1.
あの人に出会ったのも、今夜のような月の夜だった。
身軽さだけなら誰にも負けない自信があった。小さな自分の体は気配を消しやすいのだとも思っていた。小さな体の自分が生きていくだけの食料を得られればいいのだから、見つかることもないと思っていた。そしてそれらは正しかった。あの人に出会うまでは。
クコリが住むのは王都の外れ、スラムのようになっている一画だった。まともな人間は探すだけ無駄なそんな場所に、物心ついたときからクコリはいた。親が誰かなんて知らない。当たり前のように、クコリは物とは奪うものだと思うようになった。それを実行することにためらうことはなかったし、失敗することもそうはなかった。失敗したところで高が知れている。どうせ貴族連中は捨てるほどの食料を溜め込んでるのだから。見つかったところで身軽さを生かしてひたすら逃げ続ければいい、クコリの足に追いつける人間などいないし、クコリは王都中の路地裏を熟知している。捕まる訳がなかった。
クコリには欲はなかった。
ただ生きていたいだけだった。きれいな服も、大きな宝石も、あふれるほどの金貨も、目にしたことはあるし手で触れたことさえあるが、欲しいとは思わなかった。クコリがそう言うと周りの連中は信じられないもののようにクコリを見る。どうして盗ってこなかったのだと、理不尽に殴られそうになったこともあった。そんな拳は避けたけれど。才能があるのだから盗賊にでもなればいいと言われたこともあったけれど、クコリにその気はなかった。ただ生きていられればよかったから、宝の持ち腐れだと言われながら自分1人分の食料だけを盗って生きていた。
けれど、そんな生活は、終わっていった。
別にクコリの心が変わったわけではない。民衆に無関心だった王城の連中が、急に治安維持に熱心になったわけでもない。連中は相も変わらず自分の懐を暖めるのに熱心だった。熱心すぎて他人の懐を狙うほどに。
国王が隣国への侵略を決めたのだと聞いた。
それを聞いたのはスラムでだったか、盗みに入ったどこかの屋敷で小耳に挟んだのだったか、それは忘れたけれど、どうやら本当らしいと知ってクコリは、王都を出ることにした。不安はなかった。愛着もなかった。ただそこにいたからそこで生活していたというだけで、クコリにとってはどうでもよかったのだ、生きる場所なんて。
10歳を、少し過ぎたくらいの頃だったように思う。
クコリは王都を出て、それからは街道を自分の仕事場に決めた。
王都に物資を運び込む商人の馬車やら、時には戦争に向かう軍隊の食料をかっぱらったこともあった。クコリ1人分なんて微々たる物だから、被害者達が気付いていたかも分からない。それほど完璧に、クコリは盗みを続けた。欲のないクコリだからできたことだと言えた。クコリには何の関心もなかった。戦争で死ぬ人がいるということなどどうでもよかった。戦場は自分には遠い。この国が侵略者だということもどうでもよかった。だからその頃、戦況がどうなっていたのかも、クコリは知らなかった。
その日も、宵闇にまぎれて、クコリはある軍隊のキャンプに近づいた。
それは隣国へと向かう街道から少し外れた平原に張られたキャンプだった。
一見して、正規の軍隊ではないように見えた。林立するテントは種類もばらばらで、統一感なんてなかった。昼間のうちに遠目で見た、軍隊を構成する人間達も、鎧や武器はばらばらで。それでいて、部隊としてのまとまりはいいようだった。そんなことに興味などなかったけれど。クコリは遠目で、少しずつ人間があるテントに消えては手に何かを持って出てくるのを見て、あぁあれが食料のテントなのかと目星を付けていただけだった。その動きが統制が取れていて、抜け駆けする人間の1人もいないことだってどうでもよかった。今夜あそこに忍び込もう、と、それを決めた。
そして、夜。いつものように、真夜中を過ぎた頃。新月でなければ月は明るく、テントの影から影へクコリは走った。足音はなかったはずだ。
いつもの通り。いつもと何も変わることのない。明日の朝には美味くもない兵站を、いくつかある隠れ家のひとつで口にしているはずだった。
「いい夜だねぇ」
テントにもぐりこもうとしたところで後ろから声をかけられて、悲鳴も出なかった。




