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クコリの夜  作者:
3/21

2.

「いい夜だねぇ」


 テントにもぐりこもうとしたところで後ろから声をかけられて、悲鳴も出なかった。


「月がきれいで。こんな夜には酒がよく合うねぇ、そう思わないか?」


 女の声だった。それでいて甲高いというわけではなく、奇妙に夜に溶ける声だった。緊迫感のない。


 逃げればよかった。逃げてもよかった。いつものように全速力で。それなのに、クコリは振り返っていた。


「‥‥女?」


 そんなことは分かっていたはずだった。声を聞いたときに分かっていたのだ。それでも思わず声が出たのは、その女が武装していたからで、しかもそれに違和感が欠片もなかったからだった。そして密かに戦慄した。この女は、武装したままで、仕事中の自分の背後に音も気配もなく立った。


「見て分かるでしょう?私が噂の女隊長です。ねぇ、盗賊さん?」


 クコリは周りを見回した。誰もいない。自分と、この奇妙な女以外には。確かにいい夜だった。場違いなほどに。


「‥‥盗賊なんてもんじゃないよ。ただの食いもん泥棒だ」


 なんで会話なんてしたんだろう。仕事中に声を出すのなんて、初めてだった。


 そして気付いた。自分はもう、ここで仕事をする気をなくしている。


「そう?

 ‥‥そうですねぇ、よかったら付き合ってくれませんか?1人で酒を飲むというのも、大好きだけれど、たまには、ね」


 曖昧なことを言って、その女はいきなり踵を返した。クコリは呆気にとられた。その所作が余りにも気負いなくて。ついて行くのが当たり前のように思えて。その背中に切りかかろうとも、その背中に背を向けようとも、思わなかった。従順について行ってしまう自分がおかしかった。


「‥‥どこへ?」


「隊長様のテントにご案内ー。あぁ、心配しなくてもつまみは確保済みなのです」


「‥‥なんで?」


 至極当然の疑問のはずだった。けれど女が肩越しにちょっと笑うので、なにかおかしなことを言ったのかと思ってしまった。


「酒にはつまみが必須でしょう。溺れるのは酒に失礼。

 君を誘ったのは、なんでだろうねぇ、たまにはいいかな、と。そろそろいいかな、と」


「‥‥おれ、盗みに入ったんだけど?」


「言わずもがな、ですねぇ。知ってますよ?でも処罰するのって趣味じゃないんですよね。幸い、私しか気付かなかったのだし、いいんじゃないですかね。酒に付き合ってくれたらチャラにしますよ?」


「‥‥それって逃げたら処罰するってこと?」


 皮肉を言ったつもりはなかったが、女はちょっと困ったように首をかしげた。それがどこか、可愛らしくて、クコリは小さく笑って口元の布をとった。


「いや、まぁ、いいや。ついて行くよ。あんた変な人だな」


「ほめ言葉ですね?」


 言って、女はひとつのテントの前で腰をかがめた。


 入り口の布を払って、

「隊長様のテントですよ?」

笑った。それはごく普通の代物で、隊長なんて偉そうな人間が寝泊りするには不相応だと思った。けれど、この女には相応しいかもしれない、と思った。

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