第五話 罠
「―――何言ってるの? 隕石なんて、落ちてくるわけないじゃないか。南川、電話切るよ? 僕、忙しいから」
『あ、優斗! ちょっ、ちょっ、待っ、』
僕は一方的に南川の電話を切ると、食事を済ませ、風呂に入った。流星群の時間が近づくにつれ、こみ上げる胸の高鳴りを抑えきれない。お湯に顔を半分沈め、気分を落ち着かせる。しし座流星群は33年周期で、地球へ接近して来るのだ。星の観測が大好きな僕がこれを見逃すわけがない。
風呂から上がると、急いでパジャマに着替え部屋に戻る。持て余した時間を、望遠鏡で宇宙ステーションを眺める事にした。
「第一宇宙ステーション見せて」
望遠鏡はジ―――と自動的に動き、座標位置固定ランプが点灯する。点灯を確認し、僕は望遠鏡を覗いた。
……うん、いいね。カッコいい。あの中に沢山の人がいるなんてすごいや。
「つぎ、月面第二基地見せてよ」
しかし、エラーランプが点灯し、アラートが鳴り響く―――
―――……ドン……ドンドン!
……ドンドンドン! ……ドンドンドン!
は……なんだ夢かぁ……。そうだ、昨日ミドリと一緒に寝たんだっけ。ミドリにおはようをしよう。……しかし、なんだ?外から窓を叩く音がするけど。
寝ぼけ眼でカーテンを開けると、
「―――おまえ、なにやってんだ!」
「はよ開けえや! なにしよるんな!」
べったりと窓に張り付いているクロが、バンバンと、腹を空かせたチンパンジーの様に窓ガラスを叩く。
「開けるから……それで、一体なに?」
窓を開け、むっつりと頬を膨らませ不機嫌そうに僕は話す。
「うむ、おまえの事が気になっての。引越して来たけえ」
「……どこに?」
「やはり、近場がええと思ってのう。となりの家じゃ。今日はその挨拶じゃの」
「となりの家だって?……佐竹の家?」
「うむ、佐竹さんには悪いが、引越してもらった。じゃが、優斗には良い話じゃぞ?」
「いいわけないよ!勝手になにやってんだよ!佐竹はどこへ行ったんだ!」
「まあ、そういう事じゃけえ。今日から殺し屋に狙われんよう、しばらく見張ってやるよって」
ニッとクロは笑い、ムササビのように佐竹の家へ飛び移った。
冗談じゃない!なんて事するんだ!こいつら!
優斗は怒りが頂点に達し、大声で叫ぶ。
「こらあ―――! クロ!佐竹の家から出てけ―――!!」
「……そりゃ無理じゃ。観念せえ!」
クロはピシャリと窓を閉め、周囲は静かになった。
一時、呆然としていた僕の視界に、突如―――黄色いマントが!佐竹家の玄関の前で、箒を持って掃除をしている黄色い人物……。
キイじゃないか! ……なんで? やばい! 見られてる!
キツネが獲物を見るような鋭い目つきで、キイが僕を睨んでいる。
……冗談じゃないよ!窓を閉めて逃げないと!
バンっと窓を閉め、カーテンを矢のような速さで閉める。……そっとカーテンの隙間から外を覗くと、キイは何事もなかったように掃除をしていた。
……最悪だ! となりの家に殺し屋が引っ越してきた。いつ殺されてもおかしくないぞ!
ていうか、キイに遭遇してからひどい目にあってばかりだ!
ふと部屋の中を見渡すと、ミドリが部屋の中央にどっしりと座っていた。
「ミドリ、おはよう。学校行こうか」
「………………」
ミドリは頷くと、手をフリフリしており、『おはよう! 早く行こうよ!』という感じで、僕はエアートークを妄想する。ミドリの可愛いさ補正が働き、僕は高揚感を覚える。
学制服に着替え、ミドリと廊下に出ると、
「なに? これ、罠? 見え透いた罠仕掛けちゃって。キイは本当に殺し屋なのかな?」
階段の手前に、白い縄状のロープがピンと張りめぐらせれ、階段の下には動物を捕まえるトラバサミが置かれている。
僕がロープに足を引っかけ、階段を転げ落ち、罠にかかる。まさに原始的な罠だ。こんなダサい罠、小学生でも引っかからないイージートラップだ。
軽くため息をし、結び目を解くため、ロープを触った。すると―――
ブワガンッ! と、タライが頭に落ちてきた。
っ……まずい! 予想外だ……! なんて古典的な……。
僕はバランスを崩し、今まさに階段へ落ちようとする瞬間、モフッ……。
「あ……ミドリ……!」
僕はミドリに抱き寄せられ、階段へ落ちずに済んだ。嬉しさのあまりミドリをギュッと抱きしめる。ミドリが僕を救ってくれた。
「ありがとう。今のは本当に危なかった。ミドリがいなかったら……」
ミドリは『大丈夫だよ? 安心してね?』そんな感じでポムポムと僕の頭をなでる。
―――それにしても……あいつ!
「キイ! いるんだろ! 出てこい!」
僕は声を張り上げて叫ぶ。すると階段の下からひょっこりと佐竹が顔を出した。
「朝からどうしたの? ……ゆうくん……なに? そのぬいぐるみ! すごく可愛い!」
「『由美ちゃん!』危ないよ! そこから動かないで!」
下に罠が仕掛けてあるから―――って……なんで、由美ちゃんがここにいるんだ? 引越したんじゃないの?
しかし、その件はあとだ。ひとまず罠をなんとかしないと!
考えていると、ミドリが僕を押しのけ、絶妙なバランスで階段を下りていく。罠をピョンと飛び越え、ドスンと着地し振り返る。
「……ミドリ?」
ミドリは小さな口で、すぅっと息を吸い込むと、パクン! とトラバサミを一瞬にして食べてしまった。
「あっ!?」
目が赤く点滅し始め、ボムッという音と共に、口とリボンの耳から煙を出している。
どうなって……あ、いや……見なかった事にしようか……。
「わあ~すっごく可愛い……ゆうくん、この子の名前なんて言うの?」
由美ちゃんは、ミドリをギュッと抱きしめる。
「ミドリだよ。そんなことより…由美ちゃん、なんで僕の家にいるの? 引越したんじゃないの?」
由美ちゃんは、不思議そうに頭を傾け、
「引越はしてないよ? え~と、クロさんが言うには、サプライズってことみたい」
……サプライズ? なんだよそれ……。
「わたしの両親が旅行に行ったから、ダークマター軍に家を貸してるの。もちろん、お母さんたちが帰ってきたら家に戻るよ?」
昨日、由美ちゃんはいなかった。引越も嘘だってことなのか……クロのやつ、なにがしたいんだ!
「あ、もうこんな時間、学校行かなきゃ。ミドリちゃん、帰ったら遊んでね? ゆうくん、今日からお世話になります……由美ちゃんって呼んでくれて嬉しかった。行ってくるね」
由美ちゃんは家のドアを開け、行ってしまった……
「いってらっしゃい………ク、ク、クロぉぉおおおおおお!!」
僕は怒りにまかせ階段を上り、バン! と部屋のドアを開け、窓を開け……た。
「きゃぁぁああああああ!」
「わあああああぁあああああ!」
モモっ!? ……なんでえっ!
クロがいるはずの窓にはピンク色の下着姿のモモが……!
僕はカーテンの陰にサッと隠れる。怒りは宇宙の彼方に吹っ飛び、ピンク色に脳が染まっていく。かあぁ~っと顔が熱を帯びていく。
……なんだ……どうしてっ!?
少しして隣の家から、モモとクロの会話が小さく聞こえる。
「クロ指令!どういうことですカ~!優斗クンに見られちゃったじゃないですカ~」
「ええからはよ、着替えい!減るもんじゃあるまいし!」
「それは……減りませんけド。ビックリしましたヨ!」
遠ざかる声を聞きながら、僕は呆然と部屋を出た……。
階段を下りると、母さんの楽しそうな笑い声が聞こえる。
「本当にミドリはいい子ねえ。さ、どんどん食べて?食器ごと食べるなんて器用よね~。しかも、食器がこんなに綺麗になって出てくるなんて、母さん助かるわぁ~」
「母さん、おはよ……」
「ゆう君おはよう。顔が赤いけど大丈夫? 熱でもあるのかしら?」
「べ、べつに、なんでもないから!」
……モモの下着姿が頭から離れない。ご飯を少し食べたところで箸を置いた。
「母さん、もう学校に行くね。ミドリ、行こう」
「ゆう君!ご飯残ってるじゃないの!」
僕はミドリと手をつないで、慌てて家を飛び出した。
……モモになんて言おう……会わす顔がないよ……。
考え込んでいるとガキン、ガキン、ガシャンと、大きな音がした。
「あれ?……ミドリ、なにかあった?」
ミドリは『なにもないよ?』というジェスチャーをする。
「……そう」
僕はミドリの手をそっと握り、とぼとぼと通学路を歩き出す。
途中、ミドリが時折慰めるように、僕の頭を撫でてくれた。
―――屋根の上。キイは苦虫を噛んだ表情で、その様子を眺めていた。
「ちぃっ、だめか!」
ミドリめ……厄介なやつだ。片山優斗、暗殺を阻止するとは。先にミドリを……いや、だめだな。ミドリと戦う事はいくらワタシでも、リスクが大きすぎる。
次は必ず殺してやる……。キイは学校方面へと飛び立った。




