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 翌朝、起きるとダイニングテーブルに、全ての項目が記入され、判が押された離婚届が置いてあった。まだ昭二は眠っている。

 私はそれを丁寧に折りたたんで鞄にしまい、朝食の準備に取り掛かった。

 同じ素材の、少し色の違う紙に記入をした時は、二人一緒に並んで、何やかんやいいながら書いた事を思い出す。

 紙切れ一枚で繋がるんじゃない、心で繋がるんだ、とか昭二が言ったりして。愛していた、確かにあの時私は昭二を愛していた。

 それが今じゃ、紙切れ一枚で千切れる仲になった。結婚とは、こういう物か。


 出勤してすぐに、戸籍課に寄って離婚届を提出した。時間前にも関わらず、同期の女性がそれを受け取ってくれた。

 仕事中にスマートフォンが着信を知らせたので、液晶を見ると、不動産屋からの電話だった。私は「もしもし」と応答し口元を押さえながら非常口から外に出た。

『例の物件なんですが、リフォームが済みましたので、鍵をお渡しする事が出来ますから、ご都合の宜しい時に店にいらしていただけますか?』

「あぁ、分かりました。今日の夕方に伺います」

 今週末にでも引っ越しをしよう。昼休み、引っ越し社の予約を取り、土曜に引っ越す事になった。

 仕事の帰りに不動産屋に寄ると、先日対応してくれた男性がまた席に通してくれた。

 鍵を受け取り、注意事項を何点か聞いている間、辺りを見回した。真吾はいなかった。

 鉢合わせにならないよう、私はさっさと店を出た。

 今週は引っ越しの荷物をまとめる作業をするために、ショッピングセンターには寄らずに真直ぐ家に帰る事にした。

 毎日少しずつ、使わない物から徐々に箱詰めをしていき、普段使わない和室にどんどん段ボールが重なっていった。食器類も、必要最低限は確保した。

 客用布団は土曜の朝、畳んで引っ越し業者に渡そう。


「じゃぁ、お願いします」

 引っ越しのトラックに乗せてくれると言うので、新居まで乗って行く事にした。

 昭二には「また連絡するから」と言って笑顔で手を振った。

 そう遠くない距離の引っ越しで、荷物も少ないため、引っ越し作業はあっという間に終わった。

 一人になった新居で、まだテレビもなく、携帯の音楽プレーヤーで音楽を聴きながら荷解きをした。

 食器を入れる棚もないので、とりあえずキッチンに置き、洋服はハンガーに掛けられるものだけをクローゼットに仕舞い、衣装ケースのまま持ち出した物は、そのままクロゼットの下に仕舞いこんだ。

 そう広くない部屋だけど、一人で暮らすには十分すぎる大きさだ。

 明日、必要なものを買ってこなくては。小さい丸いテーブルを出してきて、冷たいフローリングにお尻を付けて、メモに必要なものを書きだした。大きなものは買えないけれど、電気ストーブ位は買ってこないとな。

 テーブルに置いておいたスマートフォンが光った。真吾からのメールだった。

『引っ越しはいつ?』

 会うのを拒んで、何も伝えていなかった事を思い出す。

『もう引っ越した』

 それ以上の事は送らなかった。



 翌日、ショッピングセンターに買い物に出かけた。電車に乗らずに済むので気楽だった。

 今は便利なサービスがあるもので、買った物をその日のうちに家まで配送してくれるという。

 トイレットペーパーなどのかさばる日用品は、全て配送に任せた。

 家電売り場で、手ごろな大きさのヒーターを見つけた。それは持ち帰る事にした。

 丁度昼ごはんの時間になるところだったので、いつものカフェに寄った。荷物は両手にいっぱいになっていた。

 夕方には配送が来るはずだから、それまでに帰らないと......と段取りを考えながらパンを食べていた。

「恵」

 スマートフォンにメモをしていた手を休め、顔を上げるとそこに立っていたのは真吾だった。

「あぁ、何か久しぶり」

「何か、じゃないよ。全然会ってくれないんだもん。俺このカフェ通るたんびに窓から覗いてて、絶対変質者だと思われてたよ」

 私はクスっと笑った。

 真吾は私の足元にある荷物を見て、「それ全部持って帰るの?」と目を見開いた。

「うん。すぐ必要そうな物だけ買ったつもりなんだけど、他にも配送さんが夕方に来るから、それまでに帰らないとなんだ」

 ホットコーヒーだけを頼んだ真吾は、アツアツのコーヒーに息を吹きかけていた。

「パン、一つ食べる?」

「いや、俺朝ご飯遅かったから、大丈夫」

 私はパンを食べながら「そう」と言って、無言で昼食を進めた。

「俺、今日暇だから、買い物付き合うよ。荷物も多いだろうし」

「え、別にいいよ。一人で何とかするから」

 そう言って紅茶を口に含むと、真吾は膨れっ面をした。

「俺にだって協力させてくれよ。力になりたいんだよ」

 仲間外れにされた子供の様だった。

「じゃぁ、お願いしようかな」

 過度の期待は持たないように、持たせないように、あくまでも私たち二人は、幼馴染である事を忘れないように、と心に刻み込んで。


「とは言え、あとは配達してもらう家具ばっかりだから、これ以上荷物は増えないんだけどね」

 真吾はヒーターを持ってくれた。私は雑貨が入った袋を持ち、小さな食器棚を届けてもらうよう店員さんに頼んだ。明日にはくるそうだ。

「そこまででいいから」

 駅につき、真吾の家と私の家の分岐点に差し掛かったところでそう言い、ヒーターを持とうとすると、彼は手を引いた。

「だから、協力させてくれって言ったでしょうが。家まで持って行くから」

 頑なな態度は崩れない事は良く分かっている。昔からだから。結局そのまま十分歩き、自宅に到着した。

「あのさ、お茶とか出せる感じじゃないし、あがってもらっても」

「おじゃましまーす」

 私が話している最中にはもう、靴を脱ぎ、ヒーターを持ったまま室内へ入って行った。

「ほんっと、何もないね」

 むっとした私に「ごめんごめん」と謝るその顔には笑みが浮かんでいる。

 フローリングから冷気が昇ってくる室内に、とりあえずヒーターを設置し、私は薬缶でお湯を沸かした。ポットは明日、配送されてくる。

「紅茶ぐらいしか出せないけど、いい?」

「あ、お構いなくー」

 ヒーターの前を陣取って手を擦り合わせている。ハエのようだった。

「夕飯は?どうすんの?」

 手を擦り合わせながら真吾が言うので、「うーん」と少し考えた。

「近くにコンビニあるから、とりあえず何か買ってくるかなって感じ」

「じゃぁ、蕎麦にしよう。引っ越し蕎麦。それ食ったら俺、帰るから」

 何で夕飯までここにいる事になってるの......。私は目を覆った。

 私は夕方の配送を待ち、その間に真吾がコンビニまで行って蕎麦を二人前買ってきてくれた。

 寒いのに、冷えた蕎麦を食べてさらに身体が冷え切って行く。

「寒い」

「エアコンつけないの?」

「省エネ」

 そう言って私はクロゼットから厚手のカーディガンを取り出し、羽織った。そのまま席に戻ろうと思ったが、デニムに手のひらを擦り合わせている真吾を見て、もう一枚同じような上着を取り出し、彼の肩から掛けた。

「あ、ありがとう。寒くないのに」

 そう言って上着を持った指先は血の気が引いて真っ白だった。「寒い癖に」

 もう一度薬缶にお湯を沸かし、たっぷりめに紅茶を淹れた。湯気の立つマグカップをテーブルに運ぶと「サンキュー」と言って真吾は両手でカップを持った。

 私がテーブルにつくと、「俺さぁ」と口を開いた。

「告白されたって、言ったでしょ。後輩の女の子に」

 聞きたくないような、聞きたいような、そんな気分で、「はぁ」と微妙な返事をしてしまった。

「断ろうと思ってるんだ」

「え、何で? 奥さんの事も分かってて告白してきてるんだったら、いいんじゃないの?」

 真吾は首を左右に傾げた。

「俺、好きな人いるから」

 一瞬、身体の芯がぐらりと揺らいだが、何とか耐えた。

「何だ、じゃぁそう言って断ればいい」

 ひしゃげた笑顔でそう言うと、真吾は顔を崩さないまま、黙っている。

「何か、変な事言った? 私」

 薄々感づいていた。彼は私に言った。諦められない、と。私も同じことを言った。

「本当は、分かってるんだろ?」

 俯いたままぼそっと、真吾は言った。私は目線を泳がせた。「何が?」

 自分の感情にまっすぐに生きられる人間を私は、羨ましく思う。

「俺は恵の事を諦められない。恵だってそうだって、言ったよな?」

 私はそんな風に生きられない。自分を押し通せない。

「勝手に消えたと思ったら、ふらりと現れて、諦められないだなんて言われたって、困るよ。離婚だってまだ成立してないんだし」

 下を向いていた真吾が顔を上げ、私を見た。

「離婚が成立したら? そしたら俺の方を向いてくれるの? そういう事?」

 少し攻撃的な物言いが癇に障った。

「自分からいなくなっておいて何なの! 私の中ではあの雪の日のまま、二人の時は止まってるの。幼馴染のまま、時が止まってるの」

 今更一緒になんてなれない。なりたいのは山々。だけどなれない。幼馴染は「幼馴染」でしかないんだから。

 真吾は肩にかけていたカーディガンを私の肩に被せた。彼のぬくもりが加わった。

「恵の匂いがした」

 そう言うと自分の黒いダウンジャケットに袖を通し、玄関を出て行った。

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