2.
「いい夜だねぇ」
テントにもぐりこもうとしたところで後ろから声をかけられて、悲鳴も出なかった。
「月がきれいで。こんな夜には酒がよく合うねぇ、そう思わないか?」
女の声だった。それでいて甲高いというわけではなく、奇妙に夜に溶ける声だった。緊迫感のない。
逃げればよかった。逃げてもよかった。いつものように全速力で。それなのに、クコリは振り返っていた。
「‥‥女?」
そんなことは分かっていたはずだった。声を聞いたときに分かっていたのだ。それでも思わず声が出たのは、その女が武装していたからで、しかもそれに違和感が欠片もなかったからだった。そして密かに戦慄した。この女は、武装したままで、仕事中の自分の背後に音も気配もなく立った。
「見て分かるでしょう?私が噂の女隊長です。ねぇ、盗賊さん?」
クコリは周りを見回した。誰もいない。自分と、この奇妙な女以外には。確かにいい夜だった。場違いなほどに。
「‥‥盗賊なんてもんじゃないよ。ただの食いもん泥棒だ」
なんで会話なんてしたんだろう。仕事中に声を出すのなんて、初めてだった。
そして気付いた。自分はもう、ここで仕事をする気をなくしている。
「そう?
‥‥そうですねぇ、よかったら付き合ってくれませんか?1人で酒を飲むというのも、大好きだけれど、たまには、ね」
曖昧なことを言って、その女はいきなり踵を返した。クコリは呆気にとられた。その所作が余りにも気負いなくて。ついて行くのが当たり前のように思えて。その背中に切りかかろうとも、その背中に背を向けようとも、思わなかった。従順について行ってしまう自分がおかしかった。
「‥‥どこへ?」
「隊長様のテントにご案内ー。あぁ、心配しなくてもつまみは確保済みなのです」
「‥‥なんで?」
至極当然の疑問のはずだった。けれど女が肩越しにちょっと笑うので、なにかおかしなことを言ったのかと思ってしまった。
「酒にはつまみが必須でしょう。溺れるのは酒に失礼。
君を誘ったのは、なんでだろうねぇ、たまにはいいかな、と。そろそろいいかな、と」
「‥‥おれ、盗みに入ったんだけど?」
「言わずもがな、ですねぇ。知ってますよ?でも処罰するのって趣味じゃないんですよね。幸い、私しか気付かなかったのだし、いいんじゃないですかね。酒に付き合ってくれたらチャラにしますよ?」
「‥‥それって逃げたら処罰するってこと?」
皮肉を言ったつもりはなかったが、女はちょっと困ったように首をかしげた。それがどこか、可愛らしくて、クコリは小さく笑って口元の布をとった。
「いや、まぁ、いいや。ついて行くよ。あんた変な人だな」
「ほめ言葉ですね?」
言って、女はひとつのテントの前で腰をかがめた。
入り口の布を払って、
「隊長様のテントですよ?」
笑った。それはごく普通の代物で、隊長なんて偉そうな人間が寝泊りするには不相応だと思った。けれど、この女には相応しいかもしれない、と思った。




