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 電気が消えた。遮光カーテンが閉じられている部屋の中は、幾つかの家電製品のスイッチ以外は漆黒の闇だった。今の所眠りにつける気がしない。私は見えない天井を見つめていた。

「なあ、恵。一生のお願いって、何回までアリだと思う?」

 突然の話で「え、普通一回じゃないの?」と答えたが、正しかったんだろうか。

「俺は今まで、誰かに一生のお願いを使った事がない。それを今、使いたいんだ。贅沢な事に、後一回、使える様に、一生のお願いは二回にしたいんだ」

 なぜ私に許しを乞うのか分からないし、言う事がまるで子供だなと思いつつ「何、一生のお願いって」と含み笑いをしながら訊いた。

「馬鹿にしないでよ。あのさ、手をさ、繋いで寝てくれないかな」

 余りにも可愛らしいお願いに拍子抜けした。それでも彼にとっては一大決心だったのかもしれない。

奥さんの遺影が飾られているこの部屋で、奥さん以外の女と手を繋いで眠るなんて。

「減るものじゃないし、別にいいよ」

 そう言ってモゾモゾと布団から右手を出すと、彼は左手で私の手をギュッと握りしめ、自分の布団の中に仕舞った。

 寒い日に手袋なしでも両手が暖かかった、冬の日々を思い出した。はらはらと舞い落ちる雪。さすような空気。彼の温もり。

 すぐに彼の規則的な寝息が聞こえて来た。こうして同じ部屋で夜を明かすのは初めてだ。案外、幼馴染って近過ぎて、出来る事が限られるんだなと、今にして思う。

 私の落ち込んだ顔を見て、旦那との不仲を知って、私を放っておけないと言ってくれて、嬉しかった。一方彼は、奥さんを半年前に亡くした事を殆どおくびにも出さずに振舞っていた。

 手を握って欲しい。今まで我慢して来た、彼の孤独を埋めるための、一生のお願いだったのかもしれない。寂しかった。我慢していた。そういう事かもしれないと思うと自分の鈍さ加減に呆れるし、心遣いの無さに辟易する。

 彼が安心して眠りについてくれて良かった、そう感じた。自分ばかりが不幸だと言い、真吾の辛さに気づいてやれなかった自分を悔いた。手を更にギュッと握ると、彼は無意識に握り返して来た。

 薬を飲まないと目が冴えて、日付が変わっても寝付けないまま、スマートフォンで小説を読んでいたりする事が日常だったが、今日は違った。

 真吾と握ったその手から、暖かいものが体に流れ込んで来て、それが全身に回り、意識が段々朦朧としてくる。その感覚は、とても懐かしい物だった。

「あ、眠れる」

 そう感じた。眠剤なしで眠るなんて、半年以上昔の事で、不思議だった。深く深く、落ちて行く、感覚。



 翌朝、もう握った手は離れていた。

「んー、おはよ。眠れた?」

目を瞬かせながら真吾は伸びをした。

「半年ぶりに、眠剤なしで眠れたよ、ありがとう」

 手を握ってくれと頼んだのは彼の方なのに、結局は彼に助けられている自分がどうしようもないなぁと、私は首根っこを掻く。

 布団を畳むと「朝は簡単な物でいい?」と訊くので「お礼に何か作らせて」と申し出た。


 週に数回は外食をすると言っていた真吾だが、冷蔵庫にはそれなりの材料が詰まっていた。

「俺、パン食だから」

「じゃあ食パンと、ハムエッグと、サラダと、コーヒーでどう?」

 カウンターから顔を出すと、彼は親指を上げて応えた。目を合わせて微笑み合った。

 人の家の台所には、どこに何があるのか分からず焦ってしまう。あっちに行ったりこっちに行ったりで落ち着かない。それなのに彼は呑気に言い放つ。

「なーんか、自然なんだよな。恵がそこに立って、俺がここに座ってるのって、今まで経験が無いのに妙に自然なんだよな」

 私は赤面を悟られない様に下を向いて作業に没頭した。

「恵。ずっとここにいたらいのに」

 破壊力のある言葉だが、無理難題はスルーするに限る。今日はあの、泥水の中の様な重苦しい現実、自宅マンションに帰らなければならない。それが現実なのだ。そろそろ現実世界へと戻る準備をしなければ。

「わぁ、朝ごはんっぽい!」

テーブルに置いた朝食を見て真吾は舞い上がっている。

「だって朝ごはんだもん」

 聞くと、奥さんは料理がからっきしで、朝はトーストとコーヒーで済ます毎日だったそうだ。それでも新婚だった二人に、お互い不満は無かったんだろうと思うと、妬ける。

「美味いなー。何で俺の嫁にならなかった?」

「バカ。奥さんの遺影に五万回謝れ」

 真吾はククッと乾いた声で笑った。

「今日はどうするつもり?」

 あまり考えたくなかったが、そういう訳にもいかない。

「彼の帰りを待って、治療する意志があるのか問いただす。返答によっては......離婚も視野に入れなきゃいけないかもしれない。離婚するなら子供が出来ないうちの方がいいもんね」

 真吾はサラダのレタスをフォークで刺しながら「俺は恵が幸せになれる一番の方法を選んで欲しいな。少なくとも今のままじゃお前、潰れちゃうからさ」と言ってレタスを口に運んだ。

 私はしばらく無言で朝食をつついていた。


 食器の片付けまで済ませて、部屋着を返却し、身支度を整えた。

 また仏壇の前に立ち、お礼をした。

「何かあったら俺の所に来ていいから。俺は何もしない。お前の話を訊いてやる事ぐらいしか出来ない。でも眠剤なしで眠れるぐらいリラックスできるのなら、それだけでも儲けもの、だろ?」

 本当は私が、彼をサポートしていかなければならないのに、手を繋ぐ事しか出来なかった。歯痒くて、悔しくて、ずっと変わらない彼の優しさが身に染みて「帰りたくない」と口をついて出そうになったのを何とか耐えた。未練がましい女だ。

「じゃ、私はそろそろ」そう言ってテーブルに置いた財布とスマートフォンをデニムのポケットにしまい、玄関に向かった。

 一緒に玄関まで来た真吾が「恵」と声をかけたので、ブーツを履く手を止めて斜め上にある彼の顔を見た。

「お前は昔っから我慢しぃだけど、すぐ顔に出る。俺にはわかる。だから我慢しないで俺を頼ってくれ」

私は目線を逸らしてから一度、大きく頷いた。目線を合わせたら、また涙腺が崩壊しそうだった。 「それと」

 少しハリのある声に驚いて彼を見た。

「手、暖かかった。こんな俺も一応、孤独ってのを感じたりするんだよ。いつもよりよく眠れた。感謝してる」

 今度は「うん」と声に出して頷き、笑顔を見せた。彼も満足げに笑った。

「その顔だ。俺が惚れた下田恵だ」

 少し高い位置から私の頭をスルリと撫でた。旧姓で呼ばれた事が妙にくすぐったい。

「ま、また連絡するから」

 赤面を隠す様に後ろを向き「じゃ、お世話になりました」と言って扉を閉めた。

 夫の事なんて頭になかった。私は真吾に、堺真吾に、本気で惚れ直してしまったらしい。

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