国王と死霊王子
その人物は白髪が目立ち、口元や目じりに小さな皺ができているが、それさえ除けば澄んだ水色の瞳やら、柔らかな口元、穏やかな表情が絵の人物に酷似していた。
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「お、お前がシャムロック・ラハードか」
血走った目の老人がぶるぶる震えながら問う。手には先ほどトリスさんが渡したと思しき、手紙が握られていた。
『は?』
私とマルスがあたりを見回す。広間は数人の兵士が囲んでいるのみで……
「久しいな。イーストレペンスの国王」
トリスさんの顔から表情が抜ける。
「証拠になるかどうかは知らないが、先ほどそこの少年が兵士に渡した指輪に我が王家の紋章が彫られている。こうして、死霊王子が出向いたのだ。今すぐ、シリウス・レイスを解放しろ」
王様は唇を薄く開けたまま言葉を発せず、一歩も動かない。
「何の冗談だよ」
マルスがトリスさんの服の袖を引っ張る。
「あの姿に戻ればわかりやすいが、子供たちの前だ。この姿で勘弁してくれ」
トリスさんのところだけ、一瞬ピントが合わなくなり、一つの像が仮面のように重なる。
-王子もレディにそんな姿は見せたくないだろうさ-
「エリエール……さん?」
「なんで……」
トリスさんの顔に重なった仮面はエリエールさんの顔だった。
「これは私に仕えてくれた侍女の姿だ。三十年程前、王城に潜入するためにこの姿を借りた」
-あ、文字が彫ってある。んーっと-
「S・R。シャムロック・ラハード」
-俺がガキの頃に村の前でばったり-
シャムローさんの言葉を思い出す。
-あ~、それは-
あの時、レイス先生が視線を向けようとしていた先は。
「私がトリスさんの家で、レイス先生に死霊王子のことを聞いた時、レイス先生はうっかりトリスさんを見ようとした」
耳の奥で、カシャンと陶器が触れ合う音が聞こえる。
-すまない。午後の授業の準備があるから失礼するよ-
その直後、トリスさんは逃げるように席を立った。
そう考えると、変なところが山ほどあった。
-ピジョンブラッドって言うんだよ-
息子は宝石を石ころ扱いしているのに、宝石に触る機会がめったにないはずのトリスさんは宝石の種類どころか『ピジョンブラッド』まで、詳しく知っていた。
-あそこは王家に仕えていた庭師の家系が大事に花を守ってくれているからね-
大事な観光資源の城が改修工事の判断に迫られていることは、地元民の大きな関心事項だから、知っている人は多いかもしれない。でも、旧王家に仕えていた庭師の家系が管理を続けていることまで詳しく知っている人はどれくらいいるだろう。
あの森で私もマルスも死霊王子を『悪役』扱いしていたのに、怪我を負ったのはマルスだけだった。
-エリエール嬢は、『カッとなって申し訳ございません。マルス様』と頭を下げている-
『マルス様』。皆を様付けで呼んでいるのではなく、自分が仕えた王子の息子への特別な呼び方であったら。
エリエールは死霊王子の息子が父を『悪役』扱いしたのが、どうにも我慢できなかったのでは?
「マルス。お父さんかお母さんから『死霊王子』の話を聞いたことがある?」
-俺だって、姉さんに聞いただけだからな-
力なく頭をふるマルス。
お姉さんも、トリスさんやロザリーさんからではなく、友人から聞いたのだろう。
あの本棚の本を読んだ時の違和感。
「授業で、おとぎ話の読み聞かせしているなら、何でこの国に伝播しているはずの話があの教本には一行も載っていないの?」
この国の子供にとっては一番親しみやすく、覚えやすい話のはずなのに。
「さすがに、自分の失恋話を話すのは嫌だし、ロザリーもそこらへんは気を使ってくれているからな」
-もしもの時はお父さんを守るのよ-
やっぱりロザリーさんも知っていたんだ。
-『御伽双帋輯』って、ナニコレ?-
あれは文字化けじゃなくて……
「じゃあ、あの難しい漢字が使われている本は、大昔の文字?」
「あれも、見られていたのか」
トリスさんが死霊王子としてではなく、一国の王子として生きていた時代の文字。
「じゃあ、姫を……人間を食べたってのは?」
それまで、ほとんど言葉を発せず私とトリスさんの問答を聞いていたマルスがやっと質問する。
「言いたくない」
トリスさんは否定はしなかった。
心臓を鷲づかみされるような息苦しさの中で、問いかけた方のマルスは真っ青な顔のまま動けないでいる。
「イースト・レペンスの王よ。もう一度言う。シリウス・レイスを解放しろ」
いくつもの黒い炎がトリスさんの四方に現れる。兵士はそれにざわめく。
-死霊王子の中には恐ろしい魔術を使う奴がいるから注意な-
「父さん……父さんはどうなるんだ?」
「いつまでも逃げているわけにはいかない。罪は償わなければならない」
「大昔に本当に人を殺したとしても、何百年も前の話なんでしょ?」
この世界に時効があるのかどうか知らないが、ちゃんと裁判もせずにギロチンにかけるなんて……。
トリスさんは「あそこに穴を開けるから、上手に逃げるんだ」とエリエールさんの顔で言い、壁の一方を指し示す。
人差し指を向けた方にいた兵士が十分に警戒したのを見計らって、息子に「走れ」と命じ、炎の玉を壁に向けて飛ばす。
「石神に希う。石の回廊を」
炎の玉を避けようと兵士が散り、マルスがその隙間を縫って私の腕を強引に引っ張り駆け出す。
炎は壁を傷つけることなく消え去り、ほんの数瞬遅れて、ぼこりと変な音を立てて壁に穴が開く。
壁にたどり着く直前にトリスさんは兵士に取り囲まれ捕まる。
振り返ったマルスと私はたくさんの手に捕らえられる。
トリスさんが引き倒される様がコマ送りのようにゆっくり目に焼きつく。
ここで、トリスさんが殺されれば、物語は終わって、私は帰れるの?
こんな終わり方で、帰っていいの?
国王が剣を振り下ろす。
引き倒されたトリスさんの背中に剣が--
「いっいやあぁああああー!」
それを待っていたかのように、「拘束」と誰かの指示が飛び、兵士の半数以上が国王に殺到した。
『御伽双帋輯』は、国語の資料集とネットで調べた南総里見八犬伝と花月草子の表紙を参考にしました。PCでは正しく表示されていることを確認しましたが、携帯では文字化けしているかも知れません。