母は強し
「……はい」
ノックの音に返事をすれば、帰ってきたのは柔らかな声だった。
「エル、入っても良いかしら? カフェオレを持ってきたの。 一緒に飲みましょう?」
「分かりました」
ゆっくりドアを開ければそこにはカフェオレの入ったマグカップとクッキーが乗ったトレイを持つ母様がいた。
私の部屋には応接セットが無いので私たちは並んでベッドに腰掛け、間にトレイを置く。
添えられたクッキーは母様の手作りで、どうやら今回は渦巻き模様を作ったらしい。
ぐるぐるとしたそれを眺め、私は無意識に溜め息を吐いていた。
「どうしたの? エル」
「うん…」
母様の声に生返事しながらカフェオレを飲む。
ミルクたっぷりのカフェオレは、砂糖が入っていなくてもほんのり甘い。
なんとなく視線を合わせず、私はまた渦巻き模様を見詰めた。
そんな私を見ているのか、母様の気配を感じながら黙っていると優しい声が頭の上からふわりと落ちてきた。
「何でも良いから、母様に話してみない? 何でも良いのよ。 カフェオレのミルクが多いとか、クッキーの模様が嫌だとか、サルバトーレ当主の髪を毟ってやりたいとか…」
「あえて突っ込みませんが全部思っていません」
母様が実は結構過激な人だという事はこの1年弱で良く分かっている。
今更この程度では動揺しないけどとりあえず落ち着いて欲しい。
「あら…そうなの?」
何で残念そうな声を出すんですか母様…。
「クッキーに不満が無いならどうしてクッキーを見て溜め息を吐くのかしら?」
何というか、煙に巻くようなボケもどきと鋭い指摘の緩急はじわじわと誘導されていると同時に異様なプレッシャーがかかってくる気がしてならない。
母親として支えたいという気持ちと可愛がりたいという気持ちが混ざり悩んでいるなら包み隠さず話して欲しいというか隠し事は許さないと言わんばかりの圧力に私は早々に思いを吐く事にした…。
「渦巻きを見てたら…」
「うん」
「例えばこの渦巻きの中心が目的地だとして」
「うん」
「白が良い事で黒が悪い事とするでしょ」
「ええ」
「終着点が中央の交わり部分だとしたら、最短で行けば良い事と悪い事が交互に来て最後は半々になるよね。 それなのに渦巻きの黒から始まって1番時間のかかる道順、つまり黒の部分だけを大回りしながら中央に向かってる気分というか…」
「つまり、ただの誘拐かと思ったら思惑は別の所にあって、表沙汰になったら困るのにその手引きをしてしまった今日の話よね」
「そうそう」
さすがルーテルバーク家の人間。
既にそこまで事情を知っているなんてこの家の情報網と伝達力はすごい。
「相手の思惑を知っていればエル1人で始末して事後報告で公にせずに済んだのに、こんな状況になってアルフレイド王子に申し訳ないって思っているのね」
そして母親としても母様はすごい。
いや、もしかしたら私は傍から見たらすごく分かりやすい人間なのかもしれないけど。
「解決方法なら簡単じゃない」
「んっ!?」
……まさかの母様の発言に変な声が出た恥ずかしい。
もし口に食べ物が入ってたら凄い勢いで飛び出した気がする。
「エルはアルフレイド王子が心配なんでしょう?」
「そ、そうだけど」
「王子を狙う人間は増えて、護衛を増やしてもそれに何者かの息がかかってないとは言い切れないし、王子は行動を制限される上疑心暗鬼の真っ只中に放り出されるかもしれないのよね」
「……うん」
「じゃあ、信用できる人間だけで王子を完璧に守れれば問題無いわよね? それも今回の事件が起きる前から王子と親しくて確実に味方だと言い切れる人間が」
「でもアルフレイドは第3王子で随身はいないし、護衛もそんなに…」
「エルがずっと傍に居ればあの子たちは王子も一緒に守るわよ?」
「いやいやいやいやいやいや…」
それはつまり私がメインでアルフレイドがおまけという扱いだ。
そんな事は絶対に嫌だ。
「私はアルフレイドを守る人が欲しいんです! おまけ扱いでアルフレイドを守るなんて絶対に許さない! 例え家族でも軽蔑します!! ふざけすぎている!!」
思わず声を荒げた私の顔を見て母様は笑った。
途端に背筋に悪寒が走り会話を誘導された事に気付く。
「じゃあエルが随身になれば良いのよ」
それは、私に肯定の言葉を求める言葉に思えた。




