる。
でもまだ私は動けない。
ゲームのエルシュタインが私の腕を掴んだ気がする。
王子の事と、無意識であってもそれ以上に自分の事を大事にして小さな世界に籠もったエルシュタイン。
都合の良い世界にいる為に、王子の孤独を利用して随身に居続けたとしか思えない子ども。
随身になっていつか私が目的を忘れ手段に溺れてしまう日が来たら、誰がアルフレイドを守るのだろう。
「……私は…弱いですっ!」
もしアルフレイドを守るという気持ちが、アルフレイドを守るエルシュタインという立場を守ろうとするようになったらどうしたら好いのだろう。
「だから私たちが支えるのよ」
「傲ってしまう時が、来る…かも、しれませ…っ」
「その時は私たちが諫めるわ」
怖い。
私は前世の記憶を持っていてもあのエルシュタインなのだ。
だからもしそんな存在になってしまった時に下手な地位や役職を持たせ傲らせないようにしようと私はプライドという鍵を掛けてアルフレイドを守るただの友人になろうと思ったのに。
「僕は…わた、し…は…っ!!」
随身になってアルフレイドの傍にいたい。
でも私はエルシュタインという存在を許せない。
アルフレイドを守ると豪語し随身を名乗るくせに大切なものを何一つ守れていないエルシュタインが憎い。
私は、……私自身がどうしようもなく憎いのだ。
「エル、貴方はどうして自分を信じないの?」
「私は…」
「ねえ、エル。 貴方はどのエルシュタインを信じないの? 僕? 私? 貴方の本質…貴方の心の真ん中にいて、貴方自身を怖がっているのは誰?」
『僕はアルフレイドを守る盾だから。』
『アルフレイドを守る事しか、
……僕には出来ないんだ…。』
『僕はアルフレイドの随身だから…ね。』
『僕はアルフレイドの傍にいるのが
当たり前だったから君が傍にいてくれるのは
少し不思議な気分だよ。』
『アルフレイド、大丈夫か?
……悪いけど彼は僕以外が傍にいる事を
許さないんだ。少し離れてくれないかな。』
『アルフレイドに用があるなら僕が聞くから、
もうそれ以上はアルフレイドに
近寄らないでくれ。』
『僕は……君にならアルフレイドを
託せる気がするんだ。』
『君がアルフレイドの笑顔を
取り戻してくれて、本当に嬉しいんだ。』
僕は、僕は、僕、僕、僕、エルシュタインは僕だ。
私は、私は僕が怖い。
自分の事を僕と言ってアルフレイドの隣にいたエルシュタインが怖い。
「……私は…、僕が怖いんです。 私が自由になったら僕も自由になって僕が主導権を握ったらきっと私の大切な人を傷付けるから私は私の中にいる自分を僕と言うエルシュタインが怖い…っ!!」
「エル、貴方は随身の事をきちんと知らなかった頃の自分が、幼い子どもだった自分自身が怖いのね」
ゲームのエルシュタインは攻略対象の中でも大人びた雰囲気のキャラクター。
でもきっと本質は子どもだった。
「エル」
母様は目を塞いだままの私を抱き上げた。
子ども抱きにされた私は母様の腕の中で揺られている。
「エル、見てみなさい」
言われたまま手をずらして見た先には、涙を流した子どもを抱きかかえた女性が見えた。
小さな子ども。
「貴方はたまに忘れているわ。 自分がまだ5歳の子どもだって事を、あの日から貴方は見ないようにしていた。 子どものままなのに急に大人のつもりになって、それなのに子どもを装うとするの。 大人びた部分と子どものままの部分がアンバランスで、私たちはそれを大人になりたいと思っているからだと思っていた。 でも違う、貴方は子どもの自分を許せないのね。 鏡に映る姿が僕にしか見えないの? 私のエルシュタインは鏡の中にいないの? 今涙を流して私の腕の中にいる貴方は、どちらに見える?」
私は誰なのだろう。
前世の私は女の人だったから私は違う。
彼女は19歳だったけど私は5歳だから違う。
エルシュタイン•ルーテルバークは17歳。
ゲームのキャラクターのエルシュタイン。
じゃあ5歳の私は誰だろう。
鏡に映った、母様に抱かれた子どもは誰?
息が苦しくなって鼻を啜ったら鏡の中の子どもも同じ様に鼻を啜って変な顔になっている。
「ねえ、エル。 子どもは成長するの。 子ども時代を飛ばして大人になるなんて出来ないわ。 大人になった気でいるだけでいたら、子どものエルシュタインはいつ成長するの? 貴方が成長しないなら、貴方はいつまでも自分自身に怯える事になるんじゃないかしら」
鏡に映った子どもはエルシュタイン。
でもゲームでは見た事がない、別のエルシュタイン。
なら、変わる事は出来るんだろうか。
私は自身を僕と言っていたエルシュタインと同じエルシュタインだけど、このまま私になれるんだろうか。
私が成長するというのは、僕のエルシュタインも成長するという事になるんだろうか。
「エル、鏡に映った子どもは誰?」
「……私、です…。 私、エルシュタインです」
「そうね、エルシュタイン。 可愛い私の子ども。 小さな私の子ども。 そして私は貴方の母様だわ」
「母様…っ」
鏡に映る自分の顔が歪んで涙を溢れさせたのを見て私はたまらず母様の肩に顔を埋めた。
嗚咽と涙が止まらない。
私は今ようやく、エルシュタイン•ルーテルバークという存在ではなく、エルシュタイン•ルーテルバークという人間が私なのだと気付いたのだ。
私の産声はその日屋敷に響き渡った。
私を心配したオリス様や兄様姉様たちが部屋の前で話を全て聞いていて、泣き声に耐えきれなくなりドアの蝶番が壊れるほどの勢いで部屋に入ってくるなんて夢にも思わず、私は母様の腕の中で泣き続けたのだった。




