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彼らは夜空に何を見る  作者: 日向晴希
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彼女は夜空に夢を見た

 

 6 2 4 1 3 5

 

 ¶



 ――そして、デモリッシャーは空を貫いた。


 衛星軌道上に設置された反物質収束砲はその性能を遺憾なく発揮し、瞬く間に人類から見慣れた夜空の姿を奪う。地球を三回は破壊してもまだ余りある威力を秘めたそれは、真昼もかくやという程の膨大な光を振りまきながら空に一筋の線を描き出した。

 程無くして「奴ら」の巣が跡形もなく消滅したという知らせが届き、固唾を飲んで空を見上げていた人々は歓喜の声を上げた。そこからが本当の地獄の始まりであった事など、露も知らずに。



 ¶



 うららかに降り注ぐ陽光を全身に浴びて、制服姿の少年が居眠りをしていた。場所はどこかの公園。ひと気がなく、けれど辺り一面を青々とした芝生に覆われたそこは、まさに絶好の昼寝ポイントと言えるだろう。しかし今は平日の昼間である。そんな時間帯に居眠りをしている少年は、サボりであるとしか言えない。そして、不当に授業をサボタージュしているような少年は、突如として響き渡った理不尽なサイレンによって叩き起こされたとしても文句は言えないのである。


 反射的に飛び起きた少年は素早く周囲に目を走らせる。けれど、そこに広がっているのは午後の柔らかな陽ざしに包まれた穏やかな光景のみ。とても警報がけたたましく鳴り響くような事態に直面しているとは思えない。そう。つまりこの頭を割らんばかりのうるささを発しているサイレンは、文字通り少年の頭の中だけで発せられているのだ。

 思考が覚醒し、ようやく事態を把握した少年が声なき声で呼びかける。


「状況は?」

「視認目標二。ですが『奴ら』が出現した方向と初撃が飛来してきた方向とには若干のずれがありますので、更にまだ後方に『奴ら』が控えている可能性があります」


 澄んだ声。男性とも女性ともつかぬ透明な声が少年の脳内に響く。それは少年の体内に注入されたナノマシンによるものである。血液と共に体中を巡るそれは相互に干渉しあい、幾つもの複雑な回路を作り上げる。


「だが、レーダーの範囲にそれらしき反応は確認されていないんだろう? だとしたらジャミングをかけているのだとしても、伏兵も少数のはずだ。二桁に満たない程度の数なら常駐の奴らだけで十分じゃないのか?」


 言外に何故自分にまで召集がかかったのかと問う。それに対する答えは、先程のものと同じように非常に無機質なものだった。


「気持ち良さそうに寝ている顔が少しむかつきましたので」


 あくまでも無機質に、透明に、感情を感じさせない声。脳内に声の主の、声同様につんと澄ました顔を思い浮かべつつ、少年は舌打ちを一つ。そして開いたばかりの双眸を再び閉じ、気だるげにごろりと寝転がり直した。


「とりま今から向かうから、俺の機体の準備を――」

「既に済んでいます」


 二度目の舌打ち。


「準備良すぎんだろ。実は敵襲自体ドッキリでしたとか言われても驚かねえぞ?」

「ご心配なく。あなた程度を驚かせるためにわざわざ緊急招集システムを使用する程、我々も暇ではありませんから」

「だといいけどな」


 軽口を叩きながらも少年の意識はナノマシンによってゼロと一に分解され、この穏やかな仮想世界から抜け出る。そしてセントラルプールを通って現実世界で再構成され、コンマ数秒もの時間をかけて意識がアジャストされた。


 少年が再び目を開いた時、そこに映ったのは果てしのない闇。闇。闇。


 正確には遥か銀河の彼方にある無数の星々がきらきらと瞬いているのだが、そんなものは眼前に広がる圧倒的なまでの無に塗り潰されて、あってなしが如く。その中で最も強烈な光を放つ太陽でさえも、木星の海から見たのでは随分と弱々しく見える。

 と言っても、生まれた時から木星の周囲に浮かぶコロニー群の住人である少年が、彼らの母星である地球から降り注ぐ陽光を仰ぎ見た事はないのであるが。少年の記憶にあるのは、全て先人たちの記憶を元に再現された地上の風景のみである。


「到達予測時間は?」


 声には出さず、ナノマシンネットワークを介しての発言。亜高速にまで圧縮された体感時間の中では、発声による意思の伝達など時間の浪費でしかない。


「およそ二〇ナノ秒。接敵までに要する時間は約七ナノ秒です」

「オーケーオーケー。そんだけの時間があれば欠伸の一つでもかましてられるな」

「馬鹿面を晒したまま『奴ら』の鼻面に突っ込みたいのであればどうぞ」

「相変わらず連れねー奴だよな、お前」


 そんな会話をしている間にも、一瞬たりとも時間を無駄にすまいと脊髄に直接連結されたケーブルを介し、機体のチェックを済ませていく。そして、それが終わると同時に少年の体を強烈なGが襲った。少年の機体が発進したのである。温まりきっていたエンジンは即座に超音速へと到達し、視界の端に僅かに映っていた灰銀色のコロニーの壁を彼方へと置き去る。


 様々な生物の骨格を雑多に組み合わせたような、流体力学など微塵も考慮されていない無骨な骨細工。それが少年の駆る機体を形容するに相応しい言葉である。

 全長二〇〇m弱。最高で光速の八〇%にまで到達可能なそれは、百km級のコロニーなら一撃で粉微塵に破壊する事が出来るだけの威力を秘めた武装を幾つも搭載した、人類史上初となる、宇宙空間での運用を前提とした戦闘機。人類が史上初めて遭遇した天敵となる「奴ら」に対抗するために作り出した、非人道的な決戦兵器。


 そのコックピットの中で一生を終える事を義務付けられた少年の視界に、コロニーへと迫りくる「奴ら」が姿を現した。強固な鱗に隈なく覆われた体躯。宇宙空間でも柔軟性を保ち続ける翼膜。小さく、添え物程度にしか見えない前肢と、大きく強靭に発達した後肢。そして、爬虫類を想起させる黄色に濁った縦長の瞳。

 彼方から差し込む弱々しい太陽光の中に浮かび上がるその姿は、まさに人々がかつて幻想上の生物として描き出した「竜」そのものであった。



 ¶



 夕暮れが街並みを飲みこみ、周囲の景色を朱に染めていく中、一人の少女が鼻歌交じりに住宅街の中を歩いていた。立ち並ぶ没個性的なブロック塀の向こうから漂う、各家庭の美味しそうな晩ご飯の匂いが鼻先をくすぐる。長い黒髪を耳の後ろで二つにまとめ、ほっそりとしたうなじを露わにさせている少女は、そんな、いるだけで腹の虫が騒ぎだしそうな情景の中で実に幸せそうに微笑む。

 と、そこで、視界の端に何かを見つけた少女の足が一瞬止まる。

 直後彼女は満面の笑みを浮かべて駆け出し、見つけた「何か」の元へと走り寄る。


「よっ、不良少年。こんな時間までお昼寝かー? 風邪引いても知らないぞー?」


 そう言ってにやつく彼女の視線の先にいるのは、住宅街の中にある小さな公園で、実に気持ち良さそうに眠る十代半ばの少年だった。こんなに堂々と制服姿で居眠りしていて、よく補導されずに済んだもんだ。そう思いながら少女は、中身がぎっしりと詰まっていてそれなりに重たい通学鞄を、いまだ目を開かぬ少年の腹の上に落とす。


「ってーな! いきなり何しやがんだゴルァ!」


 潰れた蛙のような呻き声を上げた後、少年はバネ仕掛けの如くに飛び起きて、唐突に腹部を襲った鈍痛の元凶を睨む。けれども睨まれた先である少女は、目尻に涙を浮かべながら咳き込む少年からの恨みがましい視線などどこ吹く風といった様子で「学校サボってこんなところで寝てる方が悪いのであーる」と意地悪げに笑みを深くするのみ。

 苛立たしげに舌打ちを一つ。少年は落ちないようにと反射的に押さえていた通学鞄を少女へと突き返し、再びごろりとベンチの上に寝転がる。


「俺は今疲れてんだよ。お前これから塾だろ? 俺なんかに構ってねえでさっさと行けよ」

「その塾には君も一緒に通ってるはずなんだけどねー。来年からは受験生なんだし、もういい加減ワル気取ってないで真面目に勉学に勤しんだら? 将来後悔するのは自分なんだよ?」


 それはまっとうな社会生活を送るものにとってはまっとうな忠告であるように思えた。しかし、まっとうな社会生活というものに対して反旗を翻すような日常を送っている少年は、何か少女の発言に対して思うところでもあったのか、深々と溜息をつく。けれども彼女の発言に反論する事はなく舌打ちを一つ。そのまま「帰る」とだけ口の中で転がして立ち去っていってしまった。


 一人残された少女はしばらく歩き去る彼の後ろ姿をぼーっと眺めていたが、結局追いかけたり何だりする事はなく、自身もまた、最初の目的地であった塾を目指して薄闇に満たされ始めた住宅街の細い路地を歩き始めた。


「こんな世界で受験勉強なんかしたって、何の役に立つっていうんだよ……」


 ポケットに手を突っ込み、少し猫背気味に歩く少年がポツリと呟く。けれどもその声は誰かの耳に届く事もなく、様々な晩ご飯の匂いが混ざり合う、穏やかで優しい空気の中へとひっそりと溶けていった。



 ¶



「探したよ、相沢瀬里あいざわせり君」


 ふと後ろから名前を呼ばれ、少年はその聞き覚えのある声に嫌な予感を覚えながら振り返る。


「……生徒会長」


 するとそこには、予感通りに少年にとっては面倒以外の何物でもない存在が仁王立ちしていた。

 常人にはあり得ない、けれども少年には見慣れた燃え盛る紅蓮の如き真紅の髪。空に輝く人工太陽を思わせる、強い意志を秘めた金色こんじきの瞳。そして、少年が着ているものと同じ制服にすらりとした体躯を包んだその相手は、露骨に顔をしかめて見せる猫背の少年に、頭一つ分は高い位置から話しかける。


「最近あまり学校に顔を出していないようだね。一般人の中に溶け込んで生活する事も君の任務規定の中に含まれていたと思ったのだが、私の勘違いだっただろうか?」

「一応家族とはそれなりに円滑にコミュニケーション取ってますよ。学校生活ってのは普段の生活の中のほんの一部じゃないですか。他はきちんとやってるんですから、大目に見て下さいよ」

「それはダメだな。管理者権限を持つものとして、君のその考えには賛同出来ない。そもそもここには同年代のものだけが集められているのだから、この年頃の人間なら誰もが経験するであろう事に歩調を合わせておかねば円滑な管理運営に支障が生じてしまう」


 平日の真昼間。天下の公道においておよそ平穏な日々には似つかわしくない会話が繰り広げられる。けれども向かい合う二人の周りを行き交う人々は、そんな彼らの格好や会話などには全く頓着する様子もなく、まるで彼らなどそこにはいないかのように平然と通り過ぎていく。

 お前の生き方は間違っていると断言され、しかし少年は全く怖気づいた気配も見せずに反論する。


「こんな世界でまっとうな社会生活を送ったところで一体何になるって言うんですか。俺達は使い捨てのコマだ。どれだけこっちの世界で満たされた生活を送って幸せになったところで、現実を満たす真空の闇の前ではそんなもの何の役にも立たない! だったら最初から人並みの幸せなんて知らなかった方が良かったじゃないか!」


 少年が怒鳴る。けれども、その声の限りに張り上げた心からの叫びも、周囲の無関心な人波へと吸い込まれていき、数秒も経てば後には何も残らない。その無常さに少年は、握り締めた拳により一層の力を込め、何かを堪えるように唇を噛む。


「……そうか。つまり、君はこれ以上何かを失うのが怖いんだね。桧原里菜ひのはらりな。彼女を守れなかった事がそんなにも君に深刻なダメージを与えていたとは。だがしかし、彼女は――」

「あぁ、そうさ、生きてるよ! この世界ではな! でもそれは『あいつ』じゃない! この世界で生きてるのは、あいつが欠けてしまった穴を埋めるために作り出された、あいつと同じ顔をして同じように考えて同じように笑う、『あいつによく似た何か』だ! 俺が好きだったあいつは……好きな奴に似合ってるって言われたからってずっとおさげ髪にし続けてるようなあいつは……俺の目の前で『奴ら』に食い殺された。もう、ここにも向こうにも、どこにもあいつはいないんだよ……!」


 腹の底から絞り出された悲痛な叫び。あまりに力強く握り締められた拳は手の平の皮が裂け、鮮やかな真紅が滴る。

 そんな彼の様子を静かに見つめていた青年が、同じように静かに口を開いた。


「そんな君に朗報だよ。デモリッシャーが完成したそうだ」


 その言葉に、少年は弾かれたように顔を上げる。そして顔を上げた勢いそのままに青年の元へと詰め寄り、金色こんじきの瞳を見上げる。


「本当、ですか、それは……?」

「他のものたちならいざ知らず、君に嘘を言って何になるというんだい。この世界において正しく現実を認識しているのは君と僕だけだ。言うなれば君は僕にとって非常に近しい存在なんだよ。その君にだけは、近々訪れるであろう『奴ら』との最終決戦に備えて心の準備をしておいてもらいたかったんだ。この夢の中で幸せな人生を送れているもの達は、きっとその戦いの意味も知らずに出撃していく事になるのだろうからね」


 青年は僅かに表情を翳らせ、そっと目を伏せる。少年は初めて見る青年の弱気な一面を目にし、何と声をかけたら良いのか分からず、ただただ無意味に口を開閉させる。青年もまた、少年の普段は見られない年相応な仕草に好感を覚え、儚げな表情のままふっと口元に笑みを形作った。



 ¶



「や、こんなところにいたのかい」


 夕暮れの街の中、特に何の目的もなく街をふらつく少年に、後ろから声がかけられる。振り向けば、そこには何度か会話した事のある、顔見知りと言っていい程度には見知っている人物の姿があった。


「……先輩。こんちわっす」

「おいおい、つれないなぁ。部活の先輩なんだし、もう少し敬いの心を見せてくれたっていいんじゃないのかな?」


 夕日の赤を受けて茜色に染まった長い黒髪。規定通りに膝下まで伸ばされたスカート。卸し立てのようにしわ一つない制服からは生活感が一切感じられず、人形然とした美麗な容姿も相まってどこか浮世離れした雰囲気を醸し出している。深窓の令嬢という言葉が相応しいような彼女だったが、カチューシャ代わりに使っているらしい無骨なフォルムのヘッドホンだけが異彩を放っていた。


「俺部活何もやってないんですけど」


 それは嘘偽りない事実である。およそまっとうな学生生活というもの全てに反旗を翻すような日常を送っている少年が、学生生活の代名詞とも言える部活動に従事しているはずもなかった。


「いやいや、何を言っているんだ。君は立派な帰宅部の部員じゃないか」

「……帰っていいっすか」


 腰に手を当て、誇らしげに慎ましやかな胸を張る少女。ついでに高笑いも上げる。

 対照的に少年の猫背は加速した。ついでに溜息をついた。


 彼らがいるのは駅前から続く大通りの一角である。帰宅ラッシュの時間にはまだ少し早いが、それでも相応の人通りはある。そんな中で仁王立ちしながら笑い声を上げる美少女というものは、とても目立つ。

 ルールを破る事は好きでも目立つ事はあまり好きではない少年は、何とも言えない居心地の悪さを感じて、こんな所を知り合いに見られてやしないかとチラチラ周囲に視線を泳がせる。


「帰るも何も、君、元から今日学校来てなかったけどね」

「今日はたまたまそんな気分じゃなかっただけです。それに、一応外出はしてるんだから帰るって表現は使えると思います。だから帰ります」


 少なくとも目に見える範囲で少年が知っている顔はなく、内心で安堵の溜息を洩らす。そして、彼自身には目の前の少女に対する用事はないし、触らぬ神に祟りなしとばかりにそそくさとその場を立ち去ろうとしたところで、がしりと肩を掴まれた。その力はまさしく万力の如し。

 たとえ全力で抵抗してみたところで、肩を掴むこの細腕を振り払う事は出来ないだろう。彼は直感的にそう判断した。


「でも帰してあげない。私に出会ったのが運の尽きだと思ってしばらく付き合いなさい。これは先輩命令だ」


 いくらこちらが避けようとも、祟りを撒き散らす神は自分から触りにやって来る。今日はなんという厄日か。げんなりと肩を落とす少年に、しかし助け船を差し伸べるものは誰もいなかった。





「で、先輩は一体俺に何の用があるってんですか?」


 少年が万力に掴まれたままあれよあれよと連れてこられたのは、大通りを駅とは逆方向に歩いて十分ほどのところにある、それなりに名の知れた高級ホテル。そのカフェラウンジ。二人の前には各人一台ずつのティースタンド。三段重ねのそれは上からケーキ、焼き菓子、スコーンの順で香ばしい香りを放っている。

 およそ制服姿のうら若き男女には似つかわしくない場所であるが、どちらも落ち着いた品のある雰囲気に気圧されている様子はない。注がれた紅茶をティースプーンで掻き回す仕草などは、あくまでも自然体である。


「いや、特にはないよ? 強いて言うなら可愛い後輩と大変可愛い従妹との恋路にどれだけの進展があったか気になったというところかな?」


 一点の汚れもない純白のクロスがひかれた丸テーブルに両肘をつき、黒髪の少女が綺麗に切り揃えられた髪をさらりと揺らす。見る者を魅了する蠱惑的なその仕草に、けれども少年は眉根を寄せ、腹の底から吐息を絞り出す。にこにこと笑う少女から目を逸らし、背の高い窓越しに、綺麗に手入れのされたホテルの庭園を見やる。

 もっと早い時間帯に来ていれば、もっと隅々まで見通す事が出来たのに。そんな事を考えてしまうのは現実逃避なのか否か。


「何度も言ってますけどね、俺とあいつは別にそんな関係じゃないですから。小中高と同じクラスになり続けてるだけのただの腐れ縁ですよ、腐れ縁」

「の割には随分高校受験頑張ってたよね、君。普段の成績よりもワンランク上の学校目指しちゃったりなんかしちゃったりしてさ。あれって里菜ちゃんが私と同じ高校行きたいって言ってるの聞いたからだよね?」

「……一体どこからそんな情報と妄想引き出してくるんですか、あなたは」

「ふふん、企業秘密だよ。秘密が多いほど女は魅力的になるものなのさ」


 だとしたらあいつには魅力なんて欠片もない事になりますね。喉から出かかったそんな言葉を、少年はすんでのところで頬張ったジャムタルトと共に噛み砕く。そして腹の底へと飲み込んだ。口内に染み渡るクランベリージャムの酸味が、良い具合に少年の舌を回りにくくさせてくれていた。


「別に私は可愛い君と大変可愛い里菜ちゃんとが付き合うのの邪魔をしたい訳ではないんだよ。さっきも言ったようにむしろ応援する側の立場さ。だというのに、君は一向に何のアクションも起こさないし、向こうは君の好意に気付く様子もない。そんなの見ていてつまらな、もとい可哀想じゃないか」

「今一瞬本音垣間見えませんでしたか」

「はて、何のことやら?」


 少女は素知らぬ顔で紅茶を口に含む。端正な見た目に似合わず彼女の紅茶には、たっぷりのミルクとたっぷりの砂糖が入れられていた。喉を鳴らしてコップの中の白濁を飲み干した少女が、「そういえば」と口を開く。


「来月は君の誕生日だったように記憶しているけれども、誰かにお祝いしてもらう予定はもうあるのかな?」


 誰か、という言葉が妙に強調されていた事、そして露骨に話をはぐらかされた事に舌打ちを一つ、少年は今のところそういった予定はない事を口にする。その答えを聞いた少女が片眉を上げた。


「君は……まさか高校に入ってからもう半年も経つのに、まだ友達の一人もいないのかい? それは流石に里菜ちゃんにうつつを抜かし過ぎだと思うけどなぁ」

「誰が女の尻追っかけてクラスで孤立してるなんて言ったんですか!」

「少なくとも今君が一度はそう言った」

「だーかーらー!」


 少年が両の拳でテーブルを叩いた。賑やかでありながら穏やかな空気の流れていた場が、シンと静まる。予想外に大きな音を立ててしまい困惑する少年が慌てて周囲に頭を下げ、なんとか場を取り繕う。


「……分かっているよ。ナルコレプシーのせいだろう?」


 いつの間にか注いでいた二杯目の紅茶を軽く口に含み、少女は神妙な表情で頷く。


「まったく不思議なものだよね。幼馴染が三人ともに同じ病気を抱えているなんてさ。おまけに私のクラスにも更に二人も同じ症状に悩む生徒がいると来た」


 今度は少年が片眉を上げる番だった。口を開いた彼の機先を制するように少女が言葉を続ける。


「聞いた話では三年生にも何人かいるそうだ。中には、ある日突然病気が治ったという人までいるらしい。これは最早偶然などではなく、何か大いなる意思によって運命とやらを操作でもされているんじゃないかと思ってしまうね」

「……先輩がそんな事を言うなんて珍しいですね」

「うん、ちょっとしたジョークさ。さて、そろそろ切り上げるとしようか? これ以上遅くまでお茶を楽しむとなると、流石に夕飯に差し障りが出そうだ」


 もちろん、誘った手前お代はこちらが持つよ。そう言って少女は立ち上がり、少年の反応も待たずしてすたすたとレジの方へと歩いていってしまった。少年も慌てて立ち上がり、通学鞄をひったくるようにして掴んで少女の後を追う。テーブルの上では、ティーカップの中の血のように赤い液体が綺麗な波紋を作り出していた。



 ¶



 作戦は至って簡単だった。


 地球側と木星側の両側から残存戦力の全てを投入して攻撃を仕掛ける。そして戦線を少しずつ後退させていき、手薄になった「奴ら」の巣――火星をデモリッシャーで破壊する。それだけである。

 既に火星は人類の生息圏ではなく、もし取り返す事が出来たとしても、最早再びテラフォーミングするだけの余裕は地球側にも木星側にも残されてはいない。それよりも予想外の事態により遅れてしまった太陽系全域掌握の方が急務だとされていた。そのためにも日夜連日襲い来る「奴ら」を完全に排除する事が必要であり、人類は数十年の時間をかけてそれを実現するだけの準備を整えた。


 そして作戦は実行される。それは「奴ら」との初接触から一〇六年が経過した時の事だった。





 少年は身体を動かすようにして機体を駆る。脊椎をくり抜いて挿入された人工神経が、脳味噌から発された命令を光の速さで機体の各所へと伝達する。指先を動かすように砲塔を旋回させ、足の裏で地面を踏みしめるようにスラスターを絞る。視界は同時に数十の場所に焦点を合わせ、囁くように引き金を引く。

数多の輝きが明滅する無明の闇の中に幾つもの光条が走り、けれどもその先で末期の大輪は花開かない。


「四時の方向に敵影」

「分かってる……!」


 視線を滑らすように機体を反転させる。雑多に組み合わされた骨細工が軋みを上げ、速度を維持したまま鋭角に転進した。直後、一ナノ秒前まで機体があった空間を光弾が通り過ぎる。

 碧玉の如き鱗に包まれた相手が瞬く間に視界の中で存在感を増してゆき、もうひと度瞬く間に至近距離ですれ違う。少年はその瞬間を狙い澄ましてチャフをばらまいた。

 爆発。

 真空であるが故に衝撃はない。しかし、全身に傷を負ったはずの敵の、届くはずのない苦悶の叫びは、まるで耳元で上げられたかのようにはっきりと耳に響いた。


 ふと、自分達を撃墜した時は「奴ら」も聞こえるはずのない人々の断末魔を聞くのだろうか、という答えのない疑問が彼の脳裏を掠めた。知りようのない疑問にいつまでもかかずらっていられるほど余裕のある状況ではない。僅かかぶりを振り、余計な思考を追い出す。脳内では、聞き慣れた透明に澄んだ声が新たな敵襲を告げている。少年は先程の疑問など忘れ、追撃はせずに目の前の敵を排除する事に全神経を傾ける。


 機体の両脇に取り付けられている三対のアームを展開し、少年は無骨な骨細工の愛馬を駆る。相手を抱き締めるように広げられた三対の腕の先には、それぞれ異なる武装が。少年はその中の一つ、相転移爆雷を適当な照準で放った。爆雷は発射から数ナノ秒後に炸裂し、半径数百km内にある物質を相転移させる。

 しかし、亜高速で移動する竜は軽々とその攻撃をよけ、大きく開いた口から荷電粒子の弾丸を放ってくる。

 少年は溜息を吐くように機体を回転させ、幾何学的な線を描きながら雨あられと降り注ぐ光弾を残らず回避する。その間にも機体の各所に装備されたフォトンブラスターを連射し、相手を牽制。更には炸裂までの時間をそれぞれ別に設定した相転移爆雷をばらまき、相手の進路を妨害した。

 そうして追い込んだ先に、狙い澄ましたタイミングで超時空メギドを撃ち込む。空間断裂航法を行なう際に使用されるこの特殊弾頭は、今回の作戦で初めて実装されたものであり、「奴ら」に対してどれだけの威力があるのかは未知数であった。しかし、空間を崩壊させ即席のマイクロブラックホールを作り出すこの攻撃の前では、いかに宇宙空間の絶対真空に耐える「奴ら」と言えども一たまりもないだろうと推測されていた。


 そして、その推測が正しかった事を少年は証明する。形成されたマイクロブラックホールは渦を成すように周囲にあるあらゆるものを吸い込み、爆心地近辺にいた竜を跡形もなく消滅させた。少年の機体はその渦の流れに逆らう事なく飛び、カタログスペックぎりぎりの加速を得てその空間を離脱する。


「警告。機体速度が安全域を突破しようとしています。このままでは負荷に耐えきれず機体が崩壊してしまう可能性も――」

「っさい! 黙ってろ! 今そんな事気にしてられる状況じゃねえんだよ!」


 速度全開で飛び込んだ先の宙域に僚機と交戦する複数の竜の存在を認め、少年はあくまでも無感情な無色の声を声に出して怒鳴りつける。それで感情に一区切りをつけた彼は思考を切り替え、セントラルプールを介して味方機に合図を送りつつフォトンブラスターをでたらめに撃ちまくる。「奴ら」に当てる事など一切考慮していない砲撃であった。とにかくその場を撹乱しなければ、性能限界すれすれにまで加速され小回りがほとんど利かない状態にある彼の機体など、ただの動く的にされてしまう。

 緩やかに進路を転向させながら、少年は機体の減速を試みる。具体的には、六本のアームに装備されている二門のエネルギー収束砲、ルミナスフレアを前方に向けて発射し、その反動で機体速度を相殺していく。一本の光の帯をたおやかになびかせるように機首を振り、少年は歯を食いしばって負荷に耐える。理論上は光速中でも活動出来るように設計されている肉体だったが、流石に初めて経験するレベルの負荷ではクるものがあるらしい。


 そんな状態の少年を不意に衝撃が襲う。彼の機体へと標的を移した数頭の竜による攻撃だった。光弾自体は反物質を利用した反撥装甲によって無効化されたが、その際に生じた衝撃までは殺す事は出来ない。瞬間、少年は顎先を殴られた時のようにバランスを失う。コンマ数ナノ秒の空白を開けて、百km級のコロニーなら易々と破壊する威力の荷電粒子弾が次々と直撃した。

 機体は嵐の海に投げ出された木の葉同然にもみくちゃにされ、幾つもの光が絶えず生まれては消えている目の前の虚空のように少年の視界も明滅する。自動姿勢制御装置が十分にその機能を果たした頃には、既に二頭の竜が目前にまで迫っており、最早これまでかと思われた。

 けれども、少年の意識が回復するまでの僅かな時間機体のコントロール権を移譲されていた透明な声の主が、機体前方に向けて固定されたままだったルミナスフレアを遠隔操作で発射した。照準も何もない状態での砲撃であったため、てんで見当違いな方向へと光の瞬きを生み出しただけで終わったが、それでも今にも少年の機体にその牙を食い込ませんとしていた竜を怯ませるには十分すぎるものだった。

 体内を循環するナノマシンによって強制的に意識を覚醒させられた少年は、即座に状況を把握し、フォトンブラスターの照準を近距離にいる竜へと向ける。


 と、そこで、脳内に聞き覚えのない声が響く。それは先程声をかけた味方機からのものだった。その声の指示に従い、彼は機体の周囲に反物質のチャフを散布する。それが完了するとほぼ時を同じくして、僅か数十kmという超近距離で味方機の撃ち出した相転移爆雷が炸裂した。

 彼の機体の近くにいた竜は爆雷の直撃を受けて、一ナノ秒と経たぬうちに固体から気体へと昇華した。しかし、同じように直撃を受けた少年の機体は周囲を覆う反物質チャフを身代わりにする事で相転移を逃れる。


 お礼代わりにルミナスフレアとフォトンブラスターを掃射し、少年は僚機の宙域離脱を支援した。同一宙域内にいる竜のうちの約半数がそちらを追い、残りの半数はまっすぐに少年の元へと飛んでくる。優雅に翼を羽撃かせるその畏怖に満ちた姿からは想像も出来ない程のスピードで、片手で数え切れるかどうかという数の竜が少年の後を追う。


「残り時間は」


 言葉少なに問えば、打てば響くように迅速に求めていた答えが返ってくる。


「デモリッシャー発射予定時刻まで、あと五三〇〇ナノ秒です。」

「まだそんなにあんのかよ……っと!」


 露骨に顔をしかめてみせた少年は機体を急減速、急旋回させ、最大出力のルミナスフレアで後方を薙ぎ払う。不格好な骨細工が軋み、全身の血液が目から口から鼻から吹き出していくような感覚が少年を襲った。しかし、既にそれよりも大きな負荷を先程経験したばかりの彼は、この程度のものになど歯を食い縛る必要性も感じない。

 不意打ちで追いかけて来る竜を一頭消し炭にしたところで、エネルギー残量が五〇%を切った事を示すアラートが視界の端に浮かび上がった。と同時に、機体の損傷度が二〇%を越えた事を示すウィンドウも現れる。

 流石にあれだけ攻撃を食らった後での大道芸は無茶だったか。少年は舌打ちを一つ、エネルギーの充填と自己修復が完了するまでの時間を試算する。そんな事を考えている間も敵の攻撃を回避し続け、移動予測をしながらの連続射撃をする手を止める事はない。


「現在のエネルギー減少率が維持されたと仮定した場合、最大回復までの時間はおよそ一五ナノ秒であると推測されます」


 透明に澄んだ声が脳内に響く。その言葉を半ば聞き流し、少年は超時空メギドを撃ち込むタイミングを計る。一頭倒したとはいえ、まだ一人で相手するには多過ぎるほどの多くの竜が彼と交戦状態にあり、更に、いつ何時別宙域から「奴ら」の増援が来たとしてもおかしくはないのである。そんな状況を打開するには、超時空メギド弾によるマイクロブラックホールで一網打尽にするしかなかった。

 先程のように相転移爆雷をばらまいてもみるが、流石に数が多くて上手く進路を誘導する事が出来ない。

 三六〇度全方位から隈なく飛んでくる光弾を、慣性の法則などまるで無視した急旋回の連続でよけ、こちらも負けじと弾幕を張る。遠からず事態が悪化する事がほぼ確定しているような膠着状態に、少年は苛立たしげに舌打ちする。


 と、その時。聞き慣れた声の聞き慣れない声音が耳朶を打った。


「十時の方向、熱量攻撃来ます……!」


 レーダーの索敵範囲外からの攻撃。咄嗟に横へ跳ぶようにバーニアを吹かし、周囲を飛び交う光弾に当たる事覚悟でその場から離れた。しかし、視界を埋め尽くすほどの強烈な輝きは回避を許さず、周囲を飛んでいた竜たちごと少年の機体を光の奔流の中へと飲み込む。


 たっぷり一ナノ秒は経過した後、彼方より伸びる光の筒から少年の機体が飛び出した。きりもみ回転をするそれは至る所から火花を散らし、無骨な骨細工は先程までの雑多な印象から少しすっきりとした見た目へと変わってしまっている。実弾の誘爆を恐れた少年が相転移爆雷その他の武装をユニットごと切り離したからであった。

 コックピット内では様々な計器が全てレッドゾーンにまで振り切れ、引っ切り無しに脳内で警告音が鳴り響いている。まともに戦闘が出来る状態に回復するまでにも相当の時間を要する事は、火を見るよりも明らかであった。


「マザーか……!」

「そのようです。こちらの索敵にも直前まで反応がなかった事から、『奴ら』特有の空間歪曲法による超々遠距離からの強襲であると推測されます」

「彼我の距離は?」

「およそ二〇〇ナノ秒程度でしょう。しかし現在のコンディションでは、目標到達よりも遥かに前の段階で二撃目を受けて撃墜される事は間違いありません」


 緊張感をにじませた声色のままやり取りを交わす二人。十何頭もの竜が飛び交う中へと突っ込んでいった時よりも遥かに緊迫した面持ちだった。


 マザー。それは「奴ら」による火星侵攻時において、火星表面に造られた大都市群を焼き払った存在であると言われている。数百万とも数千万とも言われる圧倒的数を誇る「奴ら」の中でも僅か数頭しか確認されていない存在であり、体長二〇〇m程度の通常個体が赤子にしか見えないほどに巨大な体躯を持っている。そして、そのコロニー級の体躯に秘められた力もまた、通常個体を遥かに凌ぐものである。

 移動要塞。人々は畏怖の念を込めて彼女らの事をそう呼んでいた。


 さらに、比較的落ち着きを取り戻した無色の声が淡々と被害状況を告げる。それによると今の一撃で一個小隊相当の戦闘機が大破、そして木星軌道上にあったコロニーが一つ崩壊した。それは、コロニーに住む数百万の人命が一瞬にして失われたことを意味している。


 しばしの沈黙。それから少年はついさっき聞いたばかりの問いを繰り返す。


「残り時間は?」

「……丁度あと二〇〇ナノ秒と少しですね。武装を全て放棄して、なおかつ超時空メギドを利用してのスイングバイが出来れば、今の機体状態でも十分マザーの元へ到達出来る可能性はあります」

「そうかい。なんともまぁ都合のいい事に、目の前を丁度超時空メギド弾装填済みのフレキシブルアームが漂ってるんだけどさ……これ、どう思う?」


 そう問いながら、少年は答えが返ってくるのも待たずに、前方を漂うつい今しがた自分がパージしたばかりのユニットに相対速度を合わせる。少しの間を開けて、アームとのドッキングに成功した事を知らせるウィンドウが視界の端に表示された。


「なぁ、生徒会長」


 酷く静かに紡がれる言葉。


「なんでしょうか、改まって」


 答える言葉も静謐に満ちて。


「あいつが死んでこの世界の本当を知って。それから過ごした時間は管理者であるあんたからしたら短いものだったのかもしれなかったけど、それでも俺にとってはかけがえのないものだったと思うよ。今だから言える」

「時というものは不可逆ですから、いついかなる時間にもかけがえというものはありませんよ」

「素直じゃねえの」

「客観的事実です」

「じゃ、そういう小難しい話はNPCになった俺とでもしといてくれよ。そっちの方が俺より頭良さそうだ」

「嫌です。どうしてもしたいというのであれば、生きて帰ってきて下さい」

「……素直じゃねえの」


 放たれた弾頭が適当な距離で炸裂し、即席のマイクロブラックホールを作る。雑多と言うには随分とすっきりしてしまった骨細工がフルスロットルでその流れに乗り、急加速を得て虚空の彼方へと飛び去る。それから程無くして、戦場を飛び越えてコロニー群へと攻撃を仕掛けようとしていたマザーが、超至近距離で発生した空間崩壊に飲み込まれてその山脈の如き巨躯を虚無の中へと消した。


 そして――


 

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