学者、あるいは法螺吹き
僕は、それに目を向けかけ、視線を戻した。
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「その……レイス先生は、ちょっと法螺吹きだけれど、悪い先生じゃないから」
「先生のお話面白いよ~」
その先生とやらへの説明がお気に召さなかったのか、ローリエちゃんがぷっと頬を膨らます。
おかげでどんな法螺を吹くのか聞く前に扉が開かれてしまった。
私たちが戻ったとき、トリス夫妻は、談笑している真っ最中だった。
もう、服装の仕立てからして、マルスたちとは違う。着古した薄い茶色の服ではなく、漆黒の真新しい上着にしみ一つないブラウスである。中世ヨーロッパの貴族って感じだ。
「マルス、ローリエちゃん、元気にしていたか? そちらのお嬢さんもはじめまして」
「はじめまして。 あの死霊王子の伝説に詳しいって聞いたんですが……」
会話をぶった切って質問したせいで、さすがのトリスさんも眉を顰めてしまった。
マルスの話では、今日中にこの偉い学者様は王都に帰ってしまうそうだ。
「あ~、それは」
彼はあさっての方向に視線をさ迷わせたが、すぐにこちらに向き直った。
「なにが知りたいんだい」
「死霊王子がどこにいるかとか……何でもいいんです。」
「死霊王子が、どこにいるか、か。死霊王子の話は作り話だが、元になった人物がいる」
ほんと? とりあえず、手がかりになりそうなものなら何でもいい。
ゲームの中が嫌だとか、認められないとかそんなことよりも、手がかりを見つけ出して、早く帰りたい。
「どこに行けば会えるんですか?」
元になった人物を見つけ出して、元に戻れるかわからない。
言葉は同じでも、髪の色、服装、文化……どれも、私は独りなのだと教えてくれる。
ティーカップが皿に触れる小さな音が鳴った。
「すまない。午後の授業の準備があるから失礼するよ。ロザリー」
「ええ。二人ともゆっくりお話してて。マルス、ちゃんとおもてなしするのよ」
そう言い置いて、トリス夫妻は、部屋を立ち去っていった。
「伝説では、今もあの森をさ迷っているとされているが……」
「それ、今も生きてるんですか?」
これがファンタジー世界だと仮定したら、200年くらい生きているのかも知れない。
が、私のささやかな希望を打ち砕くようにレイス先生は、ぎゅっと眉根を寄せる。
「だから、何度も作り話だって言っているだろう」
マルスがそう言って、鼻で笑う。
一番伝説に詳しそうな人に会ったのに、死霊王子の手がかりは途絶えてしまうのか。
これで、明後日、王都に行って、大使館がなかったら、私は永遠に帰れないのではないか。
また、涙が。
レイス先生とマルスが心配そうにこちらを見つめる。
レイス先生がいたわるような声で話しかけてくれる。
「何か事情があるようだね。人様の家でゾンビがどうのとか、話すのもなんだし、外に行くか。僕も今日中に王都に帰らないといけないし、当事者の一人なら、会わせられる。ちょうど、彼女に会いに行くところだし……」
彼女?
「また、はじまったよ」
「私も行く!」
ため息をつくマルスの膝の上で、ローリエちゃんが元気よく手を上げる。
「おまえは、父さんのところだ。書き取りの勉強が残っているだろう」
「え~」
マルスはごねる妹を親猫が子猫を持ち上げるみたいに首根っこを引っつかんで、別の部屋に連れて行った。
◆
首には日本のお守りみたいな小さな袋を提げさせられた。
マルスが持っているバスケットには、色とりどりのバラの花束と、ティーポット、焼き菓子などが、入っている。お守り袋のほうは、袋自体に獣--特に狼が嫌う匂いを染み込ませているそうだ。マルスが連れて来た犬もあまり近寄りたがらないようだが。
レイス先生から紙切れが渡される。
「これは?」
「シャムロック・ラハード。200年前に実在した人物だ。もちろんそれは後世に書かれたものだが」
紙に書かれた風刺画っぽい絵は酷いものだった。
白黒で髪や目の色はわからないが、その絵だけでも、彼がとても整った顔立ちであることが伝わる。
……左半分は。
右半分は肉がずずむけ、腐り落ち、頭蓋骨があらわになっている。
左半分が綺麗なだけにその落差がひどい。
絵師の余計な力作っぷりが発揮されて、ちょっと吐きそう。
「今から、これ見に行くの?」
「まさか。王子もレディにそんな姿は見せたくないだろうさ。
シャムロックは今のウエストレペンス地方にあった国の王子だった。今では朽ち果てているが、彼の住んでいた城も、現存している」
これが本当にゲームの中なら、城に行けば何か手がかりがあるかもしれないけれど、そういうダンジョンってモンスターがわんさかいそう。まあ、ここに来てから、モンスターらしきものは見かけたことないけれど。
「死霊王子の伝説にはいくつかのバージョンがあってね」
レイス先生は一度そこで息を継ぐと、死霊王子の伝説について語ってくれた。
「まずは、悪い魔女に呪いをかけられた王子が、世にも恐ろしいゾンビになり、婚約者の姫を食べて森に逃げてしまう話。 王子はこの森の奥の奥で何百年もお姫様を探し回っていて、森に入った悪い子は、ゾンビ王子に森の奥に引きずり込まれ、花嫁にされた挙句、最期は王子に食べられてしまう」
うん。それはマルスから聞いた。
「次に、姫との結婚を父王に反対されていた王子が王の殺害を魔女に依頼するパターン。
魔女は王を殺すのと引き換えに自分と結婚することを迫る。 王子は反故にするつもりで了承し、父王は魔女の呪いで亡くなる。
王子は姫と結婚し、契約を破棄された魔女は、怒り狂い、姫を王子様の前で大鍋に煮てしまう。王子も煮られている姫の目の前で、恐ろしい化け物に変えられる。
それ以来、魔女は悪い子供を森に引きずり込んでは大鍋で煮るという」
これが、さっきマルスが言っていた魔女のバージョンか。
「で、最後に王都付近で伝わっている噂は、この国が王子を謀殺したと言うものだ。
伝説のゾンビが王家を呪っているせいで、この王家は男子が育ちにくいらしい。 お姫様ばかりが無事に育つのは、ゾンビが伝説のお姫様を探していて、王家にそっくりの姫を産ませようとしているからだとか」
「数十年前には……本当に出たらしいぞ。王城に」
マルスがそう言って、手を胸の前に上げて手首だけ下にたらす幽霊の物まねをする。
あんたさっき死霊王子の存在全否定してたじゃない。
「さまざまな伝説があるが、本当にわかっているのは、隣国--今のこのレペンス王国から、姫君を迎えた直後、姫君ともども行方不明になり、国王も後を追うように亡くなり、跡取りを失った国は位置的にも血筋的にも近いイーストレペンスと統合された、と言うことだけだ」
「そんなに簡単に国がくっつくの?」
「もともと一つの国だったから、統合しやすかったと思うよ。後はそれなりの裏取引をしたんじゃないかな。で、今から会いに行くのは魔女のほう」
「煮られない?」
「煮られないよ。
王子が実在するのと一緒で、魔女の原型になった人物もちゃんと存在する。ここが、エリエールの墓だ」