↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/27

第六話 火山の目覚めと人柱の伝承

完結保障、全68話。

毎日投稿予定。

 火山が揺れた。

 足の裏に伝わる振動。地面の底から低く唸るような音が伝わり、長く揺れが続いた。石畳の路地に立っていたリサはその揺れが止まった後もしばらく動かなかった。

 空を見上げた。北の方角、山の稜線の向こうに細く白い煙が立ち上っている。昨日まではなかった煙だった。

 クルが隣に来て北を向いた。寂しそうな声で小さく「ワオーン」と鳴いた。

 夕方になると村に噂が広がっていた。

 「三十年前もこうだった」「あの時は井戸が先に涸れた。それから、人柱を立てた」「今夜は子供を外に出すな」。市場では売り物を早めに片づける者がいた。


 工房に着くとドロスはいつものように作業台に向かっていた。アレックも見習工として工房に通うようになっていた。奥では見習工が二人、膠を煮ている。アレックが遅れて入ってきて、リサの横に立った。


 「帝国の大軍が北の山沿いに動いているらしい。今まで見たことない規模だと。行商人が言ってた。兵だけじゃなくて、大きな材木や石材を積んだ牛車が何十台も連なってたって。道も直してるらしい。石を敷いて、まっすぐに」


 ドロスの手が一瞬だけ止まった。

 材木。石材。兵だけではない。何かを建てるか、大きな掘削作業でもしているか。帝国の大規模な動きが始まったのと火山が揺れ始めたのはほぼ同じ時期だった。関係があるのか、偶然なのか、まだ分からない。

 (このまま黙っていていいんだろうか)

 この繋がりに気づいているのは、今この工房にいる自分たちだけだ。「守り手」と呼ばれるようになった今、黙っているのは何か違う気がした。


 「話し合いはどこでやってるの?」

 「広場の集会所だと思う。でも関係ない人は締め出されてる」


 ドロスが低い声で言った。


 「無駄足になるかもしれんが」


 リサは弓を持って工房を出た。クルとアレックがついてきた。

 集会所の扉は閉まっていたが、リサが「帝国の動きについて知っていることがあります」と告げると、しばらくして中へ通された。

 油皿の灯りの下、中央の低い台を囲んで村長と長老が六人。長老の中に一人、腰の曲がった老婆がいた。目は白く濁り、光すら映していないようだった。目の見えない人だ、とリサは思った。


 「山の神の怒りに間違いない」


 長老の一人がそう言っているところだった。村長が片手を上げて話を止め、リサに水を向ける。


 「帝国の動きと火山は別の話だと思います。火山が動く時、地の下で何かが起きています。帝国が来たから揺れるものではない。ただ、動きが始まった時期は重なっています。行商人の話では、兵だけでなく大量の材木や石材を積んだ牛車が連なっていたとのことでした」

 「それが火山と何の関係がある」

 「分かりません。でも偶然とも断言できません」


 村長が腕を組み、それから老婆の方を見た。


 「婆さま。言うつもりなら、今言え」


 老婆が口を開いた。声は細かったが部屋にはっきり届いた。


 「三十年前と同じだ。あの時は一人が火口に立った。人柱だ。それで山が静まった。今度の揺れは、あの時よりも長く続いている。井戸の涸れ方も早い。もしこれが伝承の類なら、悠長にはしていられない」


 その時、老婆の白く濁った目がリサの方をまっすぐに向いた。見えないはずの目だった。それなのに、リサではなく、リサの奥にいるもう一人の誰かを見透かしているような、そんな向き方だった。

 会議は結論が出ないまま終わった。様子を見る、揺れが続くようならまた集まる。斥候を出す。セリアの大議長が数日のうちに村へ入るという話も出た。人柱の伝承については誰も直接触れなかった。ただ、老婆の言葉が皆の耳に残っていた。


 外に出ると夜になっていた。北の方角にかすかに赤い光が滲んでいる。


 「……溶岩か」


 アレックが呟いた。誰も答えなかった。


---


 その夜、ナイアが早く帰ってきた。夕食の席で、ナイアが不意に聞いた。


 「人柱の話、出た?」

 「出た。古い伝承だって言ってた」

 「そう」


 ナイアは箸を持ったまま、少しの間、何も言わなかった。目が一瞬、どこか遠くを見た。リサには見覚えのある表情だった。

 深夜、リサは眠れなかった。火山が揺れている。帝国の大軍が北に動いている。人柱の伝承が会議の場で口に出た。その三つが頭の中でぐるぐると回った。

 (何かを運んでいる。北の山の中で何かを作っている)

 それが何なのかまだ分からなかったが、確かに引っかかっていた。

 クルが音もなく起き上がり、窓の方を見た。低く、一度だけ「クーン」と鼻を鳴らした。


---


 火山の岩盤に、刳り抜かれたような空洞があった。

 壁は黒く焦げ、床のひびの隙間からかすかに赤い光が滲んでいる。硫黄の匂いが充満していた。

 ひびの奥で、何かが低く唸っていた。音とも呼べない、地の底そのものが震えるような響きだった。

 遥か北の地中深く、まだ土に埋もれたまま目覚めきっていない古の兵器が、低い波を発し始めていた。波は岩を伝い、マグマを揺らし、地脈をつたって遠くこの火山にまで届いていた。

 意志も、言葉もない。ただ滲み出す波が、静かに広がり続けていた。


---


 ナイアの名前が呼ばれた瞬間、足が動いていた。

 翌日、広場に人が集まった。村長の召集だった。揺れはまだ続いていた。昨夜も二度、地面が動いた。井戸の水位が下がったとアレックが朝に言っていた。

 広場の中央に見慣れない人間がいた。白金の薄くなった髪、深緑の目、白い長衣に金の帯。革鎧の兵士が十人ほど周りを固めている。セリアの大議長、マルキオンだった。

 村長が、揺れが続いていること、井戸の水位が下がり農地への影響が拡大していることを話し、それから老婆の方を向いた。老婆が広場の中央まで歩み出る。


 「井戸が涸れかけている。三十年前と同じだ。山が怒った。伝承は生きている。人柱を立てる。一人、火口に立つのだ。それがこの村の古い約束だ」


 広場が静まり返った。すぐにあちこちから声が上がる。子供を差し出すのかという声、噴火の方が怖いという声、伝承だから仕方ないという声。誰の声もまとまらない。それでも、老婆の側に立つ者の方が多いのが、この広場ではっきりと見えた。


 「選ばれる条件がある。若く、清廉で、生まれながら魔法を持たない者。それが伝承の定めだ」


 リサの胸の中で何かが動いた。

 (私じゃだめだ。私の魔法は生まれつきじゃない。後から消えただけだ)

 代われない。条件が当てはまる者は、この村に一人しかいない。

 老婆の見えないはずの視線が、ゆっくりと動いてナイアの上で止まった。あの時リサに向けたのと同じ向き方だった。ナイアという少女そのものではなく、その内側にひっそりと潜む何かを、見えない目でなぞっているようだった。


 「ナイア。条件に合うのは、今はあの子だけだ」


 リサの足はすでに動いていた。人の間をかき分ける。ナイアは動かない。呼ばれた方向を向いたままじっと立っていた。


 「待ってください!」


 村人が振り返った。マルキオンも視線を向けた。


 「火山の揺れは地の下の熱と圧力によるものです。命を捧げても山は静まりません」

 「昨日も同じことを言ったな。お前の話は推測だ。伝承は何百年もこの村を守ってきた」

 「命と引き換えにして守ってきた平和が本当に人柱の効果だったのか、確かめる方法はありません!」

 「そうだ。確かめる方法はない。だから伝承に従う。確かめられないからこそ守り続ける」


 論理ではない。それが信仰だった。リサは一生懸命言葉を探すが見つからない。

 マルキオンが初めて口を開いた。


 「弓師よ。お前の言う通り根拠はない。しかし村の掟はセリア国の法の及ばないところにある。儂にはペルネア村の伝承を覆す権限がない。これはペルネアが決めることだ」


 静かな声だった。大議長の目が何か言いたそうにリサを見ていた。

 その時、アレックが前に出た。


 「おかしい! ナイアはまだ14だ。子供を火口に落とすって言ってるんだろ? そんなことが許されるのか」

 「伝承の定めだ。お前には関係ない」

 「関係ある! この村で生まれて、この村で育った。ナイアと一緒に生きてきたんだ。それのどこが関係ないんだ?」


 兵士の一人が前に出て、アレックの胸元を掴んで投げ飛ばした。倒れたアレックを、もう一人の兵士が踏みつけようとする。

 気づいた時にはリサは走り出していた。アレックに覆いかぶさるようにして、踏み下ろされる足の下に体を入れる。兵士の足が背にぶつかり、息が詰まった。それでも動かなかった。

 もう一度上がった足は、下りてこなかった。マルキオンが片手を上げていた。声はない。それだけで兵士の動きが止まる。

 別の兵士がリサの肩を掴んで払いのけたが、すぐに起き上がってまた二人の前に立ちはだかった。


 「どけ!」

 「どきません!」


 その時、ナイアの声が響いた。


 「やめて!」


 ナイアが人の輪をかき分けて前に出ていた。


 「お姉ちゃん、もういい。私が行く」

 「ナイア……」

 「ここで揉めたら、もっと悪くなる」


 ナイアの声は静かだったが、揺るがなかった。それから軽く微笑んだ。泣いていない。怯えていない。いつものナイアの笑い方ではない、もっと深いところから来るような笑い方だった。


 「お姉ちゃん、大丈夫だよ」


 そう言うと、自分から兵士の方へ歩き出す。

 リサは動けなかった。喉の奥から何かがせり上がってくる。


 「待って。待ってよ! こんなの、おかしい。ナイアが何をしたっていうの? 何百年前の言い伝えのために、なんでナイアが選ばれなきゃいけないの。誰か止めてよ……お願い。お願いだから!」


 ナイアに向かって手を伸ばした。指先が届く前に、兵士の腕がリサの体を横から抱え込んだ。もがいても、大人の力には敵わない。アレックも別の兵士に押さえ込まれ、クルは槍の穂先を鼻先に突きつけられて動きを止められた。

 ナイアは振り返らなかった。まっすぐ前を向いて、兵士たちに連れられていく。広場の端の石造りの倉へ。扉が閉まる音が広場に響き渡った。

 リサはその場に膝をついた。声も出なかった。


 「気持ちは分かった。しかし今は引け」


 マルキオンが静かに言った。


 「今夜、神官が来る。儀式が整えば、夜が明ける前に山へ向かう。それまでにどうするか考えろ。お前は賢い。……儂にできることはなにもない」


---


 夕方まで手が打てなかった。倉の前には兵士が二人立ち続けていた。

 ドロスが工房の前で待っていた。


 「お前には関係ないとは言わん。今夜どうするかはお前が決めることだ」


 それだけ言って工房に戻った。アレックがリサの横に来た。


 「追いかけるんだろ?」

 「うん」

 「じゃあ一緒に行く」

 「止めない」

 「最初から止めさせる気なかっただろ」


 「怪我、大丈夫?」

 「これくらい平気だ」


 嘘だった。口の端が切れていた。でもアレックはそれ以上触れなかった。リサも同じだった。

 日が暮れる前、リサは工房に戻り、震える手で矢筒に矢を入れた。


 真夜中を過ぎた頃、倉の扉が開いた。ナイアが出てきた。両脇に兵士、後ろに神官。松明を持った者が先頭を歩き、北の方角へ向かう。

 クルが立ち上がり、耳を真っ直ぐに立てた。〈あっち、あっち〉。感覚が届く。

 リサはアレックを見た。アレックが頷く。歩き出した。


 護送の一行は正規の山道を進んでいる。リサたちは獣道を選んだ。崖を直登する道で、山道より険しいが距離は半分もない。

 月明かりが白く岩肌を照らしていた。足元が不安定な岩を手で掴みながら上る。息が切れても止まらなかった。硫黄の臭いが濃くなり、北の空が地の下から照らされているように赤く染まっていく。

 ナイアの笑顔が頭から離れなかった。

 (お姉ちゃん、大丈夫だよ)

 あの笑顔の意味は分かっていた。私を安心させるためだ。これ以上誰も傷つけたくない、そのための笑顔だった。

 間に合わなければならない。その感覚だけが走る足を動かし続けていた。

 クルが一度だけ短く吠えた。前方に松明の光が見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。